その手を握るのは……
フィッシング部は部活動といっても大会があるわけでもない。
釣りを通して心身を鍛え、楽しい高校生活を送るという目的だ。
端から見たらお遊びに見えてしまう可能性もある。
だからこそ海老沢部長は基礎トレーニングや清掃奉仕作業を真剣に行っていた。
「もう無理ぃ。休ませて……」
凛音さんは前屈みになり肩で息をしていた。
「大丈夫?」
「これ本当に釣りの役に立つの?」
「もちろんだよ、凛音ちゃん。釣りもスポーツだよ! 体力がなきゃね!」
元気の塊みたいな部長はまだまだ体力がありそうで、元気溌剌だ。
汗で濡れたショートヘアの襟足もぴんっとしていてなんだか威勢がいい。
確かに釣りは立ちっぱなしだしリールを巻いたりロッドを振ったりと体力を使うが、少なくとも校舎周りを十周するほど体力をつけなくても問題ない。
走り込みのあとは体育館で筋トレ。
うちの学校は運動部が共通で使えるトレーニングルームを完備している。
僕も凛音さんもヘロヘロになりながらそれをこなした。
一方の海老沢部長はまるで疲れた様子はない。細い体のどこにそんなエネルギーがあるのだろう?
ちなみに当然のように翔馬くんは来ていない。
釣り以外参加するつもりはないようだ。
ようやく練習が終わった頃には日も落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。
「キツかったねー」
「うん。でも釣りのためというよりは部長のトレーニングの趣味に付き合わされた感があるよね」
「私ついていけるか心配」
「別にトレーニングは強制参加じゃないし、凛音さんは休んだ方がいいんじゃない? 翔馬くんも不参加だけど部長全く気にしてないし」
体調を心配してそんなアドバイスをすると、凛音さんは「ううん」と首を振った。
「大変だけど拓海くんと一緒に部活してるのが楽しいからいい」
「そ、そう? 無理しないでね」
練習で疲れ果てた部活の帰り道、好きな女の子と一緒に帰る。
どこのファンタジー世界の話かよ!? と思うようなシチュエーションだ。
だけど僕の心は浮かない。
僕の好きな女の子には、好きな人がいるから。
「五月の連休の合宿、楽しみだね」
「……そうだね」
回顧する表情になって凛音さんは笑う。
僕はあまりその表情が好きじゃなかった。
「確か合宿先は僕らの前世の想い出の場所なんだよね」
「そうだよー。そこでね……あ、やっぱりこれは内緒!」
そう言って凛音さんは顔を赤く染めた。
凛音さんの好きな人は、僕であって僕ではない。
正確には僕の前世だ。
その生まれ変わりの僕に好意を持ってくれているが、人違いで好かれているような居心地の悪さを感じていた。
「あ、合宿って姫子も来るのかな?」
「姫野先輩だろ。来るって言ってたよ」
「えー、そうなんだ」
「そんな顔しないでよ。いい人だよ、翔馬くん」
「どうだか? 拓海くんに下心あるから優しくしてるんじゃない?」
「そんなわけないだろ。そもそも男だよ、翔馬くんは」
「だからそんなの分からないでしょ。今どき珍しくないんだから」
誰にでも分け隔てなく接し、親切で優しい凛音さんだが、翔馬くんに対してだけは辛辣だ。
よほど前世で恋路の邪魔をされたのだろう。
ちなみにもちろん翔馬くんにその記憶はない。
それに彼女はこれまでにたくさん作ってきたけど、彼氏が出来たという話は聞いたことはない。
すべては凛音さんの取り越し苦労だ。
「それはそうと、一人暮らしはもう慣れた?」
「うん。もうすっかり慣れたよ。たまに寂しくなることもあるけど」
「すごいよなぁ、高校生で一人暮らしなんて。よく両親が許したね」
「うちは元々子どもがしたいことはさせてみるって方針だから。しかも四人兄弟の末っ子で子育てはもう慣れたもんでさ。私なんて子どもの頃からほぼ放任って感じ」
「へぇ。四人兄弟か。すごいね」
「喧嘩ばっかりだし、大変だよ。まあ楽しいことも多かったけど」
一人っ子の僕からは想像できない世界だった。
「ちなみに家族に前世で関わった人はいるの?」
「ううん。いないよ。ていうか前世の知り合いで会ったのは拓海くんと姫子だけ」
「そっか。なんかすごい偶然だね」
「偶然じゃないよ。きっと運命なの」
そう言って凛音さんは笑って半歩僕に近づく。
手を握ってもきっと凛音さんは拒まないだろう。
でもそうしなかった。
彼女の手を握るときは、前世ではなく今の僕を好きになってもらったときだと決めていた。




