THE KILLER ELITE
月明かりに照らされた古い街道を歩く。
馬借に行き先を告げると「ゴブリンのいる所だけは勘弁願います。シスター様のお足になるつっても、コイツに死なれちゃウチも商売出来ませんです」と断られてしまった。
そのため二人がはぐれの目撃された旧街道へ着いた頃には夜遅く、蒼白い月だけが頼りだった。
最重要とされる七つの都市を結ぶ大街道を基点に、重要度の高い順に安全が保証されていく。
七大都市と呼ばれる町は、かつて魔王を倒した勇者とその仲間が生まれ育った土地だと伝えられる。
光の女神を勝利に導いた一等級の怪物殺し、通称『勇者』の伝説は数多い。
街道にまつわるこのエピソードも、実際はそうした根も葉もない噂が一人歩きしているに過ぎない。
だが理由はなんであれ大街道の利便性と安全性に疑いの余地がないのは誰もが認めるところだ。
悪天候でも足下が柔らかくならぬよう石畳が敷かれる。おかげで嵐でもなければ重荷を乗せた馬車でも問題無い。通行人の身命が脅かされれば精鋭の警護兵が送り込まれ、問題は速やかに解決する。当然、人々は少しでも安全な道を行きたいと思うものだ。そのためろくに整備もされず、警護兵の詰め所からも距離のある街道はみるみる廃れていく。いつしか名前も忘れられ、最後は往来が途絶え朽ち果てる。
この道はかつて存在した漁村と卸売市場の往来に用いられた。
その漁村も疫病の流行によって住民が隔離され、今や地図から村名が消滅して久しい。
教会は診療所や避難所も兼ねているため、狂信者は漁村に関する文献を読んだことがあった。
疾病の種類とその症例を知ることは効率的で正確な治療・看護に欠かせない。
他の見習い修道女たちと古語を読み下したものの『水腫張満ニシテ顔面ハ魚カ蛙ニ似タル』症状を有する奇病の治療方法は不明のままだった。その古書では感染原因を『土地アルイハ水ニ因果ヲ認ム』とし、住民を疎開させ漁港を閉鎖した。以降、この疫病は途絶えたとされる。
「詳しいな」
野草が生えるに任せたあぜ道を進みながら、剣士は感想を漏らした。
艶のない黒髪を歩くリズムに合わせて揺らし、月明かりで肌の蒼白さが一層に美しい。
桃色の薄いクロースアーマーと無骨なベルトを装備、革製のハイヒール・ブーツを履き、小ぶりながら形の良い乳房を強調するコルセット風のアーマーもある。武器は剣が一本と攻防ともに軽装で、鎖帷子や籠手すら身に着けていない。
ほっそりとした長身は肉が少なく、魔物相手に戦えるのか相当に怪しい。
しかし胸元で輝くブロンズのタグが彼女の武功が如何ほどのものかを物語る。
狂戦士の首にかかった板は主の歩くリズムに合わせてぽよんぽよんと踊る。
ゆったりとした作りの法衣にも関わらず、発育の良い身体の主張は隠しきれていない。
「詳しいなど畏れ多いお言葉です。結局、学院を出るまであの一冊すら完全に読めませんでしたから」
文字の読み書きが出来る上に古語の解読まで出来る人間などそう多くない。
しかし謙遜に言葉を返すほどお喋りでもなかった。
「ところで、剣士様のことはなんとお呼びすれば・・・・・・」
剣士はジョブ名である。等級で呼ぶのはあまりにもあまり、かと言って剣士と呼ぶならギルドには五名近い同ジョブのハンターがいる。なので本名とは言わずとも、あだ名か異名でもあるのならそれに越したことはないのだ。
狂信者の言葉に剣士は立ち止まる。
ハイヒールを鳴らして歩く少女の目は真正面の暗闇を見つめている。
腰に提げた剣へ手が伸び「伏せろ」の一言もないまま横薙ぎに一閃。
夜闇に赤い火花を散らす。空を切る乾いた音、鋭い鏃が硬い地面に転がる。
「テリトリーに踏み込んだか」
「その様子。夜闇に野伏せとは巧妙なことです」
首元を切り裂かれることなく狂信者は土埃を払いつつ周囲を見渡す。
柄にたおやかな指先が触れた瞬間、彼女は脚力だけで高く飛び上がり剣士の一撃を回避していた。
風に流され鈍色の雲が月を覆い隠す。幽かな光すら失われ、視界に夜の帳が下ろされた二人は気配を鋭く研ぎ澄ます。
依頼は数匹のはぐれゴブリン討伐だった。
それで軽装だったが、なるほど罠は依頼そのものだった。
道理で馬借が申し出を断ったわけだ。
たかがはぐれに怯える気弱な馬のハズがない。小石を素手で投げる間抜けなど蹄で頭を叩き割っていただろうに。ここに棲み着いているゴブリンたちは、はぐれでもなんでもない。大所帯の群れなのだ。枯れた草木の深い影がざわめく。歪な鳴き声をあげながら、数十の小鬼が二人の少女に狙いを定めた。
「試験を変更する。タイムアタックから撃破数だ」
「承知いたしました。不足多き技なれど、全霊を尽くします」
準備不足は否めない。
先手必勝と互い違いに駆けだして、包囲網へと突っ込む。
てんでばらばらに襲いかかったゴブリンの隙間を縫って包囲を脱した剣士。すれ違い様に首を、頭を、胴体を一刀両断し屍の雨を降らせる。小刀で肌を掠めようとお構いなしに振り返り様の一太刀で左右の雑魚を斬り捨てる。
猛毒が全身に回ったとの確信を打ち砕く剣捌きの華麗さと正確さに包囲網はついに形を崩した。
我慢できぬ辛抱ならぬと我も我もの勢いで剣士に殺到するゴブリンの大波。それを正面に見据え、静かに息を吐く狂信者の蹴撃が不運な一匹の顔を枝から落ちた石榴のように弾けさせる。衝撃波は一団の動きを鈍らせる。どっと崩れた先頭へ後続が覆い被さる形で姿勢を崩す。そこへ――
「聖なる女神よ、我が拳に熱を与え給え。不浄を焼き、友を照らし、御身の威を示す日輪の力を求めり――」
―― 天 罰 ! !
振り下ろされた鉄拳がゴブリンの塊へ叩き込まれる。
それは女神に代り地上に神威を示す、奇蹟の代執行。
神罰の焔が悪鬼の群れを焼き払う。全身を焼く熱さにたまらず悲鳴をあげると炎は口内から咽頭、気管へ入り込み体内までも浄化する。狂信者の面目躍如、奇蹟の中でも神罰執行を授かった物は少ない。金剛のように硬く、清流のように澄んだ信仰心なくしては叶わないとされる。
瞬く間に全身を外から内から灰へと還されたゴブリンは目もくれず、狂信者は仲間の惨劇にたじろぐ残りの小鬼へ狙いを移す。声もないまま接近され、真っ向勝負の術を持たないゴブリンはただ蹂躙されるしかなかった。正攻法で鉄拳剛脚を武器とするタイプのハンターに、それも元異端討伐官に勝てる道理はない。
一匹、また一匹と粉砕される。
拳の一撃で頭蓋骨が粉みじんになる。脚の一撃で身体が真っ二つ。膝の一撃で上半身が消し飛ぶ。掴まれようものなら挽肉にされる。有毒植物の汁と排泄物を混ぜ合わせた猛毒を何度も何度も打ちこまれて勢いは衰えるどころか一層激しくなっている。衣服は裾が破れ露わになった脚は、野性味溢れる奔放さと精緻の同居する艶めかしくも健全な曲線美を描いている。その芸術的な脚が凶器と化しているのだから堪ったものではない。
一撃必殺で屠られるゴブリンは好運だ。
女神像に匹敵する肉体美でもって手折られる命のなんと幸いか。
剣士は徐々に剣筋を遊ばせ始めた。
片腕、片脚、片眼、片肺、彼女はとにかく二つある部位の一方だけを傷つける。そうして負傷者ばかりを増やし、激痛に悶え溢れるゴブリンたちの嗚咽と悲鳴を伴奏曲に妖精も恥じらうほどの剣舞を披露する。銀の残光伴うアラベスク。苛烈な様はアレグロ。シェネで飛び散る血潮が乙女を彩る。剣は指揮棒でありリボン、ヒールに目を踏まれ脳を傷つけられる者もいる。辛うじて一合は打ち合えても、つま先が口へめり込みそのまま下顎から上を抉られる。半身不随と肉片の屍山血河、死屍累々の舞台で踊り狂うプリマドンナの微笑みは同性すら魅了する。
ここに地獄が生み出され、魔王の尖兵たちは生まれ出でた地へと還る。
魔軍だけが地獄を生む手管に通じるわけではない。
同族で殺し合う希有な種族の人類だ。
こと殺しの技巧は千差万別、効率を極める術あれば美を魅せる術もある。
汝、人を侮ることなかれ。
磨けば光るは金属のみにあらず――人類もまた、如何様にも化ける奇跡の生き物なのだから。
道具次第でどうとでもなる辺りが強い。