01. 運命の出会い
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今日、突然会社が倒産した。
就職氷河期と言われる中をがんばって就職活動して、やっと入った小さな会社。
まだ一年半ぐらいしか勤めてないのに……
二十四歳の身空でいきなり今日から失業者だ。
秋の日が暮れるのは早い。最近は夕方が少し肌寒く感じるようになった。ビルの窓に反射する夕日は失業した身にはあまりにも美しく、そして悲しすぎた。とりあえず家に帰るしかない。でも何だかそういう気にもなれない。
目的もあてもなく、僕の足はぼんやりと近くの大きな公園に向かっていた。
会社は市の中心部にあるオフィス街の一角。だった。中心部を南北に通る大通り沿いのビル群に混じって大きな公園がある。公園があることはもちろん知っていた。知ってはいたが、通勤経路でもないし特に気も向かなかったからわざわざ足を運ぶことなど無かった。ずっと通りがかりに横目で見てきただけの場所だ。そういえばここに来るのは今日が初めてではないだろうか。
ベンチに腰を下ろしてみる。
一年半通勤していて一度も通ったことの無い公園。中に入ってみると意外に広い。公園の定番で、ジョギングしている人や幸せそうに語り合ってるカップル、近所の高校に通う女子高生の集団。みんな幸せそうだ。幸せで当たり前だ、それが日常だと言わんばかりに過ごしている。こんなにみんな幸せそうなのに。
どうして僕はこんなに不幸なんだろうか。
思えば僕は昔から要領が悪い。
会社が倒産しそうなことも他のみんなは気づいていた。気づかなかったのは僕だけだ。転職先を決めて、先月辞めていったのが二人。今日まで残った人もとっくに転職活動を始めていて、次の就職先を決めている人がほとんどだとか。僕は何も考えず、ただまじめに働いていただけだ。会社の危機に気づかないお前が悪い、と言われたら返す言葉が無い。確かにそのとおりだ。でも仕方ない。僕はまじめにやることしか知らない。それ以外のやり方がわからない。
それに。
僕は僕に自信が無い。
自分でもわかっている。僕はお世辞にもスラリ細身の美男子とはいえない。むしろ逆に横幅が広くてゴツいほうだ。頭は天然パーマで小学校時代よくからかわれたから今も気にしている。背はそれほど低くない。かといって、とりたてて言えるほど高くもない。子供の頃からずっと水泳を続けてきたから筋肉は付いているが、肩幅ばかりやたら広くて短足、そして生来のガニ股とくれば、誰が見てもスイマーというよりむしろ柔道家だ。
この黒縁メガネも自分ながら野暮ったい。分かってはいるんだけど、いまさら変えられない。
このメガネ、実は伊達だったりする。
昔、人の目を気にしすぎて学校に行くのも外を出歩くのもイヤになっていたときだ。そんなとき、当時の友人が
「伊達メガネでもかけてみれば? それだけで他人の目が気にならなくなるよ」
と言ったからだ。本当に効果があったのかどうかは今となってはわからない。ただ、その言葉が呪文のように響いたからこそ救われたのかもしれない。結局大人になった今でも彼の言葉をいまだに守っている。我ながら変なところで律儀で頑固だ。
学校の勉強だって中途半端だった。頭もそんなに良くないからどんなにがんばってみても満点は取れなかったし、一応は大学と名の付くところに入れたものの、三流の私大だから就職活動の時にはかなり苦労した。
仕事をしてみても、それなり。いや、むしろ失敗の連続だった。どんなにまじめにやっても、いや自分ではまじめにやっているつもりなんだけど、必ず何か小さなミスをしてしまう。それで上司によく叱られていた。
僕はダメな男なんだろうか。
ダメだからこんなに不幸になるんだろうか……
◇
「横、いいかな?」
不意に声をかけられて顔を上げると、コートを手にしたサラリーマン風の男性が立っていた。
街頭の明かりが逆光になって顔はよく見えない。見えない、が、なんだかものすごく背が高い。会社にこんな人いたっけ? 知り合いだったとしても、空いているベンチは他にいくらでもあるのにどうして僕の横に座るんだろうか。
しかし別に断るほどの理由は無い。それよりも。僕はいま自分のことで頭がいっぱいなんだ。
「ど、どうぞ…」
「いや、失礼」
その男性は僕の横に座って缶コーヒーを飲み始めた。
それほど長い時間が経ったとは思えないが、ベンチに流れる無言の空気はその男性の一言で遮られた。
「悩んでいるようだね」
落ち着いた声、ゆっくりとした優しい口調。僕よりは幾分年上なのだろう。やはり会社で見た覚えは無い。初めて見る人だ。
しかし、柔らかで知的な風貌と表情。どこか何かが安心できる感じで心が落ち着く。頭を抱えていた僕は、つい、素直にその問いかけに答えてしまった。
「はい。実は… 今日会社が倒産したんです」
「それは、大変だね」
「ええ、しかも他のみんなは倒産するかも、って気づいて次の就職先を決めているっていうのに、僕だけ今日まで気づかなかったんです。だから明日からどうすればいいか… でも、それも僕が悪いんです。僕がダメだから… 僕はどんなに頑張ってもみんなと同じようにはできないから… 自分に自信がないから…」
同じ言葉を繰り返しつつも、訥々と自分の気持ちを吐き出した。そのうちにとめどなく涙が流れてきた。
その男性はただ黙って聞いていた。
一通り話し終わった頃にその男性が言った。
「つまり、君は自分に自信がない。自信を持てないことが全ての原因だと感じているんだね?」
今更ながらそのとおりだ。僕には自信がない。自信を持てない。
「ええ、そうです。そうなんです。僕がもっと、自信を持てたなら……」
抱えていた頭を上げて空を仰いだ。
ふと、押し殺すような笑い声が小さく聞こえた気がした。
「…… 自信を…… 持たせてあげようか?」
男性は意外な言葉を口にした。
「僕に…… 自信を……?」
にわかには信じがたい。初対面の人間がどうやって僕に自信を持たせるというのか。
ふとその男性に眼を向けると、今までの知的で落ち着いた柔らかな表情は、僕の気がつかないうちに口の端を吊り上げた冷たく不敵な笑いへと変わっていた。
男性は指を組んだまま低く押し殺すような声で僕に言った。
「ククク、、、 君はまだ本当の自分に気づいていないんだよ」
「本当の……自分……?」
すると男性は急に立ち上がった。街頭に照らされて地面には背が高い男性の長く黒い影が走り、逆光で男性の細いメガネフレームの淵が光っている。
「まぁ付いて来い。お前を変えてやる!」
急に男性の口調が変わり、鋭い眼光がメガネの奥に光った。そして僕をどこかへ連れて行こうとする。付いて来いと命令する。
その変貌ぶりに困惑した僕は、考える余裕もなく男性の後についていくことになった。
公園の大通り側には地下駐車場へ降りる階段があった。男性は階段途中の鉄扉を開けて入っていく。関係者用の通路だろうか。
「……どこへ行くんですか?」
「いいから。黙って付いて来い!」
逆らえない……
言われるがままに扉の中へ入っていく。扉の先には長く薄暗い通路が続いていた。
薄暗い通路の途中で男は立ち止まり、振り向いた。
「ここぐらいでいいか。そういえばまだ名前を聞いていなかったな。お前の名前は?」
「嵩岡……孝弘です」
つい素直に答えてしまう。
「孝弘、そうか、”タカヒロ”か…… ククク、、、因果なものだな……」
何がおかしいのか分からないけど、男性は変わらず鋭い眼光に不敵な薄ら笑いを浮かべている。もうさっきまでの落ち着いた表情や優しい口調はどこにも無い。怒気すらこもっていた。
「じゃあ、タカ。タカと呼ぶようにしよう。いいな? タカ!」
「は、はい…… それでかまいません……」
気圧される僕はそう答えることしかできなかった。
そして、男性は思いも寄らないことを口にした。
「ようし、タカ。
脱げ。」
「え゛え゛っっ!!??」
いきなりな言葉の前に、思わずア行に濁点がついてしまう。
「ぼ、僕にはそんな趣味は、あ、ありませんよ!!」
「私にもそういう趣味は無い! いいからさっさと脱げ! 全部だ! 早く!
脱いだらこのコートを着ろ!」
さっきまで男性が持っていたコートを投げ渡される。深い青地に赤と灰色のタータンチェック模様。どこかで見たような柄…… でも、全裸でこれを着ろというのか?
「いや…… あの……」
「うるさい! ぐずぐずするな!」
「は、はい!」
わけがわからないまま全裸になり、渡されたコートを羽織る。
「よし。顔はコイツだ」
その男性は仮面を放り投げた。目と耳の上を一周する帯のような形で、目の位置に穴が開いている。額の中心から後ろに同じく帯がついていて髪の毛が出る。帽子のようにかぶれるが、いわゆる”まわし”の形だ。まるで昔のロボットアニメの敵役のような……
「早くしろ! 何をそんなものに見とれている!」
「でも…… これだとメガネが……」
「ククク、、、何を言っている。笑わせるなよ。どうせ”ダテ”じゃないか」
(!)
どうして知っているのだろう。さっき話したっけ?
困惑する僕にその男性は畳み掛けるように言葉を続ける。
「いいから早くしろ!」
「は、はい。すみません!」
なぜ謝っているのだろう。自分でもわけがわからない。
そして。脛まで届くロングコートを羽織って仮面を着けた僕は。
完全な「変質者」に変身していた。
「見事だな。期待通りだ」
そんな期待はいらない。誰か助けて欲しい。
すぐにでも逃げ出したくなる気持ちと目の前の男性に対する恐怖の狭間で僕は金縛りにあっていた。
男性は表情に多少怒気を含んだまま
「準備はできたな。よし行くぞ!」
と言って、いま来た通路を引き返し始めた。
「ちょっと、、、ちょっと待ってくださいよ。こんな格好でどこへ行くんですか?」
男性は背を向けたまま立ち止まる。
一瞬の間があったあと、くるっと片足を軸に半回転してこちらを向いたかと思うと、冷たい表情で人差し指を立てながらまるで探偵のような口調でこう言った。
「そうだな。そういえば何をするかをまだ話していなかった。お前はこれから
露出
するんだ」
(@:※&#=’%”!?)
もう動揺で言葉にもならない。慌てふためいた僕はおろおろと両手を動かしながらも何も言い返せずにいた。
男性といえば。ふっ、と表情がほころび、にやりと笑っている。
怒気は消えたものの、態度と口調を大上段に構えて言葉を続けた。
「露出といっても君に性的な愉しみを与えてあげようってんじゃない。これは君に課せられた課題であり、試練だ。そもそも君は露出の意味を誤解している。露出とは、単に陰部をさらけ出すだけではなく、固く閉ざされた心のコートを開いて開放することに他ならないんだよ。わかるかい? 君は解放されるんだ。今までの自分から。自信のない自分から。君は自分の大事な部分をさらけ出すことで、自分自身を解き放つことができる。そして、真の自分と自信を獲得するんだ。君が大空に羽ばたくためには必要な試練なんだよ。そうだろう? タカ?」
滔々と合間無く続く演説は、動揺している僕の耳に強い説得力で響く。
そうなのか。僕はこれで変われるのか……
……いやいや、ちょっと待て。この格好は誰がどう見ても変質者だろう。しかも露出するなんてヘンタイそのものじゃないか。
「でも…… でも、この格好って完全に変質者ですよね? 変態ですよね?」
「何を言っている。君は変態を誤解している……いや、まだ君はその話を理解するには早いか。変態の話はまた後日としよう。まずは課題だ。君には課題をこなしてもらう」
「課題とか何とか言われたって、やっぱりおかしいですよ! こんなの!」
僕は思わず渾身をこめて言い返していた。いや、言い返すしかなかった。あまりにも異常な状態にいつもの弱気はどこかへ飛んでいた。
しかし、その男性はまったく動じた様子も無く何かを鞄から取り出した。
水筒……? 鞄から出てきたのはありふれたステンレスの水筒だった。
「まぁ、そう騒ぐな。これでも飲んで落ち着け。落ち着いて次の手を考えよう」
男性はカップに水筒の中身を注いだ。この匂いは……、コーヒー。
「まずは気分を”整えて”、からだな」
後から考えれば何か言い方がおかしかった。が、コート一枚で肌寒い中をひとしきり騒いだ僕に暖かいコーヒーはありがたかった。まずは落ち着こう。落ち着こう……
……どくん。
”何か”が体の中で弾けた。
……どくん。 ……どくん。
熱い。体の芯が熱い。
何かが体の中で燃え上がってくる。上へ、上へ、と炎が上がるように。
おかしい。何かがおかしい。
そういえばさっきこの人は缶コーヒーを飲んでいなかったか?
じゃあこのコーヒーは何だ……?
体は熱いのにふっ、と気が遠くなる……
…
気がつくと。僕……
いや。
”俺”の精神は澄み渡ったように明快だった。
気分は最高に冴えていた。そして天を衝くような精神の高揚。
この世に怖いものなど何も無い。
そうだ、今の”俺様”には何だってできる。
体中にみなぎるエネルギー。そして世界を支配しているかのような恍惚感。
思わず口を衝いて出た言葉。
「うへへへへ…… 気分は最高だぜぇ……」
気がつくと、ヤツは顔を手で押さえながら完全に笑っていた。
「ハハハ、、、それでこそだ。それでこそ自分を解き放てるのだ。
さすがだ! タカ! 私の見込みに間違いは無かった!」
”ソイツ”の言葉に、嘲笑には。
もう。俺は動じない。
「うへへへへ…… 露出だぁ?
見せてやろうじゃねぇか! 真の俺をよぉ!」
完全にピークに達している俺に向かって、ソイツは口の端をさらに嬉しそうに歪めていた。もう爆笑寸前だ。
「よーしよし! これからがお前のステージだ。気合入れていけよ!」
「おう!」
二つ返事で答えた。
通路を出口に向かう途中でふと、気づいた。
「そういや、アンタの名前をまだ聞いていなかったな」
ソイツは表情を変えず澄まして、当然のように言った。
「ふふん、確かに呼び名が無いのも不都合だ。しかし常人めいたありきたりな呼び方は私には似合わないし、美しくもない。それに私はただ一介の教育者に過ぎない。そうだな。それなら”教育者”と呼んでもらおう。長くて面倒であれば”K”で十分だ」
「わかった、”K”」
「お前も嵩岡とかタカでは都合が悪い。”現場”で呼ぶこともあるからな。
よし、タカ。私も時にTと呼ぶ。それでいいな」
「ああ、構わねぇ…… うへへへへ……」
その時の俺にとってはすでにどうでもいいことだ。
そして俺たちはさっきの鉄扉を開けて元の公園へ向かった。
地下駐車場の入り口を出たところで俺たちは立ち止まった。
「で…… どうするんだ?」
すでに腕組みする余裕すらある俺はKに聞いた。
Kは動じない。
「話は簡単だ。見ろ。あそこにまだウチにも帰らずダベッている下らねえ女子高生どもがいるだろう。ヤツらの前に静かに忍び寄って、そしてお前の全てを見せて来い。私のオーダーはそれだけだ」
「うへへへへ…… 簡単すぎらぁ……」
「今だ! 行け! T!」
「おう!」
深青のロングコートを翻し、俺は飛んだ。飛ぶように走った。
直前で歩を緩めて女子高生の集団に忍び寄った。
そして。
◇
私は身を隠しながらTの行く先を見つめていた。
ヤツは私のオーダーどおり女子高生の集団に近づいていく。
そして。
「……あー、もしもし。お嬢さんたち?」
「えー? 何かぁ?」
振り向いたその先には……
!
「きゃあぁぁぁぁぁ!!!!!!」
数人の黄色い悲鳴。
公園の暮れかかった闇を切り裂くような大音響。
これだ。これこそがヤツの開放の瞬間だ。
私は嬉しさに小躍りしそうだった。
ヤツは自分の鎖から解き放たれたのだ!
「ハハハハハ、、、成功だ。ついに成功したんだ!」
翻るコートの影を見ながら私は手を顔に当てて爆笑していた。
◇
「きゃあぁぁぁぁぁ!!!!!!」
黄色い大合唱が闇を切り裂いた。
なんて甘美な響きなんだ。俺はその嬌声に酔った。
美しい。若い女の叫びは美しい。
そして全てを解き放った俺もまた美しい。
俺の動き。鍛え上げた肉体。そして秘めたる一部分。
全てがこの瞬間美を生み出すために存在しているのだ。
「うへへへへ! うへへへへ!」
華麗に翻る俺のロングコートは薄暮の空を切り、宙を舞った。
恐れるものなど何も無い。全てが俺自身であり美の極致だ。
眼前には逃げ惑う女子高生。周囲には遠巻きに見ながらも逃げる機会ばかり探している腰抜けども。お前たちは、今の俺様にとって敵ではない! 虫ケラ以下だ!
いままでに一度たりとて味わったことの無い高揚感。絶頂感。
そして、快感!
世界は俺のものだ! いま俺様は世界の中心にいる!
俺は周囲に誰がいるとも全く意に介さず夢中で踊り続けていた。
女子高生たちも周りの連中も散り散りになり公園から人の気配が少なくなったころ、遠目に赤い光の点滅が見えた。パトカーか!? まずい! 警察か!?
「こっちだ! T!」
いつからいたのか。Kが柱の影から俺を呼んだ。
くだらねえポリ公どもに捕まるわけにはいかない。俺は即座にTの元へ向かった。
…
「うへへへへ…… 助かったぜぇ…… うへへへへ……」
「ああ。お前はうまくやった。大成功だ」
「へへっ、そりゃどうも…… はぁ…… はぁ……」
俺は高揚しきった気分と荒い息を整えながらそう答えた。
「これで…… ククク、、、ついに見つけた、私の蝶を……」
「何だって?」
「いや…… こっちの話だ。お前には関係ない」
「へっ、そうかよ」
Kは相変わらずの薄ら笑いだった。