ミラとツノとテルニ⑤
突然ミラの背後からテルニの大きな声が聞こえ、ミラが振りかえるとテルニが真っ青な顔をして駆けよってきた。そして、扉とミラのあいだに立つ。
「テルニ?」
「早く塔の中にお入りください!」
「あ、ち、ちがうの!」
「なにをなさっているのです! 早く、お入りください」
テルニが怖い顔でミラを見おろし、ミラは驚いて口を噤んだ。テルニの瞳が、約束を破ったミラを責めているような、他人にミラの存在を知られてしまったことを恐れているような、そんな感情をにじませて揺れている。
「……ごめんなさい」
「あ、待って。僕は――」
ルーシェルが言いかけたところをテルニが遮った。
「パーティーに招待されたお客さまと存じます。ここは関係者以外の立ち入りを禁じられた場所でございます。どうか、今目にしたことをお忘れください。そして、決して口にしないとお約束ください」
「あの、僕は」
「何卒! お願いいたします。あの方の命にかかわります。どうかお約束ください。どうか、あの方をお救いください」
テルニが扉の向こうに向かって頭を深々と下げた。その体が震えていることがわかる。
「……わかりました。……僕はアヴィリシア王国のペンデンス公爵家が嫡男ルーシェル・スピネル・フォードビルといいます。家名にかけて、僕は今日のことを口外しないと約束します」
「――っ! ありがとうございます……! このような無礼をどうかお許しください」
テルニが声を震わせた。もし、ルーシェルがこのことを誰かに言えば、その話は瞬く間に広まりシベルツの耳に入るだろう。そうなれば、ミラが今以上にひどい扱いを受けることは必至。
しかし、ルーシェルが家名をかけて秘密を守ると約束をしてくれた。それはつまり、絶対約束を破らないということだ。
テルニはいつまでも深々と頭を下げ、ルーシェルはそれ以上なにも言葉を発せず、踵を返してその場をあとにした。
ルーシェルが去ったのを確認したテルニは、落ちていた取っ手を拾って穴にはめ、土や小石を拾って、その隙間を埋めた。実は、テルニが出入りをしていたのは裏手にあるもうひとつの小さな扉。そのためこの扉がこんなに朽ちていることに気がつかなかったのだ。
「私の失敗だわ。こんなことでミラさまのお命を危険に晒すなんて、あってはならないことよ」
今回はたまたま理解のある子どもでよかった。しかし、次同じことが起こったとして、ミラが無事でいられる保証はない。
「……もう二度とこんな失敗をしてはいけない」
テルニは心に強く誓って踵を返した。
自室に戻ったミラはベッドに倒れこみ、先ほどの出来事を思いだしていた。
初めて見るテルニ以外の人。しかも男の子でツノなし。それに、黒い髪と黒い瞳。
「あの子、ツノをきれいだと言ってくれた。……ルーシェルかぁ」
それは夢のような時間で、お姫さまと話をしたときよりずっとドキドキする出来事だ。
でも、テルニのあの顔も忘れられない。
「おやくそくを守らなかったこと、テルニはおこっているかな」
今まで見たことがないほど厳しい表情で、真っ青な顔色をしていた。
「ちゃんとあやまらないと」
そう思ってもミラの頬は緩み、笑みがこぼれる。そして、もう一度あの子に会いたい、と心から願ってしまうのだ。
ルーシェルは来た道を戻りながら何度もふり返っていた。ミラともっと話をしたかったし、別れのあいさつもしたかったけど、あの侍女の必死な様子を見れば、早々にあの場から離れるしかなかった。
もちろん約束を守ってミラのことは絶対に誰にも言う気はない。忘れることはできないけど。それに、ミラに対する理不尽な扱いはいったい誰の指示によるものなのか、という疑問を消すこともできない。
「ツノがあるからあんな場所に閉じこめられている? 人に存在を知られたら命が危ない?」
なんてひどい話だ。ツノがあるからなんだというのだ。まったく害はないではないか。
他国のこととはいえ、ミラに対する扱いには憤りを感じる。
「あんなに……かわいいのに……」
思わず本音がこぼれて顔を赤くする。
「いや、かわいいから怒っているわけじゃないぞ。そういうんじゃない」
ルーシェルは慌てて大きなひとり言で不埒な言葉を否定する。
「かわいいからってわけじゃないけど」
扉に空いた穴から見えたミラの姿が頭から離れない。銀色の髪と金色の瞳。うつくしく輝く白金のツノ。ツノありは皆神秘的なうつくしさを誇っているし、ミラもほかのツノありに劣らないどころか彼らよりもっと輝いていたというのに、ルーシェルの彼女に対するイメージはうつくしいというより――。
「なんていうか子ネコみたいな子だな」
興味津々でルーシェルを見つめ、「ルーシェルはいい人ね」と言って見せたその笑顔が愛らしくて、いつまでも眺めていたいというか……。
「ミラ……また会いたいな」
しかし、それは叶わない希望なのだろう。せめて彼女が自国の人間であれば……。そんなことを考えてもどうにもならない、とルーシェルは溜息をついた。
会場に戻ったルーシェルは辺りを見まわしてホッと息を吐いた。ルーシェルから離れた所にいる自国の王子――ディクソンが、機嫌のよさそうな顔をしていたからだ。
「このまま機嫌よく、問題を起こさずに終えればいいんだけどな」
ディクソンは過去にエレンティアラと運命的な出会いを果たしたが、距離が離れすぎているということと、種族が違うことを理由に婚約に至っていない、というかなしい事情がある。
というのはディクソンの言い分で、正確にはエレンティアラのほうからすっぱりと断られたのだ。たぶん運命を感じていたのはディクソンだけで、ディクソンとエレンティアラとのあいだには大きなすれ違いが、いや、ディクソンの中に勘違いが生じているのだろう。
それは二人の様子を見ていない誰もが思っていることだ。
なぜなら、断りの書簡はとても事務的で、複雑な事情を匂わせるようなこともなく、申し訳なさなど微塵も感じさせなかったから。それなのに、その無神経で屈強な精神力のせいか、毎年求婚の書簡を送りつけているのだから恐ろしい。
そして今回。ディクソンはエレンティアラが複雑な事情により、ディクソンからの求婚を断らなくてはならなかったと思いこんでいるため、エレンティアラに二人で力を合わせて障害を乗りこえようと説得するつもりなのだ。
そんなディクソンにとってルーシェルは、二人の仲を裂くために同行した邪魔者で、最も警戒すべき相手。
「まぁ、邪魔をするという意味では当たっているけど」
なぜなら、国王カイザーから、ディクソンが迂闊なことをする前に諫め、絶対に問題を起こさせないように、と指示を受けているからだ。
「ディクソンを諫めろって言ったって、あいつが僕のいうことなんて聞くはずないんだから無理だよな」
ルーシェルはディクソンより二歳年下だが、幼いころからディクソンと一緒に遊ぶことは何度もあった。しかし、結局それほど仲良くはならず、最近ではあからさまにディクソンがルーシェルを遠ざけるようになり、今回の訪問にもルーシェルは連れていきたくないとカイザーに訴えていた。
「生意気だとか、女の子に色目を使うな、だとか、本当に言っていることがよくわからないよな」
ルーシェルがいる場所から離れた所で、女の子に話しかけているディクソンを見て溜息をつく。
「陛下が僕に望んでいることはわかっているんだけどな」
カイザーはルーシェルがディクソンを支持し、よき相談相手、よき側近になることを望んでいる。だからこんな面倒な役目を押しつけた。
「でも、あいつはこれっぽっちもわかっていないんだから」
まぁ、こちらとしてもディクソンとかかわりたくないから、今の距離感は大歓迎だけど。
カイザーは決して悪い人ではないし、仕事ができないわけでもない。しかし、ディクソンのことに関してはうまく立ちまわることができないようだ。そういう意味ではあの親子はよく似ている。ただ残念なことに、ディクソンはカイザーの優秀な部分をまったく受けつがなかった。本当に残念だ。
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