彼は就職という名の夢を見る
あの日からはや五日。晴の環境は百八十度変わっていた。
授業が終わりこれから昼休み。晴は、初めての食堂とやらを使うことにした。
前とは違い広々とし、モデルスクールのような教室から出ると、そこにはまたモデルスクールのように綺麗な廊下。
実際にここの生徒は皆世間一般から見てエリートの集まる学校ではあるが、この校舎こそ彼らを煌びやかなものに見せる大きな一因の一つではないだろうか。
それにしても、はて、ここの生徒は、生まれながらにしてのエリートが多いためプライドと上昇志向が都会の高層マンション並みに高い。プライドの件は晴にも多少分かる気もしたが、上昇志向という名のハングリー精神には、怖いを通り越して、ただただ引いた。
うわ、視線が痛い。
晴は今、教室棟二階の廊下を歩いている。廊下には大勢の生徒。
晴が異分子であることと突拍子のない恰好であることから、視線を集める。無論、良いものではない。殆どのものが悪意のある視線。
だが、もう晴には関係ない。
就職という名の希望が見えた晴には、もう目立ちたくない、というポリシーはガムについている塵紙程にどうでもいいことだった。この格好で注目を集めないわけがない。
まったく、人生においては、諦めが重要である。
「うわ・・・・・」
食堂に着き、晴が見たものは如何にも高そうで。この校舎を見てどことなく、食堂もオシャレで高い、こじゃれたホテルみたいなものなのかな、と考えていたが。全く予想通りだった。
マンガみたいなちょっと薄汚くて親しみやすい食堂が憧れだった晴には少し残念で。こんな轟轟しい入りにくい食堂なんてあってたまるものなのか。
「!!!」
しかも、高い。高すぎる。
ランチのオムライス、なんと三千円。
ビーフシチュー、四千円。ステーキ重、七千円。
馬鹿なの?
ランチって安いからランチなんだよ。
思えば、この食堂に訪れている生徒は少ないようだ。ふむ、こんなに高ければ食堂を使う者などそうそういないだろう。
ここは、エリート学校で金持ちもそりゃ多くいるが殆どは晴と同じ庶民なのだ。
「すいません。ステーキ重一つお願いします」
晴は如何にもな店員に、一番高いステーキ重を頼む。どちらかというとケチである晴がそんな大そうなものを頼む訳とは。まあ、真相は、たいしたことはない。むしろ納得するだろう。
「あっ、鈴木じゃん」
少女鈴木が颯爽と食堂にやってきた。あの頃とは違い、その背には多大なる自信を背負い如何にも負けん気の強そうに見える。生徒が少女に気付くと、食堂は一気にざわついた。
そのざわつきは、嫌われている、というものより寧ろ憧れで。
晴は少女鈴木、いや本名、細木結衣との遭遇を思い出す。
端的に細木結衣は、厨二病患者ではなかった。どうやら晴は、色々と勘違いしたようだ。
だが、それにしてもあの少女は、このように憧れを集める様な性格をしていただろうか?どちらかというと、癖が強くて遠巻きにされそうなタイプであるのに。
晴が首を捻りながらそのことについて考えていると。どうやら凝視していたようで。
「・・・・・・ぁ」
細木がこちらに気付いたようだった。あからさまに嫌な顔をしている。
そして、晴が細川を見ている所をみた幾らかの生徒たちは、まるで身の程を弁えろ、というが様にまるで、ゴキブリを見る様な視線を晴に送った。
細川には、なぜだか分からないが三日前から物凄く避けられている。前まではあっちが強引に近づいてきたのに。
別に、話しかけて欲しいわけでもなく寧ろ清々とはしているが、あまりの変わりように少し納得できなかった晴は、ウエイトレスがステーキ重を持ってきたことでそのもやもやとした思考を止め、舌の味覚器に全神経を集中させた。
美味しい物は、集中して全力で味わうのがケチのマナーである。
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五月五日。こどもの日。
奴らは、午前八時にやって来た。話し合い?をした翌日のこと。
早い。早すぎるだろ。
「国家安全呪術機構の者です。一色晴さんをスカウトしにきました」
真っ黒にスーツに身を窶した男二人は、やけににこやかに今後の説明をしてきた。取り敢えず、リビングに招き入れたが、この非常識な時間にきた男たちにお茶を出すべきか。
いや、将来就職する予定がある。愛想よくすためにも出すべきだろう、と晴は判断する。
「あの、コーヒーと緑茶どちらがいいですか?」
「いえ、結構です」
申し訳なさそうに言う男に晴は、正直ほっとした。それにしても、この国家安全呪術機構の奴らはどうしてこうも時間認識が下手なんだ、と内心愚痴りながらも愛想よく対応した。
この男たちは一見いい人そうに見えるが晴をどう丸め込もうか、笑顔の裏考えている。
異世界での様々な体験で人を見る目は養えている晴はすぐに分かってしまった。まあ、そんな事を知っていたって晴だってまるみこまれに言っているのだから文句はない。
男たちは、早速本題に入った。
「さて、一色晴さん。貴方は我々のことをどの位ご存知でしょうか?」
晴にどこから話すべきか、を知るための質問。恐らく、だいたい晴がこちらの世界の事情をあらかた知っていると予想したのだろう。
なにせ、派遣された生徒と教師が真っ青な顔で、この少年の報告をしてきたのだ。
そして、彼らはこの少年に驚くべきような評価を下した。
でも実際、晴はこの世界のことを全く知らない。だから、晴の返事に困惑したのだろう。
そんな強さで何も知っていないはずがない。寧ろ、何も知らない貞の方が妖しい、と。
「すいません。全く分かりません。無論、これから理解を深めようと努力します」
そして、妙な笑顔で妙に好意的にこちらに入りたがろうとする少年は、どんな風に見えるだろう。
晴は、ただ就職相手の心象をなるべく良くするために愛想よく行っていて、たいした打算はないに等しい。だが、彼らは。
国家安全呪術機構は、とてつもない大組織だ。一般人に公表されていないのは、公的な記憶改ざんが許されている為。普通に考えては違法であるそれを合法的に国が認める。それほどの権限を持った組織なのだ。当然敵だって多い。
この事実と晴の言動を組み合わせて出てくる答えは一つ。
一色晴は、スパイの可能性あり。滅茶苦茶怪しい。
だからといって、この少年を放置して好き勝手やらされるよりは、まだ監視下に入れたほうが安全である、と上層部は判断した。ただ、唯一気がかりなのは少年の実力である。監視下に置くと言っても、相手が強敵である場合はたやすくその包囲を見破られ行動を許してしまう。よって任務を実行するものは、監視対象と同じかそれ以上の力があると判断された者のみが行うのだが。
一色晴は、一大人であり高等部の教員を務める黒部氏からしても計り知れない能力、といわれた少年である。この少年の監視任務を誰が務めるかは、まだ決まっていなかった。元より、話をした翌日の朝、訪れたのだ。そんなことまで決める時間はなかった、と言えるしそんな早く対応すべき緊急事態の警戒するべき相手が現れたとも言える。
そんな少年の所にスカウトとして現れた男二人は、営業係などではなく立派なエージェントだった。上層部が慌てるほどの相手に訪問する彼らは、当然警戒はするし、戦う準備も出来ていた。久々の空気の張りつめた空気で、彼らはスカウト対象者、名ばかりのスパイ疑惑の掛かった強者に会いに行った。
意表がつけるよう、わざと朝早くまでして。
そんな彼らも驚いた。ドアを開けた先には、如何にも悩める思春期の少年が陥る痛い恰好をした少年が立っていたのだ。勿論、特徴は先に伝えてあったがそれにしても衝撃だった。一瞬惚けてしまった自分を戒め、もしかしたら精神的ダメージを狙っているのか、と馬鹿なことを考えながら必死に笑顔を張り付けていたのが真相である。
そして、そんな少年はやけに社交的で、意欲がある様に見える。だがこの世界については何も知らない。
もう、何がなんだか分からない。
現実が見えていそうなのに、なんであんな痛い恰好をしているんだ?
なんで実力者のくせに何も知らない振りをする?
「・・・・ええ、そうでしたか。じゃあ、ご説明いたしましょう」
疑問を飲み込みながら放った言葉だったが。
「いえ、これから学校がありますので申し訳ありませんが放課後にしてもらえませんか」
男たちは晴が内心、何言ってんだこいつ。常識的に考えろよ。と怒っていたのには気付かない。流石晴。元勇者なだけあって顔の皮は厚い。
ただ、晴は次の言葉に驚いた。
「いえ、学校の方にも許可はとっております」
「は?」
「え、ええ、国家安全呪術機構から学校に話は通してありますし、来週からは“霊祓師”になる為の学校に転校なさる件についても我々から言っておきましたのでお手をわずさわせる事はないのでご安心下さい」
「え?」
晴にとっては全くの初耳であった。いくらなんでもその格闘技家になるために学校も変えなければいけないなんて思わないだろう、普通。
固まった晴を他所に、何かに焦ったように話している男からは取り敢えず今日は学校をさぼっても大丈夫、ということだけだった。
そして、なんとか納得してから晴は、もう一度男の話に耳を傾ける。そして、分かったことは、晴が多大なる勘違いをしていることだった。(ただ、相手方が勘違いしていることには気づいていない)
どうやらこの世界には異世界での魔力に変わるものと魔物に変わるものがいるらしく都市伝説と言われていた謎の組織は本当に存在するらしい。あの大ヒットしたSF小説はフィクションではなくノンフィクションなのかもしれない。
男は一生懸命話していたが、何がなんだか分からない晴は、取り敢えずスカウト用のパンフレットとその“霊祓師”養成学校の初等部の教科書を見て把握することにした。それは、全く何も知らない素人用に常時持っていくものである。その資料を貰うために、全く分からないのでもっとかみ砕いたものをください、と要求した時は、大分目を細められたが知ったかぶりをして、後で困るよりマシ、と晴は納得していた。
男たちにとっては、一応の為持ってきておいて良かったという安堵感ともしかしてこの少年は本当に何も知らないのでは、という疑惑がぐむぐむと膨らんでいたが、一生懸命な晴はそれに気づかない。
「お待たせしてすいませんでした。状況の判断はつきました。是非私をスカウトしていただきたい」
待っている男たちを目の前に速読をして、この世界の実情を把握した晴はきっちり一時間、その資料を読み込み、男たちにスカウト了承の意を伝えた。
理解していても今までの現実がいきなり翻るような事を人はそうそう受け入れることが出来ない。だが、晴はそれを当たり前のようにして見せる。晴に言わせれば「この世にあり得ないことなどそうそうあるはずがなく、可能性は無限大なのだ」そうだ。
ただし、晴は希望空想者ではない。この言葉は良い意味でもあるし、悪い意味でもある。運がいい時にこの言葉を聞けば尚更ツキがむいてくる、と喜ぶが運が悪い時に聞けばこれ以上苦痛が圧し掛かって来るのかもしれない、と怯える。
こんなことは、異世界にいって一週間で分かったことだ。
なんだあの二人は、厨二病患者じゃなかったんだな。
そんな風に軽く受け止め、次の行動に移す。晴にとってはこんなの異世界での仲間の死を受け入れるときに比べれば屁の河童である。晴自身は気付いていないだろうが、こんな精神面も勇者をやる前とやった後では大きく違っているのである。
そして、次に惚けるのは男たちであった。
「はい?」
もしかしたら本当に知らないだけの変わった一般人なのでは?と疑っていた矢先である。実は、このようなスカウトの現場ではスパイだと疑われていた人間が実はただの一般人だったとは、ない話ではない。生まれてからずっとその力を身に着けているものの中には、それがなんだと分からなくても、その力を使いこなせるようになる才能の持った人間がいるのだ。
今回だってまた、勘違いかもしれないと最初は思っていたのだが、あの突拍子のない見た目により疑い深くなっていた。だが、話せば良い少年で、強いのもただ単に才能があるだけなのかもしれない。
そんな風に、今やっと自分を納得させたはずなのに。
「あ、いえ、それはありがたいです。と、いう事は転校の件も納得頂けたでしょうか?」
男二人はまたこの少年が分からなくなった。普通の一般人がこんなに早く状況を理解することなど、今までの世界をこんな簡単に覆すことなど出来ない。この少年は、やっぱり普通じゃない?
互いに目配せで、意思を伝えながら本題に戻る。
「はい」
「分かりました。そこのパンフレットに乗っているように貴方が優秀であれば、費用はただです。勿論、そうでなかった場合もお金は今のままと変わらず、今の学校に払っているお金をうちに払っていただければ結構です」
「すいません、質問なのですがこの特待生になれば、寮代も食費もただっていうのは本当ですか?また、俺、私はその特別生になるチャンスはありますか?」
晴は、少し並足だっていた。パンフレットの下の方に小さく書いてあった特待生の文字。こんなに最高な内容なのにあまりに地味に書いている。だってもしかしたら、衣食住並びに最高程度の文化的生活が無料で送れる。無料で、だ。ケチな晴には嬉しい知らせであった。
「ええ、勿論あります。この後受けていただく入試試験で優秀な成績を収めたものは特待生になることが出来ます。ただ、そこの記名通り特待生の方は自動的に国家安全呪術機構への就職が条件でありましてその上、その特待生になる為の基準値がとても高いので、なれる方はあまりいませんね」
どうやら、この特待生になる条件とやらは、かなり厳しいらしい。
だが晴には何の問題もない。就職は望むところだし、実力だって異世界で鍛えて来たのだから頑張ればなんとかなる、はず。
「そうですか・・・・・・では、一学年にどれほどいるようなものなのでしょうか?」
「一色さんが通う東京高では、一学年全体で五百人でして特待生は今のところ10人おります」
100人に対して2人。思ったよりも少ないが、まあ、そこまで目立つわけでもなさそうだ。
この学校は、幼児舎から大学院までのエレベーター式のマンモス高であり、高校名ではピンとこないが大学名は、超有名大学そのものであり、エリートを想像させる。
まさか実世界で有名なこの学校が、秘匿された霊祓師育成学校とは誰が信じるだろう。しかもこれは、東京・埼玉・神奈川の生徒とスカウト生の為の学校らしく、地方には地方の大きな学校がある。思ったよりも国家安全呪術機構は大きな組織らしい、と晴は密かに驚いていた。
その後も今後のことに対する説明は、続いて。
「これで大体の説明を終わります。何か質問はございませんか?」
やっと終わった。
「特にありません」
「分かりました。では、今日の18時、昨晩の市民体育館で実技検査を行います。では、これで」
「ご説明、ありがとうございました」
晴は、この時点で飽き飽きとしていた。説明が長すぎる。パンフレットをみて大体分かったって言ってるのにまた口頭説明をする必要はあるのか?あんなものまとめてしまえば、この世界には、陰の気からなる妖鬼なるものがいて国家安全呪術機構はそれを滅しています、の一文にまとまる。最初は、何が何だかわからない格闘技に入団させられるのかと思っていたのだ。寧ろ安心したし、この“祓”は世界規模の事であり、霊祓師は一般的にはエリートの部類らしく弱肉強食であるが故にお給金も凄く良いらしい。
と言っても、それで納得するのは勇者経験のある晴だけだろう。そんな情報のみでわが身をその環境に投げ出すような馬鹿な奴は手の指が六本ある人と同じくらいに少ない。
だが勇者時代は、文明が発達しきれていなく曖昧な情報であっても、何も分からなかったとしても前に進むしかなかった。
例えば、あの洞窟には魔物は一匹もいないから、大丈夫と聞いて言った洞窟は実は、魔王幹部の家城兼軍事施設で、休む目的で行ったものだから武具も何も持たず戦う羽目になった。その時晴は三回死にかけている。
つまり、晴はこういったわけのわからない世界に飛び込むのは慣れていて、無駄に強いため「あ、これはヤバいパティーンだ」とか思ったなら、すたこらサッサと逃げおせることが出来るのだ。・・・・・・・多分。文化的な最低限度の生活なら出来る。ジャングルの中でも生きることが出来る。きっと、精神的に寂しくなっちゃうけど。
この世界の奴らが使う“祓”というモノは、魔力と似ているようなものだ。ただこちらでは、魔力、“祓”行使の際にデバイスを使用するらしくそのデバイスなしでは、妖鬼を祓うのは至難のわざなんだとか。
俺は、そのデバイスとやらをなしで祓えるのだから、やはり魔力と“祓”の力は根本的には違うのだろう。
晴は、呑気にそんな事を考えてはいたが、実は大問題が一つあった。実技試験の内容には“祓”の使用も含まれている。そして、晴が使っているのは魔法と言われるこちらには存在していない力の類。
このままでは、試験に落ちる、そんな事を微塵も考えていない晴がこの大問題に気付くのはもう少し経ってからである。
「あ、そいえば俺“祓”の使い方知らない」
晴の使う魔法は、外から気を集め使うモノに対し、“祓”なるものは体内から気を集め使うモノである。つまり、原理は似ても、力の出し方は真逆になる。
ポツリ、と呟いた少年が立っている場所は、市民体育館の入り口前で、時刻は17:50を指していた。