08. コンビ結成
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最近、ウチの課長が少しおかしい。
無理も無いわよね。上筒井君一人だけでも大変だったのに、捜査1課から乱射男まで押し付けられたんだから。
その上にキャリア様のお守り? 生活安全課も生田署じゃ完全に動物園扱いね。
ま、アタシはアタシの仕事をするだけなんだけど、アタシまで一緒に動物扱いされたらたまんないわね。勘弁して欲しいわ。
…
アタシが啓発活動のパンフを箱詰めしていたら、突然脇浜課長に呼ばれた。
「何でしょうか。来週のイベントに向けて色々忙しいんですけど」
課長は一つ咳払いをしてから言った。
「若菜君、君と加納のコンビを解消する」
いや…… あの……
「解消も何も、コンビ以前に課長のご指示通り彼一人で放ったらかしてますが……」
「加納はな……」
課長は、にやりと笑った。課長のこんな表情は初めて見る。
「キャリアと組んでもらうんだよ」
キャリア組のエリートにあの男と組んでもらうの?
「大丈夫なんですか? いくら現場を知るためと言っても、”キャリア様”に何か粗相でもあったらどうするんです?」
課長の返答は非常に白々しいものだった。
「何を言ってるんだい? 彼は正義に燃える立派な警察官じゃないか。キャリア様に所轄の現場を見ていただくにはちょうどいいと思うよ。それに……」
「それに…… 何です?」
「海外帰りのエリート様なんだと。へっ。何がFBIだ。ふざけやがって。
せいぜい現場の荒波に揉まれてみればいいんだよ。私だって……」
…
課長の愚痴は延々と続く。アタシは黙ってそれを聞いていた。
まぁ仕方ないわよね。ずっと上筒井君には悩まされてるし、さらに乱射男とキャリア様を押し付けられて。何かあったら責任取る、のよね?
かわいそうに。ついにキレちゃったのかな。以前の温和な脇浜課長はどこへ行ったのかしらね。
もうこの人も危ない。
それでアタシがどうなる、ということは無いんだろうけど、変なとばっちりを食らうのだけはご免だわ。アタシは長年生活安全課だけど、そろそろ交通課あたりに移らせてもらおうかな…… 小学校へ交通安全指導に行くオバサン警察官ってのも悪くないわね。
◇
「と、いうわけで、よろしく頼むよ」
「何が、”と、いうわけで”なのかわかりませんがね」
「いやいや、そう言わずに」
「そもそもこの前、一人転属してきたばかりなのでは?」
「そんなに突っかかるなよ、脇浜君。ほら、前に君のところで一人抜ける予定だから補充要員が欲しいって言ってただろう。今月キャリア組が来るのが分かってたから、先月のうちに決めてたらしい。しっかり”キャリア様”のお守りをおねがいしますよ」
「そういうことが先月に決まってるんなら、先月のうちに知らせておいていただきたいものですがね」
…
とはいえ、所詮は公務員であり警察組織だ。上の命令には従わなければならない。
しかし…… 加納が来たばかりだというのに、更に厄介ごとが増えるのか? そもそも何でウチなんだ。普通は捜査1課あたりで第一線の現場を経験するものなんじゃないのか? まったく…… いくら課長クラスでは署内で一番若手だからって、あまりにも面倒を押し付けすぎじゃないのか?
私がとりとめも無くつぶやいていると、人事課からそのキャリア様とやらの経歴書が届いた。
……ほほう。FBIでプロファイリングの研修を。それで先月までアメリカにいたわけか。なかなかご立派な経歴じゃないか。犯罪者の心理をねぇ…… かわいい顔して犯罪心理の研究か。女だてらに人の心を覗き込むのは感心しないな……って、男!? 書類の名前は明らかに男。男なのか!? 身長も……基準ギリギリ、というかむしろ足りてないじゃないか。 ……なるほどな。これじゃ丁々発止の現場は無理だ。いずれは本庁の犯罪研で捜査支援の研究職か。だから現場オンリーの捜査1課じゃなく、内勤なら荒事の少ない生活安全課に回されたんだな…… ふん、気取りやがって。何が海外帰りだ……
この時の私には、エリートへの反感しか生まれなかった。そして、私は捜査1課から加納を押し付けられたことを思い出して、ふと、面白いことを思いついた。
「……加納と組ませてやろう。キャリア様がついているとなると加納も無茶はできないだろうから、大した危険にも遭うまい。それよりも、そもそも相手は例の加納だ。可愛い子ちゃんにはしっかり苦労してもらおうか……」
コンビ組み替えを伝えるために、私は若菜くんを呼び出した。
◇
ボクは中山手高広。犯罪プロファイラを目指す警察庁所属の警察官だ。
大学院で心理学を専修した時に犯罪心理に興味を持ったので、ハリウッド映画で見るようなプロファイラを目指して国家1種を受験し警察庁へ入庁した。先月末にアメリカでの研修を終えて、今日から所轄の現場研修で実際の事件にあたる。初めての現場だからちょっと緊張するなぁ。ボクは捜査1課を希望したんだけど、何故か周りの勧めで生活安全課での現場研修になった。まぁいいさ。どんな犯罪にも必ず理由があるんだ。なぜその人が犯罪に至るかを知るには、殺人も空き巣も同じだと思う。しっかり現場を見て犯罪者の心理を理解しなくちゃ。
…
「辞令、中山手高広、本日より生活安全課の所属とする。
みんな、本庁から現場研修で来られた中山手君だ。よろしく頼む」
「若菜です。よろしくね、中山手君」
「上筒井だ。よろしくな」
今日からボクは生田署の一員だ。生活安全課で実際の犯行現場にあたりながら、犯罪者の心理を実地で学ぶ。みなさんのお邪魔にならないように気をつけなくちゃ。
でも、なんだか優しそうな人ばかりでよかった。現場では冷たくあしらわれる、って四月配属の同期から散々脅かされていたから、不安でたまらなかったんだ。
「で、コンビのことだが…… 加納君と組んでもらう」
「(!……)」
ん……? なんだろう? 何故か周りのみなさんが黙ってしまった。
「……そ、そう、、、頑張ってね、中山手君」
「そ、そうだな、、、」
なぜだろう。雰囲気がおかしい。
そんなムードの中、突如として威勢の良い大声が響いた。
「オ・レ・が・加納。加納旭だ! よろしくな!」
目の前には、肩幅が広くて眼に力のこもった、いかにも警察官らしい警察官が右手を出していた。思わず握手してしまう。
この人がボクのコンビになる加納さんか。格好いいなぁ。やっぱり現場の警察官となればこんなに力強くて男らしいんだ。いつも女の子みたいだって言われているボクとは大違いだなぁ。ボクはにっこり笑って加納さんに挨拶した。
「よろしくお願いします。中山手です」
「こ、、、こちらこそ、、、よろしく、、、」
……ん? どうしたんだろう? 加納さんの顔が赤い。ボク、何か変なこと言ったっけ? 普段どおりに挨拶しただけのはずなんだけどな……
その一瞬の間は、生活安全課の脇浜課長の一声で遮られた。
「さあ! 今日もしっかり市民の安全を守ろう! 解散!」
散り散りに各自の仕事へ戻っていく人たち。ボクがみなさんを見送ると、最後に残った加納さんは言った。
「じゃあ、今から目下の敵について説明する。一緒にトレーニングルームへ来てくれたまえ」
…
トレーニングルームと称された場所は。
おそらく通常は会議室。密閉された十畳ほどの部屋の中には、どこから持ってきたのか分からない畳が敷き詰められていた。なんだか宿直室っぽい。
壁際にはホワイトボード。そこには「東遊園地の悪夢」とだけ書かれていた。
加納さんはホワイトボードを指して言った。
「中山手君、これが俺たちの敵だ」
「東遊園地の悪夢…… それが被疑者のコードネームですか?」
「そうだ。残念ながらまだ氏名は特定されていない。先週から連日4回も出没した露出狂、つまり変質者だ。市民の安全を脅かす憎むべき犯罪者だ。俺は課長から東遊園地の悪夢担当を割り当ててもらっているんだ」
ホワイトボードを叩く勢いで、加納さんは熱く語る。
「俺は一度だけ、奴と相対している。悔しいことに取り逃がしてしまったが、真剣にぶつかり合った時は日々鍛えている俺でも五分五分だった。力だけでなく、非常に身軽で身体能力が優れている。他にも言いにくい理由はあるが……とにかく、本当に恐ろしい変質者だ。
しかし、だ。それから数日間なぜか動きが無い。動きが無いので何の資料も増えないから、捜査としてはあまり進んでいない。でも俺は信じている。必ず奴は再び現れる。そして必ずや、俺がこの手で奴を逮捕できると信じているんだ」
そんな恐ろしい犯罪者をボクは相手にするの? やっぱり現場ともなれば緊張感が違うなあ。ボクは配属初日からなんだか気の引き締まる思いがした。
「そうですね。逮捕に向けてボクも一緒にがんばります!」
ボクがそう言うと、加納さんは嬉しそうに笑った。
「そうか! わかってくれるか! じゃあ、トレーニングを開始しよう」
トレーニング……?
「連日の犯行だったのに、最近はなぜかおとなしくしている。その間に俺はトレーニングをしているんだ。奴を倒すための特別メニューだ。では準備を始めよう」
と言うと、いきなり加納さんは脱ぎ始めた。柔道着にでも着替えるのかな? と思っていたら……
気がつくと加納さんは全裸になっていた。
そして部屋の片隅に置かれていた黒いバットを手に持ち、勢いよく素振りを始めた。
ボクはビックリして言った。
「ち、ちょっと、加納さん! 何してるんですか!? 何で全裸なんですか!?」
「何って、さっき話しただろう。相手は全裸の露出狂だ。俺は一度奴とサシでバットを交えているんだ。その時はアクシデントで取り逃がしたが、今度こそは負けん。正面から堂々と力でねじ伏せてやる!」
加納さんは汗を飛び散らしながら、黒いバットを力強く振り回していた。その勢いで加納さんの”もう一つのバット”も力強く振れている。
突然密室の中で繰り広げられる予想外の光景を前に、ボクは目のやり場に困った。しかし、気を取り直してボクは加納さんに聞いた。
「バットで……って、ボクたちは拳銃や警棒を支給されているでしょう? 警棒での逮捕術も習っているし。どうして警棒を使わないんですか?」
「奴と一度だけ正面切って戦ったとき、奴はバットで襲いかかってきた。俺は警棒で応戦したが、残念ながら長さが足りん。間合いやパワーで押し負けてしまうんだ。だから俺は奴と対等に張れるバットを用意した。ただ、それだけのことだ」
加納さんは熱く語る。語りながらも二本のバットは力強く空を切る。加納さんの目には炎がともっているようだ。いかにも警官らしい、男らしいパワーに満ち溢れている。さすがだなあ。さすが現場の……
……いやいや。それ以前に色々おかしいことがあるでしょう。
ボクは動揺する気持ちをぐっと抑えながら聞いた。
「バットも警察としては色々とまずい気もしますが、そもそもなぜ全裸なんですか? なぜ全裸で戦う必要があるんですか?」
加納さんは全裸で胸を張って力強く答えた。
「俺は正義の味方だ。だから卑怯なことは大嫌いだし、対等に正々堂々と戦いたい。相手がバットで来るならバットで! 全裸でくるならこちらも全裸! 理屈じゃないんだ!」
そしてあっけにとられているボクを尻目に、加納さんは延々と全裸で素振りを続けた。
…
(PPPPP……………)
どれぐらい時間が経っただろうか。
ボクが何も言い出せずただ黙って見ていると、突然、加納さんが脱ぎ捨てた服の中で携帯電話の着信音が鳴った。
加納さんはバットを置き、右手腰溜めで電話を取った。
「加納だが…… なにぃ!! わかった! すぐに向かう!」
そう言うと、加納さんはそのままバット片手に扉を出ようとした。ボクは慌てて全裸の加納さんを引き止めた。全く状況がわからないボクは聞いた。
「ちょっ、、、ちょっと待ってください! そんな格好でどこへ行くんですか!」
「東遊園地の悪夢が現れたらしい! すぐに行かなくては! 君も来たまえ!」
気が焦る加納さんを制止しながらボクは言った。
「ま、まず服を着てください! そんな服装…… ていうか、何も着てないじゃないですか! 署を出る前に止められますよ!」
加納さんは思い出したように言った。
「おお、そうか。すまんすまん。どうも気が急いてしまって……」
そう言いながら、加納さんは急いで服を着始めた。
そしてボクたちは現場へ急行した。
◇
俺が署に確保した部屋でトレーニングに励んでいると、東遊園地の悪夢が現れたとの一報が入った。ついに来たか! そうだ、俺はこの日を待っていたんだ。今度こそは奴を正面からねじ伏せて逮捕するんだ。
本庁から来た中山手君を連れて、バット片手に俺は東遊園地へ急行した。
…
東遊園地に着くと、まだ騒ぎは続いているようだった。よし、間に合った。俺は急いで捜査車を降りてイベントステージに向かった。
薄暮の中を逃げ惑う人々。そしてステージの上には黒い影。見覚えのあるロングコートのシルエット。 奴だ! 東遊園地の悪夢に間違いない!
俺は黒い影に向かって歩み寄ると、一直線にバットを向けて高らかに宣言した。
「待て! 東遊園地の悪夢! 生田署だ!」
その声に、黒い影はこちらを振り向いた。闇の中から聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。
「うへへへへ…… この前の芋虫野郎か……」
その言葉に、俺は全身の血が沸騰した。
俺のどの部分が芋虫だと! 日々鍛えている俺の筋肉をもう一度見せてやる!
奴を叩き伏せるために、すぐさま俺は全裸になって黒塗りバットを構えた。軽くサイドチェストをサービスだ!
”着替え”を完了した俺がふと横を見ると、中山手君は呆然と立っていた。何をしているんだ。早く戦闘準備をしなくては。
「何をしているんだ! 君も早く脱ぎたまえ!」
「えええ!!!?!? どうしてボクも脱がなきゃならないんですか!?!?」
なぜか中山手君は驚いていた。何を言っているんだ。トレーニングのときに説明したじゃないか。正義の味方は相手とフェアな条件で戦わなくては。
「いいから脱ぎたまえ! 君のバットも用意してある!」
俺は急いで中山手君を脱がしにかかった。
「きゃあぁぁっっ!! な、何するんですか!?!? やめてください!!」
まるで女の子のような声と反応だ。華奢な身体で必死に抵抗している。ええい、もどかしい。こんなことをしている間に奴に逃げられたらどうするんだ。
中山手君との押し問答で一瞬の間があった後、ステージ上を見返すと既に黒い影はいなかった。しまった! また取り逃がしたか!
「うへへへへ…… なにバカやってんだ、この芋虫野郎……」
野太い声が公衆トイレの上から聞こえてきた。さっきまでステージ上にいたシルエットは、公衆トイレの上で逆光に照らされていた。また跳んだのか! いつの間に!
上からの打ち込みか!? と防戦にバットを構える俺をあざ笑うかのように、東遊園地の悪夢は高所から言い放った。
「うへへへへ…… 残念だが遅かったな。もう今日のところは十分犯らせてもらったよ。じゃあな! あばよ!」
そう言い放つと奴の影は公衆トイレの裏へ飛び降りた。いかん! また逃げられてしまう!
俺は急いで公衆トイレの裏へ回り込んだが、奴の姿は忽然と消えていた。
◇
「……待て! 東遊園地の悪夢! 生田署だ!」
(やはり来たか……)
物陰から嵩岡を見守っていた私は、二人の警官が登場する様子をつぶさに見ていた。
(手前で叫んでいるあれは前回見た男とおそらく同じか。緊急車両で来たってことは一応本物だったようだな。それでいて前回同様全裸になるのか? 一体何を考えているのか…… しかし。ふふん。あいつもまた、なかなか面白いサンプルだ。どうせ単細胞の嵩岡はまたS4に飛び込んでくるだろうから、準備しておいてやるか……)
私がS4出口に向かおうとしたら、何やら警官同士でもめ始めた。
「……きゃあぁぁっっ!! な、何するんですか!?!? やめてください!!」
(なにをやってるんだ? ……しかし……もしかしてこの声は……?)
私の視線の先では、見覚えのある全裸男と見知らぬ小柄な警官が争っていた。しかし、なぜかどこかで聞き覚えのある声。
(暗がりではっきりとは顔が見えないが…… あの声と身長は…… 高広君、じゃないのか? T大卒業後に国家1種で公務員を目指すとは誰かから聞いた気がするが…… 警察……? いや、まさかな…… ありえない……)
このときの私は、その姿を彼とは認識しなかった。
そして、後にその彼と再会することになるとは思ってもみなかった。