中岡、お前に勇者を譲るよ
少年、晴は今日もまた、ため息をつく。
ため息をつくと幸せが逃げるというがそれは嘘だ。幸せが逃げていくからため息をつくのだ。
晴が学校に来て一週間。
クラスメイトの晴を見る目は完全に変わっていた。
最初は事故のショックが彼をあんな恰好にさせたのだ、と言い聞かせ無理矢理納得していた彼らは晴に優しく接していた。そして、それが晴の突拍子のない数々の行動で徐々に勘違いだと気付いていく。
ああ、こいつただの厨二病だわ。
と。
勿論、晴だってそんな周りの反応に気付いているが、言い訳がしにくい、いや出来ないから何も反論出来なかった。
無論、物凄く悪目立ちはしているが、晴の態度がいたって普通なこともあり突っかかって来る者もいない。人間関係が面倒なだけのコミュ症ではない晴はそれだけでホッとしたものである。
「・・・・・詰んでる」
よって、便利に使える情報係兼友人は、今だに一人もいない。
友人がいないのは本望なのだが、早速出遅れている晴に情報をもたらしてくれる人がいないのは辛かった。
次の授業は移動か。
人に聞くことは出来ないから学校の予定が朝全て覚えている。
クラスの連中は友人と話していて、まだ部屋を出る気配がない。だが、晴は友人がいないから待つ必要もないし、要がない教室に長く留まる必要もない。
――狭い部屋で、同じメンバーで、好奇の目に晒されるのは、酷いストレスがかかる。
ちょっと遠回りして行こう。
気を紛らわそうといつも使わない道を使ったのが失敗だったのかもしれない。
少し歩いて、普段誰も使わない人気のない道に出ると、晴の恐れていた“あれ”がいた。
「いや、人がいないだけましか・・・・・」
死んだ目でカラカラ笑う晴は見ているだけで痛々しかったが、晴がどうしてこんな風に奇天烈な恰好と行動をするのか理解できるものはいない。
次の授業は、四階特別棟端。現在位置は二階特別棟社会科教室前。
3分あれば間に合う。
さっさと覚悟を決め、“あれ”のいる方向に足を進める。徐々に傷んでくる右眼と左腕を無視して三階演劇部の部室の前にたどり着いた晴は周りに人がいないことを確かめると戸を開けた。
見えてくる部屋の全容。
そして“あれ”は、前から二段目の席でポンポンと跳ねている。
「雑魚か・・」
こりゃ、余裕で間に合うな。
安心してその“雑魚”に近づき触った。
途端に溶けて消えていく“雑魚”
よっぽどの大物でない限り武器を“召喚”する必要はない。
この忌々しい右眼と左手はこんところで役に立つ。
「いや、こんな力いらないから見た目を何とかして欲しい……」
本日三度目のため息は静かな教室に吸い込まれた。
一息つくと、感覚が現実に戻って来る。
……さっさと家庭科室向かおう。
部室の戸を静かに閉じ、トボトボと目的地に向かっていた晴はまだ知らなかった。自分以外にも異能の力を持つ人間がいることを。
そして、知らないからこそ油断をし、一部始終を彼らに見られていることなど思いもしなかった。
教室の隅にいた人型から流されている光景、“祓”を見ていた彼らが晴に対して驚きを隠せていない頃、晴は今日の夕飯が何かを考えていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そんなことがあっても、晴は変わらず生活している。
日々、人に遠巻きに見られる生活。だが、人とは、脳の最も重要な働き“慣れ”を取得した動物でもある。一か月もすれば、同じクラスの生徒にはあまり注目されず、危惧していたハプニングには出会わずに生活できた。
もう、教室さえ出なければ安泰だ。
脳みそが筋肉でできている体育教師にも、失踪事件のあと目覚めたらこうなっていて、右眼と左腕には、人に見せられないような傷がある、と苦しそうに悲しそうに言えば、言葉を詰まらせ黙認するようになった。
また、あれ以降“ガチの厨二病患者から何回も手紙が届いていたが晴はそれを無視していた。
あの手紙、いつまで続くんだ?
因みに晴曰く“ガチな”厨二病患者達から届く手紙は、通算20通目に達している。
内容も、最初は簡潔な呼び出しだったが、無視するごとに忠告、説教(無視することへの)と激しくなっていき、今では脅しとなっていた。
それでも、晴は無視する。
晴は強い。なんたって異世界で勇者をやっていたのだ。この世界でもそう簡単に倒されるとは、思えなかった。
では、晴自身ではなく、晴の大切な人は?
晴には、友人が一人もいない。両親だとしても、二人とも出張でもうこの国を出ている。
自分ひとりの身を守るなんて簡単な事。
暴力だけでなく、いろんな場面で異世界で培われた力は利用できる。
よって、晴はただ“ガチな”厨二病患者が諦めるのを待っているのだ。
といっても、手紙は数が増えるにつき、どんどんと人間味の増した文になっている。もしかしたら厨二病の皮を被った普通の人なのかもしれない。昨日の手紙には‘タンスに小指ぶつけて、悶絶してしまえ!’と書いてあった。
幼稚である。死ね、と書けないあたりから小物感が溢れ出ている。
だが、晴は厳しい修行を受けていたのだ。
人体の急所という急所は鍛え上げているので、もしかしたらタンスの方が壊れるかもしれない。
ふっ。俺は男の急所を蹴られたって痛くはないさ。
寧ろ、勇者時代に盗賊などに、ばんばんと掛けていた方だ。人のを狙うのだから自分のは鍛える。
あ、次は体育か。
チャイムが鳴り終わり先生が挨拶し終わった瞬間に立ち上がり、男子更衣室に向かう。人がいるときは、廊下を走らないが、いなかったら本気の10%、陸上部のエース並みの速さで駆け抜ける。
理由は、二つある。
一つは、廊下で他のクラスの生徒と会いたくないから。
もう一つは、体中の傷を見られないためだ。
異世界では、殆どの傷は治せたが、致命傷クラスの命にかかわる傷は治せても跡が残る。晴は、勇者をやっていたのだからそういう傷を受けることが、しばしばあった。
別に見られてもいいのだが、失踪事件後この傷を見た医療関係者や警察の人は皆、痛ましそうな顔をし、同情の眼を向けた。多分、ここの生徒に見られても同じ反応をするだろう。
因みに両親にはばれていない。
要は、面倒くさいのだ。これ以上面白そうなゴシップを生徒に渡したくない。やっと逸れてきた興味がまた自分に向くのは勘弁して欲しい。
元より、失踪期間のたった十日で傷がいえるはずはない。そうなると失踪以前のものになり、警察の人につっこまれるか、と心配していたが、不思議なことに何も言われなかった。
まあ、そんなことにつっこんでいたらこの右眼と左手、髪色にももっとつっこまれていたはずだ。何故か絶対に外れない眼帯に包帯。相当ビックリしたことだろう。
最初は、やかましくずっと聞いてきたくせに、急に聞いてこなくなった。
一体何だったんだろう、と思うが自分に都合がいいので考えないことにした。
今日の体育は、バスケか。
勇者をやる以前は苦手だったこの競技。今は、とても好きだった。
やはり、出来ると楽しい物である。
力抜きすぎてすっげぇ消化不良だけど。
“力”を持たない一般人とのバスケは余りにも緩すぎる。簡単ではない。なるべく力を入れないように気を付けないといけないのだから。その上、余りにも(晴にとっては)レベルが低すぎるため目立たないが目標の晴でさえも
あのボールを奪い取ってしまいたい
と思ってしまう。無論、目立ちたくない、という理性の声が勝つのだけれど。
一番乗りで体育館にやってきている晴は、体育教師に体育が好きだ、と思われている節がある。それで、よく視線を感じ監視されているような気分でまたやりずらくなるのだ。
いや、体育教師が善意で目をかけてくれているのは、分かっているのだけれどそれとこれとは別問題である。
かくして、今回も一番乗りできた晴は、体育教師に挨拶してからバスケのゴールを準備する。
人の為、というよりは、準備で時間を押されたくないのと体育の内申点の為。
本気を出せば、一般人には絶対叶わない強さ。
最高評価の5なんか簡単に取れるが、学生の間は、ただスポーツが出来るだけで目立つことが多々ある。女子には、魅力的に男子にはかっこよく見えてしまう。
この変人コスにこれ以上変なタグをつけたくない晴は全体の平均よりやや上らへんに見えるよう力を出していた。
準備が終わったころには、生徒は全て集まり、整列しだしていた。
予鈴一分前に整列が完了し準備運動を行う。
さて、ここからだ。
全ての項目を行い待っているのは、体育教師のありがたい(笑)お説教。その時、いつも思うのだ。その話は今、必要か! 体育の時間に世界平和を語るな!! 給料分の仕事をしろ!! 生徒の退屈そうな顔を見ろ!! ただ、お前語りたいだけだろ!! と。
こう思っているのは晴だけじゃないだろう。
この時間は平均約15分。それは、バスケの時間が少なくなることを意味していた。
今日は、特に長い。
体育教師が満足した顔で、話を終わらせた頃には、残り時間が10分になっていた。
どうやら今朝のニュースに感化されたらしく、自分の考えを語りたくてしょうがなかったらしい。
推定30分話していた脳筋男。生徒の誰しもが怒り心頭だった。
そのうえ。
「むっ。あまり時間がないな。今日はバスケはやらずにランニングだけにするか・・・・」
と馬鹿なことを言い出した。
ふざけんなっ!!!!
生徒の眼に殺意が宿る。
誰か、誰か。モノ申せ。このままだとくだらない話を聞かされた挙句、バスケがつぶされる。
生徒の心が一つになった。
「せんせー!!それはあんまりじゃないすか!!!俺、ちゃんとバスケしたいんですけど」
中岡あぁぁあぁあ!!!!
お前、勇者か!!この脳筋の前で俺らの総意を言ってくれるなんて!
もう、いいよ!!俺、お前に勇者譲るよ!!ホント、すげぇよ、中岡。
このいい子ちゃんの集まりには、先生の指示に逆らうものは殆どいない上に。体育教師にモノ申すとたとえそれが正論であっても、みんなの前で怒鳴られ、怒られる。
故に、生徒らは、脳筋に言葉は通じない、と反論することはなくなったのだ。
それなのに、反論してくれた、中岡。
もし、お前が怒られたら俺がそれに反論してやるよ、と晴以外の誰かは思う。
「……」
体育教師、基脳筋男は考え込む。
頼む、バスケを!!!!
「そうだな。残り時間はゲームでもやるか」
その言葉は、生徒に歓喜の渦をもたらしたのだった。