死ヲ捧グモノドモ-Ⅰ
その一行が確認されたのは練馬区の北西部だ。
関越自動車道練馬インターは物的霊的双方からの警戒を実施されている。
東京を封鎖するように形成された網にかかったものは。
ETCレーンから強引に加速していったライトバンとバイク。
目撃情報とカメラ映像から、バイクに乗る者の正体はすぐに知れた。
『月盟騎士団』の工作員だ。『トンファー使い』と呼称される男である。
陸からは警察車両が、空からは警察ヘリがそれらを追う。
『トンファー使い』は『神子』の最後の目撃箇所にも出没していた。
戦闘要員の少ない騎士団のこと、彼が今も護衛についている可能性は高い。
『天桐』の判断は苛烈だった。
一行が埼玉県新座市を過ぎる頃には、既に所沢にバリケードを敷設である。
超法規的な完全通行止めだ。追って陸上自衛隊も派遣されてこよう。
いや、それよりも何よりも……強力な1戦力が空から一行に迫っている。
UH-60JA多用途ヘリコプター。
かかる事態に備えて、霞ヶ浦駐屯地から練馬駐屯地へ移動していた機体だ。
対地攻撃用の重機関銃を備えているが、この場合、それは問題ではない。
運ばれている人間が脅威である。
軍服の面々の中で1人、スタイリッシュなジャージで足を組む少女。
さりげなく抱えられた刀袋には霊験なる豪刀『磐梯山』。
日本国における霊的3強の筆頭、謝花留美である。極上の討手だ。
彼女が至近に降り立ったならば。
地に接する者は何者であれ、彼女の許しなしに駆けることはできまい。
未知の角度からの切断は例え戦車であれ両断するのだから。
知ってか知らずか、逃亡者たちは急ぎに急ぐ。
ライトバンとバイクとは、火器をもってバリケードを突破した。
そして一般道へ、市内へ降りていく。見通しの良い高速道を嫌ったか。
いかに『天桐』とて住宅街における地上掃射などできるわけもない。
……いや、場合によってはできる。まだしないだけだ。
次々と到着、追加される追手によって退路は限られていく。
北へ逃れる道は抑えられ、さりとて南へも戻れない一行は、東へ急ぐ。
大道を避け、照明の少なきへ……荒川沿岸の暗闇へと逃れていく。
特に木々の密集した場所がある。
埼玉県営秋ヶ瀬公園。
水場が多く、時として半ば水没する公園である。今夜も湿地が多い。
どちらともなく、この夜の戦地をそこと定めたものか。
追う者も追われる者も、申し合わせたかのように、そこへと入っていく。
或いは約束事なのかもしれない。
日常のすぐ外側で非日常を戦う者たちは、無差別や無思慮の輩ではない。
どちらにも捨てがたい日常があり、その行く末を想ってこそ争うのだ。
皮肉な話だが、この夜を駆ける誰もが、一般の巻き添えを憂いている。
さもあらん、誰もがこの国の日常を生きてきた者である。日本の日常を。
同胞とも言えよう。同じ新聞を読み、同じ音楽を耳にし、米を喰らう。
それでも闘争に身を投じるのだ。
『神子』という、この世界を否応なく変化させると目される存在を巡って。
『天桐』は既存の社会秩序を保守すべく在る組織だ。
国内のあらゆる霊的混乱を治め、神国の長久を願い図っている。
『月盟騎士団』は既存の社会秩序を革新すべく在る組織だ。
世界の未だ在らざる在り様を求め、変化の促進を願い図っている。
彼ら以外にもう1つの組織がある。『日高』を含む『天使連盟』だ。
『天使連盟』は社会秩序を管理し、運営すべく在る組織だ。
世界を神の国へと進歩発展させるべく、諸々を支配せんと画策している。
月並みな話だが、誰もが誰もの正義を持っている。確信している。
触れずに離れていたならば並存もできたであろうか。争いなど起こらずに。
無理だろう。
少なくとも、もはや無理と相成った。
何故ならこの世界には『神子』が誕生している。
この存在は特別だ。世界を想う人間の誰一人として無視できないものだ。
それが自立できぬ赤子ならば、どうして人は争わずにいられよう。
何故、今この時に『神子』は在る。
何故、『神子』は無力な姿で在る。
何故、この日本に『神子』は在る。
全ての何故に何の答えも得られないままに、この夜、この河原の公園で。
日本に産まれた奇跡の処遇を争って、日本人たちが殺し合うのである。
それは血飛沫のファンファーレだ。
この夜よりいよいよ惨さを増していく闘争の、その開幕を祝うように。
「罠だったとはね」
公園と田畑とを隔てる土手の上を歩きながら、留美は独りごちた。
気軽な風だが、地脈を探りながらの歩行である。味方とも離れ離れだ。
この自然公園は、今夜、致命的なトラップの園として留美たちを迎えた。
ワイヤー起爆の手榴弾、敷設地雷、クレイモアなどの通常兵器のみならず。
催眠誘導結界、吸血魔草、悪鬼悪霊などの霊的な罠までが設置されていた。
伏兵も多かった。50人以上はいただろう。
しかも全員が曲がりなりにも方術を使う者たちである。火器も多い。
激戦だった。
警察からの要員を外周警戒に残したのは正解だったと言える。
自衛隊の猛者たちにも犠牲者が多数出るほどだ。並みの敵ではない。
「神道系の術か……『月盟騎士団』じゃないね」
留美は立ち止り、指で空中に縦線横線を描きはじめた。
「臨兵闘者皆陣列前行」
音もなく何かが破れる気配が周囲に放たれた。
不用意に踏み込んだ者へ霊的な損害を与える罠があったのだ。
呪詛か式神か、はたまた金縛りか。強力な方術者がいるに違いない。
これまでの情報を分析するに、心当たりはある。
先の長野県小諸市における小戦争。『日高』を翻弄した集団がいた。
「『浅間党』か……なかなかどうして」
既に『磐梯山』はその鞘入りの姿を夜気に晒している。
まだ抜刀こそしていないが、どの瞬間にもそうできる状態でいるのだ。
欠片の油断もない。最大限の警戒でもって周囲を探っている。
『トンファー使い』や方術者に対してではない。
所属の違う2人の強敵を想定してのものだ。
雨の遊園地に当代随一の陰陽師・御門を斬り捨てた者。
合戦の光ヶ丘公園に『天桐』当主・木鉛綾理の「遠視」を破った者。
そして恐らくは『日高』の筑波研究所を壊滅させたのも同じ人物だ。
一貫して『月盟騎士団』に利する正体不明の強敵である。
また、巴山渚子に大怪我を負わせ、魁尊の死を招いた外人もいる。
『天使連盟』の軍人・ソウル少佐とかいう男だ。来歴は不明。
以後の消息がしれない以上、今ここに現れることもあり得る。
どちらと遭遇したとしても、留美は勝たなくてはならない。
闘争とは敗者から全てを奪うことで成り立っているからだ。
正面に鴨川の土手が見える。右手にはテニスコートが何面かある。
右手の奥には駐車場を挟んで野球場とサッカー場とが広がっている。
公園の東端へと至ったようだ。駐車場にはライトバンも停まっている。
「辿り着いたのは私だけ、か……神子もいないんだろうなぁ」
かくも用意周到な敵である。
まさか追っ手を全滅させた上で逃げ遂せるとも思っていまい。
留美は確信している。これは囮だ。放置できないほどの戦力による。
こうしている間にも、本命であるところの神子は移動しているだろう。
それは問題ない。包囲網は1枚や2枚ではない。別で捕捉できる。
しかし、例の正体不明の所在だけは気にかかる。こちらかそちらか。
「……外れ、かな?」
サッカー場の中央に、一台のアメリカンバイク。
下腹部に響くような重低音。跨っているのはボサボサ頭で眼鏡の男。
『トンファー使い』だ。一騎討ちでも誘っているのだろうか。
周囲を見渡す。罠を疑うのが当然だ。地雷か伏兵か。
「ま、いいか。さっさと済ませよう」
土手の草むらの中に留美の姿が消える。バイクが発進する。
どちらが先に動いたのか。どちらが後に動かされたのか。
次の瞬間、バイクは豪快なウィリーで地中からの一撃を回避していた。
回避したままに、散弾銃が轟音を発した。地面が弾ける。いない。
バイクが唸りを上げて駆け出す。その不規則な蛇行と加速。
合間に幾度か轟く発砲音。傍目には奇怪な独り遊びのようだ。
何度目かの弾の装填をしているその時、不意にバイクを蹴って離脱した。
金属を貫く擦過音が複数発生した。槍……いや、巨大な棘か。
十数本のそれらがバイクを取り巻いて出現、それぞれに貫通している。
高天流『地縛針』。
本来であれば足に刺さって動きを封じる方術であるが。
ガソリンが漏れたものか、バイクは爆発炎上した。その炎を背景にして。
金属と金属とが打ち鳴らす高音が何度となく、連続で発生した。
地を蹴る音が、何かが裂ける音が、そして赤い液体の散る音が。
炎が一段落した時、そこには。
松島冬彦が立っていた。
そのジャケットはズタズタに切り裂かれ、四肢こそ揃っているも血塗れだ。
両の腕にはト型の武装。トンファーだ。その表面もささくれ立っている。
片や、謝花留美は。
地面に膝をついていた。目だった傷は無いが、その足はおぼつかない。
いや……右脇腹からジワリジワリと広がる赤色がある。刺されたか。
「それ割と致命傷だから」
面白くもなさそうに、冬彦は言う。
「止血も無駄。霊傷だし」
彼の左膝に光るものがある。足首辺りから上向きに固定されていたそれは。
小太刀だ。鍔こそ外されているが、それは魔刀に他ならない。膝蹴りか。
切っ先に血。数年の封印を経て、遂にそれを用いたのか。松島冬彦よ。
「……そのトンファーは?」
押し殺したようなその声は、激痛を堪えてのものか。留美の顔色は青い。
傷を押さえているのだろう手の下からは絶え間なく血が流れ出ている。
位置からして肝臓か。その出血は甚大な損傷を疑わせる。
「オリハルコン製の旋棍……ゆえに、名づけてオリハル棍。なんちゃって」
返答は疾風のような斬り込みだった。
恐ろしいまでに洗練された踏み込みと手の内。首を刎ねる斬撃。正確無比に。
しかし防がれる。ダイヤモンドすら断つ『磐梯山』の一撃であるのに。
冬彦が構えたトンファーは確かに硬い。物質的にも霊的にも極めて強固だ。
だがそうであっても『磐梯山』は断てるはずだ。それこそが稀有の能力。
事実、そのトンファーを台に固定したならば、見事両断できるだろう。
では何故か。
その答えは冬彦の足元にある。
ただ静止して受け止めたのではない。踏み込んでいるのだ。
日本刀とはレーザーカッターや何かではない。常に斬れるわけではない。
適切な部位を適切な力加減で、刃筋を立てて当てることで斬れる。だから。
だから冬彦は踏み込む。
近づき、2本のトンファーの内1本は鍔近い刀身を斜めに打撃している。
見よ。留美の腕は振り切れていない。肘が中途半端に曲がったままだ。
いや、それだけではない。
『磐梯山』の鍔は所々歪み、欠けている。トンファーによる打撃だ。
手首の返しだけで高速の旋打を放つのがトンファー。指も狙っていたか。
そんな冬彦の絶技に対して、留美の動きはどこか鈍い。
一撃を受け止められ、二撃目も放てぬままに間合いを詰められている。
どう体をひねっても捌いても、まるで粘着しているかのように超近接だ。
どちらも技は放てない。
手は互いの武器を抑え合い、足は高速かつ円滑に地を舐めていく。
まるで舞踊のようなそれは、命の奪い合いであるのに、美しくすらある。
留美の動きが不自然に止まる。足だ。冬彦が踏み潰したのだ。
即座に膝蹴りが見舞われる。魔刀の切っ先が迫る。死を左右する刹那。
打撃音とともに両者は離れた。
留美の左肘撃ちが冬彦の右頬に命中したようだ。あの咄嗟によくも。
しかし痛み分けか。冬彦の左トンファーが留美の右手甲を痛打したようだ。
「……やるじゃないか、トンファー使い」
ニヤリと笑ってのける。苦悶を眉根に刻み込んだまま。口元には血。
時間の経過は留美に不利のようだ。表面上はどちらも出血しているが。
顔色が隠しようもなく両者の内情を教えている。片や血の気が無い。
「君、相当に剣術をやってるね?」
「まあね。でもお前の敗因はそこじゃねーよ」
「敗因! とか!」
地面という地面から鋼鉄の槍が生じて冬彦に迫る。『地縛針』だ。
駆ける。駆ける。時に二足で。時に四つんばいで。獣のような躍動。
優雅さの欠片もない回避は、棒手裏剣を投ずることすらやってのけた。
過たず左肩に刺さったそれ。術がとまったその隙に。
銃撃だ。どこに持っていたのか小口径のオートマチックピストルの射撃。
この夜を思うに相対的に貧相なそれ。しかし人を殺められるそれ。
10発ほど連続した弾丸は全てが弾かれた。
見えぬほどの高速で展開したのは、『磐梯山』による斬の結界。
物凄まじい剣速は、正に謝花留美の真骨頂とも言うべきものだ。
ならば、何故?
どうしてこのような劣勢に追い込まれている。先刻までの鈍さは何だ?
「……君、名前は?」
遂に息が上がり始めたか、『磐梯山』を振るう娘よ。
それは自らを追い詰めた者の名を知っておきたいという、今際の質問か。
だがしかし、返答はにべも無いものだった。
「公務員の職質とか、マジ拒絶なんですけど」
消える留美。
直後には冬彦の背後から強烈な横薙ぎの一閃だ。
これまでで最速のそれ。込めてはいけない何かが込められた、それ。
冬彦は振り向き様にそれを払い上げていなそうとする。左トンファー。
しかし速度が足りない。右が間に合わない。刃は食い込んでいく。
それでも打ち払う。追いついた右トンファー。血飛沫が舞う。
初めてだ。
この戦いの数十合の中で、初めて『磐梯山』が斬り抜けた形だ。
今までであれば当たり前であったそれが、今、初めて。
そう、初めてだったのだ。
謝花留美にとって、自らの斬撃が途中で止まる経験など、初めてだった。
彼女の凄まじい高速剣は初速からのものではない。加速していくものだ。
万物を断つ『磐梯山』ならではの特徴だ。何ものも阻めないゆえに。
それゆえに、冬彦の戦術に対応できなかった。
洗練され過ぎていたがゆえの、強力無比であったがゆえの、弱なる点。
腕力が超人的なわけでもない彼女が磨きぬいた技術、それが虚になる点。
今、二の太刀が展開したのなら、冬彦は殺されていたろう。
斬り上げた『磐梯山』が飛燕の返しを見せたなら、真っ二つにされたろう。
ああ……しかしこの一撃は捨て身のもの。命を込めた最後の一撃。
刀がひるがえることはなかった。
急速に脱力していくそこへ、冬彦の右回し蹴りが吸い込まれていく。
何もかもを刈り取って……この闘争は終わりを告げるのだった。




