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東遊園地の悪夢  作者: うさだ
6/9

06. 対決

     6


「倒産ですか…… それは大変でしたね」

「ええ、でも負けずにがんばります。経験と言えるほどの経験はありませんが、真面目にしっかり働きます!」

「わかりました。結果は追ってご連絡いたしますので。本日はお疲れ様でした」

「ありがとうございましたっ!」


 次の日。目が覚めても、俺は俺だった。

 よし、今ならできる。今の俺なら何でもできる。


 手始めに俺は履歴書を書いてハローワークへ向かった。まず職を見つけて生活の糧を得ないことには話が始まらない。ぐずぐずといつまでも僕ちゃんのままで落ち込んでもいられない。

 ハローワークで同じ業種の会社を探すと、すぐその日のうちにでも面接可能という会社が一社あったので、早速午後からアポイントメントを取って面接に行った。

 ”俺”になっている俺は、学生時代の就職活動で苦労したのが嘘のように面接官の質問にもハキハキと答え、力強く自分をアピールできた。たった一年半とはいえ同じ業種だから多少なりとも知識はあるし、社会人としての経験も持っているわけだ。自信を持って答えられないほうがおかしい。まだ年齢的には第二新卒扱いしてもらえるし、転職活動と考えればむしろ有利なほうだとハローワークでも教えてもらった。面接官の感触も悪くなかった。

 これで即採用されるとは思っていないが、少なくともこれから何社も回るにあたって幸先のいいスタートだったことは間違いない。また明日も何社か探そう。


          ◇


 日も暮れかかった頃、俺は自分の部屋に帰ってきた。ビジネス鞄を下ろし、背広を脱いで落ち着いた。

 一息つくと、なんだか気分がいい。こんなに自信を持って強気でいけた日なんて、これまであっただろうか。俺が、俺であることのすばらしさ。身体からあふれ出すパワー。内容的には充実した一日だったと思う。一日中ずっと再就職のために動いていたはずなのに、不思議と疲れは感じていない。


 しかし。

 まだ何かが物足りない。

 何が物足りないかはわかっている。エネルギーを発散し足りない。俺は、俺の体中にみなぎる力と熱さを持て余しているのだ。


 となれば話は早い。「ろ・しゅ・つ」だよ、「ろ・しゅ・つ」。体にこもった熱を開放するには、やっぱり露出しかない。

 ……そういえば教育者が「犯る時には電話しろ」とか言ってたな。


 俺は教育者の電話番号にかけてみた。


 RRRRR……………


「私だ。どうした、タカ? 早速ご出動か?」

 電話の向こうから見透かしたような声が響いた。

 用件としては確かにその通りなんだが、なんだか妙に腹が立つ。俺は何となく言い返してみたくなって、適当に口からでまかせを言い出した。

「アンタが大事な忘れ物をしていると思ってな」

 しかし、教育者は全く動じない。

「そうだな、マスクを渡し忘れている。すまんすまん。それに、東遊園地近辺の地下道マップも説明していなかったな。ちょうど私も”今夜は”予定が空いている。あの後大変だったんだぞ。でも適当に可愛がっておいたから、一週間は大人しくしててくれるだろう…… ああ、そうそう。今から犯るんだったな。時間は十九時にしよう。十九時にあのモニュメントの横だ。わかったな? 背広を着て来い。じゃあ」


 ツー・ツー・ツー……………


 また一方的に切りやがった。まぁ確かにその通りといえばその通りなんだが、一切の割り込みを許さないマイペースぶりにはやっぱり腹が立つ。

 とはいえ、指定された時間に間に合わそうと思えばぐずぐずしてもいられないので、俺はまた背広に着替え直して濃紺のコート片手に東遊園地へ向かった。


          ◇


「こっちだ。地下道の説明をする」

 俺が現場に着くと、何の前置きもなしに堂々と図面を広げて説明が始まった。教育者は例の青い作業服に茶色のボストンバッグ。背広の俺と図面を広げていれば、一見、役所の職員と作業員が何か打ち合わせをしているように見えるだろう。あまりにも堂々としているので、通りがかる人は誰も気に留める様子はない。

「ここが…… 北側の入り口で、ステージ横から入ったら…… こっちだな。基本的には南北に通ったメイン通路で北に向かう。とにかく最後は北だ。北側三箇所の出口がいずれもメインの脱出口となる。一つはこのモニュメントだ。分かるな? 地下では方向を見失い易いから気をつけろ。地下道まで追われるケースを想定して、敢えて目印はつけていない。ダミー扉もあるから左右の記憶と番目だけで判断する必要がある……」

 教育者は説明を続ける。続けているが…… 妙に楽しそうだ。やっぱり俺は何かの実験台なんだろうか……

 俺の気が一瞬それるのを拾い上げるように、教育者は話を切り替えた。

「そういえば、再就職活動はどうなった?」

「まだ始めたばかりだから何とも決まらねぇな。感触としては悪くないが」

「そうか。それは良かった。明日も頑張れ」

「ああ…… ありがとう」


 ……わからない。本当にコイツの考えていることはわからない。

 俺は絶対手玉に取られている。それだけは間違いない。しかし、少なくとも敵ではなさそうだ。とりあえず敵でなければ良しとすべきなのか。


 あれこれ考えているうちに、地下道の説明は終わっていた。


「では、N1Aから入って中で用意だ。犯るときはS7から出る。いいな? 行くぞ」

「おう」


 教育者は、有無を言わさずモニュメント横の扉から入っていく。俺もそれに続いた。扉の中にはまた扉。今日はセメントやらの荷物が既にどけられていた。

「あの時のままだったな。うっかりしていた。今日の帰りに戻しておかなくては…… おい、今日は最後の脱出路も1Aだ。ただし状況によってはN1BかN2に変えるが、追って指示する。北の三箇所は何番目の扉かを確実に覚えておけ。わかったな?」

「あ… ああ」

 脱出路の指定やら何やらがめまぐるしく変わる。俺もすぐに理解できないから生返事になってしまう。


 そんな俺を尻目に、教育者は扉から地下道へ。そしてさらに畳み掛けるように教育者の指示は続いた。

「よし、今日はここで準備する。アイテムはバッグの中から適当に好きなものを選べ。仮面は……渡したな。じゃあ、幸運を祈る。必要になれば適当に影から割り込むから、教えたことを活かして自由に犯ってみろ」

「ああ、任せとけ」

 俺は準備、もちろん全裸になってコートを羽織り、適当に選んだアイテム片手にS7出口へ向かった。


          ◇


 ……ったく。もう十二時間も張り込んでいるのに、一向にヤツ、東遊園地の悪夢は現れない。

 もうとっくに暗くなっちまってるってのに。さっきから通るのは野暮ったい風体のサラリーマンとか、やたら背の高い公園管理の作業員とか、ちゃらちゃらアクセサリーを鳴らしている買い物帰りの若い男女とか。怪しいやつなんて誰一人通りやしない。

 さすがに平日には出没しないのか。週末にしか出ないとしたら次は金曜の夜なのか。俺はいつまで張り込んでいればいいんだ……


 俺は今日も朝から東遊園地に張り込んでいた。また異人館街に出没するかもしれないので、あれ以降は東遊園地の北の端で丸一日ベンチに陣取っている。


 朝から今までずっと張り込んでいたが、特に何も起こらないし、これから起こるかどうかもわからない。気がつけば市役所やオフィス街のビルから出てくる人通りもだんだん少なくなってきた。もう帰宅ラッシュのピークを過ぎたんだろうか。

 やれやれ…… とりあえず二十一時まで張り込んだら一度署に戻るか。さすがに腹も減ったし、若菜先輩に渡された啓発活動の資料も読まなきゃならないし…… ああ……なんだか眠いなぁ……


 ベンチの上で呆けていると、遠くのほうから悲鳴と叫び声が聞こえた。


(東遊園地の悪夢だ!)


 この方向は! 南側の噴水広場か!

 俺の眠気は一瞬に飛んだ。待っててくれ、市民のみんな。みんなの安全は俺が守る!両手で頬を叩き気合を入れると、俺は噴水広場へ走った。


      …


 既に陽も落ちて、公園を照らすモノは街灯しかない。

 急いで俺が噴水広場に着くと、逃げ惑う数人の影を、また別の影、何か大きな道具を手にした奇妙な影が辺り構わず追い回していた。時折照らされる光に、巨大なキノコのような形が浮かび上がる。その先から何かを市民に噴射しているようだ。あれは何かの薬品なのか!? 市民は大丈夫なのか!?

 長いコートの影を翻し、奇妙な影は犯行を続けていた。

 俺は、すぐさま取り押さえなくては! と思い、咄嗟に叫んでいた。


「待て!」


 しかし……

 しまった! まだ応援も呼んでないし、いくら俺が鍛えていたとしてもたった一人での身柄確保はどう考えても困難だ。取り押さえた後のことを考えていなかった! 公園内にはまだ市民がいるし、犯人が暴れたら周囲の市民を傷つけるかもしれない。

 一人で力づくの逮捕劇は難しい、と判断した俺は、刑事ドラマのごとく犯人の説得を試みることにした。

 俺はぐっと息を飲み込んで警察手帳を開き、バッジを正面にかざして言い放った。


「待ちたまえ! 東遊園地の悪夢! 生田署だ!」


 軽い身のこなしでイベントステージの上に移動していた怪しい影は、その声でこちらを向いた。

 ステージといってもイベントも何もない日の夜にライトは点いていない。天井が邪魔になってステージ上はかえって周囲よりも暗いぐらいだ。点在する街灯の光に照らされて、ロングコートに大きなキノコ型の”何か”を持ったシルエットが浮かび上がった。

 ヤツが一歩前へ出た。ステージ天井の隙間から漏れた光に照らされ、全裸にロングコート、頭には仮面を着けた男の姿がそこに見えた。

 こいつか! こいつが東遊園地の悪夢か!


「うへへへへ…… 生田署だとぉ? ポリ公が俺様に何の用だぁ?」


 狂気だ。完全なる狂気。初めて相対する変質者に俺は一瞬気圧(けお)されてしまった。

 しかし、俺は正義の味方だ。こんなことでひるんでいてはいけない。

 落ち着け。落ち着け、加納旭! 何とかヤツを説得するんだ。

 俺はもう一度息を整えてから、東遊園地の悪夢の説得にあたった。


「そうだ! 警察だ!

 しかし! 何も君を無理やりに押さえつけようというつもりは無い。

 まずは話し合おうじゃないか。

 なぜそのような行動に及ぶのか、まずそれを教えてくれないか。

 何が不満なんだ。何に困っているんだ。それを、一緒に考えようじゃないか」


 俺は気持ちを圧し殺して、何とか平静を保ちながら東遊園地の悪夢を説得し、まずは犯行をやめさせようとした。

 しかし、残念ながら東遊園地の悪夢から帰ってきた返答は、俺には全く理解できないものだった。


「うへへへへ…… 服なんて下らねぇものを着ているお前に分かるはずなどない!

 見ろ! 鍛え上げられた俺様の肉体美を!

 お前は自分を曝け出すこともできないような飛べない芋虫だ!

 貧弱ボディの毛虫野郎だ!」


 なんだと! 日々鍛錬を続けている俺のどこが貧弱だ! どこが芋虫だ!

 プライドを傷つけられたことで、俺の怒りは一気に爆発した。


「俺の肉体が貧弱かどうか、その目で確かめてみろ!」


 上着を空に翻し、すぐさま俺は全裸になった。


 見ろ! 俺の腹筋を。 見ろ! 俺の上腕二頭筋を。 見ろ! 俺の大臀筋を!

 トレーニングで鍛えてきた筋肉には自信がある。街灯の乏しい光の中なのが残念極まりないが、俺は東遊園地の悪夢相手に得意のフロントダブルバイセップスを見せつけてやった。


 俺の美しいポージングに一瞬、ヤツがひるんだように見えた。チャンスだ!

 俺は両腕を大きく広げて正面から向き合い、東遊園地の悪夢の説得を続けた。


「さあ、見ての通り武器も何も持っていない。同じ目線で話し合おうじゃないか」


 が、さすが相手も変質者だ。即座に気を取り直して俺を挑発してきた。


「うへへへへ…… なかなかやるじゃねぇか。

 でも、お前ごときが俺様にかなうかな?」


 言うが早いか、東遊園地の悪夢の手に握られたキノコ状の物体から正体不明の液体が俺の頭上に降り注いだ。まずい! 何の薬品だ!?

 降り注ぐ白い液体を浴びて、一瞬視界が奪われた。目の前が真っ白になる。そして、正体不明の液体の匂いが鼻を衝いた。


 ……牛乳? この匂いは牛乳だ。

 液体をなめてみた。これは……おそらくメグミ牛乳の特濃4.5。覚えのある味だ。なんだ、俺たちはたかが牛乳を恐れていたのか。


 牛乳に気をとられているうちに、東遊園地の悪夢はステージから降りて右へ走った。そして、少し離れた公衆トイレの上に飛び上がっていた。なんて跳躍力だ。人間業とは思えない。

 公衆トイレの上で街灯を背にした東遊園地の悪夢のシルエットは、俺を高所から見下ろす形で言い放った。


「うへへへへ…… 分かったか? お前風情に止められる俺様ではない!」


 その姿を見て、俺の中に激しい怒りがこみ上げてきた。

 酪農家の方々が丹精こめて生産した牛乳を粗末にするなんて…

 許せん! 俺が正義の鉄槌を食らわしてやる!

 脱ぎ捨てた服の中から警棒を取り出し、高みに立つ東遊園地の悪夢へまっすぐ向けて俺は言った。気分はホームラン宣言だ。


「しかたない、力づくで止めさせてもらうぞ! 東遊園地の悪夢! 逮捕だ!」


 しかし。


「うへへへへ…… そいつは大変だぁ」


 東遊園地の悪夢はそう言い放つと、突然公衆トイレの裏側へ飛び降りて姿を消した。

 警棒片手に俺も裏側へ回りこんだ。が、そこに東遊園地の悪夢はいなかった。

 右か? 左か? どこへ消えた?


          ◇


「ククク、、、 なかなか面白いやつがでてきたな……」


 ステージ全体が見える場所で、私はさりげなく一部始終を見ていた。

 警察か。いずれ相手にすることは予想の範囲内だがな。いきなり全裸になるあたり、本当に警察なのかどうか疑わしいが……

「しかし、あの玩具程度では肉弾戦になったら少しばかり分が悪いな……」

 私は街灯の光を避け影の中を縫うように、公衆トイレの裏へ移動した。

 どうせアイツのことだ。不利になったら一番近い公衆トイレのS4出口に逃げ込もうとするに違いない。ステージ横のS7は扉自体が隠れてないからな。今夜はそのまま退却しても構わんと思うが……

 いや。面白いからもう少し頑張ってもらおう。


 私はS4出口の中で、得物の準備をして嵩岡を待った。


      …


 数十秒もしないうちに嵩岡が飛び込んできた。嵩岡は後ろ手に扉を閉めると、私の姿に気づいて少し驚いたようだ。


「静かに! 私だ」

「なんだ、いたのかよ、K……」

「ああ、サポートありだと言っただろう」


 突然現れた予想外の敵に、嵩岡は多少動揺しているようだった。

「なんなんだ!? アイツは。本当に警察なのか!?」

「わからん。また調べておこう。しかしだ、おそらく得物なしにはアイツに勝てん。

 用意しておいたからこれを持っていけ」


 私は”精神注入棒”と白文字で書かれた黒いバットを嵩岡に渡した。そして言葉を並べ立てて嵩岡を煽った。


「これなら勝てる。お前なら勝てる。見たところアイツよりもお前の跳躍力の方が数段上だ。足場を活かして戦えば楽勝だ」

「うへへへへ…… そうかな……」

 嵩岡の様子から動揺が消え、口角が上がり始めた。乗った、か。


 私はさらにダメ押しをかけた。

「そうだ。お前の前に敵はいない! お前は最強だ!

 よし! 行って来い! アイツを叩き伏せろ!」

「任せとけ!」


 嵩岡は精神注入棒を担いで、また扉から出て行った。


          ◇


 どこへ逃げた!? ヤツはどこだ!

 公衆トイレの裏で東遊園地の悪夢を見失った俺は、警棒”だけ”を片手にトイレの中やステージの周囲を走り回ってヤツを探し続けていた。

 ふと、ステージ前の観客席まで来たところで、ステージ上の黒い影に気づいた。

 その黒い影は野太い声で言った。


「うへへへへ…… 俺はここだぜ……」


 ヤツだ! 東遊園地の悪夢だ!

 東遊園地の悪夢はステージの真ん中に立っていた。いつからそこにいたんだ!? なぜ気づかなかった!? 咄嗟のことでひるむ俺を尻目に、東遊園地の悪夢は一歩前に出た。差し込んだ光に仮面だけが浮かび上がった。仮面で表情はわからないが、間違いなく、ヤツは笑っている。


 ヤツは片手でコートを脱ぎ捨てた。

 シルエットでもわかる、一糸まとわぬその姿。そしてその手にさっきとは違いバットのような棒を握っている。明らかに。ヤツは戦闘態勢に入っている!

 不気味な笑い声と共に流れてきたのは宣戦布告だった。


「うへへへへ…… サシで勝負といこうじゃねぇかぁ……」


 恐るべき一言に俺は武者震いを覚えた。相手は本物の変質者だ。常識や良識は通用しない異常者だ。俺はヤツを倒せるのだろうか?

 ……いや、倒さねばならない。市民の安全を守るためにも、ヤツを。東遊園地の悪夢を倒すんだ! 生田署生活安全課の名にかけて!

 俺は警棒をまっすぐ突き出して高らかに宣言した。


「東遊園地の悪夢! 観念しろ! 俺が貴様を倒す!」

「うへへへへ…… かかって来い! 三下ぁ!」


 ヤツは飛んだ。ステージの上からバットを振りかざして、俺めがけて一直線に。

 振り下ろされるバットを前に、俺は無我夢中で応戦した。両手で警棒の両端を握り、ヤツのアタックを受け止める。すぐさま俺は警棒を握りなおして、東遊園地の悪夢に振りかざす。ヤツは反撃を寸手の間合いでかわす。やるな、変質者め。

 ちょっとした段差を足がかりにして、東遊園地の悪夢はその類稀なる跳躍力で空中に舞い上がる。街灯やベンチ、噴水。あらゆる足場を使ってヤツは宙を舞った。手には黒いバットを持って、隙あらば俺の脳天に振り下ろしてくる。そしてヤツが俺の攻撃から身をかわして空中に飛び上がる時に、俺の眼前で大きく揺れ動くもう一本のバット。いくら俺が男でも、さすがに動揺せずにはいられない。恐ろしい。なんて恐ろしい変質者だ。

 ヤツの跳躍力を前に高さで追いつけない俺は、ときおり地上に着地する瞬間を狙って飛びかかる。ヤツのバットと俺の警棒が真っ向からぶつかり合う。組み合った感じでは、おそらく力では五分。負けてはいない。一旦下がって一気に前に出る! 一瞬のチャンスを狙って組み伏せるんだ!


      …


 俺と東遊園地の悪夢は、組み合っては離れ、組み合っては離れ、を繰り返すうちに、気がついたら二人ともステージ上に上がっていた。

 よし、ここで勝負を決めてやる。正面突破だ!


「東遊園地の悪夢! 覚悟しろ!」

「うへへへへ…… 来い!」


 俺と東遊園地の悪夢は全身全霊を込めて互いに踏み込み、得物を振りかざした。俺の警棒とヤツのバットが激しく交差した瞬間、いきなりヤツのバットが折れた。そうか! ヤツのバットは木製だったんだ! 何度か組み合っているうちにヒビでも入ったんだろう。俺の勝利だ!

 ……と、思った瞬間。

 俺の視界が斜めに傾いた。上体が宙に浮き、コマ送りのようにスローモーションで自分がステージから観客席へ落ちていくのがわかった。俺の足元には見覚えの無いロングコート。しまった。ヤツが脱いだコートに足を滑らせてしまったのか……


 薄暗がりの中、俺は観客席に背中から落っこちていた。


          ◇


 俺の眼前でポリ公を名乗る妙なヤツが落ちていった。

 うへへへへ…… ざまあ見やがれ。

 ……しかし。肝心のバットを折られてしまった。今の俺は何にも武器が無い無防備な状態だ。得物が無ければ単なる全裸だ。さて、これからどうしたものか。


 そういう俺の一瞬の迷いを見逃さないかの如く、ステージ脇から赤いライトが俺に合図した。あの長身の影は… 教育者だ!

「(こっちだ!)」

 教育者は小声で俺を呼び寄せていた。俺はすぐさまコートを拾って教育者の下へ走り寄った。

 ステージ脇から裏へ回ると、教育者は退却の指示を出してきた。

「(得物を折られては仕方ない。今日はこれで退くぞ。S7に入れ!)」


 ここいらが潮時かと思った俺は、言われるがままステージ横の扉に飛び込んだ。

 S7扉の中へ飛び込んだ先は、いつもの地下道だった。後ろ手に扉を閉め、俺たちは打ち合わせどおりに地下道を北へ走った。N1Aポイントに俺の着替えを置いていたはずだ。

 気がつくと、教育者は不気味にほくそ笑んでいた。俺に聞かれることなど気にしていない様子で、教育者は独り言をつぶやいていた。

「ククク、、、いくらでも面白いやつはいるものだな…… 一晩に二人も出会えるとは、、、すばらしい収穫だ」


 俺にはその意味が分からない。並んで北側の出口へ走りながら、俺は聞き返した。

「二人? 一人はさっきのヤツだろう? もう一人は誰だ?」

 しかし、教育者ははっきりと答えなかった。

「いや、少しばかり期待出来そうなやつもいてな……」


 意味が分からない。意味は分からないが、とりあえずそんなことを気にしている暇は俺たちには無い。

 俺と教育者は北側N1Aへ向かって走り続けた。


          ◇


「課長、京町交番から通報です」


 アタシは交番からの事件発生通報を脇浜課長に伝えた。

「どうした?」

「東遊園地で変質者二人による乱闘騒ぎ発生。共に全裸だったそうです。片方はおそらく東遊園地の悪夢。もう片方は警察だ、とか言っていたらしいですが…… もしかしたら…… 加納……」


 そういうが早いか否か、脇浜課長は耳を押さえて奇妙なことを言い出した。

「あーあーあー、聞こえないなあー」

 なぜか、わざとらしい仕草で”聞こえないふり”をしていた。

「いえ、ですからあの…… もしかして加納……」

「変質者か! そうか! 新たにもう一人”変質者”が出たんだな!

 そうかぁー(遠い目)…… 若菜君! 被疑者情報に一件、新たな変質者の項目を追加しておいてくれたまえ。警察を自称する変質者についてな!」


 脇浜課長は現実を直視しない方針みたいね。アタシの立場で言い出しても仕方ないから、今はそれに従っておくことにしましょう。

「わかりました」


 アタシは被疑者不明として、生活安全課の手配リストに一件。

 ”警察を自称し全裸で乱闘する変質者”の行を加えた。



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