鬼、電脳化する
俺が封印から解かれた翌日。騒がしい初日を思い返しつつ俺は昼までゴロ寝していた。
俺が昼飯を食う頃にイツマは現れた。
「はあい、お待たせしちゃったかしら?」
「まあ待ったが退屈はしなかった」
俺は相当古い復刻版だというテレビを指差した。
このテレビと言う奴はなかなかに面白い。わりとくだらない話題は多いがな。
「ああ、テレビね。さっそく慣れてくれてるようでうれしいわ
さて、これから何するか覚えてる?」
「ふむ、3日間で生きていく術を覚えさせる……だったな」
ふふ、とイツマは不敵に微笑む。
「そう、3日間じゃ普通は無理。そこでコレを使うわ」
イツマが出したのは今や見慣れたMAOSだ。
「ふむ、『まおす』とやらか。これをどう使う?」
「大雑把に言えばここに宿っている式神をあなたに宿すわ。
電脳っていってね。その取り憑いた式神からあなたに直接情報をながしこむの。
わかる?」
「いや、よくわからぬが害はないのだろう?ならば是非もなし。
手っ取り早くものを覚える手段と言う事は解る」
イツマはうなずくとMAOSをなにやら弄くっている。
「勇気があるのね。いいわ。手っ取り早く体験してもらうわ。
やれば解るだろうし。驚くだろうけど、本当に害はないからね。
はい、ここに触って」
「うむ」
俺が人差し指でMAOSの画面を触ると何かが俺の中に入ってきた感じがした。
<JMS-MOAS:HOUZUKIのインストールを開始します。
演算領域を計算、フォーマットしています……>
その何かが俺の内部で意味不明なことを囁く。
「む、何かが俺に取り憑いたようだな。これがお主のいう式神とやらか」
「ええ、繰り返すけど害はないわ。あなたに情報を流し込んでいるだけ」
<フォーマット完了。HAL-SsystemHOUZUKIver3,5をダウンロードします。
ダウンロード完了。インストール完了>
俺の視界に重なって半透明の板切れのようなものが重なって見える。
<おはようございます。マスター認証を行いました。
本製品は東亜インダストリアル電制式神「HOUZUKI」です>
「ふむ、わけがわからぬ。これがどうなる?」
「まあ、これを見たら解るでしょ。『基礎教育プログラム』インストール!」
さらに透明の板切れが出てきてそこに何かが表示されていく。
<基礎教養「情報」:パソコン検定初級、MAOS検定初級を習得しました。
基礎教養「英検2級」を習得しました。
基礎教養:「国語」国語総合、現代文、古典を習得しました。
基礎教養:「数学」数学I、数学A、数学II、数学B、数学III、数学Cを習得しました。
基礎教養:「理科」理科総合、化学I、II、生物I、II、物理I、II、地学I、IIを習得しました。
基礎教養:「社会」日本史A、B、世界史A、B、地理A、B、現代社会、政治・経済、倫理を習得しました>
少しも負担に感じることなく俺は無数の学問が俺の物として身についたのを実感した。
それは忘れていたものを思い出すように気味悪いほど当たり前の物として俺の中にあった。
「……ッ。なるほど。情報を流し込むと言うのはこういう事か。
これらの学問を俺の頭の中に送り込んだのだな」
「ええ、そうよ。人によってはアイディンティティを脅かされる事だけどね。
どうかしら、これでも続けられそう?駄目ならそう言って」
アイディンティティという英語を俺は理解していた。それが空恐ろしい。
知らぬはずの知識が当たり前のように有る。
もしこれで嘘を教え込まれたらと思うとぞっとする。
「……たしかに恐るべき事だ。俺の中に元からあった知識とまるで区別がつかぬ。
これは簡単に人の人格を書き換えることもできようぞ」
「ええ、そうね。それは本当のことだわ。でも安全性は確かめられている技術なの。
それはあなたがすでに「学習」したでしょう?」
俺は学習した内容をかすかに思いかえす。その中に光る記憶があった。
歴史の記憶だ。
「ああ、これはあの魔術師……HALが作ったものなのだな。
ふ、ははは。あの男、あの大言壮語を叶えよったか!
く、は、はは……HALよ。これがお前の王道楽土か!ははは!」
俺の頭の中にはあの男が歩んだ歴史が頭の中にあった。
あの男の皮肉げな笑いが目に浮かぶようだ。あいつは歴史の記述の中からきっとこう言っている。
『驚いたでしょう?』と。
その通りだ。まだまだひ弱な人間にすぎなかったお前が魔術を公開し、妖怪の存在を公表し、
果ては戦争まで起こしたと知ってはもはや笑うしかない。
いやいや、旧知の人間が総理大臣になったよりも笑える。歴史上の偉人あつかいとはな!
さらに驚いた事は奴がこの200年後の時代にもまだ生きていることだ。
「あちゃー……やっぱりおどろくわよねえ。ええ、そうよ。あなたを封印した人の一人。
パトリック・R・ハルマン。通称HALがこの大魔術時代を作ったのよ。
その過程はもう知ったわよね?無茶苦茶よ」
イツマは顔を覆ってため息をついた。
「ふん、俺を封印した連中は軒並み出世したようだな。あの剣士と魔術師は国士になったか。
それで、お前は俺をディンゴという検非違使か賞金稼ぎのようなものにしたいのだろう?」
俺のような封印から目覚めた力ある妖怪のたどる道はだいたいディンゴとよばれる賞金稼ぎか検非違使のような低級官吏らしい。
要するに犯罪者や害獣を体を張って止める役だ。
まあ、実際俺のような根無し草の力自慢など荒事にしかつかえんだろう。
「ええ、そうね。そうよ。でもディンゴを馬鹿にしたものじゃないわ。
私もディンゴだったの。だから解るわ。夢も冒険もそこにあるって」
「なるほど、毎週のように世界の危機になっているこの時代にあっては花形の職業、ともあったな。
冒険をしたいならディンゴが一番だとも」
イツマは必死に弁を尽くす。なるほど、イツマにとっては嘘ではあるまい。
おそらくはディンゴとやらで出世したから今の地位があるのだろうから。
「ええ、胸躍るような冒険もあるわ。腕っ節だけでのしあがっていける業界よ。
そして犯罪者やテロリスト、害獣や未知の脅威、ありとあらゆる敵から民や社会を守る尊い仕事でもあるわ」
熱意と建前が半々。だが、嘘ではない。イツマにはイツマなりの経験があって薦めるのだろう。
それはディンゴという職業について語る時の熱意で解った。
だが俺はあえて冷たく尋ねる。
「その敵とやら、かつての俺たち鬼と何の違いがある」
「ないかもしれないわね。でも、この時代そういう敵になるのはだいたい望んで堕ちて行く人たちだけ。
自分の意思でそういう風になった人たちがほとんどなの。
彼らにも選ぶ権利があったわ。それだけはこの時代の誇れる事よ」
その誇りだけは嘘ではないようだ。このイツマという女は綺麗事を本気で信じている。
否、綺麗事を現実に実現するために全力を尽くしているような女なのだろう。
危うい。だがそれは美しい姿勢だ。
「ふん、選んでそうなったから滅されても文句は言えぬ、か……
なるほど、どれほど選べる道があったかは知らんが、確かに生まれで落ちることはないわけだ」
「ええ、それはあなたにも言えること。あなたの自由よ。
この人生をドブに捨てるのも、まっとうに生きるのも。
それに一応言っておくとまだあなたには選ぶ権利があるわ。ディンゴ以外の道もあるのよ」
「ふむ、聞いておこうか。そのほかの道とやらを」
イツマは指折り数えながら淡々と言う。
「研究者に神祇省、自衛隊あとは何でも。
料理人からお菓子職人にプログラマ、ファイナンシャルプランナーまでなんでもよ」
「ふむ……俺のような封印からとかれた者には特別な免税があって、今なら無料でなんでも学習できる、どんな資格試験でも受けられるだったな?」
「驚いたわね、もうそこまで把握しているの」
「もらった知識は生かさねば損であろう」
イツマが遠慮がちにおずおずと聞いてくる。多少の罪悪感というか気まずさがあるのだろう。
「それで、どうするの?やめる?」
「いや、毒食らわば皿までだ。とりあえずはお主を信じさらに知識を得よう」
「解ったわ。ありがとう。じゃあいくわね」
そう言うとイツマはMAOSを操作して容赦なく情報をダウンロードさせてきた。
<基礎教養:「保健体育」を習得しました。
基礎教養:「家庭科」を習得しました。
基礎教養:「映画」を習得しました。
基礎教養:「ゲーム」を習得しました>
「これは要るのか?」
「意外と要るわよ。あると想像力がぐっと広がるから」
<基礎教養:「東洋魔術」陰陽道、神道、真言密教、修験道、道術、気功術を初級で習得しました。
基礎教養:「西洋魔術」ヘルメス学、カバラ、エジプト魔術、GD団10=1、錬金術を初級で習得しました
応用教養:「現代魔術工学」魔術情報工学、魂魄理論、PSY工学、医療魔術を初級で習得しました>
「ほう、興味深いな。あとでじっくりと思い出すこととしよう」
「あとはこれで終りよ」
<基礎退術:「空手」「柔道」を初級で習得しました。
応用教養:「自衛隊格闘術」徒手格闘、銃剣格闘、短剣格闘を初級で習得しました>
「ふむ……これは良いな。あとで試すとしよう」
<CM:CM学およびKONOZAMA利用案内、MITUYA利用案内、サンプルミュージックを習得しました>
「おいこれはなんだ」
「いろいろ世知辛いのよ……でもこれ地味に役立つのよね」
「一体何にぞ!?」
「いや、会話のネタに使いやすいのよ。覚えておいて損はないわ」
「うむ……信じるとしよう!仕方あるまい、男に二言はない!」
「助かるわ」
一通りダウンロードが終り、俺は若干の混乱と違和感を感じる。
情報酔いだ。大量の情報を処理するのに手間取っているのだ。
俺は座椅子に深く座り眉間を揉む。なんだか疲れた。
「それで後はどうする?」
「これで終りよ。あと3日以内ならなんでもダウンロードフリー。
脳の問題で記憶容量の上限はあるけど……
手続きはこっちで済ませておくから3日以内ならどこでも就職を世話するわ」
「それで路銀と家を世話して終りか?」
イツマは悲しそうに目を伏せた。だがまあ、これだけやってくれれば破格であろう。
別に責めているわけではない。こやつも仕事、それだけだ。
「そうなるわね。でも1週間は相談を受け付けるわ。
その間基本つきっきりだし」
「ふむ……ならばイツマよ。正直に答えてくれ。
俺はディンゴとしてどれだけ通用すると思う?」
俺は茶卓に置かれた茶を飲み干す。ペットボトルの良く冷えた奴だ。
火照った頭を少しは冷やしてくれる。
「そうね……今のままだったら正直出世はギリギリいけるかって所。
ここからさらにダウンロードすればそうね、半年くらいで世界級依頼にいけるんじゃないかしら。
素質としては食べていけるくらいは十分あるはずよ」
「順調にいくならば一線で活躍できる、という理解で良いか?」
「そうよ。素質だけなら十分。でも実戦にいくまでは解らないわ」
「……一日考えさせてくれ」
「そうね、それがいいわ」
俺は畳横たわり、情報酔いに身を任せる。
これは半日ほどで引くらしい。だが今日ダウンロードすることは無理だろう。
そして俺はMAOSを操作する。脳裏に出てくるウィンドウを操り言葉をフリック入力する。
探すのはネットだ。電脳から繋いだネットの海に出て情報を探す。探す。
「なるほど……ネットとは便利なものだな。初心者の俺にさえこれほどのものが探せるとは。
まさに人類の知恵と驕っても仕方あるまい」
何をダウンロードすべきか検索を駆使して探していく。
ネットは便利だ。どんな質問でもすでに誰かがしていてその答えもきちんとある。
集合知の極地という奴だろう。
「さて、少し寝るか。ダウンロードのしすぎで疲れた……」
俺は旅館そなえつけの饅頭を食べて脳に糖分を補給すると布団に横たわって眠った。
忙しくはなかったが、頭が混乱する一日だった。
tips:ディンゴになって出世しましょう