誕生②
「ラスペリツィア、最近の人間はどんな感じだい?」
新しい世界を創り、人間の時間にして千年がたったころ、ミジェラニオアがラスペリツィアに聞いた。
「人間? ……ああ、すっかり忘れていたわ」
「おや、興味がなくなってしまったのかい?」
「ええ、だってつまらなくなったんだもの」
正しいルールに従って生きている人間はまったくおもしろみがなく、気がつけば少しのあいだ放ったらかしにしていた。しかし、ラスペリツィアにとってはたいした時間ではないが、人間の時間にしたら千年。それなりに長い。
「ちょっと様子を見てみようかしら」
そう言ってラスペリツィアが人間の世界を見たとき「きゃー」と悲鳴を上げた。
ラスペリツィアが見たのは人間同士が殺しあう世界。力で弱きものを虐げ、排除をしようとするうつくしくない世界。
「なんてことでしょう! 人間が人間を殺しているわ。……違うわね。ツノありとツノなしが殺しあいをしているんだわ。なんておぞましい世界でしょう!」
そう言って光悦した笑みを浮かべるラスペリツィアは、これまでにないほど興奮していた。
人間の命は五十年ほど。使徒として送りだしたメルバとガザンはとうにこの世にはいない。そして、千年という時間のあいだに、個体の数は増え、文明が発達した。
単純な喜怒哀楽しか持ち合わせていなかった人間は、いつのまにか複雑で、それでいて時としてひどく単純な感情を持つようになった。
そして、個体同士さまざまなところで優劣が生まれ、差別が生まれた。
優劣というのは厄介なもので、人間はなにかにつけて他人と自分を比べ、少しでも自分が優位に立つことを望み、周囲を蹴おとし排除しようとする。そしてそれを助長させたのが外見による差別。
差別は争いを生んだ。最初は個々の小さな争いだった。しかし、目まぐるしく動く環境の中で、次第に人間同士の争いは命を懸けるものとなり、いつしかツノありとツノなしの争いへと発展していった。
そのすべての根底にあるのが欲だとミジェラニオアは言った。欲があるから他人と比べるし、見くだすし、虐げる。
「うつくしくはないな」
ミジェラニオアは溜息をついた。しかしそれに対してラスペリツィアは首を振る。
「この欲にまみれた姿も見方を変えればうつくしいわ」
ラスペリツィアには、人間が欲をむき出しにして、望むものをつかみ取るために命を懸ける姿が眩しかった。それこそがラスペリツィアの望んでいたうつくしい姿だったのだ。
「しかし、やりすぎだ」
「……」
確かに、この世界からキラキラしたうつくしさがなくなってしまっている。
「それなら、ツノありとツノなしを別々にしましょう」
「別々?」
「ツノありとツノなしを別の場所に住まわせるの。そうすれば争いはなくなるわ」
「なるほど。同族同士なら争うことはないな」
ミジェラニオアは納得したようにうなずく。
「それでどちらを移動させるんだ」
別々の場所に住まわせるのなら、どちらかがこれまでとは別の場所に移動しなくてはならない。それもかなり離れた所に移動させなくては、別々にする意味もないだろう。しかし、移動させられたどちらかはすべてを失い、一から生活を立てなおさなくてはならなくなる。それは想像するよりずっと困難なことだろう。
(果たしてラスペリツィアはどちらを選ぶのか?)
きっと悩むだろう、と思ったが、ミジェラニオアの予想に反してラスペリツィアの決断は早かった。
「ツノありを移動させましょう」
「それは、なぜ?」
「だって、今の生活を崩すのはかわいそうだもの」
ラスペリツィアの言葉に首を傾げながら、ミジェラニオアが聞く。
「ツノなしのことか?」
「ええ」
「それならツノありはいいのかい?」
ツノありを移動させれば、彼らはこれまでの生活を崩すことになるのだが。
「べつにいいんじゃない?」
「……君はツノありよりツノなしのほうが大切なのか?」
「べつに大切なんて感情はないわ」
ラスペリツィアは、なぜそんなことを聞くのか、と不思議そうな顔をする。
「それならなぜツノありを?」
「べつに、ツノありでいいかなって思っただけよ」
「……そうか」
「だって、あれはツノがあって、醜いわ」
「……」
自分と似た姿をしていながら醜いツノを生やした異形。人間のように見える獣。
ラスペリツィアの言葉は、ミジェラニオアの心の奥のほうに細く小さな棘が刺さるような痛みを落とす。
ただ、少し容姿を変えればラスペリツィアが喜ぶのではないかと思っただけで、虐げられる存在にするつもりはなかった。しかし、ミジェラニオアの考えは間違っていたようだ。
(雄々しいツノや滑らかな曲線を描くツノは、まったくうつくしくないということか……)
ラスペリツィアはミジェラニオアがわずかにゆがめた顔に気がつくことなく人間を見つめ、かわいらしい笑顔を浮かべてさっと手を払った。すると、ツノありはその場からすっと消え、広い草原に移動した。
突然のことにまったく事態が理解できなかったツノありの混乱は想像に容易い。なんの兆しもなく、なんの準備もできないまま突然すべてを奪われたのだから、彼らの絶望はいかほどか。弱いものは次々と倒れ、かなしみに耐えられないものは自らその命を絶った。
その様子を見ていたミジェラニオアがラスペリツィアに言う。
「……ラスペリツィア、金輪際彼らの世界に干渉をしてはいけない」
「なぜ?」
「彼らは、すでに自らの意志を持つ個となったのだ。これから彼らは、自分たちの意志で自分たちの世界を創造し破壊していくだろう。それならば、彼らが選ぶ道を静かに見まもることが我々の役目だ」
「……そう、残念。でも、いいわ。もう飽きてしまったもの」
「……そうか。それなら、なにか新しいものを創るか?」
「そうね、考えておく」
「わかった」
「あ、でも、私も人間になにかを与えたいわ」
「ああ、それがいい」
ラスペリツィアは、ツノありとツノなしを楽しそうに見ている。
「どうしようかしら? そうだわ、ツノなしには祈りの力を与えましょう。信じる神を信仰し、熱心に祈ればそれが彼らの力へと変わるわ。その代わり、信仰心が薄くなれば力を失うの。ああ、そうね、欲深いものも力を失うことにしましょう。力を失ったらもう二度と戻らないっていうのもいいわね。フフフ。それから、ツノありには……生命の力を与えるわ」
「生命の力……?」
「ええ、生命力を力に変えるの。生命力が強ければ強いほど力も強くなる。使いすぎると生命力は枯渇して命にかかわるの。フフフ、おもしろいでしょ?」
「それは寿命とは違うのか?」
「寿命……。そうね、寿命と言ってもいいかもしれないけど、ちょっと違うわ。個々に定められた寿命を削るわけではないから。生命の力は常に回復するの。ただ回復する速度は個々によって違うわ。個々が持つ力の大きさもそれぞれで違うから、力の限界を決めつけてしまうのは難しいわね。生きる執念や心の強さも生命力に関係してくるのよ。あ、そうだわ。ツノが媒体となって力を作りだすっていうのがおもしろいかも。つまり、ツノがなくなれば力も失うってことね。生命の力を極限まで使えば命は潰えるし、うまく使えば生きながらえる。ちょっとスリルがあっておもしろいと思わない?」
そう言ってラスペリツィアがクスクスと笑った。
(ツノなしは力を失うだけなのに、ツノありは命を奪うのか。ツノにまで大きな意味をもたせるなんて)
ラスペリツィアのおもしろいと思うことや、彼らに対する差をミジェラニオアは不思議に思っていた。ラスペリツィアは決して平等ではない。ではなぜラスペリツィアはツノありとツノなしに対して平等ではないのか。わからない。
それにラスペリツィアは気まぐれだ。それが感情を持つということなのか? やはりミジェラニオアにはわからない。
(私が創ったのに、わからないことばかりだな)
ミジェラニオアは創造するだけで、超越しているわけではない、ということなのだろう。
読んでくださりありがとうございます。