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雨夜の魔闘

どこからが天なのか。どこまでが地なのか。

人の姿もない夜闇にシトリシトリと雨音の響く、丑三つ時。


北上するモノどもがいた。


地形を考慮せず、障害物をものともせず、音もなく。

童が壁に懐中電灯の光を駆けさせるかのように、無数の影が、スルリスルリと。

思い思いの軌跡を描きつつ、北へ。西へ。


枝葉が広がるように、分岐に分岐を重ねて。

千代田区から始まったそれらは、荒川を越えることはせずに、広がり行く。


変化が起きた。

散らばっていたそれぞれが、集まっていく。

まるで何かに吸い寄せられるように、それぞれに進路を修正していく。


東京都練馬区某所。

川に沿う形で設けられた、木々と遊具との集合した、そこへ。

日常の地に切り取られた非日常のそこは、遊園地。雨の夜に人1人なく。


いや……独り。


敷地中央に高く在る、海賊船を模した乗り物の、そのマストの頂上に。

黒い外套が濡れて、その体躯をしっとりと包み込んでいる。その下には。

上面に金糸で五芒星を縫い描いた学帽。金ボタンの古風な学ラン。


彼だ。

昨晩の彼だ。

東京を臨む高速道に、その上空に、魔闘を演じた彼だ。


その腰には一振りの長剣を帯びている。

かつてポーランドに滅ぼされたドイツ騎士修道会の遺産剣。カッツバルゲル。

聖別されていたであろうそれは、この夜、妖気を纏わせてここに在る。


ベンチの下から。遊具の下から。土の下から。

筋骨隆々たる鬼が、鬣長き馬頭人が、一つ目の大型犬が現れた。

シャッターの裏から。自販機の裏から。タイルの裏から。

狩衣を着た狐が、甲冑を着た人骨が、貫頭衣を着た河童が現れた。


ありとあらゆる陰から立ち上がったモノども。魑魅魍魎。

東京を這い回り、ここに集った影たちである。

日中は多くの家族連れが昼食をとるであろうスペースは、今や人外魔境と化した。


「馬鹿と煙は高いところを好むと言いますが」


最後に現れたのは人間だ。この雨に傘もなく。

スーツの着こなしも流麗な、細身の、若い男性である。

その手には扇子。口元に隠されているのは笑み。怜悧にて残忍なる。


「滅ぼす前に確認してもよろしいですか?」


パチリパチリと開き閉じる扇。射るような眼光が放たれている。

高みからの返答はない。黒き彼はまるでガーゴイルのようだ。

動かぬ身で、ただ雨を受け、夜都の海賊船を守護しているとでもいうのか。


「先だって『日高』の筑波研究所を壊滅させたのは……貴方ですね?」


問う間にも化物の数が増える。10、20……大小様々に増え続ける。

ごく小さきをも数えたならば、百に届くか。百鬼夜行か、これは。


「貴方は何者なのです? どこから来て、何を望むのです?」


ゾロリゾロリと、包囲網が狭まっていく。

海賊船は3階建ての建物の上にあるが、最初の化物は既に屋上へ到達している。

東京の、住宅街の真ん中で、船上の戦いを演出しようというのか。この雨夜は。


「まぁ、いいでしょう。口も利けぬ魔性の者よ。ただ滅びなさい」


船に群がり。マストによじ登り。化物たちが迫ろうとも。

彼は動かない。雨に濡れて、風に吹かれて、静かに見下ろしている。

その眼差しは深遠だ。遥かな星を思わせる。善も悪もなく、ただ遠く、無縁だ。


動いた。その白手袋の手を、腰の剣へ。

それはしかし抜剣できるものなのか。鍔の金細工と鞘のそれとが絡み合っている。


抜けるのだ。

金属が生き物のように変化する。植物の成長を早めて見るように変化する。

スルリと解け、抜き放つ動きを妨げることなく、刀身をあらわに。


ギラリと光を反射した、その鋼の姿。

両刃で、その刃の部分を除きびっしりと呪言が刻まれている。


「なんと!?」


 挿絵(By みてみん)


跳んだ。

水気を含んだ重い外套をはためかせ、落ちる。いや、滑空する!

速い! それは重力の加速を超えたスピードで、地面へ逓減曲線を描いた。


その行く先は、誰もいない何もない場所。

静かな着地。そして斬り上げるように一閃。残心は切っ先を高くそのままに。


「ば……馬鹿な……」


何もないはずのそこから、赤い赤い血潮の飛沫が上がった。

次いで滲むように現れるスーツ。驚愕の顔。落ちる扇子の一面。

それは先程から言葉を発していた男性と瓜二つだ。ではあちらは?


いない。

代わりに、1枚の人型に切り抜かれた紙が、舗装された地の上で雨打たれている。


「私の遁甲術を見破るとは……!」


どしゃり、と倒れ伏した。

血の臭気も雨気に染め流され、広がる紅も夜雨の黒に暈し消えていく。

有象無象の化物たちもまた、ただの1匹も残さず、かき消えていった。


地へ向けて一閃、水滴を払うと、彼は剣を納めた。

スルスルと蔦草のように金色が蠢き、剣と鞘とは再び捕え合う。


歩きだす。人並みの靴音だ。

遊具の合間を抜けて、運動場を抜けて、裏口へ。

正門の造りとは打って変わって無愛想なそこに、車が一台横付けされていた。


運転席から白髪の老人が出て、後部座席を開けて迎える。

びしょ濡れの外套を老人に預けると、彼は剣の帯を解いて車中へ入った。

後部座席には既に1人いて、その剣を受け取る。


「お見事にございます」


彼と同様の服装をした少女だ。剣をさも大事そうに膝に乗せた。

ゆっくりと車が動き出す。その小さな反動にすら、少女は頼りなく揺れた。

首の座らないような挙動に、目深に被っていた帽子が落ちた。


艶やかな黒髪が広がった。白磁を通りこし、青ざめた顔がそこにある。

唇も紫色で、目の下には隈が濃く、やつれてもいる。


そうであっても、なお、美しい。


大きな黒瞳は円らで愛らしく、強い意志を示す眉は真摯な忍耐を示している。

こけた頬もその清楚な有様を崩せていない。むしろ儚さをさえ感じさせる。

軍服のような男装がまた、少女の健気を際立たせてやまない。


弱さに堕落しない気概の、一輪の花。それが彼女か。


「極力、魔力を使わなかった」


彼が言う。その視線は車窓に向けられている。

帽子を難儀して拾った少女は、被りなおし、これも難儀して居住まいを正した。

そして微笑む。雪山にチラリと咲く小さな花のように。


「お気遣いありがとうございます。お陰さまで命を長らえました」


言葉とは裏腹に、死の気配が少女を取り巻いている。

衰弱なのか。目を離すと消え去ってしまうような、そんな危うさがある。


「眠る」


告げるなり、彼は目を閉じる。

瞼を下げるだけのそれが、どうしてかくも荘厳であるか。

まるで天国の、あるいは地獄の門が閉じていくかのような、その瞑目。


注目せざるを得ない。緊張せざるを得ない。

それはある種の大きな儀式なのであって、もしも妨げられたならば。


災厄が訪れるだろう。荒ぶる神が天地を砕くが如くに。


閉じた。恙無く、何事もなく。

知らず車内から失われていた雑音が戻ってきた。

運転席で、助手席で、長く大きく息が吐かれた。


「ハルちゃん……えっと……大丈夫?」


助手席から身を乗り出したのは、どこか眠たげな眼差しの女性だ。

少女の存在を確かめるように、つま先から頭上までを何往復も見る。


「かなり堪えましたが……死にはしません。休めばもう1度やれます」

「……しばらくは静養できるわ。大丈夫、状況は悪くないんだから」


苦悶を歪めて笑みにしたような、女性の表情。

老人にすら見える。あまりにも痛々しい、無理やりな、その笑顔。

一方で、少女の笑みはどこか達観していて、これも痛々しい。


両者とも、1つのことを諦めている。

少女の命が遠からず失われることは、もはや。


「『天桐』の追跡はこれで頓挫。『日高』には陽動が上手く作用してる」


誰に聞かせるでもない、女性の呟き。

運転席の老人は、自らの職分を徹底するかのように、ただハンドルを握る。

少女は目を閉じつつも浅い呼吸を繰り返している。深く眠るのを恐れている。


「時間を稼がなきゃ。とにかく……時間を稼がなきゃ、なのよ」


律儀に信号を守り、北へ。

雨夜の奥へ、4人を乗せた車は走り去っていった。

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