汚レタ子ニムケテ-Ⅱ
時は再びの今。
群馬山中を行く松島冬彦は、独り、両手を上げていた。
夜の青さの中に潜む気配は10を下らない。囲まれている。
「リサ先生からのお使いだよ。勘弁勘弁」
冬彦には分かっている。
銃口が、投擲の構えが、方術の視線が、自分に向けられていることが。
しばらくの時が流れて、かすれたような声がどこからともなく響いた。
「問う。月の光に捧げるべき酒盃は?」
「10と1杯」
「問う。月下の騎士が果たすべき使命は?」
「卵を温める火種たるべし」
それは『月盟騎士団』内における何某かの約束問答であったか。
茂みの中から、木の上から、土の中から、次々と人間が姿を現した。
老いも若きも、男も女もいる。誰もが古風な装束だ。まるで忍者である。
「どーも。党主にお目通りよろしく」
暗く足場も悪い中にあって、誰1人灯りを所持していない。しかし乱れず。
滑るような疾駆でもって更なる奥地へと移動していく。咳1つ無く。
数十分を休憩もなく駆け抜けた先には、洞窟とテントとが作る拠点がある。
湧水を確保し、竈には徹底的な遮光措置。全体として保護色だ。
周囲の木々には呪符が縫いとめられ、霊的にも隠蔽されている。
いや、それどころではない。その防御は周囲にも展開しているようだ。
術を破らぬ限り、ここへはたどり着けないに違いない。
「誰かと思えば、アンタかい。戦闘狂」
冬彦を迎えたのは、1人の老婆とその手勢である。
どこか洋風な顔立ちが魔女じみて見える風貌の、彼女の名は千国幸子。
小諸城城主の血筋であり、霊能者であり、『浅間党』の党主たる女傑である。
「婆さん、お久し。まだ死んでねーのな」
「上野は死んだって? どいつもこいつも順番を守らないったらないね」
「嫌な業界だよねぇ、にんともかんとも」
ニヤリと笑いあって、握手する。
幾多の命を断ってきた者同士の利き手だ。染み付いた何かが擦れ合う。
そこには罪も咎もない。死あるのみ。死の扱いに長けた2人である。
千国は冬彦と連れ立って洞窟へと戻っていく。
奥に広いそれは各所を遮光カーテンに仕切られていて、暗い。
幾層かを抜けると、白熱灯に照らされて、板の間のスペースがあった。
「楽しそうな暮らしだな」
「案外ね。このご時世に落ち武者ってのも悪かないさ」
上座であるだろう場所には木箱がある。鎧櫃だ。印された家紋は無紋銭。
千国家伝来の霊威甲冑である。飾りではない。この老婆は前線の将だ。
戦国の昔には各大名家がそれぞれに抱えていた異能集団があった。
安寧の世に縮小され、明治維新において統合か消滅かを選択させられたが。
中には在ったのだ。従わず、滅びず、密かに力を継いできた集団が。
『浅間党』とはそれである。
『天桐』の管理の外にあって方術の力を保持し続けた小組織だ。
「ばっちり負けてくれたのは流石に戦争屋だな」
「『日高』相手にゃあんなもんだろうよ。佐官の鈴木も来てたからね」
筑波研究所に対しての『神子』奪取作戦に次ぐ形で、党は作戦行動をした。
長野県小諸市の懐古園を舞台に、『日高』と激烈な戦闘を行ったのである。
『神子』奪還に焦る猛攻に対して、党は長く耐え、上手く敗北した。
それは『神子』の在所を撹乱するための作戦だ。
『浅間党』は『月盟騎士団』と協力関係にある。
両組織には共通する目的があった。
党は日本を、団は世界をという規模の差こそあれ、希求するものは同じ。
変革。
既存の先にある新たな何かへ。凝固を打ち払って産まれる何かへ。先へ。
誰かの意図によってではなく、社会が自発的に変わりゆくままに、止めず。
歪めず、世界のあるがままの変容を、信仰し助長し、尖兵たらんと欲する。
革命の申し子たちなのだ。この者たちは。
世界が何某かの変化を起こすとき、その先触れとして現れ、消えていく者。
確信めいた予感と、熱病めいた衝動とに突き動かされ、座視できない者。
党はその由来において現行政府に遺恨があるのかもしれない。
しかし団は、月の光に導かれるように集まった団員たちは、更に純粋だ。
現状に甘んじ、足るを知り、妥結しろと迫ったなら……彼らは死ぬだろう。
「鈴木少佐も佐藤中佐もやられたらしいよ。ほら、例の『磐梯山』に」
「『磐梯山』が出張ってくるようじゃあ、『天桐』も本腰だ。面白いねぇ」
「だよね。事の終わりに生きてっかな? 俺も婆さんも」
「見届けたいもんだが、そうもいかんだろうねぇ」
「だよねぇ」
茶のみ話のように、お互いの死を語る2人である。悲壮感の欠片もなく。
最初からわかっているのだ。自分たちの命は時代の薪の1本に過ぎないと。
焼けて消える運命だ。煮られ誕生する何かのために、死ぬのだ。
「『神子』は……本物かい?」
「そらもう。ありゃ凄ぇーわ」
「……『魔王』は?」
「しばらくは余熱で対処だとさ。次の1回であの娘も死ぬだろうし」
希望と絶望とはまるでコインの表と裏だ。
何かを代償とすることなしには、何をも得ることができない。
だとすれば、どのタイミングでどう支払うかが重要となる。
「それで? 遂に決行かい?」
「うん。ゴー、トゥー、ウェスト。今チャンス」
「『天使連盟』だろう? もう少し待てばもっと潰し合うんでないかい?」
「来たの第2方面軍。長引くと『天桐』と協調行動とるって、リサ先生が」
「下手に話の通じる連中が来たのか……確かに頃合だわ」
しっとりと、静かな時間がたゆたう。それは戦士の静寂。命の勘定。
『天桐』、『日高』、そして『天使連盟』を敵に回しての作戦行動である。
一体何人死ぬのだろう。千国と冬彦とて、どこかで死ぬかもしれない。
「霊場の選定はあのままで?」
「琵琶湖外して、熊野経由になった」
言いながら、冬彦が日本地図を板の間に広げた。
北はソ連領エトロフ基地から南は沖縄経済特区までを収めたタイプである。
東京北部をまず指した後、西へ順に5つの地点を指し示していった。
「不死、狭間賀、陰陽大滝、国始島……そして慈島か。難業だね」
「これでも最低限。足らない時は死国と息隙も」
「大巡礼だね。ご利益のありそうな話だ」
彼らは『神子』を連れて関東を脱出するつもりなのだ。
『天桐』と『天使連盟』とがぶつかり、戦力の減少と混乱とがある隙に。
探索網を掻い潜り、包囲網を打ち破って、西へ。霊場を巡る旅へ。
未だ深い眠りを続け、瞼を開くこともない『神子』。
その覚醒を促し、世界を革新するために。
カツリカツリと、まるで靴音のように響く秒針を聞く。
窓から差す月光は冷えに冷え、ヌタヌタと肌に絡む空気を妙に意識させる。
嫌に夜目が利く。夜に鳴く生き物たちの気配をそこかしこに感じる。
屋敷林に囲まれた古い農家の母屋。半ば物置と化した2階の1室。
服の虫除け、カビ防止剤の匂いが漂っている。柱時計だけが動くものだ。
三つ折りの敷布団に寄りかかって、心身を苛むものに耐えるだけの夜。
もしかしたら自分の内臓は変色したのかもしれない。
そんなことを思い、三船秋生は、震える手で腹をさすってみる。
『月盟騎士団』に同道してからの日々は過酷であった。
赤ん坊を、『神子』を護りたい一心で日常を捨てた秋生。
それは同時に『天桐』と『日高』とを敵に回したことを意味する。
両者にまつわる全ても敵だ。公権力も、大企業も、今や敵なのだ。
戦わなければならない。
不思議の術を使う敵に翻弄され、その恐ろしさを実感していた秋生だ。
かつて父親が体現していた、強いだけの暴力とは違う。対処法が必要だ。
その要求に対し、雨宮理沙から示された回答が魔剣である。
魔剣。正式には銘を黒狼剣という。
全長92センチメートル。重量1.3キログラム。両刃。刀身に呪文刻印。
500年前に鍛造された騎士剣を憑代にして、悪魔を宿した代物だ。
並の悪魔ではない。
背徳的で陰惨な儀式をもって召喚したのはスリズ・アトールという魔神だ。
大狼に跨って炎の剣を振るい、殺人と破壊とを欲しいままにするという。
団の一大事業の1つとして、この魔剣は誕生した。
支払われた時間、希少物質、人命は従来の悪魔召喚とは比較にならない。
これはとある存在の佩剣として用意されたものなのだ。
団の創設理由にもなったその存在。その実在を望まれた神の如き存在。
月光降る天空の先に在るを予感された超越存在。猫が実しやかに語る王。
即ち、魔王。
その召喚事業は膨大な諸々を費やしたる後に失敗した。大いなる挫折だ。
団の創設者を含む多くの魔術師が失われた。死、発狂、昏睡など形こそ違え。
一方、魔剣もその強大さゆえに長く死蔵されることとなった。
そんな来歴を持つ剣が、今、秋生の所持するところの物となっている。
抜けるからだ。秋生にはこれが抜ける。使うことができる。
魂を変形され、変色され、変容されるような魔の浸食に耐えさえすれば。
なぜなら、彼がその身に帯びている魔力は、魔王に由来するからである。
「……魔王」
呟きが虚しく落ちていく。
誰に聞かれるでもないはずのそれは……しかし返答を得るのだ。
(随分と辛そうだ。寝たらどうだ?)
どこからともなく聞こえる声。秋生の耳にしか聞こえないそれ。
月の光の冴える夜に、独り静かに在れば、遥かな何かを超えて届く交信。
誰も知らない、誰にも知らせていない現象だ。この不思議の会話は。
「あんたはこの力を苦も無く使えるのか」
震えの治まらない手を持ちあげてみる。後遺症のようなものなのだ、これは。
魔王の魔力に触れた心身が、魂が、その衝撃でボロボロになっているのだ。
そしてそれは毒のように今も燻り残る。いわば地獄の炎の残り火だ。
その残り火を上手く活用しようというのが、最近の特訓である。
再び身を焼くのはわかっている。しかしその力なくしては魔剣は抜けない。
(愚問に過ぎよう。ただし最初期には150年ほど修行したかな)
「流石に化物だな……どういう世界だ、地獄ってところは」
(地獄は地獄さ。しかし何処であれ希望はあるものだ。捨てたものではない)
「希望、か……」
この不思議の声が魔王なのか、そうでないのか、秋生に判断はつかない。
しかし協力者であることは間違いない。味方だ。
この声の助言に従って、魔剣の扱いを習得していったのだから。
「この世界に希望はあるんだろうか?」
(見出したのだろう? 正解か否かは外に用意されない。答えは内にある)
「俺にとってのじゃない。あの子にとっての話だ」
(その子が見出すだろう。自分という本を読み進められるのは自分だけだ)
苦しみの夜に聞くこの声。魔の声。畏怖すべき声。
しかし秋生はこの声が好きだった。響きが、内容が、何故か勇気づけられる。
「あんたも希望とやらを見出しているのか」
(無論だ。今この瞬間にも、無限の希望を追求してやまん)
「……あんたは、何人いるんだ?」
(無限だ。今ここに居る私は無限に分かれた私の内の1単位に過ぎない)
謎掛けのように続く問答、その意味するところは何だ。
そもそも何故、魔王などという超常的な存在の声が秋生にのみ聞こえる。
そもそも何故、魔王のために用意された剣を秋生のみが抜ける。
魔王とは何だ。
三船秋生とは何だ。
あの夜。光ヶ丘公園で『天桐』と『日高』が戦争をした、戦夜の魔闘。
恐るべき魔力を行使して『天使連盟』の衛星を消滅させた少年がいた。
闇の飛翔と炎の咆哮。その凄まじさは今も秋生の身を焼いている程だ。
あの夜。緑多き遊園地の海賊船を模した乗り物において、雨夜の魔闘。
奇門遁甲の名人を、式神も物ともせず、滑空して斬り捨てた少年がいた。
その手には絡み鍔の両刃剣。それは秋生が所持する魔剣に他ならない。
あの夜。物語のはじまりとなった、月光に照らされた、前夜の魔闘。
筑波研究所を壊滅させ、追手を全滅させ、ヘリをも墜とした少年がいた。
『天桐』に察知され、仕方なしに、赤子を抱えたまま朝を迎えたのだ。
『神子』の存在をあらゆる感知術から隠す魔術を文面に込めて。
教頭の独断専行がなければ、警察に届けず、団で回収するはずだった。
ギリギリの駆け引きは失敗し、混乱し、それでも冬彦を急行させて。
見よ。
部屋の欄間に架けられたハンガー。そこには軍服を連想させる学ラン。
五芒星の縫われた学帽も端に落ちている。白い手袋もまた。
自覚はなかったに違いない。雨宮理沙も「初めましてかしら」と言った。
本人の意志とは関係がないのだ。それを松島冬彦は「利用」と言った。
それでも5年前の秩父から……或いはその以前から、全ては動いていた。
経過は違えど、事ここに至ることは予定されていたのだ。
魔剣を佩く三船秋生による『神子』の守護。
それは幾つか予想された内の、最善に近い結果の1つなのだ。
秋生だったのだ。
学ランの少年の正体とは、三船秋生だったのだ。
その身を憑代にして魔王をこの世界に招く者。
月の光を浴びて超常の存在を運ぶ人の形の御船。
三船秋生は、その生の多くを計画され利用されて、今ここに居る。
5年前までは心身を親の慰み者にされ、傷つけられ、汚されて。
5年前からは心身を団の魔術被験者にされ、穢されて。
誰もが彼を利用する。
彼の意志など問題にせず、彼の心身の特殊性に着目して。
しかし、見るがいい。
暗い部屋に独り苦しむ彼は、今、誰をも恨んでなどいない。
明日になればまた魔剣を抜くだろう。己の意志で。その雄々しき精神で。
彼には護ると決めた子がいる。ならば決める以前など過去だ。
護るために利用できるもは全てを利用するのだ。己の心身も全て捧げて。
護る者は主人公ではないのだ。護られるもののために何をか惜しもう。
魔王と語る秋生の目には、清々しいまでの闘志が燃えていた。




