4 24歳
今日も家庭教師のアルバイト。あの子暗いからこっちまで気が滅入っちゃう。もっとハードル下げたらいいのに、このままじゃ到底間に合わないと思う。
「ああ、苗?暇?飲みに行かない?」
アルコールの過剰な摂取は身体に良くありません。解ってるよ、そんな事。
小学校の同級生だった苗とは、成人式で再会して以来また連絡を取り合っている。何でだろ、苗は私にとって凄く重要な人物のような気がして。
苗は調理師の専門学校に通ってる。栄養管理士の資格を取りたいそうだ。
「別に私、飲みたいんじゃないの。話を聞いて欲しいだけなの。帰らないと心配する?...苗、大好き!マジ親友!」
こういう時、私は飲み過ぎてお店に迷惑をかけるから、家で飲もうと苗が言ってくれた。私はコンビニで缶チューハイを見繕い、上機嫌で苗の住むアパートに向かった。
「うちに泊まるって連絡した?」
苗の家に来ると、料理は美味しいし、部屋は綺麗だし、とっても楽しい。泊まっても嫌な顔しない。私の心配ばっかりして気を遣ってる。なんてイイ子なんだろう。
「苗と結婚したい!」
「もー、真面目に!」
怒っちゃって。かわいいなあ、苗は。
「解った。真面目に話す。私ね、もう別れようと思うの」
「それ先週、彼と話し合ったんじゃなかった?」
今日のおもてなしは、野菜たっぷり鍋と特製ゴマだれ。下手な外食よりずっと美味しい。幸せ。
「駄目なの。もう私達、終わりなの」
「ちゃんと話して」
「...兎に角、見た目が駄目。だってもう嫌悪感だもの。何であんなに肥ってんの」
「高校の時運動してたんなら、それがなくなると太っちゃう事あるよ。ご飯のカロリー減らして頑張ってみるって、この前決めたじゃない」
食物繊維が溢れていそうなコリコリ食感の鳥団子。苗がハマって研究の末に出来上がったというこの胡麻だれが最高に美味しい。
「だって、腹立つもん。あいつは何もしないし。苗に毎日夕飯作って欲しい」
「私は晴子の家政婦さんじゃありません」
苗は本気で少し怒ったみたい。私の事を晴子って言う時は、本当に結構真面目な話の時。
「ごめん。何だかんだで7年付き合ってるけど、本当にもう愛せなくなっちゃったの。ご飯作ってあげる事すらストレス溜まるの。こんな自分も嫌だな...ねえ、どうしたらいい?」
「愛せないとか...じゃあ愛している時は、晴ちゃんは何をしていたの。お雑炊と麺、どっちがいい?」
「店か!麺で」
「はい」
「高校2年で付き合い始めた頃は、もうのべつ幕無しなわけよ。なんせ両想いだったからね。受験も二人で頑張ったの。大学卒業したら結婚しよって言って、目標に向かって一生懸命やったの。今思えば1番良かった時かも。それで大学ん時に浮気したからね、あいつ。今思えばその時に冷めちゃってた」
浮気か、いっそもう一回浮気してくれたらスパッと別れられるのに。それいい作戦かも。苗に言い寄ってもらって、現場証拠押さえて、騒ぎ立てれば...さすがに絶交されるだろうな、これは。
「まあ一番は弘樹が就職してない事かもね。大手企業に就職するものだとばかり思ってたから、私...」
「何で?頭良かったから?」
「別に普通だった。でもカッコいいサラリーマンになると思ってたんだけどな」
苗が溜息を遠慮したように短く息を吐いて何か言いかけた時、苗の携帯電話が鳴った。
苗は廊下で誰かと話してる。
あーあ。何か良い事、無いかなぁ。面白い事も無し、ただ毎日を消化しているだけって感じ。高校に戻れないかな、あんなに楽しかったのに。やっぱり、恋をしていないからじゃない?私まだ23だもん。
弘樹と付き合った後に告白してきた三上君。彼もなかなか良かったよね、彼と付き合ってたらどうなってたんだろ。大学にもまだ何人かいたし、連絡すれば落とせる自信がある、けど...やめとこ。仲間内じゃ、実は私も浮気してたのがバレちゃうかもしれないしね。君子危に近寄らず。
苗まだかな。暇だと憂鬱な事ばかり考えちゃう。
私は廊下のドアをちょっと開けた。電話をしている会話が聞こえる。
「でもね、私とみゆきちゃんが...こうして...では無いよ。全然。うん、ううん。ありがと」
「なんだ、真木かぁ」
私が言うと苗はビクッと身体を震わせて、慌てて携帯をポケットにしまった。
「何?」
「ううん。いきなり声かけるから」
何か、嫌な感じ。
「晴ちゃん連絡しなかったから、みゆきちゃんから電話が来たんだよ。だから言ったのに...」
「あの男...もう束縛しないでよー。高校の同級生にまで電話かけてまわるなんて!」
「帰って来なかったら、心配するんじゃない?」
「苗は何でそんなにいい子なの?」
「別にいい子じゃないよ...もう。皆に迷惑かけてるのは晴子だよ?弘樹君のせいだけじゃないよ?みゆきちゃんが今度、弘樹君と晴子と呼んできっちり話させるからって言ってたよ」
「いいよそんなの...」
何よ、偉そうに説教しちゃってさ。今日の苗は面倒臭いから、もう帰ろ。
私は荷物をしまって、上着を着て、玄関に向かった。
「迷惑みたいだから帰る」
「晴ちゃん、聞いてよ」
「今日はいい。今度」
「酔ってるんでしょ、危ないよ」
「平気。近いし」
「まあそうだけど...じゃあ弘樹君に迎え」
ドアを閉めた。外は、寒い。凄く寒い!アパートの階段を降りて、トボトボと道を歩き出す。世の中は私に冷たいなー。そりゃあ一気に酔いも覚める...。
涙が出てきた。
苗を怒らせちゃった。どうしよう、酷い態度とっちゃった。もう嫌われちゃったかも。
何で私、こんなんなんだろ。
何で苗は、いい子なんだろ。
何で私は苗みたいになれないんだろ。
高校の時だよね、私が間違ったのは。弘樹と付き合ったのがそもそもの失敗。だってそもそも、弘樹と付き合うの4回目だし。喧嘩ばっかりしてたし。苗と違う学校に行ってお互い知らない期間をやり直したいな、何もかも。
日記。
私の頭の中に、幼い日の記憶が蘇る。
あの日記は 過去に戻れる。
私は走って家に帰った。何か言ってくる弘樹を無視して、部屋に篭って日記を取り出して、布団をかぶった。
もし戻らなかったら、明日苗に謝ろう。