身代わりのお姫さま⑥
ミラが目を覚ましたのは夕方になってから。ぱっと目を開けたミラは、辺りをキョロキョロと見まわし、状況を理解するのに長く時間を要していた。
ふと、視線の先にはイスに座って本を読んでいるカサブランカ。その姿はまるで美の女神のようだ。
ミラはソファーを降りるとカサブランカのもとまで行って、おずおずと口を開く。
「あ、あの、王妃さま」
「あら、ミラ。目を覚ましたのね」
そう言いながら本を閉じたカサブランカは、イスから立ちあがると膝を折って、ミラと目線を合わせた。
「ねぇ、ミラ。しばらくここに泊っていかない?」
「え?」
「私ね、もっとミラとお話がしたいの」
「でも」
もしここにミラがいると知られたら、カサブランカに迷惑がかかるかもしれない。
「なにも心配はいらないわ。それに、ここにいればおいしい料理を食べることができるわよ」
おいしい料理。それは、ミラにとってなによりも魅力的なお誘いだ。
「ミ、ミルクも、のめる?」
「もちろんよ」
「ウシの?」
「ウシのミルクが好きなの?」
カサブランカが聞くと、ミラはうんうんとうなずいた。
「そう。それなら毎日ウシのミルクを用意してあげる」
「ま、毎日? 毎日ウシのミルクをのんでいいの?」
「もちろんよ」
それを聞いてミラは眩しい笑顔を見せた。
「本当にウシのミルクが好きなのね」
「うん、大すき!」
カサブランカはニコッとしてミラの頭をなでた。
「それでは、一番にしなくてはいけないことをするわよ」
カサブランカは侍女を呼んで湯の準備をするように指示をした。
「ドレスは準備できている?」
「はい、いくつか用意がございます」
「ありがとう」
カサブランカがミラに視線を戻す。
「ミラ」
「はい」
「これから体を清めていらっしゃい」
「え? でも……」
カサブランカの言葉に顔を曇らせたミラ。体を清めるということは、ヘッドバンドを取らなくてはならないということだ。ヘッドバンドを取ればツノのことを知られてしまう。だからミラは大きく首を横に振る。
カサブランカは寂しそうな笑顔でミラの頬をなでた。その手は柔らかくて温かくて、ミラの少し冷たくなった頬をじわりと温める。
「ミラ、ごめんなさい。あなたの秘密を知ってしまったの」
「え?」
「あなたのなくなってしまったツノのことよ」
ミラは慌ててふたつのツノを隠すように手を頭においた。
「あなたのツノのことは、絶対に誰にも言わないわ。ここにいる使用人も必ず秘密を守る。だから安心してちょうだい」
緊張と恐怖で瞳に涙を浮かべたミラが、じっとカサブランカを見つめた。
本当にこの人を信じていいのか? そんなことを考えているのだろう。
カサブランカは自分を見つめるかわいらしい少女が、納得できる答えを出すまでゆっくり待つことにした。それは時間にすればそれほど長くはないかもしれないが、二人が向かいあい探りあう時間としては長く、とても重い空気だ。
次第にミラのぎゅっと結んだ口が震えだし、大きな瞳からぼろりと涙をこぼれた。そしてそれを合図に声を出したミラの泣き声が次第に大きくなる。
「あらあら」
カサブランカは少し驚いたように目を見ひらき、小さな体を抱きよせた。
小さな体に大きな秘密を抱えた少女は、なにもわからず誰にも頼れないこの地で、どうにか生きのころうと必死に足掻いていた。秘密を知られればどんな目にあうかわからない。そんな緊張と不安を常にそばに置いていた彼女の心配は計りしれない。
そして今、その大きな秘密を知られてしまった絶望と、もう隠さなくていいという安心が小さな胸を複雑にかき乱し、涙となって訴える。私を助けて、と。だからカサブランカは、私があなたを助けるわ、と優しく微笑み、抱きしめる腕に少し力を入れた。
「心配はいらないわ。あなたが心から笑えるように、あなたに生きるための知識と困難を解決する力をあげる。だから、いっぱい泣いたら、体を清めて、きれいなドレスを着て、おいしいお料理を食べましょうね。寝る前には絵本を読んであげる。寝るときには歌を歌ってあげるわ。明日の朝はウシのミルクを飲みましょう。約束よ」
ミラは大きくしゃくりあげながら、そのつぶらな瞳でカサブランカを見つめた。
「たすけて、くれるの?」
「ええ。これでも私にはそれなりに力があるのよ。だから安心なさい」
「うぅ……う、うん」
ミラは泣きながら、それでもしっかりと返事をした。
「さ、行きなさい」
宝石のように輝くカサブランカの笑顔を見つめ、小さくうなずいたミラは、侍女に手を引かれて部屋を出ていった。
「ガストン」
「はい」
黒いスーツを身にまとう白髪の執事ガストンは、その昔剣豪で知られる騎士だった。騎士を引退してからはカサブランカの護衛として仕えていたが、八年前カサブランカと共にこの宮に来てからは執事として従事している。
「これから毎食ミルクを用意するように厨房に伝えてちょうだい。ウシのね。それと、ポットリー夫人に連絡をして。ああ、それとマーガレットに明日以降に来るように伝えて」
ポットリー夫人とは前バーリントン伯爵夫人のことだ。すでに夫は他界しており、夫人は現在教育係の仕事をしている。そしてマーガレットは、カサブランカが贔屓にしているブティックのオーナーだ。
「かしこまりました。すぐ連絡をいたします」
ガストンはそう言って部屋を出ていった。
カサブランカは機嫌のよさそうな顔をして、ソノマが淹れた紅茶に口を付けた。
「殿下、なにやら楽しそうですね」
長くカサブランカの専属侍女を務めているソノマだが、カサブランカがこんなに楽しそうな顔をするのを見るのは久しぶりだ。
「フフフ、確かに楽しいわね。どうやってかわいいミラをかなしませた彼らを懲らしめてあげようかと考えると、ちょっとウキウキしてしまうわ」
カサブランカは、不穏な言葉に似つかわしくないうつくしい笑みを浮かべた。
ソノマはカサブランカの様子を見て「ほどほどになさいませ」と呟いた。
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