運命にお別れを~せめてもう一度だけ~
お待たせいたしました。言い訳をどうぞ。
ユリダリス・フォン・フィルデンが俺に与えられた名である。
この国の有力貴族であるフィルデン侯爵家に生まれた、第一子であった。
物心が芽生える頃には侯爵という地位にある者として教育をされていた俺は寡黙な父を見習い、表情の乏しい子どもであった。
それでも多少はあった表情が皆無に等しくなってしまったのは弟が5歳になった頃であった。
弟のリュシアンには魔法の才能があった。
魔法の才能というのは何がきっかけで、どのように判明をするのか、そういったことは解明されていない。
分かっていることは才のある者が開眼した瞬間、大きな爆破のような状況になるという事だ。
例にもれずリュシアンがその才を現した時も予兆など何もなかった。
普段通りのただの日常の中で、唐突に弟を中心にまるで竜巻のように部屋の中を突風が吹き荒れた。
突然の出来事に泣き叫ぶリュシアンを傍にいた母が抱きしめている。
突風と動揺で動けていなかった俺は母に燭台が飛んで行った所で咄嗟に母を庇うように二人の元へ駆け寄った。しかし、次いでくるであろう衝撃に目を瞑ったが、訪れるはずの痛みはなかった。
恐る恐る瞼を上げると燭台は足元に転がっており、静まり返った部屋には弟の泣き声だけが響いていた。
今度は何が起こったのか訳が分からなかったが事態が収まっていることに安堵した。
その後、色々と調べたところ、リュシアンには魔法を扱う能力が、俺にはその力を安定させる能力があることが判明した。すなわち、俺が傍にいればリュシアンの力が暴走することはない。という事になる。
それが判明してから己の力を恐れるリュシアンは俺にべったりとなった。
俺は俺でなるべくリュシアンを動揺させないようにとリュシアンの前で感情現さない様にした結果、多少はあった表情筋は死滅していくことになった。
社交界に顔を出せる歳になっても相変わらず表情筋は働くことがなく、美女と名高い母譲りの顔がさらに冷たい印象を与えるようで男同士はそれほどではないが、令嬢たちには恐れられているようだった。
「恐いと言うより憧れが強すぎて近寄れないってのが正解じゃないか?」
そう言ったのは王太子であった。
侯爵、という身分から、同い年の王太子とは幼いころからの遊び相手の一人にされていた。
さらには危険だからとあまり近づけない魔法に俺が傍にいれば近づけるという事で色々重宝されてしまったのもある。おかげで公式の場以外では砕けた言葉使いになってしまっている。
「別に、どちらでも」
「恐かろうが憧れだろうがどっちでもいいってことか?」
「ああ」
どうせそのうち然るべき相手を紹介され、それに従ってその相手と政略結婚するだけだ。
相手がどう思っていようともどうでもいい事である。
「ユリダリスは恋をしたことがないんだな」
「…は?」
「恋だよ恋。したことがないだろう」
「意味が、ない」
恋など一時的なまやかしで、意味のあるものではない。
「意味?それこそ、恋には必要ないことだろう!恋は人生のスパイスだ!」
「………」
たまに、こいつが王太子であると思うと将来がたまらなく不安になるのは俺だけであろうか。
「いらん」
「いらないとは女性に対して失礼だぞ。女性はもっと敬うべき存在だ!」
「…いらん」
「いらんというお前の人生は何が面白いんだ!!」
「………」
人生に面白さなど、必要だろうか。
俺には伴侶を持たないという選択肢は用意されていない。かといって家のしがらみがあるから誰でもいいとはならない。
恋など、意味がない。そんな風に思っていた俺が、彼女を見たのは毎年行われる夜会であった。
その年にデビューをする子息、令嬢が参加をする夜会は国主催のもので特別な理由がない限り王都に住むすべての貴族の参加が義務付けられている。
そんな夜会の中で、彼女は目立っていた。
顔つきはそれなりに整っている。それよりも王都では見かけない漆黒の髪色とそれを際立出せるような白い肌が人目を惹いていた。
それよりなにより目立っていたのは彼女の衣装であった。
想像のつかない製法で染められた、黒とも青とも言えず、ただ単にその色を混ぜただけにも見えない、その不思議な色合いで染められ、綺麗な濃淡のついたドレスはその場にいる女性の目の色を変えるのに十分であった。
「東の国で染められた布ですの。紺色、と言うそうですわ。残念ながら染め方は教えていただけませんでしたが輸入の話は進んでいますのよ」
彼女はこの夜会で相手を探すのではなく、貴族の女性に商品を売りに来てた。
ドレスに興味津々の女性たちはどれくらい輸入の予定なのか、いつ売りにだされるのかと熱心に彼女に訊ねていた。
この国で海に面し、輸入を生業としている領地はリアキャタフのみである。彼女がリアキャタフ伯爵令嬢であるのは明白であった。
そんな彼女を面白くなさそうに見ている人もいた。
「田舎者は意地汚い」
「潮くさい人」
分かりやすく中傷をされても彼女は晴れやかに笑った。
「その田舎で潮くさいと言われる海で作られた真珠で胸元を飾り、他国から輸入されたシルクで身を包むあなた方に言われても、笑い話にもなりませんわね」
至極全うな返しに彼女を嗤った令嬢は真っ赤になって黙り込んだ。
令嬢同士の小競り合いなど夜会では見慣れたものなのに、彼女の堂々とした物言いと暗闇のような髪色を持ちながら晴れた空のように笑った顔がとても印象に残った。
その年、貴族の女性の間で流行り始めたドレスはまさに彼女が着ていた布で作られたものであった。彼女を見下した令嬢さえもこぞって買う様は完全に彼女の勝利を物語っていた。
そんな彼女はデビュタントの夜会に参加して以来、王都の夜会に出てくることは無かった。
それを少し残念に思いながらも、その時はそこまで気にしていなかった。
◆ ◆ ◆
「ほころびが、みえました」
険しい顔をしてそう告げたのは、ドヌール・フォン・リフレシア。
魔法使いの最高位であり、弟のリュシアンの師でもある人物であった。
魔法はあまり身近なものではない。
身に着けることのできる装飾品に魔法を閉じ込めて、守りとして用いられることはあるが、それも高価なもので庶民の間ではあまり出回っていない。
それもこれも魔法を使える人物が少ないと言うのもあるが、その力のほとんどを国の端々に置かれている石碑に使っているからである。
その石碑に力を込めることにより、この国は大きな天災から守られている。その事実を知る者は貴族の中でも少ない。
その石碑に、ほころびがあるという。
ドヌール殿が細い指で示した場所は国の端。リアキャタフであった。
「ほころびとは、どれくらいの規模か」
「それが、ここからではなんとも言えず…申し訳ありません」
王が聞き、ドヌール殿は目を伏せる。
遠くからでは分からなければ、見に行くしかない。
しかし、魔法使いが見に行くと余計にほころびを大きくしてしまう可能性があると言う。
かといって魔法が分からぬ者が見に行っても現状の判断が付きにくい。
リュシアンと共にドヌール殿から魔法の指南をうけ、魔法に左右される事のない俺はこういう時にうってつけであった。
俺が王都から離れることにリュシアンは不安そうにしていたが、あれももう子どもではない。
そろそろ独り立ちをさせるべきだとドヌール殿とも話し合っていた所でもあったので、これ幸いと俺はリアキャタフへと向かった。
リアキャタフは聞いていた以上に活気のある街であった。
街についてからすぐさま石碑を見に行くと、少しだけひび割れが出来ていた。
ここから力が漏れ出し、ほころびとなっていたようだ。
修繕は簡単そうだと胸をなでおろしたが、ひび割れた原因が分からない。原因が分からなければまたいつこうなってしまうか。
原因を探ってみようと考えつつ街へ戻った時に彼女と再会をした。
夜会の時とは違う簡素なワンピースであの時のような艶はなかったが、痴れ者へと堂々と言い返す様はまさに彼女であった。
正直に言えばその時まで彼女の事は記憶の片隅にしか残っていなかった。リアキャタフに行くと言っても彼女と会える保証はなかったし、それが目的ではなかったから隅に追いやっていたと言うのもある。
目立つ行動は避けたいと最初は傍観していたが、男が手を上げた所で飛び出していた。
幾ら今さっき思い出した所であっても目の前で見知った人物が害されるのは気分が良いものではない。
それが余計なお世話であったのはすぐ後に判明をしたが。
「旦那も運がいいねぇ」
彼女、エリィに紹介をされた花街の重鎮だというリーンと名乗った楼閣の女将は面白そうに笑った。
エリィに関しては俺を女将に紹介してすぐに「お父様に知られる前に帰らなくては」と家に帰ってしまっていた。
「ここの警邏隊は訓練されているから、地元の道をよくしってなくちゃ逃げられる確率は低いのさ。旦那は、運がいい」
「…彼女は、領主の娘だろう」
「なんだ、知っているのかい。まあ、侍女なんぞ連れてこの街の裏道を進むお嬢様なんざお嬢以外にはいないけどね。お嬢は領主様の娘。そしてこの街の娘さね」
「そう…か」
この賑やかで大らかな街の娘だからこそ、エリィはあれほど明るく朗らかなのだろうか。
「さて、旦那の部屋はここ。好きに使っておくれ」
「すまない。感謝する」
「お嬢の頼みだからね」
「女将、ひとつ尋ねていいか」
「なんだい」
「街に何か異変はないか」
「異変?特に変わった様子は無いけどね。海が気まぐれなのはいつものことだし」
「…そうか」
やはり原因は地道に街を調べるしかなさそうだ。
「何を調べているのか知らないけど、今日はもう休んだらどうだい。どうせ今は外に出るのは危険だからね。風呂に入るなら用意するよ」
「そうだな…用意してもらえるとありがたい」
礼を言ってずっとかぶっていた外套を外す。
顔を表した俺に女将は瞠目してから笑った。
「驚いた。これはこれは見事な顔だこと」
自分の顔に興味などないが、散々言われているので人並み以上に整っている事は理解しているが、こうも面白そうにされたことはない。
「困ったね。女は別料金と言うつもりだったんだけど、その顔なら金は要らないから相手をして欲しいって子がでてくるな」
「…女はいらん」
「じゃあ男ならいるのかい?」
「…いらん」
眉間に皺を寄せて拒否するとくつくつと女将は笑った。
「まあ、皆には欲しけりゃ落とせと言っておくよ」
「やめてくれ」
「言い寄られるくらいは我慢しな。良い男の甲斐性ってもんだよ。押し付けることはしないから、後は自分でどうにかしな。しかし、旦那。その顔じゃあ調べものには苦労するだろうね」
「どういう意味だ」
「行きゃわかるよ」
含み笑いをした女将の言った意味はすぐに分かった。
次の日、顔が面倒なことになるならと外套をかぶって街を調べようとしたが、顔も出さない怪しい人間に人々は話をしてくれない。これでは原因を探るどころではない。
ならばと外套を脱いで行動をすれば、あちらこちらと女性からは声がかけられるものの、いつも接している女性と言えば遠巻きにこちらを窺う令嬢ばかりのため、あしらい方もよく分からず困り果てることになった。しかも男には目の敵にされて話さえ聞いてもらえない。
結局、這う這うの体で宿に戻ると女将にそら見た事かと笑われた。
「旦那にひとつ、助言をあげよう」
「助言?」
「お嬢を連れて行きな」
「それは、」
「お嬢はリアキャタフの娘だ。この街で生まれ、この街で育ち、この街を愛している。そんなお嬢をこの街の皆は好きで好きでたまらないのさ。お嬢が一緒にいればどんな堅物だっていちころだよ」
「………」
「しかし、お嬢を一番愛してやまないのは父親である領主様さ。その領主様を説得できたなら、の話だよ」
「………」
できるものならやってみろとばかりに笑いながら女将は去って行った。
説得できるかどうかは分からないが、勝算は少なからずある。今日と同じような事になるのなら女将の話に乗ってみるのもひとつだろう。
それに、心のどこかで思っていた。彼女に、エリィにもう一度会いたいと。彼女にもう一度会えるのなら、それだけでも良いと思った。
エリィを探して領主の屋敷の近くまで行くとあの時と同じ侍女を連れて屋敷を出てくるところを見つけた。
声をかけると瞳を瞬いて首を傾げた。この顔が目立つことは分かっていたからもしかしたら見知ってくれているのではと淡い期待をしたが、エリィは俺を知らなかった。
懸命に思い出そうとしている姿に可愛いと思い、そんなことを思った自分に戸惑った。
戸惑いを隠しながらユーリだと名乗ると途端に笑顔になったのを見て、今度はドクリと心臓がなる。
訳のわからない己の感情をひた隠し、女将に言われた言葉をそのまま口にした。
「…女将が、街の事を知りたいならエリィを連れて歩けばいいと」
「あら。この街をお知りになりたいの?」
「ああ」
「そうですか…しかし、残念ながら現在はお父様から裏路地には行くなと厳命されておりまして。表だけならご案内できそうですが、どうやらユーリは裏にもご興味がおありの様子。これではご期待に添えそうにはございませんわね」
「…領主の許可があればいいのか」
「それは…そうですが」
女将に聞いていた通りになったため、用意していた手紙を渡す。
中には碑石についての詳細と俺の本名と家印、そしてこの度の指令で渡されていた国璽の刻まれた手形が入っている。これを見れば領主は会ってはくれるだろう。エリィを連れていけるかはまた別だろうが。
渡された手紙をふりながら小首をかしげるエリィにふと口が緩む。
領主宛ての手紙であるから、中身を開けて確認をするなんてもってのほかだが、教育された令嬢らしく俺に内容を聞き出そうとはしない。それでも気になる様子で分かりもしないのに目を凝らす姿が愛らしかった。
そして次の日、予想通りにリアキャタフ伯爵は会ってくれる事になった。
「まずはこれを返そう」
手渡されたのは昨日エリィに渡した手形だった。
「手紙の内容から間違いないとは思っていたが、娘に聞いても良く知らないとしか言わなくてね」
「エルリア嬢には詳しい事は伏せてあります」
「あまり、危険な事はしないでほしいのだが…勝手に巻き込まれるのは母親似だな」
リアキャタフ伯爵の妻は異国の令嬢だったと聞いている。そして、エリィが幼いころに亡くなったのだと。
「石碑のほころびが大したことじゃなくて良かったが、その原因か…目星はついているのかね」
「…調べるのに苦労しておりまして」
「それで、娘か」
一人娘を心配する親心として伯爵は渋い顔をしていた。けれど、ひとつため息をつくと意を決したように頷いた。
「よかろう。あの子は少々お転婆だからね、一緒に行動しなくとも君が調べものをしていればそのうち手伝う事になるだろうさ。それなら最初から一緒にいた方がまだ安全だ」
伯爵から許可がでたことをエリィに告げると驚いた顔で俺を見上げた。
「…貴方は魔法使いなのかしら?」
当たらずとも遠からずである。
それから、エリィを連れてあちらへこちらへ足をのばしていった。
エリィがいれば大丈夫と女将が言っていた通り、エリィと一緒にいるとあれだけ寄って来ていた女性が「お嬢様の連れなら」とばかりに強引な行動をする人がいなくなった。
目の敵のように睨んでいた男たちもエリィが傍で笑っていると「仕方ない」とばかりに情報提供をしてくれる。
しかし、それと同時にエリィに聞こえない様に街の住民から「お嬢になにかしたらどうなるかわかってるんだろうな」と脅されることになった。
「行きたい場所があるの。いつもはね、行かせてもらえないから」
エリィが我が儘を言ったのはこれが初めてだった。
いつも付きあわせているのは俺の方なのだから、それくらいはお安い御用だと一も二もなく頷いた。
エリィが行きたいといったのは山を登った崖の上だった。
ここまでの道はあまり整備されておらず、確かに令嬢が侍女を連れた程度で来るのは難しいだろう。
その崖の先端にはひっそりと墓が立たずんでいた。
「お母様のお墓なの…お母様がね、水平線と街が見渡せる場所にお墓を作ってほしいって言ったのだそうよ」
「………」
「わたくしは、お母様の事をほとんど覚えていないわ。けれどね、ここで海と街を見ていると思うの。お母様はきっとこの海と街を母と思ってほしいんじゃないかって」
「…そうか」
この時ほど、自分の言葉少なさがもどかしく感じたことはない。
もっと言えることがあっただろうに、出来たのは傍にいて一緒にリアキャタフの街並みを眺めることだけだった。
もどかしい想いは消化される事なく、別れの日が見えてきた。
石碑にほころびを作った原因が見つかったのだ。
それは、ただ街の片隅で起こっていた奇怪現象だった。
毎日毎日どこかの家から食料が消えるという現象であった。
ごっそり無くなる訳ではなく、一人分ぐらいの少量のため被害にあっても騒ぎにはなっていなかった。
街の住人が世間話の中でうちでもあった、うちもあったと同じような事が起こっていることが分かり、騒ぎになったのだ。
それを調べている過程で、そういえば街の端に最近住み着いた親子が買い物に来たのを見たことがないという話になった。
一応、その親子の元に行ってみると、出てきた母親は、家の前に毎日毎日食料が置かれているのだという。
最初はこの親子が盗んだのではないかと疑われたが、街で親子を見た者はいない。
全員がどういう事だと首を傾げている所へ俺とエリィが話を聞いてやってきた。
あーだこーだと騒ぐ住民をエリィに任せ、親子が住んでいるという家を見つめた。
風に反して揺れる植木鉢の葉。
時おり浮いては落ちる石。
魔法の現象と酷似していた。
親子のうち、外にいる母親ならばもっと大きい揺れが起きているはずである。
であれば、家の中にいる娘が魔法を使っているということになる。
魔法であれば、今回の騒動の原因も明確であった。そして、石碑にできたほころびの原因も。
娘が自覚のないままに魔法を使ったのが原因であろう。なんとか抑えられていた力が徐々に漏れ出すことで周りに様々な影響を及ぼしていたのだ。
足元に転がっていた石がカタカタと不自然に揺れたところでハッとした。
抑えきれない魔法は感情に左右される事が多い。今はまだ大丈夫だが、外の騒ぎに怯えた娘が爆破をおこしてしまうかもしれない。
住民をなだめているエリィへと振り向く。
しかし、ここで危険だと言って騒ぎを大きくしたらそれこそ家の中にいる娘を怖がらせてしまうかもしれない。
どう言ったものかと逡巡しているとそんな俺をみたエリィがニコリと笑った。
「皆の話は良く分かったわ。けれど、被害にあったという人の中にすぐさま返して欲しいという人はいて?」
エリィの言葉に皆、首を横に振る。
「そう、ならここでお話をしていても解明にはならないわ。今日はもうやめておきましょう。きっとシルーのいたずらだわ」
シルーとは海辺に住む妖精のことである。
気に入らない人間にいたずらしたり、逆に気に入った人間にはお礼をすることもあるという。
特に怒っていたわけではない住人達はそれもそうだと解散となった。
エリィも騒ぎを聞きつけて来ていた警備隊を連れてその場を立ち去って行った。
何があったのかを説明を一切していないのに、その鮮やかな手並みに関心をする。
人々が立ち去り、ほっとしている母親に俺は声をかけた。
「娘は、家の中か」
ビクリと肩を揺らし、また怯えはじめた母親に言葉を続ける。
「フィルデン、カンダルテ、リフレシア……」
「-っ」
「…リフレシアか」
魔法の力は血に現れることが多い。
魔法使いが生まれたことのある貴族の名を上げていけば「リフレシア」で見るからに反応を示した。
魔法を扱える者は少ない。見つけたからには王都へ連れて行くほかない。もしかしたら、逃げるためにあちこちへ住処を移していたのかもしれないが。
「いつかは見つかることだ」
「でも」
「俺には魔法を抑える力がある」
「…え?」
「王都までの安全は保障する」
「……はい」
うなだれるように頷いた母親と家の中に入ると部屋の端で丸くなって震えている少女がいた。
「ち、ちかづいたら、だめ」
その様子に幼いころの弟を思い出した。
近づくことを怖がる少女にそっと近づきボサボサの頭をなぜた。
「大丈夫だ」
「な…んで」
「俺は、傷つかない」
ぽたりと涙をこぼして、少女は気を失った。
そのまま親子には王都へ向かう日まで俺の借りている部屋で待ってもらうことにした。
いつ暴走するか分からない状態ではそれが一番の対策であった。
帰る、となればエリィに告げない訳にはいかない。
「…明日、この街をでる」
カフェでそう告げると俺から目をそらし、エリィは明るくあれこれと話を始めた。
いつもなら目をみて笑ってくれるのに、ずっとそらされた視線が嫌でエリィを呼ぶがこちらを向くことがない。
こちらを見てほしいと願ってもエリィは決して向いてくれない。
手を伸ばそうとしたところで、エリィは立ち上がり駆け出した。
追いかけて抱きしめた体はとても小さく、なおも顔を見せないエリィに見せてほしいと願っても拒まれる。
「好きだ」
するりと口にした言葉で初めて自分の中にあった気持ちに気が付いた。
認めてしまえばこんなにも簡単で、単純なことだった。
「迎えに来る」
否という言葉を聞きたくなくて塞いだ唇は甘く感じられた。
◆ ◆ ◆
王都に戻ってから迅速に行動をした。
連れ帰った親子はドヌール殿に任せ、俺は父にエリィへの求婚の許可を得るやいなやリアキャタフ伯爵へ手紙をしたためた。
顔合わせの日に着飾ったエリィを見て綺麗だと思ったのに、口からは素直に褒め言葉が出てこなかった。
ただ一言、迎えに来たという言葉に「はい」と返事をしてくれただけで胸の内は踊った。
話がついたからと言ってもすぐさま結婚という訳にもいかない。
フィルデン侯爵家の嫡男として各方面へ報告しなければいけないし、婚約期間も作らなければいけない。
正式な婚約をするまでにも時間がかかる状態に舌打ちをしたい気持ちでいたら、それを見た王太子がにやにやと笑った。
「…なんだ」
「変われば変わるもんだと思っただけさ」
「………」
「恋はいいもんだろう?」
「そう…だな」
エリィを思い出すだけで温かくなるこの気持ちを、いらないとは言えない。
エリィとは手紙のやり取りをしながら、両親への挨拶も済ませ、話は順調に進んでいた。
ただ一つ、エリィが王都来たときにふと遠くを見つめるようにしている事があるのが気になっていた。
エリィはリアキャタフの娘だ。海を愛し、あの街を愛し、愛されている。はたして王都で暮らすことはエリィのためになるのだろうか。
「家督は、リュシアンに譲ることはできるだろうか」
父にぽつりと言ってみる。
おそらくダメだと言われるだろうと思ったが、父は怒りもせず表情を少しだけ緩めた。
「出来なくはないが、難しいぞ。各方面へ納得させることが出来ればの話だ」
父の言葉で決心がついた。出来るのならば、動いてみよう。
エリィに話せば複雑な顔をするかもしれないから、決まってから伝えようと黙っていることにした。
今思えば、歯車が狂い始めたのはそこからなのかもしれない。
「ユリダリス様!!」
ドヌール殿の所へ顔を出すとあの時の少女が飛びついてきた。
この少女の父親はドヌール殿の兄、現リフレシア男爵であった。母親は昔男爵家でメイドをしていたそうで、そこで手を付けられたとの事だ。
兄は女癖が悪いのだと男爵の事を嫌そうに話していたドヌール殿。もしかしたらこの少女以外にもあっちこっちに種をまいているかも知れないとため息をついた。またこんなことがあってはいけないからと現在手を出した女性を徹底的に調べているらしい。
「ユリダリス様。会いたかったです。傍にいてくれなくちゃ、あたし怖いんです」
少女はユリアといった。
ドヌール殿が引き取り、現在はリフレシアを名乗っている。
やせ細っていた身体は少しだけふっくらとしてきており、ボサボサだった髪も整えられている。
まだまだ魔法を扱うのが不安定なユリアは俺がいるとこうして傍にいようとしてくる。
その腕には俺の力をこめた、魔法を制御するための腕輪が付けられているので、もうそれほど暴走の心配はないのだが。弟も昔はそうだったなと思い出すとあまり無下にもできない。
初めて見たときはユリアはもっと小さな女の子だと思っていたが、令嬢であればもうデビューをしいてもおかしくない年齢だった。
リフレシアを名乗るからにはお披露目をしなければいけないという事でつい最近夜会にも顔をだし始めたた。俺の母に教えられた付け焼刃の礼儀作法では令嬢というにはほど遠いが。
遠くとも早めに今の環境に慣れて、感情に左右される事なく魔法の制御を出来るようになってもらうほかない。
早く環境に慣れるには友人が出来れば一番だろうとユリアに「友人をつくれ」と言ったら「わかった」と返事をして男友達を作ってきた。
同性の友人をつくれと言ったつもりだったのに、この状態にはあっけにとられた。
ユリア曰く、「親切にしてくれたの」だとか。それは、下心というのではないだろうか。
同性の友人は作らないのかと聞けば「だって、話しかけてくれないし」と言った。
「ユリダリス様、困る?」
呆れた俺に小首を傾げてユリアが見てくる。
困ると言うか、そのままどこかの誰かに手籠めにされたらややこしい事になる。
魔法使いとしての公表はまだなのに、そんなことになったら目も当てられない。
数の少ない、しかも女性の魔法使いというだけで、公表をしたとたんに手に入れようとしてくる貴族がいるというのに。
さらにどこからかユリアは王太子のお相手じゃないかという話が出始めた。
確かに王太子は「側室に召し上げてもいいかも」なんて冗談半分で言ってはいたが。
頭を抱え始めた俺に、弟のリュシアンが提案をしてきた。
「僕の婚約者とすればいいのではないですか」
仮にでも婚約者さえできてしまえば下手に手を出されないだろうという理由だ。
さらに、リュシアンの婚約者にすればまだまだ教養がないユリアに家に呼び母から教えることができる。
好き同士でもないのにと思わないでもないが「政略結婚なんてあたりまえですよ」と言われると、エリィに会うまでは同じように思っていた俺が言えることはない。
結局、王太子やドヌール殿とも話し合って、ユリアをリュシアンの婚約者に据えることになった。
王太子のお相手としての噂は消えなかったが、婚約者としてしまえばリュシアンが傍にいることに不思議はなく、下手な輩に手出しをされる心配は減っていった。
誤算だったのは、弟が婚約をしてしまったことで俺の婚約がさらに先延ばしになった事だ。多少は兄弟の期間を開けなくてはならない。貴族というのは兎にも角にも手続きが面倒だ。
そんなユリアを中心に巻き起こる騒動の中でもエリィとは手紙のやり取りをしていた。
元々言葉にするのは苦手で、手紙でさえも言葉少なになってしまう己はどうしても送る数が少ない。
エリィからはとりとめのない日常が送られて来て、最後に俺の事を必ず心配してくれる手紙は読むだけで疲れが取れていく。
しかし、ある日から送られてくる数が少し減り、疑問に思っていた所で、内容が多少おかしいことに気が付いた。
送られてきた順番通りに呼んでも何かすっぽりと抜けているような感じになっている。
後から送った手紙が先に来たのかとも思ったが、後から来ている手紙の中にもその部分はない。
おかしいと思っていた疑問は意外な所から解決することになる。
「ユーリ様!」
ある日、ユリアがそう呼んだのだ。
ユーリと名乗ったのはリアキャタフだけで、そう呼ぶのはエリィだけだ。
家族や友人はユリダリス、もしくはユーリスと呼ぶ。
「…その呼び名は」
「ユリダリス様はユーリ様なのでしょう?だってそう書いて、」
書いて。ユリアはそう言った。
自分の失言に気が付いたのか慌てて弁明をしてくる。
「あの、ただ、そう、ただユーリ様のこともっと知りたくて。だから、知りたいとおもったら、手の中にあって、だから、それで……あ、あたしは知らない!!」
逃げるように去っていくユリアの背中を追いかけようとしてハッとした。
エリィからの手紙を奪っていたのなら、俺からの手紙も奪っていたのではないか。
そうとなるとただでさえ少ない手紙の数がさらに少なくなっているか、もしくはユリア奪い始めてからは1通も届いていないのではないか。
まずいと思い、「心配するな」と一言だけ走り書きのような手紙を書いてから近くにいた執事にゆだね、ユリアの元へ行った。
「どういうつもりだ」
「知らない!あたしは何もしてない!ただ、ユーリ様の傍に、行くのは嫌で、だから!」
支離滅裂で何を言っているのか分からない。
「兄さん」
「リュシアン…」
「今は何を聞いても無駄だと思いますよ。被害が手紙で良かったじゃないですか。リアキャタフ伯爵令嬢がここにいれば、そちらに被害があったかもしれません」
「………」
言っていることは確かにそうなのだが、だからと言って許せるものではない。
「もう、するなよ」
「……知らないもん」
「………」
出会ったころのように部屋の隅でうずくまっているユリア。
何を聞いても「知らない」と言い、ため息をつくしかない。
走り書きをした手紙を読んだらエリィは心配してしまうかもしれない。
早めに手紙が返ってくるかと思ったが、エリィから手紙は返ってこなかった。
また奪われたのかと再度ユリアの所へいっても「知らない」の一点張り。
目に入る範囲では見当たらず、女性の部屋の中を探し回ることもできない。
一緒に暮らしているドヌール殿に「探しておく」と言われ、自分で見つけることは叶わなかった。
だがある日、リアキャタフの蝋印がされた手紙をユリアが握っているのを見た。
ユリアは俺の顔を見ると背を向けて走り出し、その場から消えてしまった。
魔法の制御が出来るようになってきたユリアは物だけでなく自分を飛ばすことも出来るようになっていたのだ。
その為にどこかへ飛び去られては困ると位置を特定する魔法をかけた指輪をさせている。
ドヌール殿に慌ててユリアの居場所を聞くと、我が家であるフィルデン侯爵家を示していた。
大急ぎに屋敷に向かい、ユリアを探すと目に映ったのは床に座り込むユリアと傍で立っているエリィだった。
「ユーリ様!」
ユリアが俺をみて呼ぶ。
その名で呼ぶなと言ってもユリアはやめようとしない。エリィの前でやめろと言おうとして思い出した。
「どのようなものであれ、兄さんに好意を持っているからこそしたことなら、ユリアはリアキャタフ伯爵令嬢に害を及ぼす可能性があります」
そんな、弟の言葉が頭の中に反芻する。
まずは2人を引き離さなければ。いや、俺が近くにいれば制御できる。
そう考えてユリアを助け起こすとエリィは令嬢らしく慌てることなくゆったりと言葉を紡いだ。
「お久しぶりです、ユリダリス様。そちらの方にお怪我はありませんか?なにやら慌ててらしたようで、転んでしまわれたの」
ユリアとエリィを早く引き離したいが、ここで紹介しなければ不自然だ。
さっさと紹介だけして離そうとするが気を使ったエリィが話を続けようとしてしまい、それに思わず咎めるようにエリィの名を呼んでしまった。
不機嫌そうに出て行ってしまったエリィが気になるが、ユリアから目を離せば何をされるか。
「あの人が、ユーリ様の…」
「なにもするな」
「………」
ユリアは黙って、何も言わなかった。
エリィに何かされたらと思うとユリアから目を離すことができず、エリィがどこに滞在しているのかさえ分からないため、母なら知っているだろうとリュシアンに手紙を託しておいた。
リアキャタフへ戻るようにとしたためて。
ユリアは俺が傍にいることが嬉しいようでユーリ様ユーリ様とくっついてくる。
ユリアが街を歩きたいと言うから、着いていく。
ユリアが夜会に行くと言うから、着いていく。
エリィが近くにいるのに、会いにも行けない。
エリィがリアキャタフへ戻るまでは、戻るまでは、と我慢をしながら、リュシアンを通じで母に手紙を託す日々。
エリィからは返事はないのかと聞いてもリュシアンの首は横に振られるばかりであった。
それが、間違いであったと分かったのは両親に呼ばれ、リュシアンとユリアも連れて家に帰った時であった。
「大馬鹿者!!」
母にこれほどまでに罵られたのは初めてであった。
「何故、エルリアを迎えに行かなかったのです!あの子は、エルリアはずっとお前を待っていたと言うのに!!エルリアから絶対にお前を行かせるからと言ったわたくしはどういう顔をすればいいの!」
今にも泣きそうになりながら母が言い募る。
「意味が、わからない」
「何がです!ちゃんとリュシアンに手紙を持たせたでしょう!!」
「…もらっていない」
「何を言って…」
母と一緒に傍にいたリュシアンを見ると不自然に笑った。
「あの人がいるから、兄さんは僕に家督を譲ろうとしているんでしょう?遠くへ、行ってしまうのでしょう?」
訳が分からない。
リュシアンは、何を言っている。
「聞いたんです。父さんと話しているのを。兄さんは、ここに居てもわらなくては。兄さんが居なくなったら、僕はどうすればいいんですか。兄さんも師匠も独り立ちをしろと言った。無理ですよ。兄さんが居なければ、兄さんが居ないと、僕は、何もできない」
リュシアンが不自然な笑みのまま、抑揚のない声で言った。
その傍でユリアが俯いて、リュシアンの服の裾をぎゅっと掴んでいる。
呆然としている俺を置いて動いたのは母であった。
パシンと乾いた音がしたと思えば、手を上げた母と、頬を赤くした弟がそこにいた。
俺に背を向け、母は低い声で俺を呼んだ。
「…ユリダリス」
「…はい」
「今から、エルリアがここに来ます。貴方から、話しをなさい」
「しかし、」
「この二人は何があろうとエルリアに近づけさせません。いいですね」
「…はい」
エリィが来るまで、部屋で待っていた。
窓際からは庭が見える。そこに、弟とユリアを連れた母が見えた時に声をかけられた。
「ユリダリス様」
「エリィか」
「何を見ていらしたの?」
「ああ、いや…別に」
今さっきの事をどう説明すればいいのだろう。
考えるように視線をそらす。庭にいる、弟と母とユリア。
言い訳を考えようにも、自分でもまだ飲み込めていない。
「ユリダリス様」
「なんだ」
考えても考えてもどう言えばいいのか。
弟が、何故あのような事をしたのか。
まるで、わからない。
「お別れを、言いにまいりましたの」
耳に入ってきた言葉に勢いよく振り返る。
今、彼女は、何と言った?
「どういう、意味だ」
「言葉通りでございます。ただの口約束ですもの。家名に傷はつきませんわ。お父様にも、そして先程フィルデン侯爵にもお伝えいたしました」
「なっ…」
「わたくしはリアキャタフへ帰ります。さようなら」
今まで、彼女と離れるときにはまたと言っていた。
けれど今、さようなら、と、彼女は言った。
綺麗な礼をとり、俺の前から去っていく彼女を引き止めることができない。
なんて言えばいい?
なんて縋ればいい?
なんて請えばいい?
その背中が見えなくなるまで、俺は何も口にできなかった。
◆ ◆ ◆
あれから、何日が過ぎたのか分からない。
一応動いてはいたが、まるで絵空事のように全てが過ぎ去っていくようだった。
「お前、いつまでここに居るんだ?」
「………」
王太子の執務室で、そう言われた。
いつまで、と言われてもただここには仕事に来ているだけだ。
仕事が終われば帰るだけだ。
「なあ、何故ここに居る?」
「…さっきから、なんだ」
「つまらん」
「は?」
「これでも、俺はお前を友人だと思っていたんだが」
「何を言って」
「追いかけていくための休暇ぐらい、いつでも用意できるのに。なぜリアキャタフへ行かない」
「…追いかけていって、なんになる」
俺はエリィを傷つけた。
泣くまいとしていた最後の笑顔が目に浮かぶ。
追っていって、俺に何が言えるというのか。
「お前の恋はそんなものだったのか」
「なに?」
「お前が、リアキャタフ伯爵令嬢に感じていた気持ちは、そんなちっぽけなものだったのか」
「…違う」
「いいや、違わない。なら何故ここにいる。何故追いかけない」
「俺、は」
「行けばいい。行って、恥も何もかなぐり捨てて許しを請うて来い。まずは、そこからだろう」
「…まだ、間に合うのか?」
「さぁね」
「………」
「間に合ったかどうかなんて、本人にしか分からないさ。で、行くのか?」
王太子の手には休暇届が握られていた。
間に合うか分からない。
もう、エリィは俺のことなど忘れようとしているだろう。
けれど、それでも。みっともなくていい。あきれられてもいい。もう一度、エリィに会いたい。
殴りつけるように休暇届にサインを書き、王太子へつき返した。
「すまない。ありがとう」
にやりと笑った友人に謝罪と礼を言い、一路リアキャタフへと向かった。
許されないかもしれない。
もう会ってもくれないかもしれない。
けれど、俺はエリィに謝りさえもしていない。
許されるならばもう一度、彼女に会い、伝えたい。
愛していると。
この後、街の皆さんに滅多刺しにされる。
ハッピーエンドまで行かなくてすみません。
ハッピーエンドまでの道のりはまだまだ長かった。