思い出の地
電車を乗り継ぎ、揺られること二時間。
辺りはすっかり緑の濃い景色に変わっていた。
乗客も徐々に減っていき、既にこの車両には僕たちの他は三人くらいしか乗っていない。
レトロな車両のボックス席の向かいにはウキウキとした様子の古遠部さんが座っている。
水色と白のギンガムチェックのワンピースを着て麦わら帽子を膝の上に置いている。
(なんか古遠部さんらしいファッションだな)
まさかこんな美少女と二人きりで出掛けるなんて、一ヶ月前の僕は予想もしていなかった。
「え? なに、なんか顔についてる?」
「いや、なんでもないよ」
あまりにも凝視しすぎて不審に思われてしまった。
恥ずかしくて視線を窓の外に向ける。
自分の気持ちにはまっすぐで曲がってないのに、人の気持ちには鈍いのも古遠部さんの特徴だ。
目的の駅は駅員さんもいない無人駅だった。
駅前にはずいぶん前から営業していなさそうな個人商店があり、バス停の錆びついた時刻表は一目で暗記できそうなほど本数が少なかった。
「なんか、変わっちゃったなぁ」
良く言えばのどか、悪く言えば寂れた駅前を見て、古遠部さんが悲しげに呟く。
「この辺りに住んでたの?」
「ううん。ここは二人で遊びに来た想い出の場所なんだ。こんなに変わってたら、拓海くんに見てもらってもなにも思い出さないよね」
「そうだね。ごめん。今のとこ、ピンとくるものはないかも」
「ううん。さあ、行こう! きっとなにか思い出すよ!」
古遠部さんは駅前の色の霞んだの近隣マップには目もくれず歩き出す。僕もそれに従ってついていった。
車とすれ違うことも少ない道を二人で歩く。
四月にしては気温が高い日だったけど、生い茂る木のお陰で木陰が出来ているので涼しかった。
「そういえば最近クラスの雰囲気が変わったね」
「そう?」
「なんというかみんな拓海君に遠慮しているというか、気を遣ってる気がする」
「そ、そうかな?」
理由は間違いなく翔馬君の影響だ。
学校でも有名な荒くれ者な彼の弟分という情報が広まり、みんな僕にどう接するべきか戸惑っている。
あの日欠席した古遠部さんはその出来事を知らない。
僕と古遠部さんは仲がいいから下手なことはみんな言わないのだろう。
「あ、もうすぐだよ」
だらだらと続く上り坂を古遠部さんが駆けはじめる。
スカートが翻ってその奥がチラリと見えてしまった。
お洒落な彼女はワンピースと下着の色合いも合わせているらしい。
ようやく古遠部さんに追い付いたとき、目の前に湖が広がっていた。
「わぁ……きれい」
それほど大きな湖ではない。
しかし辺りの森の木々の緑が溶け込んだようなエメラルドグリーンの湖面が神秘的な美しさを醸し出していた。
「ここは変わらない」
安堵した顔で古遠部さんはその景色を眺めていた。
風が吹いて長い髪がサラサラと宙に泳いでいる。
それを見てほんのわずかに、なにか胸の奥に熱いものがこみ上げた。
でもそれが前世の記憶なのか、恋の初期衝動なのか、僕には区別がつかなかった。
「どう? なにか思い出した?」
あまりに期待した目で見つめられ、僕は「どうかな?」とごまかしながら視線を遠くへと逃がした。
二人で湖畔の小路を歩く。
観光する人は違う駅で降りて湖の反対側に行くのが普通らしい。そのためすれ違う人もいなかった。
釣り人の本能でつい湖の中に目を凝らしてしまう。
「いま『釣竿持ってきたらよかったなー』って考えてたでしょ?」
「えっ!? なんで分かったの!?」
「だって哲也さんが同じこと言ってたから」
「なるほど」
前世の僕も同じことを思っていたのかと思うとなんだか不思議と恥ずかしい。
「今日は駄目だよ。拓海君に前世の記憶を思い出してもらうために来てるんだから釣りは禁止」
「残念だなぁ」
未練がましく湖を眺めていると「こっちだよ」と古遠部さんに手を引っ張られた。
「この辺りにキャンプ場があったの。そこで寝泊まりしたんだよ」
「へぇ」
しかし歩いていっても人がいそうな気配すらない。
そして藪の広がる先に朽ちかけたログハウスが現れた。
どうやらここがそのキャンプ場の跡地のようだ。
「そんな……」
「お客さんが来なくて廃業したんだろうね……」
古遠部さんは痛々しい表情を浮かべて呆然としていた。
かつてあったものが寂れて廃墟と化す。田舎では珍しくないことだろうけど、思い出の地がなくなるのを見るのは辛いことだ。
元キャンプ場をあとにし、しばらく森の中を進むと大きめな岩がゴロゴロと点在する場所に出た。
「あった! ここは前とおんなじ!」
古遠部さんはぱぁっと表情を明るくする。
岩のひとつに登ると湖が見えた。
木々の間を抜ける風が吹いてきて、大きく息を吸い込むと肺の隅々まで洗われた気持ちになる。
「いいところだね。連れてきてくれてありがとう」
「なんか変な気分」
「なにが?」
「だってこの場所は哲也さんが私に教えてくれたんだよ。その場所を今度は私が拓海君に教えるなんて」
眩しげに目を細める古遠部さんを見て、もう一度記憶を探ってみる。
しかし前世の記憶というのは思い出せそうになかった。
前世の恋人というのは、本当に僕であっているのか、不安になってくる。