悪ナル王へ-Ⅲ
「群れで来るぞ、弾幕を張れ!」
都内某所、住宅街。既に無人と化したそこは闘争の巷であった。
朝日に照らされてつやつやと滑るガイストへ向けて銃弾が殺到する。
それらは決定的なダメージには至らない。しかし衝撃は足を止める。
「ゆくぞ、法力・金剛呪縛陣!」
複数の法力僧による霊力の鎖が化物を捕え、動きを封じようとする。
完全マヒは無理でも大幅に動きの鈍ったそこへ。
「討ちとれぇええぇえ!!」
刀剣、槍、槌といった武器に霊力を込めた者たちが突貫していく。
特殊装備の自衛隊員もまた共に走る。そこからは潰し合いだ。
殺人に特化した体躯と顎とは、不十分になってなお致命的である。
犠牲者なしには倒せないながらも、徐々にその比率を効率化していく。
短期間に戦術を向上させているのだ。汎用でない敵は分析も容易い。
それでも、基本性能が圧倒的であるがゆえに、不意をつかれれば。
弾幕の背後から、法力僧の至近に、突破されたならば。
それは甚大な被害でもって人間を打ちのめす。凶悪な強さだ。
士気も錬度も高いが、しかし数がまるで足りない。
敵はこうしている間にも空から降ってくる。きりがないのだ。
しかも敵中に孤立しての奮闘である。部隊間の連絡は難しい状況だ。
それでも抗う。わかっているからだ。
この闘争の敗北は国の、ひいては世界の崩壊に直結するものであると。
じり貧の戦いの中で、唯一、快進撃を続ける部隊がある。
霊験兵器『火之迦八号』を振るう巴山薫子の隊である。
劣勢の他部隊を掩護しつつ、確実にガイストを焼殺していく。
それはしかし、空から見ても明らかなほどであるが故に、狙われた。
突如飛来したその化物は、一見すると甲虫のようであった。
大きさは象ほどもある。無数の長大な節足が生え、顎には大鋏。
節足は触手のようでもある。関節部は粘質で伸び縮みし、節は鋭利だ。
一振りで5名もの命が刈り取られた。次いで突くように15の節足。
それぞれに人間を串刺して、喰らうでもなく、バラバラにして落とす。
一瞬にして薫子は孤立した。彼女のみが節足を払い落していたのだ。
「高天流『火砕渦』」
宣言するなり、大槍を水平に構えた。霊威湧き立ち、炎が渦を巻く。
螺旋状に加速する炎が化物の体表に弾けた。周囲に火が飛び散る。
焦げ、赤熱しつつも、技の名のように砕くまでには至らない。
反撃とばかりに殺到する節足を避け、或いはいなし、払い、打つ。
派手さはないが最小限の動きを重ねる体術だ。陣羽織が裂ける。
再びの火砕渦を放つが、これもまた外骨格に阻まれた。
それどころか化物は薫子へ突進してきたではないか。意外な初速だ。
槍を地に突くなり立ち上がる炎の壁。高天流『炎上逆滝』。
その奔流は巨体を突き上げて揺らがしはした。だが止められない。
いや、違う。これは回避だ。己を空中へと飛ばしたのだ。
薫子は炎をまといつつ、宙にあって化物を見下ろしている。
槍を抱き込むようにして、そのまま落下して刺そうというのか。
化物の複眼が気付いた。節足が死の抱擁をせんとするそこへ。
「高天流『下り火龍』」
これまでになく炎が生じた。それは殺意に呼応して形を変ずる。
まるで牙を剥いた鰐……いや、龍だ。龍が直下へと襲いかかる形勢だ。
幾本もの節足を焼き払い、地の引く勢い以上の速度で化物に直撃した。
甲殻を融かし、砕き、内部を灼熱の業火で焼き裂いて。
その一撃は見事に化物を討伐してみせた。これが霊験兵器の威力か。
しかし、ああ、何ということか。
潰れた蛙、とでも言うべきか。はたまた蛙が潰れたというべきか。
着地に失敗している。大槍の女武士は、アスファルトの上で情けない。
やがて凛々しい表情で立ち上がるも、つーっと鼻血が垂れた。
いや、それだけではない。
よく見れば身を包む甲冑のそこかしこが壊れ、血がにじんでいる。
迎撃の節足によるものだ。全てを無効化できたわけではないようだ。
だというのに。
新たな甲虫が出現した。しかもガイストをお供に連れている。
見上げる雲がいやらしく明滅した。嗤っているのか、ソウルよ。
「死地に至りて天命を思う。生に意義有りや無しや。死に意義有りや
無しや。ただ武をもって省みれば、今を一槍に思い切るのみ」
その囁くような詩吟は辞世の歌か。端正な顔を汚す鼻血もそのままに、
槍を静かに構える。既に周囲に味方なく、傷を負い、疲労も濃い。
まだ少女といって差し支えない年齢だ。その彼女が死のうとしている。
その諦観は重機関銃の斉射によって横槍を入れられた。
凄まじい打撃力だ。通常の弾頭ではあるまい。ガイストの足を止める
どころか、鱗を砕き、四肢を飛ばす。戦闘不能たらしめていく。
それであっても甲虫には跳弾を増やすのみであったが。
「槍のサムライ、も1度、ジャンプ!」
ピシャリと響き渡る命令に、薫子は間髪入れず炎の跳躍を行った。
先程と違い、甲虫はしっかりとその様子を見ている。節足が反応する。
速い。今度は降りてくるのを待たず、幾本もが彼女を貫くだろう。
「RyyyyyYA!!!」
大切断。それは大切断の一撃だった。
死神が実在するとしたらこれか、という禍々しい大鎌の一薙ぎである。
紫紺のライダースーツに包まれた肢体。グロス中佐である。
であれば、その手に振るわれた大鎌はKOLだ。可変聖剣の真骨頂だ。
一撃にしてほぼ全ての節足を切断する絶技。そしてそこへ追撃するは。
「高天流『下り火龍』」
再びの豪撃が甲虫を炎殺してみせて、この一戦に終止符を打った。
濛々と煙が立ち上る。霊威の火焔が化物を焼いた結果だ。
軽やかに着地したグロス中佐と、米軍精鋭部隊が見守る中で。
巴山薫子は、今再びの潰れ蛙となっていた。
大威力の技ではあるが、彼女はそれを完全に習得していなかったのだ。
都内において火之迦八号とKOLが決死の抵抗を見せている一方。
京都御所にその身を映して反撃の準備を整えている者がいる。
天桐当主・木鉛綾理だ。
今上天皇の護送を終え、正式に出陣の勅を得た彼女は、そのまま国宝
使用の許可もまた得た。その身に離さず所持する『天津白風』だけの
ことではない。それが佩剣であるなら、鎧もまた必要であろう。
禊ぎを終えた彼女が白装束の上に身につけていくのは、甲冑だ。
形式としては大鎧である。白糸威と銀の金具が清らかで美しい。
兜はなく長烏帽子だ。背には箙、3本の矢が差してある。
鎧の名を『翔星』、矢の名を『天羽羽矢』という。
どちらも霊験あらたかな品で、日本国秘蔵の国宝だ。
その全身を取り巻く霊威は既にして可視の領域に至っている。
風もない室内であるのに、彼女の薄桃色の髪はゆらりゆらりと揺れる。
紅の瞳は光彩を千変万化させており、人外の美を演出している。
これが、日本国の対霊決戦存在たる姿か。
人ではない。それは人の在り様ではない。妖だ。大妖の脅威の姿だ。
その美は人の範疇を超え、その圧は容易く人の意識を暗転させる。
力を抑え静めていてこれだ。その懐剣が抜かれたならばどうなるのか。
「とても良くお似合いです。凛々しいものですね」
平然と感想を述べた者がいる。
その恐るべき霊気に晒されながら、なんら痛痒もなく、微笑んで。
黒の学ラン、学帽、外套。男装の麗しき美貌。入江恵である。
「移動手段の手配は必要なさそうです。すぐに行きましょう」
「……慧眼ですね。それも貴女の方術ですか?」
「風の属性力でしょう? 知り合いに3人ほど使い手がおりました」
「つくづく底の知れない人ですね……貴女は」
微かな恐れを込めて綾理の言う。不可解な話だ。傍目にはどちらが
恐るべきかは言うまでもないのだが。
「ついて来れるのですね?」
「光の速度よりも遅いのであれば、問題なく」
「わかりました。では我が戦、とくと御覧なさい」
襖が開く。白砂の庭へと歩み出ていくその恐ろしの姿。
眼差しは遥か東を既に見据え、吐息は霊威の風となって地に唸る。
御簾の向こうからは皇もまたご覧になるか。日の本の国の切り札を。
「東へ、疾く」
ふわりと、それが当然であるかのように、地を捨てる。
するりと、それが必然であるかのように、空を飛ぶ。
その身を包むは白く渦巻く圧倒的な霊力。風が生き物のようにくねる。
見るがいい、それは正に大妖怪の畏怖すべき在り様に相違ない。
密度と霊威の強大さからもはや視認できるほどの風の束が、9本。
1つ1つに頭がある。龍だ。風をその身とする大龍が9匹も。
根はまとまって1つ、即ち『天津白風』を帯びる木鉛綾理。
これこそは日本国の守護大霊『九頭龍』の威容である。
かの八岐大蛇を下位眷属とし、あの九尾狐をも打倒した化物だ。
万の風を欲しいままとし、元寇の際には大船団を一夜で壊滅させた。
神ならぬ身で神の如く存在し、しかして国を護る万妖不当の大妖怪。
その力の象徴であり根源であるのが、神威の懐剣・天津白風。
霊妙無双のそれを世界で唯一使いこなせるのが、木鉛綾理である。
雲間に飛翔するその速度の凄まじさ。
音速の壁を幾つも超えて、それでいて彼女には風圧の欠片もない。
この国の空を支える大気は、その全てが支配下にあるのだ。
大気そのものが突撃するかのような白い軌跡。
事実、それは既にして攻撃なのだ。東京を蔽う怪雲へ、勢いのままに。
衝突。
空を劈く万雷の破裂音。響き渡る霊威の天震。
人の領域を超えた攻防の始まりだ。白と濁との鬩ぎ合い。強烈に。
唸りを上げて噛みつき、千切って粉砕し、穿ち、裂き、呑み込む。
それは壮絶な格闘戦の様相を呈している。巨大なる取っ組み合いだ。
白の勢いは猛烈で、濁は明らかに不意をつかれた形である。
容積というべきか。霊力量というべきか。
その力の総量を比べたならば、実のところ白は濁に劣っている。
濁の妖気は尋常のものではない。この世のものではないのだろう。
しかし獰猛さが違う。
片や傲慢に油断した在り様なのに対し、片や憤怒に猛る在り様だ。
それが妖怪の本性というものか、微塵の躊躇も加減も無く襲いかかる。
9つの顎がそれぞれに風の霊刃となって狂猛の舞踊を舞っている。
そこに思慮はない。ある意味で純粋な縄張り意識なのかもしれない。
己の統べる領域に在る異物を、怒りをもって排除するだけの機構だ。
かつてない強大な異物に対して、九頭龍の赫怒すること甚大だ。
もしも相手が同じ獣であったならば。
この勢いのままに喰らい尽くし、白は濁を払ったであろう。
無分別な争いは先制をとったものが有利で勝ちやすい。
しかし、相手は齢幾百幾千とも知れない、異世界の化物である。
その老獪さは想像を絶し、その狡猾さは激怒を嘲笑をもって包み込む。
防戦一方のように見えて、その多くは擬態であった。示弱の計だ。
被害はあるのだろう。しかしそれを支払って取得しているものがある。
情報だ。
火がついたように暴れ狂うこの白いものは何者か。どういう性質か。
どのような理屈で攻撃を繰り出し、どのような長所と短所があるか。
力はどれほどか。技はどれほどか。耐久力はどれほどのものか。
そして濁なるソウルは目星をつけた。
何だ、どうということはない、それじゃないか。稚く愚かなそれ。
白色の猛攻撃に後退しつつ、彼は密かに注目する。
その視線の先には、木鉛綾理。
べっとりと嬲るように。ねっとりとしゃぶるように。
おぞましい精神汚染の投射が、その焦点を絞り始める。集中する。
1人の、白く武装した少女に向けて。




