EXECUTIVE DECISION
酸鼻を極めた戦闘だった。
一方的な蹂躙を終え、魔物は緩慢な動作で剣を鞘に戻す。
身の丈ほどある分厚い鋼鉄の刃を背に負った手製のホルスターに収め、タグの裏を丁寧に改める。
個人名と出身地が記録された認識票に白い指が触れる。あまりに白く、血が通っていないようだ。
真っ黒なボロ布一枚で細い身体を包んでいる。
長い年月と幾度もの戦いで布は擦り切れ、上半身しか隠せていない。
顔さえ隠せばそれで良いと下半身はおざなり。青白い血管の浮き上がった脚は剥き出しだ。
土にまみれた爪、傷一つ無い脚の肌は見るからに冷たく、覆い隠す物がないままの下腹部。
返り血の赤が白と黒の単調な色彩を鮮やかに仕立て上げる。
魔物は一人、全裸に等しい風体で荒野に立つ。
鉄塊を背負いながら地面に穴を掘る。
革のホルスターの先から鮮血がしみ出している。
背中に伝わる生ぬるい感触。板きれを使い人一人が入るか否かの縦に長い墓穴を四つこしらえる。
村ではそこそこ腕の立つ剣士の青年は、真新しい白刃の剣もろとも首を斬られた。
魔導学院を主席で卒業した若い魔女は、幾重にも張った防御壁ごと首を斬られた。
辺境では名の知れた盗賊の男は、目にも止まらぬ俊足を見切られて首を斬られた。
修行の旅を続ける禿頭の格闘家は、拳を突き出すことも出来ぬまま首を斬られた。
冒険者たちの迎えた旅の終わり。墓穴に埋葬されるだけ好運と言える。
野ざらしで野鳥に死肉をついばまれ、骨を晒しながら朽ちることはない。
忘れられた荒野に立ち、死してなお刑を執行する処刑人。
愚かにも魔神の尖兵に挑み敗れた冒険者たちの末路。
これはどこにでもある話。
取るに足らない聞き慣れた悲劇の一つ。
積み重なっては忘却の彼方へ消える、他愛ない一幕である。
†
ハンターというジョブではあるが。
実態はただの傭兵である。賞金稼ぎと呼ぶ者もいる。自称の大半は冒険者だ。
刀剣や魔杖、魔導書、銃火器で武装したならず者。
それを国や教会、企業がギルドという形で管理している。
管理の度合いは様々。都市の発展と比例して厳しくなる。
大都市のギルドなら人格、実績とも不足ない。だが辺境ともなると犯罪者も同然の輩が多い。
退屈しのぎに殺生をする。盗賊夜盗を追い回し、その屍を市中に晒す。
襲われる者も悪でなければとうに処刑されている手合いだ。
西の辺境にぽつんと窓口を開いているこのギルドも同様。
中央では審査も受けられないだろう面々がエースの地位にある。
高位のハンターになったところで「それがどうした」と興味の無い者で占められているのは幸いだ。
当然みな同じく金銭にも無頓着。必然、周囲の商店は潤う。
金が流れる所に人は集う。
豚がキノコの在り方を嗅ぎ当てるように、人は金の匂いを嗅ぎ当てる。
しかし、このギルド周辺は飯屋、武器屋、薬屋があるばかり。
他は小さな平屋の民家が数件。店の利用者はハンターたちである。
「別に不便もないだろう。飯、武器、薬があれば十分じゃないのか?」
重戦士に不満ない。
美味い酒と飯、雨風をしのげる寝床、腕の良い武器職人。他には一切不要である。
額に走る横一文字の傷跡をかき首を傾げた。
一方、魔術師は大いに不満であった。
見るからに神経質な顔つき。整ってはいるが、険しい表情のせいか浮ついた話は聞こえない。
「ええ毒を作るだけならね。ゴブリンの糞尿、オーガの胆汁、キメラの尾……そんなのしか入荷しないのよあの薬屋は」
どれも強力な毒薬の素材である。エキスを抽出して腐らせるか乾燥させれば出来上がり。
魔女の毒でも手軽さに対し効果が優秀と人気が高い。
しかし魔術師は眼鏡の奥で切れ長の瞳をさらに細めた。
刀のような瞳が針より鋭く尖る。波打った栗色の髪をかきむしり困り果てている。
「お前、他に作ってないじゃん」
「作れないの! 材料がないから!」
ひょろ長いシーフの突っ込みに叫んだ。
「そりゃ回復の霊薬くらい素材と時間があればいくらでも作るわよ! でも入荷すらない! ここで採れるのは毒薬の原材料だけ! しかも単純! 素人でも作れちゃう! 雑な毒だもの解毒剤なんて市販ので十分じゃない!」
「でも味がいいからなぁ、市販のは臭い」
「あぁぁぁぁぁ……工房建ててスカンピンだから取り寄せも出来ないし……試してみたい秘薬とか色々あるのにぃぃぃぃぃぃ……」
そのまま机に突っ伏して呻く。
紫色のローブととんがり帽子が沈黙すると、シーフもため息をつく。
「でも、最近依頼が来ねぇよなァ」
「そうでも・・・・・・いや、確かに深刻だ」
ジョブによって依頼の数は変化する。
大物狩りが本領となると、獲物が少ないため依頼自体多くない。平時は前衛として魔術師や弓兵に同行する。
金銭に興味は無いが、生活費は無視できない。
その日の食事代だけでも稼がねば生きてゆけぬ。
対してシーフは相手を選ばない。罠の解除、斥候、奇襲、何でも出来る。
重戦士の目線の先には幽鬼。否、三等級の剣士。
元より死蒼の肌と冥府の黒を宿した瞳。それが、ついに情念を滲ませていた。
一歩一歩は変わりなく毅然としている。常の通りに寡黙。
しかし――底なしの黒目が赤い妖気を放って見えた。
「近寄ったらぶった切られちまいそうだ。妖刀でも拾ったか?」
「妖刀は前からだろうが。ありゃしばらく斬ってない、禁断症状だ」
「冗談はよせよ旦那。それじゃあ何か? あの剣士ちゃんは人斬りかだってのか?」
重戦士の見立てにシーフは仰天の声をあげる。
確かに狂おしいほどの飢えに喘いでいるように見える。
心ここにあらず、数日前からは食事に誘う狂信者の声にも上の空だ。
他のハンターが誘っても短く「一人でいい」と断るだけに恐ろしい。
確かに最古参にしては若い。おまけに数日かかるクエストを一日で終わらせて帰ってくる。
シーフは彼女と組んだことはないため仕事ぶりの評価は出来ないが、悪い評判は耳にしない。
彼の中で、謎の多い天才少女、そのイメージが出来上がっていた。
「妖刀はへし折ればそれで済むが、人間はそうもいかないからな」
――どういう意味だよそれ
聞き返そうと口を開くと同時。
一階ホールの扉がギイと鳴る。元は朽ち果てる寸前の洋館、老朽化が癒えたわけではない。
粗野で俗悪な雰囲気を一掃する清らかな雰囲気、それが瞬きする間もなく覆る血まみれの法衣。
南の湿原に現れた屍騎士をいつものように体技だけで倒してきた。
泥と血で汚れきっている鉄拳の乙女にかかれば古の武人も地獄に帰される運命。
受付嬢が「お帰りなさい」と出迎えるより早く、剣士が動いた。
不安定な重心のままゆらりと輪郭がぶれる。
部屋の隅から入口前の狂信者まで、一瞬で移動してのけた。
「誰にやられた」
意味の分からない問いかけに皆が疑問符を抱く。
それはゾンビソルジャーに決まっているだろう――
しかし聖女の口からは、皆の指摘を覆す言葉が紡がれる。
「傭兵団、人間の軍隊でした。屍騎士は、魔神に雇われた銃兵隊を連れて――」
それだけ告げて、狂信者が初めて膝を折った。
前のめりに顔から床へ倒れ込む。抱擁するように受け止めた剣士の目は、静かだ。
あまりに容赦のない事実。
北の最前線は停滞していると聞いていただけに、衝撃の度合いは尋常でない。
計り知れない危機を告げられ、剣士は崩れ落ちた狂信者を抱きかかえる。
陽炎に似た妖気はなりを潜め、まったく無感情の少女の顔を見つめる。
これから起きることは容易に想像がつく。
狂信者を抱きかかえ医務室へ消えるや否や、医師も兼ねた白魔導師の悲鳴があがった。
風もないのに軋む医務室の扉。
顔をあげた魔術師とシーフだけでなく、重戦士すら頬を冷や汗が伝う。
寡黙にして無感情な剣士の発する怒気にかつてない恐怖を覚える。
ひたすらに斬り殺す戦闘マシンにも感情はあった。
そのことをようやく知った瞬間である。