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汚レタ子ニムケテ-Ⅰ

薄暗い山林を踏破する者がいる。

斜面に対して垂直な獣道だ。剥き出しの木の根を足場にして登っていく。

ちょろちょろと流れる泥水を沢蟹が横切った。靴はそれを避けて降りた。


松島冬彦である。


手品のように右手に、左手に、自在に現れては振るわれる山鉈。

無駄とも言える流麗さはペン回しに類するものか。鼻歌は下手であるのに。

人の営みから遠ざかるように、奥へ奥へと進む。明かりもなく。


「秩父を思い出すよねぇ」


独り言である。心細いのか暇なのか。


「あん時は仕事内容が過激だったけど、今回は暇だよなっと」


鉈を持たない方の手が鋭く動いた。カツリと鳴る樹皮。

棒手裏剣である。それは見事に蛇の頭を貫き、木へ縫いとめたのだ。


「これは基本。違いの分かる異世界志望者にとっては基本スキル」


ブツブツと言いながら、まだ痙攣する蛇をビニール袋にしまいこんだ。

土産にでもするつもりだろうか。どんな鬼に会おうというのか。

鼻歌を再開し、躊躇いもなく叢へ分け入っていく。


「……三船秋生、か」


冬彦の脳裏に蘇る記憶がある。

それは5年前の出来事。秩父山中にて大量殺人をやってのけた思い出。

山へ分け入っていくは、否応なく、彼に事件を想起させるのだった。





その時、松島冬彦は高校3年生であった。

『月盟騎士団』の戦闘要員として働く日々は楽しく、充実していた。

転校する先には必ず闘争があるのだ。命の駆け引きは我を忘れさせる。


既に何人を殺していたか。

時として無辜の人々を護り、時として団の利益のために攻め掛かり。

霊能者を、化物を、機械人形を、軍人を滅ぼす。対象は団が決める。


日本には大きく3つの異能戦力が存在する。

筆頭は公的組織たる『天桐』。次いで企業資本を背景とした『日高』。

後はそれ以外の有象無象だ。新興宗教団体、個人、いろいろだ。


組織として目立てば二巨頭に潰される。

団の基本戦術はゲリラ戦だった。密やかに、忍びながら、戦う。

大いなる目的を成就するために……邪魔者を殺す。


その日の仕事は、いつもとは少し毛色が違った。


カルト集団の殲滅ならば驚きはしない。冬彦にとって初めてのことではない。

しかし、そこに「ボス」と「姫」がいるとなると意味が違ってくる。


「三船蓮次? あれ、何かどっかで聞いたことあるな……」


首を傾げる冬彦に、指示サポート役の上野は苦笑いだ。


「裏社会の英雄の1人だよ。海外で活躍している傭兵……いや、元傭兵かな」


言われて思い当たった内容に、冬彦は珍しく眉を顰めた。不快だった。

世界中のあらゆる紛争地に姿を現すという、古強者の名前だが。


曰く、殺しの天才。手段を選ばず敵を殺し尽くすこと鬼神の如し。

曰く、尋問の鬼才。彼に任せればいかなる者も泣きながら口を割るという。

それらはいい。兵士としては誇ってもいいことだろう。しかし。


三船蓮次という男は外道の天才としても名高いのだ。


その内容についてはもはや伝説、伝承の類に聞こえるほどだ。

人の心と体を冒涜し尽くす悪魔の所業。おぞましさを生み出すその発想。

突き詰めれば、結局は拷問と殺人に行き着く。過程を彩る天才人なのだ。


冬彦には加虐の趣味はなく、性衝動も淡白なほどにしかない。

そんな彼からすれば、噂に聞く三船蓮次はグロテスクでしかなかった。

資料写真に写るのはどこにでもいそうな中年男性。目つきだけが何か違う。


「これの殺害が第2目標なら、第1目標って何さ?」

「行けばわかるはずだ。いるはずだ。見過ごせない誰かが……きっと」

「ふーん?」


予備知識は有ればいいというわけではない。先入観は時に目を曇らせる。

そういうことなのだろうと、冬彦は判断した。お膳立てに従うまでだ。

要はボスを倒して姫を助ければいい。その過程でカルトを殲滅する。


「激戦になるが、単騎だ。これを持って行くといい」


アタッシュケースが開かれた。僅かに耳鳴りが生じる。魔力の波動だ。

血色の内装の中に納まっていたのはオートマチックピストルである。

コルト・ガバメントにしてはバレルが長い。カスタムモデルか。


「スプリングフィールド社のオメガを憑代に『悪魔召喚』を施したものだ」

「おお、魔銃」

「使うときはこの護印縫いの手袋を使え。喰われる」

「そりゃまた物騒な」


実戦的な方術者のいない団が唯一使える方術。それが儀式魔法だ。

とある好事家に端を発する神秘学の研究は、猫の協力を得て、結実した。

別次元の超常生物、即ち悪魔を召喚して、様々に利用する技術である。


月光の下に魔法陣を敷き、供物と憑代とを配置し、神秘の呪文を唱えよ。

さすればそこに彼の者は現れるだろう。世界の壁を越えて。


既に冬彦は一振りの魔刀を与えられている。肉厚の小太刀。

もともとは『天桐』の管理する神社を襲撃、強奪したものである。

それに低級の悪魔を宿した代物だ。生物の体液をすする性質を持つ。


「やれるな?」

「おうさ」


左手に銃を、右手に小太刀を構えて、小さく体捌きを繰り返す。悪くない。

どうすれば最も効率よく、最も効果的に攻撃できるかを試行錯誤する。

彼はその最適解を導く才に長けているのだ。生まれついての戦士である。


「迂回路から入ってもらう。一晩で決めないと警察が動くぞ」

「いつもじゃん。山に散っちゃった場合は?」

「第1目標以外は殲滅だ。山狩りになる。超過勤務手当ては出ないからな」

「……火だなぁ」

「だろうな。ガソリンは用意していくぞ」


軽トラックに乗車しての道中を、冬彦はひたすら寝て過ごした。

夜通しの闘争に備えての眠りだ。心身を静める。発奮に備える戦術行為だ。

揺すられ、起こされたなら、そら……闘争の夜の始まりだ。


山に分け入る。その服装は古めかしい学ランだ。団の戦闘正装である。

背にはガソリン入りのペットボトルを多数。腰には魔刀と魔銃。

胸には破壊の衝動。目には必殺の冷徹。口には充実の微笑。凄惨な夜へ。


大きく息を吸い込む。何という開封感!

1歩1歩と日常の外側へと歩み去る快感だ。全裸になった気分だ。

今宵この時、自分はまた、あるがままに戻れる。全身に清々しさが巡る。


殺そう! たくさん!

最小の動きで最大のスコアを叩き出す喜びを味わおう。

趣味の合わない男がボスというのも、やりがいが増すというものだ。


戦地へ。バトルステージへ。辿り着いたならば、そこは。


まるでこの世の汚濁をかき集めたかのような、淫祀邪教の隠れ村。

生と死を煮る魔女の釜。性と暴で織り成す、粘液と血液のサバド。

冬彦は早々に正視することをやめてしまった。これを直視するのは危険だ。


ただ、言えることは。

そこに人間・・などいなかったということだけだ。


肌色の猿たちがヌタヌタと蠢き、その誰もが誰かへの加害者である光景。

粘質の呻きが合唱され、肉が肉を打つ音がリズムをとる、狂気の演奏会場。

鉄錆と蓮花とを煮詰めに煮詰め、汗を加えて腐敗させたような、淀みの空気。


村を囲うようにガソリンを撒いていく。

誰も気付きはしない。あらゆる禁忌に酔い痴れた者どもは昼夜も知るまい。


炎の中、放置された監視塔に登る。後は撃つだけだ。

ヘッドショットを心掛けつつ、1匹1匹片付けていく。弾は無限にあるのだ。

魔銃の効能とはそれだ。人の命を喰らって弾を産む。大飯喰らいで多産の子。


撃つ撃つ撃つ。

男も女も皆殺しだ。老いも若きも考慮に値しない。等しく肉塊だ。

比叡山の焼き討ちとはこんな感じかと連想する。多少とも飽きてきたか。


それは1つの儀式のようでもあった。

悪徳が淵まで満ちた坩堝が、冬彦という最後の油でもって溢れ、燃え上がる。

全てが焼け焦げ灰と化す様は、炎獄という名の、確かな結末。黒ミサの終着。


そして、燃え落ちる建物の奥から、その男は現れる。

三船蓮次。右手にアサルトライフルを。左手に誰か子どもを抱えて。

肌色の猿の山に君臨するボスだ。いや違う。ボスではあるが、猿ではない。


目つきが違う。そこには確かな理性の光がある。

監視塔で射撃に興じる冬彦へ向かって、ニヤリと笑ってのける心胆。

あろうことか、次の瞬間には掃討を手助けし始めたではないか。


仲間を撃つ狂気。

そんな狂人と躊躇なく共闘する狂気。


村全体の焼失を待たずして、肌色は全て血色に伏して果てた。

炎の中には既に3人しかいない。

冬彦と、三船蓮次と、その手に抱えられた誰か。


それが「姫」なのかと窺う。

卑猥な服を着た華奢な体躯。後ろ手に鉄枷。足首も鎖で繋がれている。

酷い有り様だ。見事なほどに犠牲者である。意識もない。虫の息だ。


なるほど、と冬彦は独り納得したのだった。


なるほど、アレが第1目標だ。この腐り果てた中で最も汚された者だ。

自ら汚れてはこうも汚れることはできない。一方的に汚されたからこうだ。

そうか、ここは熟れきった果実だったか。そしてアレは種子なのだ。


初めは女の子かと思ったが、どうやら男の子のようだ。何ともはや。

サバドに嬲られ、魔女の釜に命を蒸発させる直前の、その無残極まる姿。

元が綺麗だから穢れるのだ。そんな彼だからこそ保護しなければならない。


そう得心がいったからか、三船蓮次の言葉は至極当然に聞こえた。


「随分といいタイミングで横取りに来たもんだな、オイ」

「……パンツくらいはけよ、おっさん。ソレは貰い受けるから」


言い捨てて、監視塔から飛び降りる。

さぁ、殺そう。このボスを倒して彼を救出しなければならない。

左手に魔銃を。右手に魔刀を。全ての間合いで攻撃できる。


三船蓮次はその場に荷物・・を落とした。スタスタと歩きながら武装を変える。

所持していた銃はAK-74というもので、銃口下部に銃剣がついている。

それを外して左手に持った。相手に合わせてのことか。酔狂か合理か。


死闘だった。


挿絵(By みてみん)


撃ち合いについては三船蓮次が、斬り合いについては冬彦が長じていた。

五体を駆使した格闘戦と戦闘勘についてはほぼ互角。経験の絶対量は違うのだが。

経験の質が異なる。前者は通常の狂気を、後者は異常の狂気を戦ってきたのだ。


武装の差は甚だしい。

アサルトライフルも銃剣も一般的に普及するそれに過ぎないのに対して。

魔刀はかすめるだけで皮膚を劣化し、刺されば筋肉を萎縮させる。

魔銃は弾装の交換もなく、血色の鉛弾を吐き出し続ける。


しかし、それでも尚、三船蓮次は拮抗してくる。強い。


爪を、泥を、唾を、終いには屁すら用いて襲い掛かる狂猛。

脈絡なく間断なく恥も外聞も拘りもない獰猛。それらは狂気の歴史の差か。

冬彦は整い過ぎていた。合理に合理を重ねた洗練は、潔癖に過ぎたのだ。


互いに浅くない傷を負わせ合ったる後の、その瞬間。


5.45ミリ弾が両腿を薙ぐように撃ち抜き、銃剣が左肩を抉り裂いた。

どちらも肉も骨も剥き出しになり、砕け、潰れ、悲惨な有様だ。

魔銃は遠くへ投げ出された。魔刀は三船蓮次の左腕に深々と食い込んだが。


「後世畏るべしだな。若ぇのに随分とやるもんだ」


頭突きを避けた冬彦だが、それはフェイント、膝蹴りが鳩尾に入った。

よろめく隙を見逃されるはずもなく、魔刀を持つ右腕をやられた。

脇固めか。肘を逆側へ圧し折られたのである。骨が皮膚を突き破って出た。


「1本と4本とじゃ、ま、俺の勝ちだな」


魔刀を払い落すも、三船蓮次の左腕は枯れ枝のように変色し、萎えている。

それを面白そうに撫でつつ、全裸の男は勝利者の佇まいだ。

手足のどれ1つもまともに動かせない冬彦。何の表情も浮かべずに。


その、信じられないモノを見ていた。


黒い炎だ。

周囲の火とはまるで違う。根源的に何かが異なる、幻想的な揺らめき。

音も無く、1人の人間を包んで踊っている……生きた闇のようなそれ。


知らず、冬彦は笑っていた。

ああ……そうか、そういうことか。

人が悪いぜ上野さん、俺に黙って俺を利用するなんて。


村を囲う炎の円陣の中に、どれほどの供物が捧げられたろう。

人の世の暗黒を極めるこの狂夜にあって、最後に閉じられたのは魔銃。

業深き2戦鬼の必死をすら喰らって、悪魔の武器は献じられたのだ。


が、その繊手に魔銃を持っている。素手のままに。

月の光に照らされて浮くその姿……妖艶にして清楚、悪鬼のようで聖母。

卑猥な布すら艶やかに映る。体中の傷跡は装飾。汚れは勲章。



『魔王』だ。


これは『魔王』だ。そこらの悪魔ではない。



『月盟騎士団』結成当初から信仰される伝説がある。

次元の壁の向こうに潜む悪魔たち……万の彼らを統べる王がいるという。

無限の宇宙の、容積も歴史も熱量も何もかもを凌駕する神の如き存在。


別世界から流れてきた紙片。団の秘宝。そこに描かれた絵によれば。

黒い炎を纏いて月光の如き眼光、深遠なる星空を呼吸する者であるという。

目の前にいる、彼ではないか。



おぞましさの究極に至ったこの夜に。


正に『魔王』は降臨したのだ。


哀れな子を、その憑代にして!



冬彦の四肢が、三船蓮次の左腕が、両者の全身を彩る傷という傷が。

暖かな風に撫でられ癒えていく。足元には雑草が急速に生い茂っていく。

奇跡だ。極みの先にあっては聖も邪もないものか。いや、それで当然か。


「これが……神か。我が家の、ミフネの宿命とはこれなのか」


三船蓮次。彼もまた何かを知り、その為に今日までを生きてきたのか。

この夜を演出したのは間違いなくこの男だ。この奇跡を招き寄せた。


ああ……だが不完全だ。足りない。奇跡が消えていく。

台無しになっていく。素晴らしいものが徐々に薄れ、失われていく。

足りない。何て悲しさだ。足りないのだ。かくも捧げて尚、足りない。


「『魔王』とは非業の極みに近寄るものと聞くぞ」と冬彦。声には焦り。

「そうか。我が息子に今すぐ足せるものがあるな」と三船蓮次。


2人の間には1つの共通した欲求しかなかった。

消したくない。灯したい。失いたくない。欲しい。今のを。今のを。


「俺は死ぬ。任せていいな?」

「ああ、繋ぎとめてみせるさ」


今や地に落ちて意識なき子……三船秋生のもとへ歩み寄る父。三船蓮次。

秋生の手に銃剣を握らせると、勢い良く、自らの心臓へ刃を突きたてた。

さらに抉る。噴出す血潮。秋生が赤く赤く赤く染まっていく。


「子の父殺しの業、見届けた」


告げる冬彦に頷いてすら見せて、三船蓮次は倒れた。夜空を視界一杯に。

消える命。村を焼く炎もまた勢いを減じている。一夜の狂騒が終わるのだ。


遠くサイレンの音が聞こえている。この火事だ。ヘリも来るだろう。

全てをそのままにして、冬彦は山中へと去った。保護と確保とは別問題だ。

このままでなくては。彼は父殺しを自覚しなければならないのだから。


失われた……いや、役割を遂げた魔銃。

魔刀だけを回収して、秩父の山の暗闇を、半ば駆けるようにして。

駆けずにはいられなくて。この夜以前には戻れない何かを自覚しながら。



冬彦はその日以来、魔刀を封印して使うことがなかった。

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