死ヲ捧グモノドモ-Ⅱ
埼玉県秋ヶ瀬にかの『磐梯山』が沈黙した変事に前後して。
この夜は東京のあちらこちらで超法規的な取締りが実行されていた。
西武池袋線の車両内で。中央本線立川駅のホームで。
中央自動車道の道路上で。西東京市の繁華街で。
まるでテロリストへの厳戒態勢ででもあるかのように強引な手法で。
警棒が振るわれ、拳銃が発砲され、殴られ蹴られ、手錠がかけられる。
罪状は、霊威を放つ物品を所持していたこと。
骨董の茶碗、水晶玉、木彫りの人形、黒曜石の鏃など様々ではあるが。
どれもが『天桐』の霊的探知網を看過できないほどに刺激するものだ。
「これは祖父の遺品だ。非合法なもののわけがない」
「渋谷でショップの店員に貰った」
「学校行事で使ったものを記念にくれた」
などと供述は整合性に欠けていて、持ち主たちに共通性もない。
しかし誰もが同じ時間帯に都心部から離れようと移動していたのだ。
撹乱だ。
これは周到に用意された撹乱なのだ。
奇妙な人脈ネットワークを保持する『月盟騎士団』だからこそのものだ。
立場や年代を無視して点在する団員たちによる一斉行動なのだ。これは。
時を合わせ、各々の出来る限りで、世界の行く末に影響したのである。
それは1つの成果を上げたと言っていいだろう。
事実、『神子』は東京を脱出することに成功したのだ。
小田急小田原線がのんびりと南西へと移動していく。
夜の車窓が流れるボックス席に座るのは、雨宮理沙と沖春奈子だ。
春奈子の手中には、ケープに包まれて『神子』が眠っている。
多くの人間が関わり、その脳裏に消息を思い描く一行だ。
団の者は無事と幸運を祈念していよう。死す者も最後に思いを寄せよう。
『天桐』の者はその行方を血眼になって探していよう。今この瞬間にも。
想念の集中するところになった彼女らだが、しかし、静かだ。
誰も口を開かない。視線も合わさない。瞑想するかのような沈黙の空間。
わかっているからだ。
今夜に多くの命が失われることを。今夜に多くの無念が生じることを。
わかっているからだ。
今夜に多くの重要な闘争が行われ、その決着がまるで予測できないことを。
必要なことなのだとは思う。しかし酷く血生臭い話だ。
人が真実、英知をもった生物であるのなら、他に方法はないものだろうか。
互いの違いを、互いの譲れぬものを、時間をかけて話し合えないのか。
無理だ。
無理なのだ。
人間は他者への影響力を大きくし過ぎてしまった。支配できる。滅ぼせる。
大自然を好き勝手に支配したように、他人を好き勝手に支配したいのだ。
己の思うような世界で生きたいがゆえに、他者へ影響を及ぼし続けるのだ。
それが、この世界の人間の業である。
様々な超常の力がそれに拍車をかけている。影響力を増大させている。
持つ者は持たざる者に対して優位にあり、視野と思考の狭窄を招いている。
「こうあるべきだ」が幾つかに収斂し、他を挫くべく闘志を燃やしている。
それは猛々しい物語だろうか?
少なくとも、雨宮理沙は、それを悲しい物語だと思っている。
「……だから、きっと」
そっと、吐息の広がりとともに消えていく言葉があった。
「だからきっと、貴方は……産まれてきたのよね?」
目の前に座る春奈子にすら届かない、その言葉。
『神子』は目覚めない。その顔はあどけなく、無垢で、ただただ穏やかだ。
窓を見やる。
映る己は何と残忍な顔をしているのだろうと思う。魔女の顔だ、これは。
多くの犠牲を計算ずくで敷き詰めて、その上を安全に歩いている女なのだ。
だから、きっと、『神子』の目覚めた世界に生きていてはいけない。
目の前でぼんやりとする春奈子は、綺麗だと思う。こけた頬すら敬虔だ。
自らの命を費やして戦っている。燃える炎の美しさが宿っていると感じる。
そんな彼女ですら、新しい世界を見ることは叶わないだろう。哀しい。
でも、きっと。
遠くを想う。
数奇な運命にもまれ、人の世の汚辱に塗れ果ててしまった子がいる。
彼の周囲は全てが彼を侵害していた。被害者の極致にあって生きていた彼。
そんな彼は、そんな彼だからこそ。
ただ1人、ただの1度きりとはいえ、遭遇している。
仮初とはいえ、『神子』の目覚めに立ち会っている。
理沙の目に映る三船秋生という少年は、既にして新世界の住人なのだ。
彼にはもはや旧世界における過去など無価値であろう。そうあるべきだ。
たった1人の選抜者として、前だけを見て、真っ直ぐに生きてほしい。
そう考えている癖に、自分は、彼を死地へ追いやったのだ。
必要なことではあった。運命が彼を助けるだろうとも確信している。
しかし否応なく突きつけられるものがある。己が選抜されない現実だ。
旧世界の汚濁に死ぬのだ、自分は。悔いはないが、嬉しいことではない。
「あと少しよね……きっと」
この期に及んで自らの覚悟の足りなさを思う。
しかし、それでも、あと少しは走り抜けられるはずだ。それくらいは。
それくらいはしないと、亡き夫と息子に申し訳がない。死ねない。
雨宮理沙。
かつては『日高』研究部門で1、2を争うオカルト科学者だった女である。
夜に沈む野球場に闘争が行われていた。
住所では神奈川県に属する所だが、多摩川を渡ればすぐに東京である。
正確には大学のキャンパスに付随する野球場だ。サッカー場も隣接する。
照明の少ない、夜中の、國學院大學たまプラーザキャンパスだ。
そこは今、超常の戦いの舞台となっている。
東名高速道路から落下炎上した車両、そこから脱出した1名と、追う多数。
黒い外套に学ランと学帽の剣士が、灰色のスーツの集団と戦っている。
三船秋生だ。
その手には悪魔宿りし黒狼剣。
周囲を囲むのは『天桐』の手の者ではない。『日高』の機械化兵である。
『天使連盟』に接収された尉官級たちだ。手には電磁警棒と自動拳銃。
1対8という多勢に無勢であるが、しかし、戦況は拮抗していた。
消音機のプシプシという発射音は絶え間ないのに、1つとして当たらない。
秋生は速い。その疾駆は機械化兵たちに優るとも劣らない。
秋生は早い。超人的な勘と予測を背景にした判断は未来予知のようだ。
あらゆる角度から来襲する弾丸を紙一重に避ける。
灰スーツの接近を受け止め、盾としつつ、別の敵の打撃をいなす。
全てがギリギリのタイミングで行われており、全てが奇跡的だ。
いや……違う?
さっきの攻防よりも今が、今の攻防よりも次が、更にはその次が。
余裕が生まれつつある。防ぐきりだった秋生が今や一撃してみせた。
その攻撃で灰スーツの1人が銃を失った。均衡を崩すその失態。
速い。速くて容赦が無い。
地を蹴って装填中の灰スーツに近づき胴体を両断。1人目。
その上半身を盾にして接近者を撹乱し、別方向に一突き。2人目。
地を転がって銃撃を回避した後、跳ね様に斬り上げて3人目。
空中で身を捻って弾道を幻惑、同じく跳んだ灰スーツを斬る。4人目。
着地して。
地に張り付くような高速疾走。芝生の上に描かれる筆跡のような軌道。
一呼吸の間に5人目、6人目、7人目と斬り伏せてのけた。速い。
残る1人に対しては、剣の投擲。
恐怖のためか戦術的撤退か、大きく跳躍して離脱しようとしたところへ。
胸の中心を刺し貫いた魔剣は、そこに魔剣たる力を発現してみせた。
機械化兵の体が急速に融解していく。中心部分に至っては気化すらして。
超自然的な陽炎は魔の力か。ものの数秒で犠牲者の欠片すらも残さない。
ザクリと野球場へ突き立つ魔剣。澄ましたようなその立ち姿。
それを秋生が引き抜いたのが合図ででもあったか。
周囲に散らかっていた灰スーツたちの残骸が、徐々に融けていたそれらが。
一気に蒸発して夜に消え失せた。吹き抜ける風に残熱も残臭もなく。
これが三船秋生の手に入れた力か。
超人的な身体能力を持つ複数敵に、射撃兵器まで持つ多勢に対して。
刀身にして1メートル足らずの一振りを持って殲滅してのける戦闘力。
秋生は息1つ乱していない。汗1つ流していない。涼やかなその佇まい。
しかし、剣を鞘に収めようとはしない。
構えるでもなく、ただ立って、あらぬ方向の1点を見つめている。
「あら……使えないじゃない、この光学迷彩マントってやつ」
ベンチ脇の風景が歪み、めくれて、1人の美女が姿を現した。
豪奢な金髪をウェービーに垂らし、派手なメイクも妖艶にして迫力がある。
体にピッタリとあったライダースーツの色は紫紺。セクシャルなフォルム。
『天使連盟』第2方面軍所属、グロス中佐である。
「別にやる気はなかったんだけど……そっちは随分とやる気ねぇ?」
片手を腰に当て、片手で髪を払う。そんな仕草だけでとても扇情的だ。
まるで彼女にだけスポットライトが照らされているかのようだ。
秋生は動かない。その手の魔剣はゆらゆらと靄のようなものを発している。
いや、よく見れば秋生の全身から同様のものが生じ、揺れているようだ。
「一般的な片手剣ね。材質と形状に特質すべき点はなし。となると……」
非武装であろうに、グロスは余裕の態だ。しげしげと秋生を観察している。
つかつかと近づきさえする。先の闘争によって魔剣の力は知っていように。
「宿った魔力が問題か。っていうかそれ、呪いよね。よく持てるわねぇ?」
服やバックの趣味を論じるかのような口調だ。恐れの一切がない。
あと数歩も歩めば一足一刀の間合いだ。今でも秋生の跳躍力ならば届こう。
自殺志願者か。怖いもの知らずか。さもなくば……余程の強者か。
「呪詛を呼吸して戦うなんて被虐的だわ。悪魔になっちゃうわよ?」
英語である。それを解しての沈黙なのか、解さずの沈黙なのか。
いずれにしても共通する言語が2人にはある。つまりは。
「ま、いいわ。少し踊りましょう、坊や」
グロスの足元から剣が生えた。柄を上にして、正に出現したのだ。
どこか恐竜の化石か何かを彷彿とさせるデザインだ。荘厳にして攻撃的な。
鞘走って現れたのは刃渡り1メートル程のサーベルである。
誘われるように振るわれた魔剣を容易く受け止め、いなし、突いてくる。
避ける、斬る、いなす、突く、なやす、斬り上げる、払う、薙ぐ。
めくるめく剣の舞だ。ステップも軽やかに数十合を重ねていく。優雅だ。
先程とは打って変わったこの攻防は何だ。遊んでいるようにすら見える。
秋生にそのつもりはあるまい。目に戸惑いがある。鋭く斬り込んでいるが。
「悪くないわね。野性味があって、懸命で、情熱的だわ!」
グロスだ。グロスがこの剣劇を演出しているのだ。
彼女の剣には一切の殺意がない。まるで指導しているかのような剣だ。
実際、技量の優劣ははっきりしている。グロスの剣は優美で無駄がない。
「そうそう、それくらいの勢いがあっていいものよ。素晴らしいわ」
一層の勢いを増した秋生だが、それすらあしらわれる。洗練された技法で。
先に比べると秋生の剣にも迫力が欠けているようだ。閃くものがない。
傍目には恐るべき速度で展開する剣の応酬であるが、どこか高尚に過ぎる。
そこには死の緊張と生の足掻きがない。血色の予感がない。
いつまでも続きそうなそれは、しかし、突然に緊張の一瞬を迎えた。
不意に速度を増して放たれたグロスの刺突が、秋生の胸部に吸い込まれる。
いや、外套を貫通しただけだ。服をかすめて背に抜けている。
それに対する秋生の応撃は凄まじい。
我が身も断つのかという勢いでグロスの肘を切断しようとしたのだ。
刃は完全に自分を向いている。それに片手を添えてまでの逆襲だ。
「見たことも聞いたこともない技ね。けれど魅力的だわ」
速い。突くのも速ければ戻すのも速い。グロスの手と剣とは元の位置だ。
秋生もまた魔剣を己の肩ギリギリのところで止めている。あわや自殺だ。
それでも何ら感情を浮かべず、再び構える。深く長い呼吸だ。
グロスは構えない。利き腕を失うところであったのに微笑んでいる。
そして静かに指を3本立てた。チラチラと振って見せる。
「30分あげる」
日本語だ。発音にやや不安があるが、それは日本語の会話である。
「貴方の技、素晴らしい。だから30分あげる。これはサービス」
その意味するところは。
秋生はくるりと身を転ずると、夜闇の中へと飛び込んでいった。逃走だ。
抜剣したままでの高速走行、長距離跳躍だ。あっという間に消え去った。
負けないまでも勝てないと悟ったのだ。
勝てないままに長く戦うことは、小勢の秋生たちにとっては敗北である。
包囲され、行動を隠蔽できなくなったなら、『神子』へは合流できない。
この逃走もまた闘争だ。追跡の目をどこまで消せるかが運命を分ける。
「あら、本当に30分待つつもりなのですか? 中将閣下」
肩に降りてきた鳩に話しかける。鳩も返事してみせた。
「当然じゃ。そう約したのは中佐ではないか」
「私は、という意味だったのですけれど……見失いませんか?」
「単騎で我らの足止めに来た勇気に感じ入った。卑劣な真似は出来ん」
今夜辺り何か仕掛けてくる……そう神算してのけたハイマリアである。
そのためグロス中佐を再び東京へ派遣していたのだ。接収兵を駒として。
ソウル少佐の探索を優先している以上、あくまでも念のためであったが。
見つけてしまったがゆえに一当てしたが、収穫はあった。
「計り知れない伸びしろを感じましたが……初心な剣士でしたね」
「うむ。見事な敵じゃが、恐るるに足らんな」
ハイマリアの『神眼』は魔剣持つ剣士の特性を十分に見極めていた。
強烈な魔力に心身を浸し、それを力の源泉として戦う剣士である。
しかし闘争心や技術までもが剣由来のものでは、畢竟、ひきずられる。
個人の能力として、危機に際して尋常ならざる勘と反射を持つようだが。
それすら、こちらに悪意がなければ鈍る類のもののようだ。
「敵を知らんで戦場に立ったような印象じゃな。新兵丸出しじゃ」
「それでああも戦えるのですから、面白い国ですね、ここは」
「全くじゃな。きちんと軍人教育を施してやりたいとすら思ったぞ」
グロスの剣は既に消えている。あの剣こそはKOL。
あらゆる戦況に応じて姿を千変万化させ、最適化する可変兵器である。
今回は魔剣の形状に応じてサーベルとなった。相手が槍なら槍となろう。
「あの子の情報は?」
「位置は流してやろう。我らは略奪者として来たわけではないからな」
鳩。時に平和の象徴とも言われる鳥が、楽しげに告げた。
「献上されるために来たのじゃ。『神子』とやらをな」




