ディクソンとエレンティアラの出会い③
カサブランカと体を重ねることができて安堵したのか、タガが外れたのか、あっさりとほかの女性からの誘惑に負けてしまったカイザーは、カサブランカと初夜を迎えて以降、カサブランカ以外の女性とベッドを温めることが多々あった。
アマンダもその中の一人。ただアマンダがほかの女性と違ったのは、カイザーの子どもを妊娠したということ。それが発覚したのは、カイザーがカサブランカと初夜を迎えて一年が過ぎたころだった。
私生児を作るわけにはいかないと慌てたカイザーは、すぐにアマンダを側妃として迎えることにした。しかし、そのためにはカサブランカの許しを得なくてはならない。
自身の寝室にカサブランカを呼びだしたカイザーは、シンと静まりかえった重い空気の中、刺すようなカサブランカの視線に耐えきれず、深く頭を下げた。
自分の過ちを許してほしい。自分の子どもを妊娠したアマンダを、側妃に迎えることを許してほしい。君以外の女性と関係を持ってしまったが、本当に愛しているのは君だけだ。
しかしカサブランカからの返事はなく、おそるおそる顔を上げたとき、カイザーを見おろしていたカサブランカの顔をいまだに忘れることができない。
それでも、そこまではまだよかった。カサブランカは賢く立場を弁えた女性だったから、アマンダがどんなにカサブランカを挑発しても、決して感情をあらわにすることはなかったし、ディクソンが生まれたときには祝いの品と労いの言葉を贈ったほどだ。
そんなカサブランカの行動は人々に感動を与え、それまでも十分高かった人気はますます不動のものとなっていった。
反対に、アマンダはその幼稚で浅慮な行動から人々に人気がなく、そんなアマンダにたぶらかされたカイザーも、国王としては信頼されているが国民から人気はない。
それが八年前。カイザーがカサブランカに対して取り返しのつかないことをしてしまい、現在、カサブランカは宮殿内にある自身の宮に閉じこもり、八年も顔を見せていない。
八年のあいだカイザーは、カサブランカの宮に何度も足を運び、何度も手紙を送ったが、扉の前で騎士にそれ以上の進入を断られ、手紙もはねつけられている。
普通に考えれば、一介の騎士が国王の行く手を阻むなどありえないことだが、カイザーとカサブランカのあいだにおいてはそれが許されている。つまり、カサブランカにはそれだけの力があるということ。
それはカイザーにとっては軽々しく触れられたくない事実でもある。まさか、王妃のほうが国王よりも強いだなんて……。
いや、そんなことどうでもいい。今は、そんなことにとらわれている場合ではないのだ。
「ディクソン、もう一度よく考えろ」
「なにをですか?」
「お前の立場だ。これ以上敵を作るな。それに、もしお前がヘブロン侯爵令嬢との結婚を解消して、ツノありの姫と結婚をすれば大きな後ろ盾を失うことになるんだぞ」
「だからなんだというのですか! そんなことで俺がビビるとでも思っているのですか!」
(なぜ、そうなる……)
カイザーは額に手を当て、大きな溜息をついた。
息子との会話が成立しない。まるで幼児を相手にしているかのように一方的だ。
「とにかく、俺は彼女と結婚をします」
「ならん。ばかなことを言うな」
確かな後ろ盾を得るために、マリアンヌとの結婚は必須だと何度も教えたというのに、この能天気な息子は――。
「それならマリアンヌとも結婚をしません! 今後のお茶会もすべてキャンセルします。エスコートだってお断りだ!」
「なにを言っている。……本当に、お前はばかなのか?」
「ばかとはなんですか! あなたの息子です!」
言い得て妙な返事が返ってきた。
「……つまり、私がばかなのか」
過去の自分の行いが愚かだったから、今こんなことが起こっているということか。
カイザーは大きな溜息をついた。
「とにかく、お前の正妃はマリアンヌだ……」
これだけは絶対だ。
「それなら……エレンティアラを側妃にします」
「は?」
またとんでもないことを言いだした。
「父上もそうしているではないですか。王妃とは仮面夫婦で、愛しているのは側妃である母上なのですから。誰だってそんなことは知っています」
「……」
カイザーの頭の中が真っ白に。
「父上」
ディクソンが固い意志をその瞳に宿してカイザーを見つめる。しかし、カイザーの瞳にディクソンは映っていない。彼の頭の中では同じ言葉くり返されていたから。
誰だってそんなことは知っている? 誰だって知っている?
「――父上……父上!」
再びディクソンに呼びかけられてカイザーははっとした。
「ああ」
「エレンティアラを側妃に迎えることをお許しいただけますか?」
「……考えておく」
その言葉を聞いてディクソンの顔が輝いた。カイザーの「考えておく」は了解を得たのと同じだからだ。
「早めにお返事をください。それでは失礼します」
ディクソンは足取り軽く部屋を出ていった。
それから半年後、アヴィリシア王国からクラフィール王国へ、エレンティアラへの求婚の書簡が届けられた。
◇◇◇◇◇◇
ある寒い日の朝。忙しいテルニを手伝おうと暖炉に薪をくべたミラは、その上に乾燥した藁をのせて火をつける準備をしていた。
そして、右手には火打金、左手に火打石を握りしめたミラは、力強く右手に持った火打金を左手に持つ火打石に打ちつける。しかし何度打ちつけても種火が藁に落ちない。テルニならすぐに藁に火を点け、上手に薪に火をうつすことができるのに。
「うまくできない」
ミラはしばらくのあいだ火打金を火打石に打ちつけていたが、手が痛くなって諦めた。
「あぁあ、ミラにまほうがつかえたらいいのになぁ」
そんなことを言ったところで、魔法なんて使えるはずもない。
「あのわらにひがついてぇ、それがだんだんほかのきにうつってぇ、ひがおおきくなる!」
頭の中でそんなイメージを膨らませてから、元気に「ひよ、つけ!」と叫んでみる――がなにも起こらない。
「だめかぁ」
ミラはがっかりして溜息をついた。が次の瞬間、薪が大きな炎に包まれた。
「え?」
驚いたミラは思わず尻もち。
「テ、テルニ! きてぇ!」
慌てて大きな声でテルニを呼んだミラ。ミラの大きな声に驚いたテルニが急ぎ足で駆けつけて、ぎょっと目を見ひらいた。
「ミラさま! なんてことを。一人で火をつけるなんて」
「あのねぇ、ミラね、まほうをつかったの。ひよ、つけっていったらひがついたのよ」
「……え?」
ミラの言葉に体を強張らせたテルニは顔を蒼白にした。
「ほんとうだよ。ぜんぜんひがつかなかったのに、あたまのなかでひがつくことをかんがえたら、ぶわぁってなったの!」
「なりません、ミラさま!」
「テルニ?」
褒めてくれるかと思ったのに、予想に反してテルニは怖い顔をしている。
「ミラさま。この力を使うことは禁じられています」
「え? まほう、つかっちゃいけないの?」
「そうです。もし、ミラさまがその力を使ったと人に知られれば大変なことになります」
かつてはその力で栄華を極めた、と言っても過言ではないが、今では呪われし力なのだ。
「それに力を使えば、寿命が短くなると言われているのです」
「じゅみょう?」
「早く、死んでしまうということです……!」
それを聞いたミラはひゅっと息をのみ、顔をグニャッとゆがませる。
「ミラ、しんじゃうのぉ?」
「いいえ。一度使ったくらいでは影響はありません。でも、もう二度と使ってはいけませんよ」
テルニがそう言うと、ミラは瞳に涙を浮かべてコクコクとうなずいた。テルニはミラを抱きしめる。
「大丈夫です。テルニがついています。なにも心配はいりません」
そう言ってミラの銀色のうつくしい髪をなでた。
「うん。……ごめんなさい」
ミラはぎゅっとテルニの首にしがみ付いたまま、しばらくテルニから離れなかった。
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