血ヲ流スモノドモ-Ⅲ
しっとりとアスファルトを染めた雨も消えた、米軍横須賀ベース。
照る日に乾かされ、ゆらりと湿気のただよう地表には目もくれず。
「回線捜索! 何度でもやれ!」「防衛省の諜報員は!」「解析急げ!」
地下は怒号と電子音との坩堝と化していた。
『天使連盟』第二方面軍司令部は、前例のない事態に直面しているのだ。
単独で戦闘任務へ向かった佐官への対処としては類が無い。
戦死は端から否定され、行方不明兵としての捜索が実施されている。
そして脱走兵への認定も段階を踏んで下されているのだ。徐々に。確実に。
「いやぁ、何ともはや……様になりませんなぁ」
ベレー帽を斜にかぶり、眼帯もまた斜めに巻いた男が苦笑混じりに言う。
ストーム大佐である。歴戦の戦士としか表現のしようもない佇まいだ。
「これでも最悪ではないのじゃぞ? とち狂った子を回収できればじゃが」
答えるのは第二方面軍の司令官だ。ハイマリアである。
重厚な椅子。立派な軍帽。厳つく重々しい軍用ジャケット。勲章と威厳。
だが幼女である。しかも随分と愛くるしい。カップの中身はココアだ。
光ヶ丘の夜の闘争。
ソウル少佐単独による敵拠点への襲撃は、予想だにしない結果を生んだ。
敵拠点の半壊及び放棄と、ソウル少佐の未帰還及び行方不明である。
もともと軍人としての心得には欠けていた少佐ではある。
調査対象であることもあって、その体内には様々に『仕掛け』があった。
身体情報収集の観測器、GPS装置、そして反乱防止の与ショック機構。
鈴首輪付きの猛獣だったのだ、ソウル少佐は。
特殊な来歴と人格、身体能力とが『連盟』をして彼の扱いをそうさせた。
思想を同じくした仲間として、信頼できる軍人として遇したのではない。
此度の派遣も戦闘データ収集目的であったのだ。それがまさか。
「確かに。私が出ていたなら、或いは戦死していたかもしれません」
言いながら、ふと眼帯に手を添えた。無意識の行為である。
大佐の右目には彼の奥の手と言うべき兵器がある。それを確かめたのだ。
極めて強力な敵だったのだ。
少佐から発信されたデータと、『神僕』の鳩が収集したデータとがそれを示す。
長い刀を振るう敵オーラ使いの戦闘能力は凄まじいものであった。
まずはその戦闘速度だ。
両者の間に争われた高速の攻防は、ソウル少佐にとっても記録の更新であった。
目では追えまい。ハイスピードカメラでもってようやく解析できる速度だ。
次に、そのオーラである。
電気的なオーラであることは早い段階で識別できたが、その威力たるや。
最終段階で放たれた大電撃に至っては、落雷のそれに勝るとも劣らないものだ。
いや、少なくとも電圧に関しては雷一般のそれを上回ったのだろう。
オーラのものゆえ物理現象としては捉えきれないが、何億ボルトであったのか。
ソウル少佐に埋め込まれたあらゆる機器は破壊された。一瞬の内に。
そして少佐は暴走する。状況を知れず、声も届かない。
鳩の視界には、戦闘を放棄したらしき彼が敵とハグをするまでが映っていた。
直後に起こったオーラの大爆発。その光の中に少佐は消え失せた。
「あの雷を喰らって生存できる少佐が異常なのじゃ」
ハイマリアは手元に目をやる。少佐の着任とともに提供されたデータ集だ。
ここまでの耐久性をテストしていたわけもない。速度にしても同様である。
回復能力の効力も含めて、あらゆる点で既存のデータを凌駕したのだ。
「上は喜んでおったよ。まぁ、回収することは大前提じゃが」
「我々は歩く軍事機密ですからな」
「向こうもそうじゃろ。あの剣を奪いたかったのぅ」
「サムライソード。ミステリアスですな」
完全ではないにしろ、ハイマリアは『神眼』でそれを見た。
自立的なオーラを内蔵する長大な剣。電気的な性質を帯びる強力な兵器。
異教の術式の塊であると同時に、ある種の化物の変化ではなかろうか?
東洋にはそういった実例が多くあると聞く……ハイマリアの関心は高い。
どうすればそれらを撲滅できるのか、と考える。
「敵はどうやら純粋な剣士ばかりではないようですが、戦略のほどは?」
「変わらん。元より承知しておるわぃ。我が軍の剣士もそう単純でなし」
「はっはっは。それはまぁ、そうですな。失言でした」
状況は混乱しているも、大局的には修正のきくものとハイマリアは考える。
何故なら、自分たちは敗北していないからだ。勝利の後の混乱に過ぎない。
充分に武威を示したのだ。むしろ些かやり過ぎたくらいである。
探し物は土地の者にやらせるべきだ。
その上で、武力をもって譲渡を迫れば良いのである。変わらぬ方針だ。
「神子とやらが何者であれ……」
ハイマリアの言葉が、ココアの香りと共に、ゆらりと流れていく。
「大衆に飲み込まれる程度の存在であるのならば、捨て置けばいいのじゃ」
庶民の足とは、燃費と実用性で選ぶべきである。
カッコ良さというのは見た目にあらず。機動性でもない。機能性だ。
赤信号に停まる交差点。
ショウウィンドウに映る己の姿を見て、松島冬彦はそんなことを考えた。
ホンダ・スーパーカブ50ccに跨っている。ヘルメットは電子の妖精仕様。
見た目のカッコ良さで言えば、いつものマシンの方がいい。
いや、正直に言っていいのかもしれない。燃費以外は全てあちらが良かろう。
カワサキのバルカン900クラッシックをベースとした改造バイクだ。
速い、強い、カッコ良い。だから目立つ。
どこに目があるか知れない今は使用を控えなければならない。
彼は今、複数の仕事を抱えていた。
連絡員としての仕事が幾つかと、物品の受け取りの仕事が幾つかである。
公的な方術機関を敵に回した以上、そんなことすら危険が伴うのだ。
「じゃかじゃんっ、あったらしーいぃー、ふんふんふ、ふふふふ……」
楽しそうである。
軽快にカーブを決めて、袖に武器を隠し持った男は住宅街へと入っていった。
奇妙な相似形を見せる建売住宅の連なりを行過ぎて、一軒の邸宅へと到着だ。
隣近所の家であれば何軒分だろうかと思う。
白い石壁と庭園の松の向こうに屋敷が見える。ほう、と冬彦は言ってみた。
表札には「入江」とある。チャイムを押して名乗ってみるのだった。
「私、学習院大学実践資本研究室の丸山と申します。お忙しいところ……」
普段とは似ても似つかぬ柔和な口調である。慣れたものだ。
ご子息の通う高校のOBであり、とある人物の先輩であると告げる。
アポなしだが、しかし目当ての人物が帰宅していることは確認済みだ。
通された応接間。
磁器を見る。マイセンの隣に伊万里とはどうなのだろう、と思う。
絵画を見る。現代の作だ。どこぞのカフェを描いている。いいね、と思う。
「あの……三船くんの先輩って聞いたんですけど……」
部屋に入ってきたのは、美少女と見紛う男子高校生、入江夏紀である。
冬彦は手に持っていた西洋アンティーク人形を静かに棚に戻した。白だった。
座りなおし、紅茶を一口。しかる後に答えた。
「それ嘘。でも三船の身柄は預かってるよ」
「え……え!?」
「伝言預かってきた。心配無用。以上。終わり」
「えっ……えっ?」
再びの紅茶。冬彦は大いに満足していた。これは面白美味しい。
一方の夏紀は不規則な動きを繰り返した。両の手がひらひらにぎにぎと動く。
秒針が1回転しようという間をおいて、ようやっと、大きく息をついた。
「伝言それだけ……でも無事なんですね?」
祈り疲れたような、すがるような、その問いかけ。欲しい言葉が見える。
茶請けのクッキーをしっかりと噛み、呑み込む冬彦を待ち続ける。じっと。
しかしこのボサボサ頭は言うのだ。にべもなしに。
「日々死に掛けてるなぁ」
「えええっ!?」
「もともとこっち側の人間でしょ、あいつ。そっちだと窮屈してたんじゃない?」
次のクッキーを品定めしつつの言葉だ。ガチャリとテーブルが鳴った。
黒と白との旗のような1枚をターゲットにしつつも、取らず、居住まいを正す。
両の拳を握りしめて、夏紀は立っていた。下唇を噛み切ってしまいそうだ。
「何も……知らないで……!」
「5年前の大麻村事件なら知ってるよ。しかも詳しい。俺、現場にいたし」
「なっ!?」
「今も定期的に心療内科へ通院していることも、高校での生活態度も知ってる」
今度は何分かかるだろうと思いつつ、クッキーと紅茶を繰り返す冬彦である。
スムーズに回転する秒針はチクタクとも言わない。穏やかな昼下がりだ。
まだ余裕はあるな、と短針の残余角度に今日の予定を思う。この後は群馬だ。
「どう……して?」
「内緒」
言えるわけもない、と思う。
高校の校長も、心療内科の担当医も、どちらも『月盟騎士団』の団員だ。
事件以降の三船秋生は常に団の監視下にあった。本人も知らないことだ。
悪徳だよなぁ、とも思う。
心神喪失状態で保護された、小学5年生の三船秋生。それを団は利用した。
本人の意思とは無関係に魔術を施したのだ。経過を観察しつつ、何度となく。
勝手なもんだ、とため息をついた。
全てが周囲の都合だ。事件以前には両親が、以後は団が、彼を利用している。
自分だって他人事じゃない。大麻村を壊滅させた際、彼を利用したのだ。
けどなぁ、三船。
利用されっぱなしで終わるも終わらんも、お前さん次第なんだぜ?
「……会えないんですか?」
「うん。電話も駄目。俺ももう来ないし」
「あの赤ちゃんも一緒にいるんですか?」
言われて初めて、冬彦は夏紀を見た。それまでは見もしていなかったのだ。
「もしかして、抱っことかした?」
「え? いえ……してないですけど」
「そ。ならいいや」
用は済んだとばかりに立ち上がる。漢字にして4文字を伝えるための来訪だ。
クッキーを運んできていた使用人にお辞儀を1つ。お構いなく、と玄関へ。
その大股の歩みを止めたのは、使用人でも夏紀でもなかった。
「あら……もうお帰りなのかしら? 学習院の院生さん」
ああ毒婦だな、と冬彦は断じた。
気だるげな雰囲気をまとった女性が階段を降りてくる。入江夫人だ。
「大学から言われて来たのではなくて? お姉ちゃんに会っていかないの?」
「母様、この人は僕のお客様で……」
「お黙りなさい。鬱陶しい」
カアサマ、オダマリナサイ、と口の中で唱えてみる冬彦である。
思いもよらない見世物が始まった気分である。時間的にも昼ドラだろうか。
「お前は勉強でもしていなさい。男の子なんだから」
凄い理論だと思いつつ、冬彦はそろりそろりと玄関への逃走を始めていた。
話の長そうな女性は苦手である。身分詐称中とあれば尚更だ。
次第に白熱していく口論を尻目に、何とか靴へとつま先をのばした。
「い、今は姉さんのことなんて構ってられないんだ!」
「口を慎みなさい! あんな馬鹿高へ進学した無能の分際で!」
「姉さんなんて引き篭もりじゃないか!」
「男のくせにそんな髪型にして、恥ずかしくないのかしら!?」
学歴、ジェンダー、親子と論争の種の尽きない様子に少し感心しつつ。
冬彦はそっと出ていくのだった。人間、いたるところに闘争あり。
「ご馳走様でした。恵さんによろしく。さようなら」
あくびをしつつカブを駆る。次は北だ。群馬の山中へ赴かねばならない。
郵便配達のバイクに親近感を感じつつ、のんびりと法定速度を守る。
冬彦にとって日常とはいつだって退屈だ。貴重らしいが、趣味ではない。
中学の時分から、闘争に闘争を重ねてきた彼である。
校内を統べる上級生を病院送りにした。セクハラな教師を物理的に去勢した。
正義感からではない。偶然だ。他者を侵害するものは災厄を招き易いのだ。
卒業する頃には地域に彼を恐れぬ者とてない有様だった。
高校でも気の向くままに力を振るった。はみ出した奴はどこにでもいたから。
睨むでも凄むでもなく、暴の気を漂わせる誰かに無言で歩み寄り、撃破する。
半年もせず標的が尽きてしまった。不思議と周囲からの叱責はなかった。
いつからなのかは知れないが、目をつけられていたのだ。『月盟騎士団』に。
団は社会のあちらこちらに少なくない人員を埋伏させている。
診療所の医師。幼稚園の事務員。電化製品量販店の副店長。交通整備員。
何の繋がりもないはずの1個人が、不意に、団の協力者となっていくからだ。
老若男女の区別無く、たった1つの共通性が彼らを『月盟』させていく。
違和感。どんな地位にいようとも。どんな環境に生きていようとも。
周囲にどう映ろうとも、その内面に否応無く抱えている違和感があるのだ。
異邦人の寂寞。
協調を演じることはできる。充実も満足も諦め、足るを知るならば。
それは誰であれ自らに処すものかもしれない。社会で生きるとはソレだ。
しかしどうしようもなく馴染めない者もいるのだ。
社会秩序が余りにも他人事に感じられてしまう人種。真の社会不適合者。
そう産まれついた者。その本性を改める前に、重んじてしまった者。
息をするように世界を裏切る存在。
あるがままに在ることが異彩を放ってしまう人々。
彼らこそが『月盟騎士団』の団員たちである。
団員たちは夢で繋がっている。文字通りの意味でだ。それが『月盟』。
月が妖しく光る晩、寝所に猫の1匹がいたのなら、それは団への招致。
精神は月光の庭に集う。しゃべる猫はその案内人だ。
冬彦がそこに居場所を得たのは高1の冬。
実戦要員の不足する団にとって彼は期待のホープであった。
魔術の武器を与えられ、月光に盟約を結んだ異邦の騎士となったのだ。
全国を転々とする闘争の日々。その充実。人間を殺めた。人外を滅ぼした。
何度目の任務であったか、あの秩父山中の殲滅戦は。
「比叡山の焼き討ち、か……」
暢気なエンジン音に紛れて、冬彦の呟きは誰に聞かれることもなかった。