THE EXTERMINATOR
食堂。
ギルドの受付窓口がある本部、向かって右隣に建つ酒場兼食事処で休んでいる。
クエスト報酬で支払われた金銭はここと本部を挟んで左隣の武器工房に流れる。
他に娯楽のない寂しい街だ。この辺境には市場すらない。周辺の農村漁村、牧場に酒蔵からの仕入れがあるだけ。そして一働きしたあとの食事と酒ほど美味なものもない。危険と隣り合わせのハンター稼業、明日の朝陽を拝めるかも定かでない以上はこの瞬間を全力で愉しまねば。
故に食堂は大いに繁盛しているし、工房は年中注文が舞い込んでくる。
小さく活気には欠けるが、住民は前向きに生きている。
「昔とは大違いだ」
剣士は麦酒とソーセージを前に呟いた。
「地元でお暮らしなのですね」
強い酒を呑んでも真っ白なパートナー。
対する狂信者は蜂蜜と蒸留酒をたっぷり注いだ紅茶を舐めつつ堅焼きケーキをつまんでいる。
街の歴史に興味を持った彼女は、土地に詳しいと目星を立てて掘り下げに入る。
彼女にとって学問は全て善である。学問で得た知識の使い方にこそ善悪がある。
「こちら、以前はどのような土地だったのでしょう?」
「ここは処刑場だった」
重かった。
初っぱなから反応に困る剛速球が返ってきた。
処刑場、つまりは断頭台と墓場の村だ。代々の処刑人とその一家が仕切る村はままある。
ここもそういう土地だったのだ。
どうりで人の往来が少ない。貴族同然の生活が保障されるのも、一重に担い手不足が慢性的であるからだ。この職に留めるための手段である。未成年への刑罰に処刑人の手伝いがあるくらいには、死を扱う職業の中でも忌み嫌われている。
葬儀屋や墓守と違い同じ人間を殺すところが大きい。
農家や牧場はあるのに市場がないのはこれが理由か。
ギルドだから、お世話になっているから、毎日足を運んでいる。彼らが納品を続けている理由は義理だ。
だが妙だ。
この街に処刑台はない。処刑人の邸宅もない。
小さな平屋民家に囲まれる形で五階建てのギルド本部が建っている。
他は小さな小屋がぽつぽつと散らばっている。
「最後の当主が死んで、跡継ぎがいなかった」
これもやはりよくある話。
そもそも嫁ぎ先に選ぶ者がいないのである。
老齢で結婚し、跡継ぎが生まれて早々に当主の寿命が尽きることも多い。
処刑人の家に生まれながら処刑台に立てぬでは家督を継げない。
乞食の方がまだマシと公言する女性だっている。贅沢三昧の暮らしは間違いない。貴族のように有事の際には軍務に就かねばならぬ決まりもなく、税金もほとんどが免除される。そうなると資産の大半は自由に出来るのだが、やはり偏見は根深い。
剣士は太く長いソーセージの頭にかぶりついた。
肉汁が縁の欠けた皿にしたたり落ちる。
羊の腸詰め肉は基本焼く。焦げ目のあるそれを噛みきって咀嚼し終え、胃に落とし込んでからぽつりと呟いた。
「屋敷も解体され、本部と食堂、それに工房の資材になった」
語る剣士の顔は無感情だった。表情を無い風に装っているわけでなく、何も思っていない。
随分と昔のことなのだろうと察せられた。
言われてみれば、ドアの取っ手や階段の手すりは古いが手入れが行き届いていた。
金属部分は植物をモチーフにした彫刻が施されている。その多くは蓮の花だ。
推察するに家紋が蓮だったのだろう。
「焼かれなかっただけマシだ」
「全てが永遠に元のまま、とはいきませんからね」
「ああ」
狂信者はくすりと微笑む。
剣士はむすりともぶすりともせず、無感情に白パンへがぶりと噛みついた。
沈黙の食事が再開される。二人が雑談をすること自体珍しい。
陰気で寡黙な剣士に沈黙を美徳とする狂信者である。
甘く芳醇な紅茶の一口一口大切に味わう。
他のハンターたちは賑やかすぎるほど陽気だ。
その背景に溶け込んで二人向かい合っている物静かな少女のペア。
腕利きたちはそういう性格と知っているので敢えて構わない。
本人も仕事以外で自分から声を掛けることはしない。
駆け出しのハンターたちは羨望と苦手意識で声を掛けられず仕舞い。
結局、剣士は狂信者の他の誰とも言葉を交わさないまま店を後にした。
食事を終えた二人が行く先は決まっている。
今日の獲物をどれにするか決めに、ギルドの依頼掲示板へ足を運ぶのだ。
オーガの振り下ろした石材が砕け散る。
血にまみれた狂信者の鉄拳。
万年の氷河よりも硬く、青空よりも澄み切った女神への信仰が人食い鬼の右腕を撃ち抜く。
手をミンチに変え、衝撃波で鋼鉄と同等の堅さと評される骨が砕けて周囲の肉をかき混ぜる。
森の奥深くに響く鬼の絶叫。
その姿はあまりに情けない。
ついさっきまで巨石すらオレンジのように軽々と放り投げ、片手で引っこ抜いた大木を棍棒にしていたと思えないほど無様である。
攫ってきた村人を食い尽くし、出っ腹をさすってごろりと横になった途端、右耳を切り落された。
それで命に関わらない生命力がオーガの取り柄である。しかし馬鹿で短気が代名詞でもある。
激昂して剣士に襲いかかったはずが、いつの間にやら狂信者と拳をぶつけ合っている。
見た目には柔らかそうな女。だのに何度殴ろうと倒れない。
それどころか徐々に相手の拳が重くなっている始末。
理解の及ばないことに恐怖するより先に痛めつけられた怒りが先に来てしまう。
ことわざになるほどオーガは馬鹿だ。
その点ではゴブリンほどの知性も持っていない。
所詮は待て、進め、退けしか命じられないおが屑脳。
単体で、しかも魔物殺しの専門家が二人がかりとなれば赤子の首をへし折るより容易い。
無論、なんの抵抗感もなく討ち獲れる、という意味である。
無残に潰された腕を見て鼻水と涙と唾液をまき散らす。なまじ頑丈な皮膚を持つために、肉を痛めつけられるのに慣れていないのだ。そもそも腕を潰される経験に慣れるようなものではないが、きっと人生で初めての感覚には違いない。
「痛いだろう? もっと鳴け。いや泣け。どっちでもいい。余韻の深みが増す」
備え持つ筋肉と同じ一切の過剰も不純もない狂信者の殺意と異なる、蛇の鱗に似たざらついて冷たく湿った気配。本能的に、精神の根源が訴える純粋な恐怖がオーガの背筋を悪寒となって走る。自分を獲物と認めた捕食者の姿を確かめる隙も与えられず、脂肪にうずもれ姿を消した首が一刀両断される。
森の奥のそのまた奥に舞う剣の妖精、あるいは死神。
底の見えない黒い瞳で笑む少女は油にまみれた剣を一瞥、鞘に戻さず腕ごとぶらりと垂らしておく。
二人とも息を乱さずにいる。
毎度のように重傷を負う狂信者だが、今回は胴と頭を棍棒で思い切り殴られた。
骨折に内臓破裂も疑われるほどの大ダメージにも関わらず、少女は着崩れた法衣を整えると首を失ったオークの亡骸の前で冥福を祈っていた。片膝をつき左右の指を組み目を閉じた様は絵になる。鬱蒼と生い茂る木々の枝葉の隙間から差し込む光も相まって、教会のステンドグラスに描かれた伝記を思わせる神聖な光景があった。剣士も言葉を奪われ、狂信者の美しく清澄な姿に見とれるばかりだった。
長い金色の睫が陽光を浴びて輝いている。白い肌にうっすらと朱が差しているのも愛らしい。鼻から唇へ流れる横顔のラインも、聖職者というにはあまりにも魅惑的だ。露骨すぎない程度にふっくらと肉感的な唇を見つめていると理性が揺らぐ。
こんな身体でなければ。
剣士は我が身が恨めしくてならない。
同時に嬉しくもあって複雑に絡み合う相反した感情を表情に出すことなく、討伐後の常となった祈りの時間が終わるまで待ち続ける。
彼女も「もう二度とオークに生まれてくれるな」と内心で祈る。
一度味わった恐怖を二度三度と味わわせたところで最初ほどの鮮度は得られない。
一度きりの大切な感情だからこそピークを過ぎれば一息に殺すのだ。などと気取った風を装ったところで、しょっちゅう嬲って嬲って嬲り倒しているのが現実。
それでもグルメ気取りの貧乏舌で構わない。
最高の楽しみは目の前にいるのだから。
この光景を独占できるなら、その他のことはどうだっていい。
紅茶はチャイ派です。