三日目・2
前半はちょっとホラー風味で
私―――レナ・スプリングガーデン―――は、エトナ大森林の南端に位置する、廃村の中央広場に眠られていたようだ。
たった今目を覚まし、何度か頭を振り、意識を明瞭にさせ、周囲を見渡してみる、少なくとも視界内には自分以外に人はいない、暴行を受けた痕もない。
何故こんな場所に一人で寝ていたのか? 端的に言うと誘拐されたのだ、朦朧とした意識の中、複数の男に抱えられ荷物のように運ばれたのを覚えている、とは言え何故か乱暴にされず、図書館で本を読んでいた時と変わらぬ、外出用のドレス姿。
なにか異常はないか確認してみたが、若草色に染めたドレスに縄で縛ったらしい皺があるくらいだった、自慢の金の髪もそう乱れていない。
思い出す、私は朝早くから図書館で本を読んでいた……司書らしい男が飲み物を勧めてきた……見覚えのない男だったが、王立図書館の司書なのだし、さして疑わずに飲んでしまった。
その後急激に眠くなり男どもに縛られ運ばれた……状況から察するに睡眠薬の飲まされ、この広場に放置されたのだろう。
無用心と思われるかもしれないが、王立図書館とはインテリ層が集う社交場として一面があり多くの貴族、豪商、学者が集うのだから、警備は万全なはずであり、人の通りが多い朝に誘拐など考えもしなかった、何より公共の場で睡眠薬を盛られるなど思慮の外である。
何故? 身代金目当ての誘拐だとしたら置き去りはおかしい、暴行目的にしては何もされてない、怨恨? 恨まれるような事をした覚えはないが、私が自覚してないだけかもしれない。
疑問は尽きないが、ここにいても事態は好転しない、私が大森林の南端と断言できたのは、エトナ山が見える方向と大きさで、大体の位置は掴めるからだ。
シケリア大陸南部に位置する、我が祖国たるミリス王国、大森林接し東西に延びた国土で国の何処にいても北を向けば、エトナ山が見える小さな国だ。
「今日は雲がないのね、エトナ山の山頂が見える日は1年に数回、山頂の輝きが見えれば、良い事があるなんて迷信があるけど……」
なんでもエトナ山の山頂は氷に覆われており、太陽の光が反射して輝いて……あ、今山頂がキラって光った、こんな状況でなければ、なんとなく気分が良くなったことだろう、所詮その程度の迷信だ。
くだらない迷信だが、見慣れたエトナ山が嘗て無いほど大きく、普段雲に隠れた山頂を含めた全貌、そしてその威容は正しく大霊峰と呼ぶに相応しい。
相応しいのだが大霊峰に最も近いこの村が廃村となったのは、ここ数年前から森に棲む魔物が強く、しかも数が多くなったからだ。
それにより国は疲弊した、冒険者や狩人たちが、命懸けで手に入れるエトナ大森林の恵みや、魔物の素材は、小さなミリス王国を潤してくれていた……が、今となっては魔物の存在により国家そのものが窮地に立たされている。
「土地そのものは非常に肥えた土壌なのに、農業も牧畜も上手く行かないのは、大森林に近すぎて魔物を呼び寄せてしまうから、東西に長いミリスの国土では警備の人材も最低限用意する事すら難しい」
私はことさら大きな声で、どこからかこちらを見ている、何者かに聞かせるように。
「エトナ大森林南部に魔物が集まってる現状を何とかしなければ冗談抜きに国が滅ぶわね」
私の独白が聞こえたのだろう、かつての廃村の中央―――以前は冒険者たちで賑わったであろう広場―――に不気味な声が響く。
「ケヒッケヒヒッ! そっそうだ滅ぶ、おっ俺の、チカラで……俺がたった一人でくっ国を追い詰めたんだ……」
現れたのは黒いローブを纏った痩身の男、遠くから見ただけならば、どこにでもいる平凡な一市民に見えたかもしれない。
しかし屋外で、しかも20メートルは離れているというのに、放たれてくる腐臭が奴の正体を教えてくれる。
屍人、それは生前に余りにも強烈な執着を抱いたが故に、死してなおその執着を満たさんと蠢く動く死体。
「私の名はレナ・スプリングガーデン、ミリス王国国王より大将軍の職責を任じられし、レヴィン・スプリングガーデンの長姉ですわ」
大将軍、そう聞いた目の前の屍人は、嬉しくて堪らないととでも言いたげに口角を釣り上げる。
「ほっほっ本当に……おっ俺の言うことをきっ聞いたんだな! ゲヒッヒヒ! みっ身分の高いおっ女を差し出せば、くっ国を襲うのを……」
なにやら上機嫌にブツブツ言ってる屍人から目を逸らさず、何気なく歩み寄る―――それでも近づくとこの悪臭には閉口するが―――死してなお妄執の為に動く屍人には、まともな判断力や思考力は存在しない、”身分の高い女”が”目の前にいる”という事実だけ見て、後は自分に都合の良い解釈をしているのだろう。
自慢ではないが私は学識において、同年代でもトップクラスの自負がある、だから知っている、屍人という存在は会話ができるのは上辺だけ。
妄執を読み取り、都合の良い解釈ができる言葉を選べば、勝手に自己完結して悦に浸るのだ、その間その腐った目は周囲を映さず、耳は全ての音を遮断する。
「ヒヒッ! こっこの俺の無敵のぐっ軍勢の前に、ギヒッ! 腰抜けどっどもめ、いっ言いなりだな!」
つまりこの屍人の妄執は女と自己顕示か、実に分かり易い妄執を抱いてるものだ。
拉致同然にこの廃村に連れてこられ、状況は不明なのだが、私がこの屍人に『差し出された』のは間違いない。
王国内の誰かが勝手に私を差し出した? 屍人の要求を唯々諾々と受け入れるなんて、国家の判断としてありえないので個人の暴走だと思うが。
この屍人を始末して帰ったら、父に報告して詳細に調べてもらおう、まったく将軍の娘を拉致するくらい行動力があるのなら、対不死者用の武器でも用意して『ちょっと魔物倒してこい』くらい言えないものだろうか?
屍人など口車に乗せれば、こうして簡単に接近できるというのに、臭いのが辛いですが。
「いっいいか? おっお前は記念すべき俺の最初のつっ妻だ! せっせっ精々飽きられないように……」
ここの住民は魔物の増加により慌てて逃げ出した経緯がある。
つまり必要最低限の荷物しか持たず逃げたのだから廃屋には包丁や農具といった金属製の刃物を見つけるのは難しくなかった。
刃物の手入れなど経験はなかったが、ドレスの裾に隠していた、見よう見まねで錆だけ落とした薪割り用の鉈を、手にし構える……屍人の反応に変化なし。
訳の分からない妄言を垂れる、無防備な屍人の首を鉈で一閃する、肉も骨も腐った屍人の首は思ったよりも呆気なく地面に落ち、気色悪い表情を浮かべ転がる生首に、落ちていたレンガを投げつけ完膚無きまでに破壊する。
人の形をした屍人は感覚も人であった頃と変わらない、首さえ落とせばもうなにもできまい、さてこれからどうやって帰ろうか? 悪臭を放つ死体から離れつつ考えていた。
この廃村と私の家がある王都との距離は、馬車を使ったとして朝に出発し昼頃に着く程度の距離、中間地点にある町を目指すとして、今から休みなしで歩いたとしても夜になってしまう。
現金は持ち合わせがない、その町に知り合いはいない、身分証の類も持っていない……野宿せざるおえない状況に頭が痛くなってきたが、歩いて帰る以外選択肢がない。
私はため息をつきつつ、馬、もしくはロバでも連れた行商人でも通りかかれば良いなぁとありえない夢想をしていた。
―――うっうっ裏切ったな―――
そんな、この世の悪意を凝縮したかのような声が響いて来るまでは……
声を聞いた瞬間私は駆けた、首を落としたはずの屍人の声が聞こえる悪夢のような現象、この現象を起こすのは私の知りうる中で、最悪と断言できるある魔物だけ。
「邪霊だったとはね……逃げ切れるかしら」
走りながら逃げる算段を立てる、先ず邪霊の生態を頭の中で整理する。
一つ、邪霊は意思を持たないものなら何にでも憑依し、妄執を果たそうとする。
一つ、邪霊は自身の肉体を持たず、魂だけの存在であり、何かに憑依しなければ徐々に弱くなる、これは肉体がなければ魂は摩耗するからだと言われている。
一つ、自身の妄執を分割し死体に押し付けることで、己の分身とも言える不死者の群れを作り出す、全て邪霊本体の意思で動くので下手な軍より統制がとれている事例が多い。
一つ、憑依した器が破壊された時、邪霊は器と同化している為、対不死者用の武器で攻撃すれば、容易く魂が傷つき子供でも倒せるであろう。
一つ、魔法に極端に弱く、例えば死体に憑依している時、魔法で攻撃すれば、例え初級の攻撃魔法でも容易く滅ぶ、邪霊が恐ろしいのは不死者の群れを量産することであって、魔法使いが一人でもいれば討伐は容易である。
はしたないと知りつつも舌打ちしてしまう、ああ、腹立たしい、ここまで私と相性の悪い魔物がいるだろうか、もう一度言う、私は学識において同年代でも、いや王国内でもトップクラスである。
体を動かすのも苦手ではない、馬術も剣術も並みの兵士以上だ、子供の頃から覚えが早く、大抵の事は人並み以上にこなせた、そして女だからと舐められないよう誰よりも努力を重ねてきた……ただ、私は一切魔法を使うことが出来ないのだ。
我が国の人間は子供であっても、簡単な魔法が使えるというのに……
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巣から南に飛んだら、魔物の多さに驚いた。
「アンギャッ(ふっ有象無象どもがひしめいておるわ、なんだ我に食われる為に集まったか? 褒美に我が血肉としてやろう)」
巣を飛び出すと同時に心の拘束具は脱ぎ捨てた、ああ、俺は今輝いてる! 宝物庫から取り出した俺専用メイスも良い感じに格好良い。
鉄素地の良い感じのざらつき具合が無骨で、如何にも『漢の鈍器』って主張してる! それでいて細かい所に施された装飾、尻尾で掴んで振り回すのを想定したであろう絶妙なバランス。
パーフェクトだウォr…じゃなくてヴィーラントさん。
少し開けた場所に魔物の群れ―――昨日なぎ倒した二足歩行の大イグアナ―――を見つけ、不意打ち気味に着地、挨拶がわりにメイスを振るう。
周囲の木を巻き込みつつ数匹の魔物をダンジョンに強制転移させる、確かこの大イグアナからはC級の魔石が採れたはずなので、積極的に狙おう……とは言っても適当に尻尾を振り回せば魔物に当たるといった具合に数が多い、入れ喰い状態だ。
しかしいきなり森の中に現れたドラゴンに驚いたのだろう、魔物共は先を争うように逃げ出すが、そんな事は折り込み済みだ。
「シャギャァ!(逃げるなよ、さぁ我はここにいるぞ、お前たちを食い殺す化物がここにいるぞ)」
とりあえず悪の大物っぽいセリフを吐きつつ、黒スライムの体液が入ったビンを足元に落とすと、途端に芳しい香りが周囲に漂う。
実に食欲を誘う香りで……まぁなんだ、目の色変えて襲ってくる、三メートルの大イグアナがとても美味しそうに見えてきた。
大イグアナはこの辺にいる魔物の中でも上位なのか、それとも群生地だったのか、特に数が多い、前世の記憶からマグロ食ってる怪獣もどきに似てるので、
味もひょっとしたらマグロに似てるかも知れない、そんな変な事を考えつつ、生け簀に送る。
メイスを振るい、群れて襲ってくる魔物共をダンジョンに転送、数が多いので取り零した奴は、爪で切り裂き、牙で食い殺す。
稀に俺の攻撃を潜り抜け、腕や足に牙を立てる奴もいたが、ドラゴンの鱗の頑丈さはC級魔物にはどうしようもないレベルだ、噛まれたところで痛くもない。
「ゴアァァ(ふっ雑魚め、もっと歯応えのある奴はいないのか?! 居なければこの辺一帯喰らい尽くしてくれようぞ)」
まだまだこの南側は魔物が多い、更に魔物寄せを撒き散らすと、今度は別方向から、猪の群れが弾丸のような速度で突っ込んできた。
見れば額には角があり、正面からぶつかったら痛そうだ、俺は尻尾を地面に叩きつけ、その反動で空に浮かび上がり、上空からメイスを叩きつける。
先頭を走っていた特に体大きい奴は転送したが、残りの猪どもの勢いは止まらない、ブレーキをかける素振りすらない角猪共は、大イグアナの群れに突っ込む。
興奮した角猪と大イグアナの群れがぶつかり合い、乱戦状態になったところで空からメイスを振り回し苦もなく転送、たまに首を伸ばして猪を食べたりしてるところで、突如異変が起こった。
突然地面が盛り上がり、土に中から現れた巨大なワニが大イグアナを捕食しだしたのだ。
巨大ワニの牙に捕われた大イグアナは激しくもがくが地力の差があるのか、抵抗虚しく地面に引きずり込まれ、大イグアナの断末魔の叫びが土の下から響いてきた。
角猪も、大イグアナも混乱しているところに、また地面に引き摺り込まれる、上空から見る限り間を置かず10頭ほど同時に地面に消えた。
スライムの体液はどうやら地面の中にいてもその芳香が届くようだ、一際体躯の大きい巨大ワニがその全貌を晒し、空を飛ぶ俺を見る。
地面から現れた―――土鰐と呼ぶことにした―――巨大ワニは、予想外の敏捷性で空を飛んでる俺に向かってジャンプしてきた、噛み付いて地面に引きずり落とうとしたのだろう。
……が、遅い! ドラゴンの動体視力と反射神経は土鰐が飛びかかってきても、余裕で対処できる、即ち尻尾を振りかぶり、ジャンプした土鰐にカウンターでメイスを叩き込む。
引摺り下ろしたら仲間と襲うつもりだったのだろう、眼下にはいつの間にか地上に出てきたのか、口を開けた土鰐、その数20匹は下るまい、転送された奴は―――地上のワニよりもふたまわり程大きかったので多分リーダー格だったのだろう―――土鰐が消えたのを見て、別の奴がジャンプしてきた。
「ギャギャギャ!(アーッハッハッハ! 土竜叩きならぬ鰐叩きか? 面白い、遊んでやるぞ土鰐共)」
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南の森は面白いように獲物が狩れる、最初は良い狩場だと思っていたが、いくらなんでもおかしい、多すぎる。
魔物にとって体内の魔石は、エネルギー源であり栄養貯蔵庫、魔素さえあればあまり餌を食べなくても生きていくだけならなんとかなる。
だから魔素が濃い地域なら大量に棲息してても、不思議じゃない、とはこの世界の魔物の基本的な生態を教えてくれたマリエルさんの言葉だ。
だが、しかし、それでもおかしい、明らかに肉が好みそうな雑食で凶暴で好戦的で図体がデカく、食い意地が張ってる連中が狭い地域で共存?
ふと黒いスライムを思い出す、あのスライムがこの辺に生息していたら? 風に乗って嗅覚の鋭い連中は集まるんじゃないだろうか?
あのスライムを見つけたのは巨大狼の胃袋の中、あの狼はA級魔石を持っていた、考えるまでもなく食物連鎖の頂点付近にいた奴だ。
食って、苦しんで、俺が見つけた場所で力尽きた? 狼を見つけたのは昨日の事、あの巨体だ足も早いだろう、つまりここに集まってる魔物共は、本来の生息地から黒スライムに誘き寄せられた?
千差万別のスライムだ、そういう事もあるかも知れないと、疑問は一端脇に置く。
俺にとって重要なのはこの森が良い狩場であると言う事実だけだ、気を取り直して狩りを続けよう……その時だった。
不意に……南から吹いてきた風に不快な臭いが混じっているのに気がついた、舌打ちしたい気分で臭いがした方向を睨みつけ。
巨大なゾンビに囲まれる少女の姿を見つけてしまった。
読んでくれた皆様ありがとうございました