ディクソンとエレンティアラの出会い②
白い壁に均等に並んだ飾り窓。赤い絨毯にシャンデリアがきらめくうつくしい王宮の廊下を、勢いよく進む少年の姿。
ここアヴィリシア王国の王子ディクソンだ。
そのディクソンのあとを追う側近のスカイは、必死に彼を止めようとしているが、王宮内の廊下を走ることなどあってはならないと教えこまれているスカイには、ほぼ走っている状態のディクソンに追いつくことはできない。大きい声を出すことも許されないため、ギリギリの声量で「殿下、お待ちください」と訴えるも、ディクソンの足を止めることはできなかった。
スカイがディクソンの目的地である会議室の前にたどり着いたときには、すでにディクソンは会議室に入っていて、閉まったドアの向こう側から、この国の国王でディクソンの父親であるカイザーとディクソンの大きな声が聞こえる。
「あぁあ、もう……」
スカイは大きな溜息をついた。
「は? なんだと?」
「ですから、クラフィール王国の王女エレンティアラと結婚をしたいのです!」
「なにをばかなことを」
「ばかなことではありません。彼女は俺の運命の人です。彼女以外には考えられません」
そこにいる人たちの表情が険しくなり、ざわざわと騒がしくなるのを見て、カイザーがバツの悪そうな顔をした。
「……ディクソン。それについてはあとで話そう」
「いいえ。俺は皆に聞いてもらいたい。俺にふさわしいのはクラフィール王国の王女エレンティアラです」
「いい加減にしろ、お前にはすでに婚約者がいるだろ!」
カイザーはそう言いながらちらっとヘブロン侯爵を見た。侯爵は顔をゆがませ、鋭い視線をディクソンに向けている。
ヘブロン侯爵の娘マリアンヌ・リンク・ポストマンはディクソンの婚約者で、二人が十八歳になったら結婚をすることが決まっているのだ。
「誰か、このばかを連れていけ」
「父上! 待ってください。俺の話を聞いてくれ!」
しかし、カイザーはディクソンに視線を向けることなく部屋から追いだした。
「……すまん。まさかあんなばかなことを言いだすとは」
主にヘブロン侯爵に向けて謝罪をしたカイザー。
「……子どもの言うことですから仕方がありません。とはいえ、生まれたときから決まっている婚約者を差しおいて、ツノありと結婚をしたいなんて言いだすとは」
そう言ってヘブロン侯爵が毒を含んだ笑いをこぼす。
「面目ない。あいつにはしっかり言いきかせるので、今日のことは忘れてくれ」
「ええ。もちろんです。こんなことで、王家とわがヘブロン侯爵家との約束を違えるなんてありえませんからな。ましてやツノありとの婚姻など、婚約者が決まっていないとしてもありえない選択だ」
ヘブロン侯爵は、娘を侮辱したディクソンを苦々しく思いながら小さく舌打ちをした。
「侯爵の言うことはもっともだ」
「陛下、この際殿下を王太子になさってはいかがです?」
「なに?」
「そうすれば、殿下にもご自身のお立場を理解することができるでしょう」
「……」
ヘブロン侯爵は、いまだにディクソンを王太子にしないことにかなり不満を持っていた。そのため、ことあるごとにこうして催促をしてくるのだが。
(ここまで直接的に言ったのは初めてだな)
「……もちろん、それも含めて考えている。もう少し待ってくれ」
カイザーはことあるごとに問題を起こす息子を思って大きな溜息をついた。
ヘブロン侯爵は、ディクソンを王太子にすることで、彼も立場を理解することができると言ったが、カイザーはそうは思わない。それどころか、わがままがますます増長するだけだろう。
それにしても、よりにもよってツノありに恋心を抱くなんて。婚約者であるマリアンヌとの関係をさらに深めていかなくてはならないというのに、ばかなことを言ってくれたものだ。
とはいえ気まぐれなディクソンのことだ。すぐにそんなことは忘れてしまうだろう、とこのときはそれほど問題に思っていなかった。実際これまで、見目のよい令嬢を見つけては、「あの令嬢こそ、俺にふさわしい」なんてばかなことを言って、数日後には令嬢の顔さえ忘れてしまうくらいなのだから。
しかしディクソンの熱が冷めることはなかった。むしろ反対をされたことでさらに燃えあがらせてしまったのだ。
「話にならん! いい加減目を覚ませ」
「俺は本気です。彼女もそれを願っています」
「あちらの姫もお前との結婚を望んでいるというのか?」
「そうです!」
「は? 本当にクラフィール王国の姫が、お前との結婚を望んでいるのか?」
「はい! 別れの際、彼女はとても寂しそうにしていて、俺が必ず迎えに行くと言ったら、待っていると言って瞳に涙を浮かべていたのです」
ディクソンの目にはそう映っていた。エレンティアラはディクソンと離れがたくてなかなかその場を去ることができなかった、と。そして、ディクソンが別れ際にエレンティアラに言った「また僕と会ってくださいますか」はいつの間にか「必ず迎えに行く」に記憶がすり替わってしまっていた。恋の炎はディクソンの記憶さえも情熱的に変えてしまう力があるのだ。
カイザーは驚いた表情でディクソンを見つめた。
「……にわかには信じがたいな」
ツノありとツノなしの二つの種族のあいだには、血塗られた残酷な歴史がある。ツノありのツノなしに対する感情は、憎しみという言葉だけでは表しきれないだろう。それほど先人たちはツノありを虐げてきた。その記憶は子々孫々まで受けつがれ、今なお両種族のあいだになにより深い溝となって隔たっているのに、そんなわずかな時間で? どう考えてもからかわれているようにしか思えないのだが。
「運命の人なのですから、時間なんて関係ありません」
ディクソンはその言葉をくり返し、二人が両種族の懸け橋となるとまで言いだした。
「しかし、何度も言うがお前には婚約者がいる。これは絶対に変わらない」
「では、俺に愛のない結婚をしろと言うのですか? 父上と王妃殿下のように?」
「ディクソン! 言葉がすぎるぞ!」
普段あまりディクソンを怒ることがないカイザーだが、さすがにこれは声を荒らげずにはいられない。
国王カイザーには二人の妻がいる。王妃カサブランカと側妃アマンダ。ディクソンは側妃アマンダとのあいだに生まれた子どもで、王妃カサブランカとのあいだにはいまだに子どもがいない。つまりディクソンは、カイザーの唯一の子どもで、アヴィリシア王国唯一の王子。
それもあってずいぶんと甘やかしてしまったが、どうやらそれは間違いだったようだ。その証拠に、ディクソンは自分がなぜ咎められたのかわからずにきょとんとしている。
その様子を見てカイザーは大きな溜息をついた。
いったいなにを勘違いしたのか、ディクソンはカイザーと王妃カサブランカの結婚はあくまでも政略で、二人のあいだに恋愛感情はないと思っている。きっとアマンダにそう言いきかされてきたのだろう。
(私はカサブランカを愛している。彼女は……今となってはその心を知ることはできないが、過去には彼女も私を愛していてくれていたのだ)
カイザーは顔をゆがめ、しかしそれを言葉にすることはないまま大きく息を吐いた。
カイザーが十歳のとき、カサブランカが生まれ、それと同時にカサブランカがカイザーの婚約者に決まった。もちろん、そんな幼い子どもと赤ん坊に最初から恋愛感情があったわけではない。しかし、年々うつくしく成長していくカサブランカにカイザーが惹かれないはずがなかった。
とはいえ国法により、結婚をしても初夜は女性が十八になってからと決まっており、それまでは夫婦であっても清い関係でなくてはならない。
しかしカイザーはカサブランカより十歳も年上で、それなりの年齢になれば当然のことながら性欲が湧くものだ。それを解消するためにあてがわれるのは、公娼と呼ばれる高級娼婦。
公娼たちが相手をするのは貴族以上で、それ以外に公娼たちは貴族子女の性交指南役もしている。つまり国が認めた特別な女性たちなのだ。そのため、カイザーのように幼な妻を娶ることになった男たちは、往々にして公娼たちのお世話になる。
しかし、そういった男性たちの中には、公娼ではない女性、つまり貴族令嬢や未亡人、ときには平民女性にまで手を出すものもいた。また女性たちの中にも、そんな男の欲求に応えつつ、するりと二人のあいだに入りこんで奪いとってやろうとするものもいたのだ。
当時王太子だったカイザーも、もれずにそんな女性たちから常に熱い視線を送られていた。それでも、カイザーは公娼以外を相手にせず、ただカサブランカが十八になるときを待っていた。そしてようやくカサブランカが十八歳になり、夫婦の契りを交わすことができたのだが……。
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