ルーシェルとエレンティアラとディクソン⑤
その日の夕食の時間。侍女に支えられ、真っ青な顔をして食堂にやってきたエレンティアラの瞳に涙が浮かんでいる。
「どうしたというのだ、ティア」
シベルツは驚いて席を立ち、早足でエレンティアラのもとに向かった。
「お父さま!」
エレンティアラも走ってシベルツにしがみつく。
「アヴィリシア王国から書簡が届いたと聞きました。姫を、私を寄こせと言っていると……!」
「なぜ、それを――」
「私は、アヴィリシア王国に送られてしまうのでしょうか? ディクソン殿下と結婚をしなくてはならないのですか?」
ディクソンは自分を側妃に迎えると言っていた。彼の妻になるなんて考えるだけでも恐ろしいのに、側妃になんて絶対になりたくない。しかし、アヴィリシア王国は大国。この要求を断れば、どんな問題に発展するかわからないのだ。
「お父さま! 私は……あんな人の妻になんてなりたくはありません!」
そう言って大粒の涙を流すエレンティアラ。シベルツは厳しい表情をして、エレンティアラを抱きしめた。
「大丈夫だ、そんなことを心配する必要はない」
「で、でも……」
「お前をあんなやつにやるわけがないだろ? 心配をするな」
「では、戦争も辞さないということですか?」
エレンティアラはますます顔を青くした。いつの間にやってきたのか、イグナーツとエンディガも顔を青くしている。
「そうではない。お前の身代わりをアヴィリシア王国に送るんだ」
「私の身代わり? い、いったい誰です?」
エレンティアラは困惑し、イグナーツとエンディガも首を傾げる。
「父上、いったい誰のことを言っているのですか?」
イグナーツが聞くとシベルツはしばらく間をおいてから息を吐いた。使用人に部屋を出るよう指示し、子どもたちに席に座るように促す。
今、食堂にいるのはシベルツとイグナーツ、エンディガとエレンティアラ。
「ティア、よく聞きなさい。お前たちもだ」
シベルツは三人の子どもたちを見まわして静かに口を開く。
「お前たちには妹がいる」
「……は? 妹、ですか?」
三人は思いがけない言葉に眉根を寄せ、互いに顔を見あわせた。
「それは……腹違い、とかそういう……?」
母パステルが亡くなったのはエレンティアラを産んで少ししてからと聞いている。そのあとに子どもが生まれているのなら、妾腹ということだろう。
しかしシベルツは首を振った。
「いや、間違いなく私とパステルのあいだに生まれた子だ」
「どういう、ことですか?」
話をうまく飲みこめないイグナーツ。しかしそれはエンディガとエレンティアラも同じ。
「エレンティアラの……双子の妹だ」
「ふた、ご? 私には……双子の妹が、いるのですか?」
「ああ」
「う、そ……」
エレンティアラは混乱し、頭の中に浮かぶ言葉には、すべて疑問符がつく。
なに? どういうこと? なぜ? なぜ? なぜ?
「そんなの聞いたことがありません!」
「そうですよ! 私たちは一度だってその妹に会ったことがないんですよ?」
イグナーツとエンディガも訳がわからずに声を大きくした。
「お前たちが言いたいことはわかる。しかし、アレのことをお前たちに教えることはできなかった。もちろん公にすることもだ」
「アレって。その子の名前はなんというのです?」
「……」
エレンティアラの質問にシベルツは黙りこむ。言いたくないのだろうか? それとも思いだそうとしている? どちらにしても、今はシベルツの言葉を待つしかない。
しかし、エレンティアラの脳裏には忘れていた出来事がかすかに蘇っていた。いつかのパーティー。古めかしく寒々しい西の塔。そこにいた女の子。名前は……思いだせない。
もし、勘違いで片づけてしまったあの出来事が、実はそんなことはなくて、本当は勘違いなんかじゃなくて、それで……あのときの女の子が実は自分の妹だったとしたら……。
「お父さま! その子の名前を……その子の名前を教えてください」
エレンティアラが再び聞くと、シベルツやようやく重い口を開いた。
「……アレに、名前はつけてはいない」
「名前を……つけていない?」
エレンティアラは信じられない言葉に唖然とする。
「信じ……られない。……なぜ、その子はそんな扱いを受けているのですか? いったい……どこにいるのですか、その子は。他家に預けているのですか? 修道院? ……もしかして、孤児院ですか? お父さま!」
「……」
「なぜ……なにも教えてくれないの?」
ここまで言っておいて口を閉ざす理由は? 子どもたちに知られたくないなにかがあるのか?
でも、エレンティアラにもわかったことがある。
その『妹』という子が、あの塔の女の子ではないということだ。なぜなら、あの子には名前があったから。……今となっては、あの女の子が本当に存在していたのかも定かではないけど。
もし、またあそこに行ったら、あの子に――。
「アレは、母親の命を食らって生まれた子だ」
「え?」
うつくしいシベルツの顔がゆがむ。
「アレにはツノが生えていた」
「ツ、ノ……?」
「そうだ。先人たちを苦しめたツノだ。ただのツノならまだいい。しかしあろうことか、アレはヴィッツェルノのツノの持ち主だった」
「ヴィッツェルノのツノ……? まさか……」
イグナーツが顔を青くして、ある言葉を思いだす。
「……ヴィッツェルノのツノを持つものを産んだ母親は……必ず命を落とす」
「――っ!」
その言葉を聞いてようやくエンディガとエレンティアラも理解した。つまり、その子のせいで母パステルは命を落とした。だから、妹は……。
「でも、その子は望んでツノを持って生まれたわけではないじゃないですか」
「そうだとしても、お前たちから母親を奪い、私から妻を奪った事実は変わらない」
「……そう、ですが」
エレンティアラは父の悲痛な声に、自身の胸が苦しくなるのを感じた。
とても仲のよい夫婦だったと聞いている。シベルツはパステルをとても大切にしていて、惜しみない愛情を注いでいたと。そのパステルは太陽のように眩しい笑顔で夫に微笑み、兄たちに愛情を注いでいたと。そして、新たな家族となるエレンティアラの誕生をとても楽しみにしていたと。
そんな母の温もりを知ることができなかったのは、双子の妹のせい。……でも。
「……そ、その子にはツノがあるのですよね? そんな醜いものをつけていたら、その子はひどい目に遭うのではないですか?」
「ツノは……斬りおとす」
「――っ!」
過去には咎人に対する罰のひとつにツノを斬りおとすというのがあった。そうすることで生命の力を失うのだ。それはツノありにとって死んだのも同然。つまり生きながら死者となるのだ。
「それはひどすぎます」
「そうです。父上は子殺しの大罪を犯すおつもりですか?」
「なに?」
「ツノを斬られたものは死んでいるのと同じ。父上は……娘を殺すおつもりなのですか?」
イグナーツは真っ青な顔をしてシベルツに問う。
しかし、シベルツは冷たく鋭い視線をイグナーツに向けるだけ。
(子殺しの大罪? 望むところだ。すでに私はアレを殺したに等しい扱いをしてきたのだからな)
いまさらそんなことを恐れるわけがない。しかし、それを口にすればますます子どもたちは心配をするのだろう。それなら納得せざるを得ない理由を与えるしかない。
「ではツノを生やしたまま送れと?」
「そ、それは……」
「お前にはどちらも選択できないだろう。優しい男だからな。だが、アレのことで心を痛める必要はない。見も知らないものを妹と思う必要もない」
「……」
「それに、ツノがあることで虐げられるのなら、ツノを斬りおとしてやるほうが親切ではないか?」
イグナーツは言葉を失い、ぐっと拳を握りしめて黙りこんだ。
「これは決めたことだ。これでこの話はおしまいだ」
「お父さま……」
エレンティアラの声が震える。こんなに怖い顔をした父をこれまで一度だって見たことはない。
「今までいなかった子だ。そしてこれからもいない子だ。問題ない」
「お父さま……!」
まさか優しい父がこんな非道なことを口にするなんて。
「どうか、お考えなおしください。その子は、私の妹なのですよ?」
「それなら、お前がアヴィリシア王国に行くか?」
「え……?」
突然鋭い声がエレンティアラに放たれ、ビクッと体が震えた。
「その子が行かなければお前が行くことになる」
これまで一度も向けられたことがない鋭い視線が、偽善を並べたてる愚かな娘に問う。
お前にその覚悟があるのか? と。
顔を青くして黙りこんだエレンティアラを見て、シベルツは小さく息を吐いた。
「……この話はおしまいだ。食事をしよう」
シベルツはそう言って使用人を呼んだ。エレンティアラはドレスのスカート部分をぎゅっと握りしめた。
会ったこともない、初めて聞く存在。これまで王女としての生活など皆無であったであろうその子が、こんなときになって初めて王女として認められることになるなんて。そして、その子は自分の代わりにアヴィリシア王国に送られる。
あのディクソンという男は傲慢で、相手を思いやる気持ちなんて欠片も持ちあわせてはいないだろう。そんな男のもとに送られて、なにも知らないその子はいったいどんな目に遭うのだろうか。
それを思うとゾッとするし、自分の代わりにその子を犠牲にすることに罪悪感さえ覚える。でも。
(あんな最低な男の妻になんてなりたくないわ……! ……たとえ、憐れな妹を犠牲にしても)
だからそれ以上なにも言わず、聞いたことはすべて忘れることにした。
誰かがエレンティアラのために犠牲になったとしても、それはエレンティアラには関係のないこと。なぜなら、エレンティアラはクラフィール王国唯一の王女で、エレンティアラがいることで皆が幸せになれるのだから
読んでくださりありがとうございます。