2 小学五年生
「せいちゃーん」
私は夢を見ました。
一生懸命やっているのに、何も上手くゆかない夢。違ったかな?一生懸命やらなかったから、何もかも上手くゆかない夢?
「せー」
お母さんが呼んでいます。
晴子。私はこの名前が嫌です。この前名前の由来を聞く宿題があって、名前は好きなんだけれど、男子が阿呆だから...漢字の違いもわからない、馬鹿ばっかり!
あれ?私、寝ていたの?
「なーにー?」
私は大きな声で返事をしました。
廊下に出ると、お母さんは玄関にいなした。
「晴ちゃん、ほら。苗ちゃんがプリント持ってきてくれた」
「せいちゃん、大丈夫?みんな心配してるよ」
クラスメイトで一番の親友の、苗ちゃんがランドセルを背負って立っていました。どうしてか、私はパジャマ。
「もうぐあい良くなった?」
「お母さん、私どうしたんだっけ?」
お母さんは少し眉をひそめて、私のおでこにぴたっと手のひらをあてます。
「熱は無いんだけど...頭痛いの、治った?」
「うん。痛くない」
「良かったね。明日は学校、来れるね!漢字検定の申し込み、明日が締め切りだからって先生が言ってたから、一緒に6級の勉強しよ」
「漢字検定..」
そういえば、先生が前にお知らせをして、私は5級を受けたいと先生に言いました。
「ありがとう。明日学校でね」
「うん。じゃあね、お大事に」
私はリビングで、お母さんが剥いてくれた林檎を食べながら、インターネットを使っていました。
「お母さーん」
夕飯の仕度をしているお母さんを呼びます。
「んー」
「漢字検定さぁ、1級受けてもいい?」
「1級ってすごく難しいんじゃないの」
お母さんは火を止めて、こちらに来て、モニターを覗き込みました。
「...初めてでしょ。5級がいいんじゃない」
「じゃあ2...3級。私、出来ると思うよ」
「確かに晴は漢字得意だけど...まあ、やってみたいならいいんじゃない」
本当は1級も出来るよ、と言いたかったけど、思い出したんです。私は5級を受けるつもりだった事、それを日記に書いた事。インターネットのページには、1級は大学生以上向け。どんな問題が出るかも知りません。でも、私は1級に合格した事があるんです。そんな気がしました。
「こら、せい!?」
私は林檎を咥えたまま、自分の部屋に駆け戻りました。本棚から日記を取り出して、広げます。日記は昨日で終わっていました。でも違うのです。
日記の後のページは消しゴムをかけたような跡があります。昨日までこんなじゃありませんでした。次のページも、次の次のページも。
そして最後までそうでした。この日記帳、こんなに薄かったでしょうか?
その時私は何となく、この日記帳の魔法に気が付いたような気がしたのです。
誰かが書いた跡のある気味の悪い日記帳ですが、その上から私は毎日日記を書いています。他の日記帳を使うわけにはいかないし、ちゃんと消しゴムをかけてあるので...その跡も、進むにつれて段々薄くなってきています。
昨日、先月受けた漢字検定の合格発表があって、私は2級に合格しました。去年、あの不思議な夢を見た後は3級に合格したのですが、あまり皆と差がつきすぎるのは良くないという事がよく解りました。先生も吃驚していました。
でも気を使って挑戦を諦めるのは違うと思います。でもいきなり一番上の級は良くないだろうと思って、今年は2級です。
苗ちゃんは、凄いねと言ってくれました。本当に良い親友だと思います。苗ちゃんも、去年だめだった6級に今年は合格しました。
国語の先生がとても褒めてくれたので、学校ではちょっと有名になり、漢字の女王と呼ばれています。女王は恥ずかしいと思います。
今日はお休みで、家族揃ってお出かけです。その時2級の合格の発表をするつもりでした。
それなのに、朝起きてリビングに行くと、お母さんがお父さんに「晴ね、2級合格したの」と言っていたのです。
「どうして知ってるの!?」
私は大きな声で言いました。だって、お母さんがそれを知るには、私の日記を読むしかないからです。
「日記を見たんでしょ!見ないって約束したのに!!」
「晴」
「どうして見るの!?お母さんの馬鹿!!」
「晴...」
私は部屋に篭って泣きました。子供だからって、親だからって、プライバシーの侵害が許されるのはおかしい事です。日記なんて一番見られたくない物なのに。
馬鹿馬鹿しい事ですが、私はお母さんが必死に謝ってくるものだと思っていました。今日はお出かけがあるのですから。
「晴子、ごめんね。もう出かける時間だから、出て来なさい」
「晴、皆行っちゃうぞー」
私は余計に頭に来ました。なんて軽い、誠意の無い謝り方なんだろう。前はこんなに意固地にならなかったのに、出て行くのはもう私のプライドが許しません。
「せーいー」
お父さんの苛立つ声が聞こえます。怖いので、声が聞こえないように私は布団に潜り込み
ました。
「いいよ、もう置いて行こう」
「晴、行っちゃうからね!」
自分が悪い事をしたくせに、何時の間にか私がすっかり悪者みたい。
お母さん達が、階段を降りて行く音が聞こえました。少し焦りました。出て行かなくていいのかな。
玄関鍵が締まりました。どうしよう。本当に置いて行かれちゃう。
車のエンジンがかかりました。こんなに怒らなくても良かったかも...私は大急ぎで階段を駆け下りて、玄関の鍵を開けて外に飛び出しました。が、時既に遅し。家族は私を置いて出かけてしまいました。詰まらない事で意地を張ったばっかりに...。
私は涙声で文句を言いながら、とぼとぼと自分の部屋に戻りました。こんなはずじゃなかったのに。楽しいお出かけのはずだったのに。私は日記を取り出して、早くも今日の日記を書きました。
お母さんと喧嘩して出掛けなかった。
ごめんなさい。帰ってきたら謝ろう。
昨日に戻れないかなあ。
その時玄関のドアが開く音がしました。戻ってきてくれたんだ!私は大急ぎで部屋を飛び出し、そして、車の音がしていない事に気が付きました。
階段を途中まで駆け下りて居ました。廊下のは誰も居ませんでした。しかし、ぎし、と床を踏む音がしました。リビングから。私は固まったまま動けませんでした。
「お...父さん?」
男の人の気配だと思ったのです。
車を何処かに隠して、私を驚かせる為にこっそり帰ってきたんだといいなと思いました。そんなわけ無いと知りながら。
私の予想は半分だけ当たっていました。
知らない男の人がリビングから顔を出しました。私を嘲笑うかのような半笑いを浮かべて。
さっき鍵をかけなかった!私は大きな悲鳴を上げて、階段を駆け上がりました。
男の人は怒ったような事を言いました。でも何と言ったのか、よく聞こえません。
私は部屋の鍵を閉めましたが、ばん、ばんとドアを叩く音、ノブがガチャガチャ回されています。怒声も聞こえますが、相変わらず言葉が聞き取れません。
きっと逃げられない!私は咄嗟に日記に手を延ばし、1枚ページを捲りました。早く眠らなければ...その時部屋のドアは痛ましい音を立てて開き、逃げようとする私の首が何か強い力によって押さえつけられました。




