弱きものを踏みつける人たち④
「あれ? ディクソン」
ディクソンの背後から声がしてそちらに目を遣ると、そこにはルーシェルが立っていた。ルーシェルはそのまま歩みを進め、ディクソンの横を通りぬけて二人の騎士の前まで。するとマクレガーとパブリスはルーシェルのために少し立ち位置を移動した。
「はぁ?」
その様子を見ていたディクソンがなんとも間抜けな声を上げる。
「俺のことは通さないのに、そいつは通すのか?」
ディクソンはルーシェルを指さし、それを見てマクレガーとパブリスが顔を見あわせる。
「ルーシェルさまの訪問は歓迎されていますから」
「な、なんだと!」
ディクソンの顔がリンゴより真っ赤になっている。
それはつまり、ディクソンの訪問を歓迎していないということだ。べつに王妃に歓迎なんてしてもらいたいなんて思ってはいないが、それを口にするのが騎士であることが気に入らない。
「お前ら、よくもこの俺を侮辱したな」
必ず膝を突いて許しを乞わせてやる、なんてことを考えているのだろうとわかるディクソンの醜い顔を見ながら、ルーシェルは小さく溜息をついた。
「それで……なんの用で来たのですか? まさか、ここが王妃殿下の宮であることを忘れているわけではないですよね?」
「は? 忘れているわけがないだろ? ツノありがここにいると聞いたから、連れもどしに来たんだよ!」
ディクソンが吐いた乱暴な言葉は、ルーシェルのこめかみの血管を浮きあがらせた。
「ツノあり、だと?」
ルーシェルの静かな怒りにディクソンも気がついたようだ。
「な、なんだよ。ツノありだからツノありと言ってんだろ! だいたいアレは俺の側妃だ。俺がなんと呼ぼうとお前には関係ないだろ!」
ミラを尊重しない言葉に腹が立たないわけではない。しかし、ルーシェルはぐっとこらえて静かに口を開いた。
「彼女の名前はミラだ」
「ミラ?」
「まさか夫のくせに名前を知らないはずはないと思うけど」
ルーシェルがそう言うとディクソンはますます不機嫌な顔をした。
「うるさい! 名前なんてどうでもいい! アレは俺のだから、返していただきたいと王妃に伝えろ」
ディクソンはイライラしながらルーシェルを睨みつける。
ルーシェルは大袈裟に申し訳なさそうな顔をして、首を横に振りながら盛大に溜息をつく。
「困ったな。カサブランカさまはミラさまを返す気はないんだよな。陛下にもそのようにお伝えしているはずだけど」
「その陛下がミラを連れてこいとおっしゃったんだ」
ディクソンは声を荒らげてルーシェルにつめ寄る。しかし、ルーシェルはフンと鼻を鳴らして踵を返した。
「おい、待て!」
「お話にならないよ。自分の側妃の面倒もまともに見られないくせに、連れもどしてどうするつもり? まずは彼女の生活する場所を整え、迎えいれる準備をしなよ。話はそれからでしょ。だいたい、本当に陛下は連れてこいって言ったの?」
そう言ってスタスタと宮の中に入っていってしまった。
「おい!」
ディクソンは慌ててルーシェルを追いかけようとした。しかしディクソンの前にマクレガーとパブリスが立ちふさがる。
「どけ!」
そう言って二人を押しのけようとしたがビクともせず、勢い余ってふらりとよろめき、そのまま尻もちをついた。
「くっ、くそっ! お前たちいい加減にしろよ」
ディクソンが睨みつけてもマクレガーとパブリスは微動だにせず見おろしている。かぁっと顔を赤くしたディクソンは悔しそうに奥歯を嚙んで、きっと二人を睨みつけその場をあとにした。
「くそ! くそくそくそ! ばかにしやがって! 俺が、俺が王位を継いだらあいつら全員処刑してやる!」
顔を真っ赤にして大股で歩きながら、目につく花を手で思いきり払い、足で蹴りつけ踏みつける。しかしどんなに無抵抗の花に八つ当たりをしても、ディクソンの気分が晴れることはない。
「くそっ……! お飾り王妃のくせに……!」
ディクソンがいくらカサブランカに毒を吐いたところで、ディクソンが血統の正当性を問われれば弱く、安泰を問われれば必ずしもそうとは言えない微妙なもの。
もし、カサブランカが八年前に無事子どもを産んでいればディクソンは……。いや、今でもカサブランカが男の子を産めば、確実にディクソンが国王となる未来は潰える。どんなにディクソンがカサブランカをお飾りと罵っても、カサブランカの価値がわずかにでも下がることはないのだ。
それくらい、わかっている。
「……くそっ……」
とはいえ、そんな不確定な未来などに振りまわされるつもりなんてない。誰が見たって今の二人が子どもを作るような関係ではないことはわかるし、国王はそれなりの年齢だ。たとえ二人の関係が回復したとしても、子を得ることは簡単ではないだろう。
「いい加減、俺と母上を認めるべきなんだ……!」
カサブランカが側妃の息子であるディクソンを遠ざけるのはわかる。二人の関係はありがちでも、当人の心情としては複雑だ。
しかしディクソンは立太子こそしていないものの、次期国王の立場は約束されたのも同然。そしてアマンダはその母。自分がなしえなかったカイザーの子を産む、という大きな功績を残したアマンダに対して、敬意を払っても敵視するべきではないことくらい、賢いカサブランカならわかるはずなのに。
「王妃があんな態度だから、周りがつけ上がるんだ」
世俗を捨てたような暮らしをして、時代の流れもつかめていない愚かな王妃にわからせてやらなくては。
「母上に話して、ルーシェルのヤツに罰を与えてやる。臣下の分際で生意気な野郎め」
ディクソンは目に入った花を握ると乱暴に引きぬいて地面に叩きつけた。しかし――。
「我慢なさい」
「は?」
アマンダが午後のティータイムを楽しんでいたのは、先代王妃が大切にしていたティールーム。この国で最も高貴な女性だけが使うことを許された特別な部屋だ。それを今は、側妃であるアマンダが使っている。そこへ駆けこんできたディクソンは、先ほどの出来事を一気にまくしたて、ルーシェルやカサブランカの護衛騎士に罰を与えるように訴えたが、アマンダはそれを聞きいれてはくれなかった。それどころかアマンダの信じられない言葉に思わず顔をゆがめてしまった。
「今は……王妃を刺激してはだめよ」
「なにをおっしゃっているのですか! 俺は、護衛騎士ごときに行く手を阻まれたのですよ。ルーシェルは俺をばかにしたんです! なぜ我慢をしなくてはならないのですか!」
ディクソンは納得いかずに声を荒らげた。アマンダはそんな息子を見て大きな溜息をつき首を振る。
「もうすぐ私の誕生パーティーがあるのよ」
「そんなことはわかっています」
「王妃の実家であるロックフォード公爵家は四公爵家の中で最も力を持つ家門よ」
「だから、そんなことはわかっていると言っているのです!」
イライラを隠さないディクソンに大きな溜息をつく。
「今王妃を刺激すれば、ロックフォード公爵家が黙っていないわ。ほかの貴族に圧力をかけてパーティーに参加させないようにすることだってありえるのよ」
「な、なんて卑劣な……!」
この国で唯一カイザーの血を受けつぐ王子を産んだアマンダを攻撃するなんて。
「明らかに反逆です!」
それを聞いてますます大きな溜息をつくアマンダ。
「その程度では反逆とは言わないわ。でも、私に恥をかかせることはできるでしょうね」
ディクソンは怒りで拳を握りしめ、顔を真っ赤にしている。
「とにかく、様子を見ましょう。どうせツノありなんてあなたにとっても汚点にしかならないのだから」
「……わかりました」
ディクソンは悔しそうに顔をゆがめたまま部屋を出ていった。
アマンダは大きく息を吐いて、目の前に置かれていた花瓶を手にすると、それを横に立つ侍女に投げつけた。
「キャ!」
侍女は悲鳴と共に倒れこみ驚いてアマンダを見あげる。
「も、申し訳ございません。どうか、お許しください」
そう言って真っ青な顔をして震えている侍女は、この仕事に就いたばかり。そのため、いったい自分がどんな粗相をしたのか理解できず、ただ床に額をこすりつけている。侍女は男爵令嬢で、アマンダがどんな扱いをしても訴えることさえできない弱小貴族だ。
そんな力のないものが惨めにひれ伏し、どうにかこの場を収めようと必死になる姿を見れば多少はアマンダの溜飲が下がる。が、鬱憤が晴れるわけではない。
「フン……」
(絶対に許さない。見ていないさい。いずれきっちり返してやるわ)
アマンダは恐怖で震えている侍女をギロリと睨みつけてから立ちあがると、そのまま部屋を出ていった。
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