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弱きものを踏みつける人たち⑥

 しばらく書類を読みこんでいたカサブランカは、ドアをノックする音に気がついて顔を上げた。少し首が痛いのは同じ姿勢を保っていたからだろう。


「どうぞ」


 カサブランカが返事をすると、そっとドアを開けてミラが顔をのぞかせた。


「あら、どうしたの? お勉強は終わった?」

「うん……あ、はい。今日は早く終わりました」


 言葉遣いを練習中のミラ。


「そう、こちらへいらっしゃい」


 カサブランカが手招きをすると、少し恥ずかしそうに頬を染めて、招かれるままにカサブランカの前までやってきた。


「今日のドレスもとてもかわいらしいわね。ミラにピッタリよ」


 黄緑色の涼やかな色味に幾重にもオーガンジーを重ねた柔らかいシルエット。クルッと回ればスカート部分がふわりと広がって、軽やかさとかわいらしさがますます強調されるデザインだ。


「モモが選んでくれました」


 モモとはミラの世話をする専属の侍女だ。


「あら? 頭はどうしたの?」


 よく見るとツノの部分を隠すためにつけているヘッドバンドが、包帯になっている。


 すると、突然瞳に大粒の涙を浮かべたミラ。


「……うぅ……」


 口角を下げて泣くのを我慢しているが、残念ながら涙がボロリとこぼれた。


「ど、どうしたの?」

「ツノが……ツノが取れちゃいました」

「え?」


 ヘッドバンドから血が滲んでいることに驚いたポットリー夫人が、ミラのヘッドバンドを外すと、ツノの根元部分がヘッドバンドと一緒にポロッと落ちた。それを見たポットリー夫人は小さく悲鳴を上げ、失神寸前だったという。


「痛くはないの?」


 カサブランカが心配そうに聞くと「はい」とうなずくミラ。


「でも、かゆいです」


 包帯から薄らと滲む血が痛々しく、かゆみに耐えきれずかいてしまえば傷はもっとひどくなるだろうと想像できた。


「かわいそうに。でも我慢をしなくてはだめよ」

「はい……」


 そこでふと気になったことを聞いてみる。


「ミラは、そのままツノがなくなったらうれしい?」


 ツノがなくなればこれまでのような扱いを受けることはなくなるだろうし、もしかしたらクラフィール王国に帰ることだってできるかもしれない。


 しかしミラは首を横に振った。


「テルニが言っていました。私のツノは使徒メルバと同じ色だって」


 使徒メルバは、ツノなしの使徒ガザンと共に、人々を正しい道に導くために教えを説いた先導者。


「私のツノはとてもきれいな白金色で、私、自分のツノがとても好きでした。でも、斬られたら色が変わっちゃって、とてもかなしかった」


 ミラはそう言ってうつむいた。


「そう」


 ツノがあったせいでひどい扱いを受けてきたのに、ツノを好きなんて言うとは思わなかった。


「それに、ツノを斬られたら元気がなくなってしまいました」


 ツノを斬りおとされたときに感じた喪失感と、自分の中の力が失われていく脱力感。それはひどく不快でひどく恐ろしい感覚だった。


「今も?」


 カサブランカの質問にミラは再び首を横に振る。


「最近は少し元気が出てきました」


 それなのにツノの根元が落ちてしまったことで、ミラは再び大きなかなしみを感じているのだ。


「もう、ツノは生えてこないかもしれません」

「……」


 まだツノありが力を手放す前、つまり突起ではなく立派なツノが生えていた時代、咎人に対してツノを斬りおとすという罰があった。ツノを斬りおとされたものは生命の力を失い、容姿が醜くなるのだという。そして斬られたツノが再び生えてくることはない。


 ついさっきその事実を知ったばかりのカサブランカには、ミラを励ます適切な言葉が浮かばない。なぜなら、ミラが心配しているとおり、ツノが生えてこない事実は過去の実例により証明されているからだ。


 カサブランカは顔をわずかにゆがませミラを抱きよせた。


「ツノがなくなってしまったとしても、ミラはミラよ」


 そう言ってミラの髪をなでる。


「……」


 ミラはかなしそうな顔をしたまま小さくうなずくだけだった。


◇◇◇◇◇◇


 ミラが王妃カサブランカの宮で生活をするようになってから半年が過ぎた。


 そのあいだミラは毎日勉強に励み、どんどん言葉を覚え知識を吸収し、あっという間にその歳の貴族子女が身に付ける標準的な教養を身に付けた。


「――灰色の世界を見つめる瞳の中に浮かぶのは雲のようにつかみ難く、水のように止まらない永遠の命である」


 本を最後まで読みおえてミラはホッと息を吐く。


「大変よくできました」


 ポットリー夫人の言葉を聞いてミラはぱぁっと顔を輝かせた。


 ミラが読んだその本は、有名な作家が書いた文学で、使われている言葉がうつくしく、とても読みやすいと女性のあいだで人気の作品だ。


「でも、書いてあることの意味はあまりよくわかりません」


 男の子が好きな冒険物語でも、女の子が好きな王子様とお姫様の物語でもなく、主人公の女性の目線で語られ、現実と夢の世界を行き来するお話で、生まれた瞬間から不遇のときをすごし、最後は夢の世界に身を投じてしまうという、少々鬱々としていてミラにはとてもわかりにくい内容だ。


「重要なのはこの本の内容ではなく言葉選びです」

「言葉選び?」


 ミラは再び本を開き文章を確認する。


「はい。この本に出てくる主人公の女性は、王族であるにもかかわらず、平民に嫁がなくてはならないという数奇な運命をたどっています。夢の中では神と話をし、現実世界では王族であったことを隠して少し品のない言葉を使っていますね」

「はい」


 なぜこんなに話し方を変えるのか不思議だったが、そういった理由があったのかと、今になって知る。


「同じ言葉でも話し方でまったく印象が変わります。この本ではそれを見くらべることができる言葉がたくさんあるので、いい勉強になります」

「おっしゃった、と言った、とかですか?」


 本をペラペラとめくりながらミラが聞くと、ポットシー夫人はニコッと笑ってうなずいた。


「ミラさまはこれまでは王族らしからぬ言葉を使っていましたが、これからは王族にふさわしい言葉を学ばなくてはなりません。この主人公が神と話をしているときのように穏やかに緩やかに、しかし品と矜持を持って」

「カサブランカさまのように、ですね」


 ミラが瞳を輝かせた。


「そうです」


 ポットリー夫人は満足そうにうなずく――が、実はカサブランカは最初から完璧な淑女だったわけではない。


 カサブランカが少女のころ、未来の王妃という定めにあらがい、騎士を目指していたことがあった。人の目を盗んで剣を振って、ときには歳の離れたエデルを巻きこんで騒ぎを起こしたこともある。結局剣は取りあげられ、それまで以上に厳しい監視付きで王太子妃教育を受ける羽目になり、騎士への道は閉ざされたのだが。


「カサブランカさまは素晴らしい教養を身に付けるために、多くの時間を要しました。ミラさまよりずっと小さいときから王妃となるべく、厳しい教育を受けてこられたのです。しかし、時間も大切ですがやる気も大切です。ミラさまが本気でお勉強をなされば、カサブランカさまのように素晴らしい淑女になれるはずです」

「はい、私頑張ります」

「よろしい。本日の授業はここまでです」

「はい、ありがとうございました」


 ミラはかわいらしい笑顔と少し頼りないカーテシーであいさつをし、ポットリー夫人はにこやかな笑顔で部屋を出ていった。


読んでくださりありがとうございます。

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