三船秋生EYES-Ⅲ
「あ、やっぱりこいつで良かったんだ? 自信なくてさー」
「ばっちグーだよー。流石だよ冬彦君。時給上げちゃおっかなー?」
「時給制やめない? ねぇ、リサ先生。成功報酬的なのにしない?」
どういう空気だ、ここは。
見れば、棚の一角には大小様々の銃やナイフ。
その隣にはガラスケース。宝石、骨、草、土、骨董品などが並ぶ。
さらに隣には、コンピューターの山。無数のパイロットランプが明滅している。
トラックは誰が運転しているのだろうか。
常識的な走行をしているようだ。信号で停まる気配もある。
「座って座ってー。ええと……何て呼べばいいかしら?」
「説明を」
「んー、じゃあ、お父さんって呼べばいい?」
「……三船秋生」
「秋生君、お疲れ様ー。ね、ほら、座ってジュースでも飲んでてー?」
とりあえずは安全、なのだろうか。
眼鏡男……冬彦という名前のようだが、そいつは壁を背に文庫本を読んでいる。
漫画か小説か判別がつなかい本だ。とりあえず表紙のアニメ女の胸はでかい。
座る。赤ん坊は相変わずだ。
大丈夫なのだろうか……この大きさだと、頻繁に食事するのでは?
排泄もそうだ。股を触ってみたが濡れていない。
「えっとー、その子、普通の赤ちゃんと違うから、そーゆーのないんだよ?」
リサ先生とやらが言う。作業服の女。
いつの間にか隣に座られていた。どこか人を油断させる人物だ。
害意がないということか。いや、それよりも。
「普通じゃない?」
「え、だってそうでしょ? この子、卵生だよ?」
らん……え、何だって?
「日本列島が産んだ珠玉だもの。私たち哺乳類とは、たくさん、違うかなー」
「……説明を」
「んー」
困ったように首を傾げる。
チラと眼鏡男の方を見た。こちらを見ている。
……散弾銃は棚に戻されている。ジャケットの内側にはあと何がある?
「これ以上を聞いたら、戻れないけれど……それでもいーい?」
仲間になるか、殺されるかってところか。
どこまでも日常のぶっ壊れた朝だな、今日は。
俺は今、薬物混入を恐れてジュースも飲めないでいる。
両手の塞がった状態。走行する車中。隣の作業服女はともかく。
眼鏡男は飛び道具の使い手で、恐らく近接格闘もやる。今も間合いの内だ。
あの折り曲げた左脚は俺に届く。常に重心を最適化している。
既に虜囚も同然だ。
それでも拘束はされていない。
むしろ気遣われてすらいる。どういうことだ。
作業服女の雰囲気が俺に期待させる。
託せるのではないか? 協力できるのではないか?
クソ、第一印象で油断するなんて、あっちゃならないことなのに。
「……赤ん坊は?」
「その子を救い出すために7人死んだわ。今朝も1人」
静かな目だ。荒々しさも衒いもない。
熱意はないが、無表情というわけでもない。
これは……覚悟を決めたものの眼差しだ。
待て。今朝だって?
「タンクローリーとBMW?」
「上野のおっさん、いい人だったんだけどな。髭かっけーし?」
間に合わなかったんだ、と小さく付け加えた。眼鏡男の表情は伺えない。
トラックは停止している。鳥の鳴き声を模した電子音が響いている。
人の気配が湧き、消えた。トラックが発進する。
覚悟、か。
あるぞ、俺にも。
笑われるかもしれないが、構いやしない。
俺は今、この子のために、命を使いたくて使いたくて堪らないんだ。
凄いぞ。物凄く欲が出る。死に方を夢想していた俺なのに。
平和、平穏、幸運、幸福……明るく贅沢なものが全部が欲しい。
諦め? 何だそれってくらいだ。
世界があわせろよ、この子の為だけに。
笑えてくる。
善も悪もどうでもいい。清浄も汚濁もどうでもいい。
尽くすってんでもない。奉仕でも利他でもない。
我欲なんだ。
俺が幸せなんだ、この子が幸せであることを思うだけで。
この子は俺の子じゃない。守り育てる義務も責任も権利もない。
ましてや俺の所有物でもない。俺との間には何の繋がりもない。
出会った奇跡だけがある。
この奇跡だけで、俺は、既に救われているんだ。何て朝だ。
俺の目の届かないところでもいいんだ。
俺が側にいないほうが、むしろ望ましい。
一点の汚れもない世界で、優しさと愛に包まれて笑って欲しい。
その為に、生きたい。
これは……愛情というものなのだろうか?
少なくとも無償じゃない。充実感と陶酔とがある。力も湧く。
狂ってるのかもしれない。
これまでとは別の方向に、勢いよくハンドルをきられた感覚がある。
俺は変わった。この朝に。大変化だ。笑うしかない。
これは覚悟だろう?
昨日に立ち返ることなく、このままに、生き抜こうというんだから。
「俺は、この子の幸せを、望む」
噛み締めるように言う。
これは宣誓だから。俺がこれからをどう生きるかという、宣言だから。
作業服女と、眼鏡男とを見やる。
「アンタたちは、どうなんだ?」
眼鏡男が答える気がないようだ。
挿絵でもあるのか、本を押し広げて、何やら満足げに眺めている。
チラと見えたが、何というか、凄いタイトルの本だ。よく恥ずかしげもなく。
作業服女はにこやかだ。
夏紀を連想する。ときどき、こういう笑顔をする。
何かくすぐったくなるような、そういう笑い方だ。
「私たち『月盟騎士団』はね、その子を護るために組織されたのよ?」
神子。
シーツに包まって眠るこの赤ん坊は、そう呼ばれているという。
慎重に、丁寧に紡がれる説明は、何だか詩の朗読でも聞いているようだ。
古今東西、人類でその存在を知らないものはいない。
一方で、その何たるかを正確に解説できる者はいない。
言葉が描く「意味の波紋」。
無数の波紋が重複するそこに、正体がある。
約束の子。 予言の訪れ。 超人類。 進化の岬。
転換点。 革命の炎。 希求未来。 変革の申し子。
超位存在。 独尊者。 知らしめる者。 真の霊長。
乱暴に纏めるとするならば……救世主。
天の精が舞い降りた。
地球上のどこよりも先駆けて、この平成の日本列島へ。
地の胎が愛しみ育んだ。
人外の寿ぎ。聖なる受肉。白磁の殻で覆われて……卵。珠玉なる。
生まれ出でたる子よ。神子よ。
深き深き眠りはいつ覚める。どこで覚める。何を見る。誰を見る。
君が目覚めたならば、その日こそは、始まりの日。
空前絶後の何かが始まる、その最初の1日となるだろう。
「……前世紀末に、『卵』は産まれたの。フォッサマグナのどこかで」
詩を唱え終わった作業服女が、険しい表情で言う。
あまり深刻な感じがしないのは、そののんびりした雰囲気のせいか。
「糸魚川を流れてきたの。桃太郎さんみたいよね?」
さん付けするような知り合いでもないが、そうかもしれない。
普通の出生ではなく両親がいない。桃ではなく卵。昔話のような荒唐無稽さだ。
ん、いや待て。前世紀末だと?
今から20年以上前じゃないか。俺の産まれる前だ。
「拾われた卵は、その霊威から、この国で最も権威ある方術機関に託されたの」
「方術?」
「ええと、法力とか魔術とか霊能力とか、そーゆーのの総称ね?」
話の腰を折ってしまったようだ。コホンと咳払いし、居住まいを正す作業服女。
どうやら彼女らの間では今更な、常識的に過ぎる点だったようだ。
昨日までなら鼻で笑うところなのだが。今やもう。
「宮内庁付特別執行機関『天桐』」
聞いた名だ。あのスーツ男が校長に名乗っていた肩書きだ。
ではもともとアイツらのところにいたのか、この子は。
しかし違和感がある。宮内庁。いかにも平和そうな響きがあるが。
「宗教各界や霊媒師といった、国内の方術エリートが所属する超法規的組織よ」
宗教。宗教か。嫌でも思い出すものがある。だが同一視すまい。
少なくとも、あの村には超常現象などなかった。悪と欲とがあっただけだ。
スーツの男と大坊主には、何かがあった。計り知れない何かが。
「彼らが行ったのは……『卵』の封印」
その方法を詳しく説明されても、そうそう、分かるものでもないが。
要するに、『天桐』とやらは神子が誕生することを望まなかったらしい。
卵を壊しはしないものの、成長を阻害し、長く隠匿していたようだ。
だが、隠しきれるものではないそうだ。
人のいる限り漏れる噂が。各種の超常的な占いや観測が。
秘すことを許さない。『卵』の在ることを蔽えない。世界中で行われる探索。
「5年前、とうとう『卵』の在処を見つけた組織があったの」
「それが?」
「ううん、残念だけど、私たちにそんな組織力はないわ。術でも敵わないの」
悲しそうに言う。見れば眼鏡男も「無理無理」と嫌そうに首を振っている。
よくはわからないが、つまり、この男には不思議な力はないのだろうか。
そして、今更ながら、このトラックがトレーラーでないことを思う。
「あ、えっと、心配しないで? 私たちも実戦部隊だから、心配しないで?」
何か顔に出ていたのだろうか、作業服女がワタワタと手を振り回した。
『月盟騎士団』とやらの保護は、実はそれほど期待できないのだろうか?
この始業前の逃走、俺は最善の選択肢を選んでいないのかもしれない。
赤ん坊を見る。
作業服女の言葉を信じるならば、卵から産まれたという不思議の存在。
何を聞こうとも、この子の幸せを欲する気持ちが揺らがない。
この朝以前がどんどん遠くなる。
それは救いだ。今ほどの充足感があったことなどないのだから。
生ゴミの沼に浸かりきったような昨日までが、遠く。遠く。
確かに救世主だ。俺にとっての、この子は。
『天桐』とやらはやはり敵だな。
この子を世界から隠し、この子の世界を閉ざし、伸び行く命を妨げるのなら。
使命も宿命も関係ない。産まれたからには楽しく生きて欲しい。
「ほら見て? 私たちはこーゆーのが得意なの。無力じゃないのよ?」
手渡されたのは一振りの剣だ。全長は1メートルに満たないくらいか。
しっとりとした黒革の柄が手に吸い付くようだ。柄頭は銀色で、鍔は金色。
鞘は光を反射しない黒色。これも革張りなのか。重さはそこそこ。収まりがいい。
「これはね、もともとは16世紀にドイツで作られた剣なの。凄い物よー?」
「リサ先生ぇ、それって魔剣じゃん。何で持ってきたの?」
「わわ、冬彦君、どうして言っちゃうの!? これから盛り上げてくとこよ!?」
人死にを出していながら陽気な連中だと思う。それにしても。
剣か。何とも前時代的だ。実際に5世紀も前と言われたものでもある。
刀身を見ようとしたが、抜けない。当然だ。
見れば鞘と鍔とが絡み合うような造りになっている。
解除方法のない知恵の輪のようだ。金属の唐草のようで美しくはある。
美術品の類なのだろうか。
使い道を尋ねようとして、思いとどまる。
匂いが、した。
背筋を冷たく撫でる感覚だ。皮膚がピリピリとざわめく感覚だ。
外からだ。窓がないから確認できない。車は走っているようだが。
「……どした?」
じゃれ合うのを止めたのか、眼鏡男が俺に言う。
答えようがない。これは理屈じゃないからだ。ただ、分かる。命の危険が。
「先生、よろしいでしょうか」
壁に備え付けられた管から、くぐもった声が聞こえてきた。女の声だ。
運転席側の壁だ。運転手か、助手席に座る誰かなのか。
「並走する旅行バスがあるのですが、どうにも怪しいのです」
「どういうこと?」
「偽装していますが、どうも『日高』の輸送車のようなのです」
マジかよ、と眼鏡男が嫌な顔をした。
「こちらのことは?」
「気付かれてはいないと思います。ただ、進路が一緒ですので……」
「万が一ってこともあるわー。最短経路はよしましょう。冬彦君?」
「あいあいさー」
眼鏡男はバイクの固定を解き始めている。
最低限だろう1本のローブだけに留めて、棚から散弾銃を取った。弾も装填する。
その過程でチラリと見えた。袖口に光る物がある。何だ?
「ん? これはお前、近接最強の兵器だよ。見たい? 見たいの?」
見たいとは一言も言っていないのだが。
バイクに跨った状態で、ニンマリと笑顔だ。目がキラキラしている。
返事も待たずに、ずいと出された腕。ジャケットの内側に潜ませていたのは。
「ふっふっふ。トンファーだよ、君ぃ。ふっふっふ」
物凄く嬉しそうだ。詳しくないが、そんなに強いものなのか?
「ちょっとサービスで見せてやろう。トンファーの素晴らしさを!」
なるほど、凄い。ト型の武器はそう使うものだったか。
右手だけの演武だったが、それは目にも止まらぬ速度でのものだった。
手品のように持ち手が変化し、時に高速回転し、時に鞭のように空を裂く。
だが、その一々に技名らしきを宣言するのはどうなのか。
得意げに「トンファーフック!」「トンファーアパカッ」などと吠える。
興でも乗ったか、終いには「トンファーキック!!」と足を出した。おい。
「『日高』の機械人形なんて、余裕よ? トンファーは無敵だから!」
いい笑顔で、いい汗をかいている。何だこれ。
既に「匂い」は失せて消えている。やり過ごせたのだろう。しかし止めない。
今やバイクの上で曲芸じみた行為を繰り返す眼鏡男。見事ではあるのだが。
「凄い凄ーい」
「そりゃトンファーだもの! 俺はいつか異世界でトンファー無双するんだ!」
囃したてる作業服女。狭い中で器用に舞い踊る眼鏡男。
ああ……そういうことか。わかってしまった。
これは彼ら流の追悼なのだ、きっと。
あの時、高校裏門へ現れた眼鏡男は言った。機械人形とやりあっていた、と。
さっき知った。朝の交通事故で彼らの仲間が1人死んだ。間に合わなかった、と。
そして今聞いた言葉。『日高』とやらの輸送車。『日高』とやらの機械人形。
本当は戦いたいのだろう、眼鏡男は。仇討ちというやつだ。
だが、そうしない。避ける。何のために? 赤ん坊を危険に晒さないためだ。
「『卵』を奪取した組織がね、『日高』なの」
ついでのように、作業服女がポソリと言った。
「表向きは外資系複合企業の日本支部。その実態は、キリスト教系方術組織よ」