機甲兵の逆襲
その日、灰色の雲群が低く垂れ込める大空の下は修羅の巷と化し、阿鼻叫喚の地獄絵図が顕現されていた。
白虎帝国の主君たる皇帝の甥が朱雀王国に来日した折、朱雀王室に不満を抱く反体制派組織の刺客が甥を暗殺。暗殺後の捜査においてこの反体制派組織に朱雀軍の一部が関与していることが判明し、帝国側は王国側に最後通牒を送付した。そして、受け入れ不可能と思われる条件を王国は一部のみ拒絶した。これを受けた帝国は直ちに大使を王国に召還し、宣戦布告を決行した。
これが後に「朱白戦役」と呼ばれる戦争の始まりである。
王暦八九〇年、白虎帝国は隣国である朱雀王国への侵攻を開始した。国境付近に大軍を集結させていた白虎帝国は北、東、南の三方向から朱雀王国内への進軍を敢行し、その総力はおよそ二十万の大軍である。対する朱雀王国軍の戦力は十万にも満たなかった。
大国による小国への侵攻は、「数で勝る」「戦に先駆けて兵力を揃える」という基本に忠実な戦略を踏襲した上で行われた。そして、同時刻には『天空兵部隊』という新兵科を配備した別働隊が標高の低い山々を国境線とした南方から王都目掛けて進撃していた。その上、その部隊には『戦姫』が含まれていた。
戦姫――その者、体一つに神獣の力を宿し、人の身で神獣と同化することで戦略級の途轍もない戦力を保有する生物兵器へと変貌する。その神獣は全長三百メートルに迫らんばかりの巨体を有し、大地を揺るがす獰猛な肉食獣の姿をしており、まさに化け物と呼ぶに相応しい風貌である。
研ぎ澄まされた鋭利な刃物のような爪は大地に深く巨大な爪痕を刻み、その眼光は見る者を射殺さんばかりに剣呑な光を宿し、大気を鳴動させる雷鳴の如き咆哮は、おそよ二〇〇キロ離れた朱雀王都にまで轟いた。
東南北に設置された鎮台(平時に常設される地方の軍事機構)は瞬く間に撃破された。戦姫含む南方部隊、およそ一〇〇〇名を最大の脅威と判断した朱雀王国軍は、その進路を阻害するように十倍の兵力である一万もの勢力で迎え討とうとした。
しかしその努力は神獣の放った一発の激烈な熱線攻撃により水泡に帰すことになる。万物を消滅せしめる大火力の熱光線は射線上の地面を綺麗に半円に削り取り、猛然と突撃する朱雀騎馬隊を一瞬の内に消し炭に変え、色めき立つ残りの朱雀軍は白虎騎兵隊がたちまち蹴散らした。
その間にも北と東での戦闘は数で勝る白虎軍の一方的な優勢で進み、朱雀王国軍は徐々に戦線を後退させていくことになる。北と東で辛くも戦線を維持しようとする朱雀軍を尻目に、南方部隊は恐るべき速度で進軍し続け、僅か五日で王都に到着した。
馬蹄が地面を打ち鳴らす音は、朱雀軍にとって死神の足音のようであった。ここに至り、天空兵部隊が大空に飛び立ち市街へ向けて『空爆』を開始した。市街を囲う高い城壁の遙か上を通過し、気球を用いた弓矢も届かぬ高空から火を点けた油を落として回る攻撃方法で、補給の要所となる軍施設や集落に火の手を放つのだ。
飛行空域があまりにも高すぎるため、朱雀軍は直接的な迎撃手段を取ることができず、一方的な被害を受ける。そこに追い打ちをかけるように地上の騎馬隊や歩兵部隊の侵攻が始まり、朱雀軍は陸と空の両方から攻撃を受けることになった。
高く聳える大門を突破されると、市街に狂乱がぶちまけられた。白虎軍は一切の容赦なく殲滅作戦を開始した。腹に矢を受け転倒した朱雀兵は疾走する騎兵に踏み潰され、地べたを這いずり悶絶する朱雀兵に逆手で握った剣を振り下ろし、恐慌状態に陥った新兵が何度も朱雀兵を刺突して、空爆を受け火だるまとなった朱雀兵を弓矢で撃ち殺す。
街路が夥しい量の血液で蚕食され、赤い軍服を着た兵士たちの死体がごろごろと転がり、あちこちで火の手が上がり降り落ちる火の粉に、煙と血と肉の焼ける臭いが混ざり合う空気。怒号、絶叫、悲鳴、咆哮、様々な声が不協和音となって空気を震わせ、飛び散る血飛沫、首を切り落とされ間欠泉のように噴き出す鮮血、街路の至る所に生まれる血の池地獄などが狂宴を演出する。
圧倒的物量に攻め立てられた朱雀軍は、僅か一時間で戦力の大半を失いなす術なく制圧されていった。
市街から一キロ離れた小高い丘で戦局を俯瞰する白虎の戦姫は勝利を確信し、神獣状態のままその強大な声量を持って朱雀王国第十七代国王ウルフサルク・I・クップファーに対し、朱雀全軍の武装解除及び全面降伏を要求。
「兵力で劣る貴国に選択の余地はない! 猶予は六時間、その間に要求が呑まれぬ場合は我が全力の咆哮で、王都を一切の痕跡なく消滅せしめる!」
要求と言う名の脅迫であり、王都の残存兵力も微々たるものである朱雀軍は否が応でもその条件を呑むしかない。そのことは朱雀内閣と王室は理解しており、内閣及び王室の文官・武官に至るまでありありと諦観を滲ませていた…………たった四人を除いて。
「朱雀の旗を掲げよ!!」
要求開始から一時間、曇天の薄暗い空から裂帛の気合と共に迸った一喝を聞いたのは、白虎軍二等天空兵のカルハ・ラーシャであった。彼は視線を眼下の燃える市街から持ち上げ、周囲を見回した。すると北の方角、王城の屹立する場所から少し離れた上空に一つの影を捉えた。
目を凝らして注視してみると、その影は人の形をしているように見えた。しかし彼は自分の目を疑った。何故ならその影は彼の乗る気球と同じ高さ、つまり高度三百メートルに存在したからだ。こんな場所に人がいるわけがない。仮に朱雀側の『亜人』が城の頂きから跳躍したとして、城の高さを加味しても最高到達点はせいぜい四〇メートルにも届かない。
常識的に考えればそう結論付けられる。しかしその論理は、常識の範疇を超えた者には通用しない。
鋭い風切り音がしたと彼が認識した時には、彼自身は体を縦にまっすぐに切断されて、血飛沫を上げて即死した。それと同時にパンパンに膨らんだ気囊も乗員用の小さな籠も丸ごと綺麗に真っ二つにされ、残りの乗員二名は真逆さまに地面に落下していった。
その謎の現象に続くように、今度は地上で異変が起こった。王城の方向から猛進してきた一名の亜人が、火の粉を吹き飛ばしながら躊躇なく渦中に飛び込んだ。続いて雷鳴が轟き、強烈な金色の閃光が白虎軍の数人を撃ち殺した。
朱雀軍の新兵科にして少数精鋭部隊『機甲兵部隊』、朱雀王国王女と宰相はここに至り、最終兵器を投入。彼らの登場により戦況は瞬く間に逆転していった。
空の亜人が風もかくやという速度で『飛行』し、五〇を超える気球を目の留まらぬ速さで次々と切り落としていく。対して陸の亜人は、人間を超越する膂力を発揮してある時は屋根の上を、またある時は建物の壁面を疾駆し、縦横無尽に戦場を駆け巡りながら黄金色の『弾丸』を掃射していく。
そして駄目押しとばかりに、遂に朱雀の戦姫が出張って神獣と一体化する。そして高みの見物を決め込む白虎の戦姫と対峙し、牽制を仕掛けてきた。戦姫同士の直接対決、大規模な闘争が始まろうとしたその時には市街に攻め込んだ白虎軍はほぼ壊滅状態に陥り、士気を取り戻した朱雀軍が巻き返しを仕掛けていた。
戦況の逆転に得体の知れない新兵科、あと一歩のところまで敵を追い詰めた白虎軍は撤退を余儀なくされて、天変地異と同等される神獣同士の激突は回避された。
新兵科による強襲作戦は電撃的な成功を収め、この劇的な大どんでん返しをきっかけに朱雀軍の逆襲が始まった。機甲兵たちは国中の戦場を駆け回り、白虎軍を友軍と共に各個撃破していった。戦況は機甲兵の登場により激動し、白虎軍は打って変わって守勢を展開する羽目になった。
そして開戦から半年、白虎全軍は国境線まで押し返されて朱雀軍は大逆転勝利を収め、その僅か一ヶ月後に休戦協定が両国で締結され「朱白戦役」は幕を閉じた。