闘イノ果テニ-Ⅰ
それは墜落であった。
白と濁との空中対決は、突如として白の核たる木鉛綾理が高度を
失ったことにより、一気にその形成を逆転することとなった。
猛威を振るっていた9つの風龍もその動きを鈍らせた。たちまちに
防戦一方となり、それも満足にこなせずに劣勢へと追い込まれる。
炎が、雷が、氷が、散々に来襲して龍を削り弱らせていく。
遂にはビルの屋上へと綾理は落ちた。華奢な体躯には大仰と映る鎧は
やはり重すぎたものか、うずくまって動かない。すがるように懐剣を
握りしめている様子はいかにも哀れだ。小さく、弱く、儚い。
その幼子を護るかのように身をくねらせる風龍。しかし及ばない。
大笑のごとく轟音を連続させる攻撃を防ぎきれず、ビルが崩壊した。
綾理は反応しない。瓦礫に混じり落ちる間も、身を縮込ませるのみだ。
既に半減した白風の霊威。密集して耐えることしかできていない。
それでも綾理を穏やかに着地させた。懸命の風力だ。そこへ。
ひと際に巨大な雷撃が、それこそビルのような柱となって一撃した。
大気に帯電の香りが充満し、粉塵渦巻くその中心には。
もはや風の護りもなく、烏帽子も失い、倒れ伏したる甲冑の少女。
意識もないか。か細い呼吸音だけが、彼女の生存を教えている。
姿を見せた影たちがいる。ガイストたちだ。さぞ格好の獲物であろう。
初めはゆっくりと、次第に駆けて群がる数匹の化物たちが、顎を開き。
見えない壁に遮られて立ち止った。
「心を捕えられましたね。何ていやらしいことをしてくるのか」
白い少女の傍らに膝をつくは、黒い麗人。入江恵である。
ならば周囲の化物を寄せ付けない力は魔法だ。『魔力壁』だ。
中級にして玄人好みのそれ。さる世界では精神魔法と分類される技だ。
ガイストの数は更に増し、しかも明確な殺意をもって攻撃している。
牙を剥き、尾を振るい、体当たりし、手だけは静かにペタペタと触る。
しかし揺らがない。隔絶の障壁だ。内には凪いだ平穏だけがある。
「これより私も貴方の心に入ります。助けるためです。治療目的ですよ」
誰に対する宣言なのか。何故かソワソワと周囲を見回して。
『魔力壁』をそのままに、更に魔法を紡ぐ。それは妙技だ。
「では、失礼いたします……『精神感応』」
手袋をとったその繊手を、伏した少女の額へ添えて。魔力が繋がる。
何という魔術。確固たる通路でもって2人の精神が橋渡されたのだ。
その間にもガイストは暴れている。その狂猛をも背景にする驚異。
白黒の美しい秘密の花園には、野獣の入る余地などないとばかりに。
しかし、第三者の目にはただ群がる化物たちが映るきりだ。
天桐の残存兵たちがそこへ駆けつけようとしている。
空に当主の雄姿を見上げつつ、ガイストと死闘を重ねた者たちだ。
彼らには許容できない。当主の敗北も、当主が喰われることも。
無理に接近しようとして、返って犠牲を増やし、近づけない。
それでも試みる。それはそうだ。当主の力を信じてこその決死隊。
天津白風あらば邪妖を払えると、そう信じての時間稼ぎだった。
「慌てるな、日本の戦士たちよ!」
止めたのは、どこか幼い声であった。
再び突貫しようとしていた方術士が、怪訝に周囲を見渡した。
傷ついた仲間の他には誰もいない。声の主はどこにいるのか。
「お主らの当主は無事じゃ。魔導師に護られておる。ここは退くのじゃ」
鳩だ。歪んだ道路標識の上にとまった鳩が、人語を放送している。
それが普通の鳥でないことは明らかだ。元は霊獣か。今は人の道具。
ハイマリアだ。この鳩はハイマリアの神僕なのだ。
神眼でもって戦場を分析し、方術士たちに撤退を指示しているのだ。
「既にカオルコは退いたぞ。お主らも合流するのじゃ。急げぃ!」
その名が挙げられたことにより何かを納得したようだ。
負傷者を回収し、速やかに撤退していく。無傷の者など誰もいない。
一体何人が自衛隊の防衛ラインにまで辿り着けるのだろうか。
しかもそこには嘘があった。
方術士たちを退かせるための嘘。指揮官とは必要とあらば嘘をつく。
巴山薫子は既に戦死している。
霊験兵器たる槍でもって奮闘するも、腕を断たれ腹をえぐられて。
殺されれば敵に糧すると察知しているため、最後は自刃して果てた。
見届けたグロス中佐もまた満身創痍だ。
KOLを大鎌に、大槌に、大槍に、終いには鎖鞭にして戦うものの。
味方の死が敵の補給となる悲惨な消耗戦だ。持久力が続かない。
米軍突入部隊は東京湾へと撤退し、ホーリーアークに回収された。
ガイストには水中適性がないと確認されている。
今や都内における抵抗戦力は皆無だ。
怪雲たるソウルもそれと察したものか。
楽しげに、それはもう楽しげに綾理と恵の様子を見下ろしつつも。
新しい化物を雲間に生み出した。空を裂くように飛ぶ、その姿。
ベノムという名の化物だ。
エイとサメとを合いの子にしたような姿で、高速飛行を得意とする。
長い毒針を射出するという攻撃手段を持つ。それが無数に誕生した。
それが初めて生み出された世界、ソウルの故郷世界においては。
圧倒的な速度で空を支配し、その毒で地上に苦悶を蔓延させた化物。
狙いは明らかだ。
この化物の前には、地上の防衛ラインなど全く意味をなさない。
安全圏という幻想を完膚なきまでに破壊するだろう。恐怖をもって。
被害の拡大はそのままに雲の拡大である。
加速度的に世界が浸食されていくことが予想される。
決まるか。ここでソウルの勝利は確定するものなのか。
ベノムの群れが進発する。虐殺の愉悦に震える吠え声。
そこに飛来したのは長距離空対空ミサイルである。
大爆発の中に滅びていく化物たちを見て、喝采が1つ。
「おーう、ビンゴじゃ! いや、グッドキルと言うべきかの、大佐」
「どちらでもよろしいですよ」
禍々しい空の下に颯爽と現れた戦闘機があった。輝く白銀の機影。
WとAとを組み合わせたようなシルエットは流線的で美しい。
天使連盟の切り札の1つ、次世代型攻撃戦闘機ウリエルである。
複座の前席にはストーム大佐、後席にはハイマリアだ。
この機体は電子制御の多くを大佐の能力に合わせて設計されている。
半ば専用機だ。沖縄から横須賀へ無補給で飛び、すぐの出撃である。
「さあ、まだまだ出てくるようじゃぞ。残らず落とすのじゃ」
「イエスマム、座標をよろしく」
ハイマリアの神眼はベノム発生の予兆を全て看破している。
その精度は凄まじく、殆ど未来予知の域に達しているかのようだ。
まるで機銃の先を選んだかのように産まれ、撃墜されていくベノム。
それはソウルにとっても不快なことであったようだ。
苛立たしげに雷鳴が轟き、百の雷撃でもって戦闘機を襲った。
しかし、それすらも既に見えていたのだ。神眼には。
対霊特殊チャフが予想経路に事前散布されていたのだ。散る雷電。
めくるめく光のスペクタクルを演出しつつ、痛痒なき音速の飛翔。
ならばと、ソウルが生み出したものがある。
それはドラゴンだ。日本の空にドラゴンの威容が現れんとしている。
機銃など通るまい。ミサイルも1撃では致命傷にならないだろう。
だが、それすらも、咆哮の1つを上げる間もなく終わる。
巡航ミサイルである。ホーリーアークから発射されたものだ。
核弾頭でこそないものの恐るべき威力だ。ドラゴンが1撃で沈む。
ハイマリアが予見し、ストーム大佐が誘導したものか。
ベノムで数に頼っても、ドラゴンで質に頼っても、通じない。
この世界における空戦能力はソウルの世界の比ではないのだ。
たった1機の戦闘機によって、東京の空は完全に制空されている。
「むぅ……核はあの辺りか。流石に凄まじき霊威よのぅ」
戦闘機動の合間を縫って、ハイマリアの神眼が怪雲を分析していく。
幼いその身体は遺伝子レベルで強化されており、それが可能だ。
「我々の兵装で通じますかな?」
「無理じゃな。吸収されよう。純粋に霊威をもってする攻撃が必要じゃ」
「あの当主ですか。現在も動かないようですが」
「魔導師に期待するしかあるまい。あれも正体のしれん傑物よ」
そう話す間にも、化物は湧き、雷撃が機体を撃ち落とさんとする。
ことごとくを屠り、回避し、飛び抜けつつ、空戦を継続していく。
ここに事態は新たな膠着を迎えていると言えよう。
そんな激戦の東京を遠目にして。
東名高速道路を急速に東進していく2人乗りバイクがある。
法定速度って何それ美味しいの、というばかりのスピード違反だ。
そう多くない走行車両を律義にウインカーだけは出して縫っていく。
右腕だけで運転している全身包帯男は、名を松島冬彦という。
後部座席で眠るように身を縮めているのは、三船秋生だ。
「世界の終わりだよなー」
話しかけているのか、独り言なのか、どちらともつかない声量で。
「何で世界の危機っていつも日本で起こるんだ? 漫画とかさ?」
風圧をものともせずに語る冬彦である。顔色は見えない。
「それとも世界各地でこんなこと起きまくってんのか? まったく」
もう一度言おう。冬彦である。眼鏡で判断してもらいたい。冬彦だ。
例え全身が包帯でグルグル巻きにされていても、髪も漏れているし。
ミイラ男だかCCOマコトだか知らないが、運転も見事なものだ。
秋生はと言えば、例によって黒ずくめの古風ないでたちだ。
封印された魔剣を抱えている。どこか祈るような風でもある。
目を閉じ、口を結び、額を柄につけて、静かに待機している。
「俺の夢ってさー、異世界に行くことなんだよね」
愛車でないバイクは愛着もないものか、やや乱暴に運転しつつ。
「理由は簡単。この世界が嫌いなんだわ。好きになれんのよ」
それは修羅の告白だ。
戦って戦って戦い抜いてきた男の、本音の発露だ。
「魔法だの超能力だの、そーゆーのって邪魔なんだよね、俺的には」
進む先には正にそんな超常の戦場が待っているというのに。
来し方を思えばそんな戦場を戦ってきたであろうに。
「やっぱ暴力は見えてなきゃ。隣の子供が学校全体を壊し尽くす能力を
持ってるかもしれないなんて、そんな世界じゃ昼寝もできねぇし」
そんな戦いがあったのだろうか。そんな子を殺したのだろうか。
「武器は買えば手に入る。身体は鍛えれば強くなる。技術も学べる。
それだけでいい。生まれ持った特別な力なんて、余計なお世話だ」
嫌そうに言う。
それが暗闘の歴史を生き抜いてきた男の結論なのか。超常の否定が。
多種多様な「特別の力」が鎬を削るこの世界を、拒絶する言葉。
「この世界は狂ってるわ。そら、変なのも招き寄せるってもんだぜ」
言い捨てた。冬彦の目にはこの危機がそう映っているのか。
だというのに行くのか。傷病の身で地獄絵図と化した東京へ。
生還など望めない死地へ。誰のために、何のために、行くのか。
「ま、お前と赤さんには期待してる。多分、お前らが本当の終わりだ」
微かに秋生が反応した。寝ているわけではない。
「赤さんはきっとこの世界を終わらせる。あの子が目覚めた後の世界は
全てが違った世界になる。それこそ異世界じゃん。超期待だし」
嬉しそうに、この世界の終わりを願っている。秋生はただ聞く。
「お前さんはさ、きっとあの子の剣だ。まだ動けないあの子の代わりに
世界を切り裂くもんだ。男の……いや、父親の仕事だよな、うん」
そっと、微かに、秋生もまた頷いた。
背中に当たった帽子にそれを察したか、ニヤリと冬彦は笑う。
「きっちり運んでやっから、ばっちり始末してこい。偽の終わりをよ」




