血ヲ流スモノドモ-Ⅰ
夜の公園に闘争の続く。
老若男女の憩いの場であったはずのそこは魔に呪われでもしたのか。
そら惚けたクリーム色の外壁に急ぎ覆われた内側は、今や戦鬼の巷である。
日常を生きるものよ、心して目を背けよ。耳を塞げ。平和の朝を望むのならば。
今夜の守り手は、先だってと同様の『天桐』。
日本国の霊的秩序と国防とを一手に担う宮内庁付特別執行機関である。
その権限は強大だ。配下の警察官、自衛官を見ればそれがわかる。抽出自由だ。
彼らはここに寛ぎを否定した。子供が笑い走る場所に防衛陣地を敷いた。
戦車などはないものの、迫撃砲や重機関銃が物々しく配備されている。
そこへ攻め寄せた敵は、この非日常の夜に、ただの1人。
キリスト教における対霊異戦力の頂点たる組織が派遣した、特別な突撃兵だ。
『天使連盟』第二方面軍司令官直属佐官、ソウル少佐。
ゲルマン系の美丈夫たるその身には武装の1つとてない。
機械的な強化もない。在るがままにして強い。肉食動物がそうであるように。
筋骨に充満する無形の力の波動。彼らの表現に沿うならばオーラ。
走れば機動兵器に優り、触れれば装甲列車の衝撃。
手足の一振りは鉄球車の破壊力か、はたまた砲撃の爆砕力か。
勘としか言いようのない何かで敵を見つける。レーダーなど。
純粋なる強者。
圧倒的なパワーとスピードで何もかもを壊し、蹂躙してやまないその突撃。
それはしかし、この夜都の戦の園において、進攻を阻止されている。
たった1人の剣士によって。その手に持つ一振りの大太刀によって。
パワーが逸らされ、去なされる。スピードで負けているのだ。
判断もまた然り。虚実の様々に翻弄される。空振りが大気を唸らせる。
剣士の名を巴山渚子という。
普段は地元の私立高校に通う、ただの少女に過ぎない。まだ1年生だ。
その風貌は魅力に溢れ、明るい性格もあってか人気がある。学園のアイドルだ。
異質なところがあるとすれば、常にカッターを数十本と所持していることか。
円筒形の筆入れにギュウギュウに詰め込んだものを、2つ鞄に。
他にも、袖に、ポケットに、スカートに、下着に、リボンにすら忍ばせて。
誰に気付かれることもなくニコニコとして。
次の瞬間には周囲の十数人の喉をパックリと裂き連ねる殺人術を秘めて。
血煙の可能性を常に漂わせながらもそう悟らせず、人を惹きつける。
華やかに飾り立てられた狂気の妖刀……それが彼女か。
だとしたなら、今夜の彼女は鞘捨てた抜き身の刀であろう。
霊布の鎧直垂の上に纏うは伊予札二枚胴具足。黒地に金箔と緑糸が映える甲冑だ。
あの森蘭丸の所用とも伝わるそれは、こと霊威においては確実堅牢である。
筋骨隆々たるゲルマン系軍人の猛攻に対して、彼女は優雅に抗う。
蝶のように舞い、蜂のように刺すとはこれか。舞踊のようですらある戦い。
しかし長い。針たる刀が。
その大太刀の名を『雷震』という。
大きく反るその刀身の長さは5尺2寸。1メートル半を超える長大な代物だ。
並みの人間には振るえまい。いや、そもそもそれは斬るための刀ではない。
刃がないのだ、それは。
全く研ぎがなされていない。鍛造されたままの姿。初刃と言う。
鉄色に土の黄色味すら滲む地金は、野暮ったく、刀剣の美しさを感じられない。
刃紋などない。鋼の煌めきもない。武骨ですらなく、鈍重だ。
刀としての姿は整っているだけに、汚れきっているようにすら見える。
奉納用なのか。それとも未完成なのか。
どちらにせよ戦場にかついで出る武器として相応しくない。
そして。
そのどちらでもないがゆえに、巴山渚子は日本三強の1人なのだ。
無言で振るわれる『雷震』。
小柄細腕としては驚くべき速度だが、あくまでも人の内の強者だろう一振り。
ソウルは容易く回避した。間一髪ではない。かなりの余裕をもって避けた。
しかして、斬れる。
黒いシャツが2箇所、3箇所と細く肌色を見せ、直後に血色を滲ませた。
ソウルの全身にはそういった裂傷が無数に作られれている。中には深い傷もある。
『雷震』には触れていないというのにだ。戸惑いを隠せないでいる。
見えまい。それは電光の斬撃。
刀身を中心にして霊威の電界が発生しているのだ。
その効果範囲に生物が入ったのならば、光の速度で切り刻むべく。
これぞ、高天流『雷切』。
刃無き刃に殺傷力を生じせしめている方術である。
一方で別の方術もまた発現している。
触れたるものの神経系を蝕み、身体の自由を奪う毒なる電気。高天流『操電糸』。
攻撃と回避の応酬の中でそれと察知されることなく、敵に、己に作用している。
敵にあっては身体の麻痺として捉えられている現象だ。
『雷切』の間合いの不思議で幻惑しつつ、密かに、何匹も送り込んでいる。
強力なオーラによって減退させられ、消え去りつつも、次々と新手を。
己にあっては身体能力の限界を引き上げ、この攻防を可能たらしめている。
人体とは思考にしろ運動にしろ電気信号によって行っている機構である。
思考速度を引き上げ、筋肉への伝達速度を引き上げ……彼女は超人へと至る。
世界をスローに体感し、世界へ超速度で対応動作する応用方術。
高天流『操電糸』の発展的派生、独自のそれを名づけるのならば、『加速』。
それは無敵の術であった。
いや、術としては無敵のものであるだろう、今も。
しかし見よ、両者の激しい攻防を。
互角だ。
互角なのだ、その術をもってしても。
幾度目かの交差を終え、両者は中距離の間合いをとって対峙した。
無言である。交戦開始から今にいたるまで、気合いの1つすらない両者だ。
呼吸すら気配を殺している。一切の色を見せない。これはそういう殺し合いだ。
ソウルが僅かに動いた。一瞬、身体全体に力を入れたのだ。
さりげなくすらあるその所作は、しかし、この闘争において大きな意味を持つ。
弾き飛ばしたのだ。身中の『操電糸』を。
つまりは術を察知し、理解したのだ。頷いたところを見ると自らの発見ではない。
彼の耳に囁く存在がある。マイクロフォンによる通信。ハイマリアだ。
高速戦闘のために捉えきれず時間はかかったが、今、その解析を終えたようだ。
身体の動きを確認するように、ゆらゆらと手足を動かすソウル。
隙のようで隙でない。全身に力が漲っている。体表に発光すら認められるオーラ。
傷口という傷口が急速に閉じていく。身体の治癒能力すら高めているのか。
いや……これはどういうことか。
服すらもその綻びを修繕されていく。いや違う。元に戻っていく!
裂かれる以前の形へ。着馴らしてよれる以前の張りへ。欠損した布すら再現して!
破壊が破壊を呼ぶこの闘争の夜にあって、異様極まるその現象。
仮に全てが、体力や持久力といったものすら元通りになっているのならば。
もはや勝負は決したと言えよう。
黒い甲冑に包まれた渚子の身体は、既にして、激痛の支配するところである。
痛覚の信号を全て電気的に遮断しているからこそ立っていられる。
それを止めたならば、最悪の場合、ショック死しかねない。それほどまでに。
限界を超えて動き過ぎたのだ。
『加速』とはいわば無理やりなオーバークロック。神経系への負担は大きい。
しかし何よりも筋肉繊維や骨組織への過負荷が凄まじいのだ。鍛えていようとも。
勝負を決定づける一瞬のみに使うべき術なのだ、『加速』とは。
それを常時全開で使い続けたことは英断か愚行か。ただ1つ言えることは。
そうしなければ勝負にならなかったという現実だ。
また、負傷もある。
先だって『電影』を『クラッシュ』で薙ぎ払われ、遁甲術を勘で見破られて。
咄嗟に『雷切』と『操電糸』とを発動させて見舞った一撃も受け止められて。
その上で蹴り飛ばされた時の負傷だ。
右肘と右肋骨とが折れている。内臓へのダメージも少なくない。
他方、精神への負担も相当のものだ。
思考速度の上昇だけでも脳神経にダメージがあろうに、方術を複数駆使している。
天賦の才あって為せることだが、才は身を焼く側面も持つ。
彼女の意志は、もはや苦痛の炎の中に孤立する氷花に等しい。
おもむろにソウルが動く。
半身になって、左手を前へ、右手を後ろへ。弓を引くかのようなその態勢。
『クラッシュ』だ。2度目となる『クラッシュ』を繰り出す構えだ。
対して、渚子は『雷震』の刃を左にして水平とした。
左拳を左耳に。右手は手の平を上にして、刃を下から支える。
足幅も広い。体は前傾して重心を低くとっている。変形裏霞。突撃の構え。
対称的にも見える両者。渦巻く鬼気。必殺の彼我。
空気から色と音とが消え去る緊迫の極み。加減無き死を刹那の後に控えて。
1発の銃声が響き渡った。
ソウルの側頭部がバチンと音を立てた。命中だ。
それを合図として嵐のような銃撃が巻き起こった。静寂から即変の暴音乱打。
自衛隊だ。密かに半包囲陣を形成していたのだ。狙撃銃と機関銃との乱れ撃ちだ。
人型の火花と化した目標を、そう在らしめるために、撃つ撃つ撃つ。
有効打の一撃としてないことを知っているからだ。硬い。硬質の着弾音。
オーラだ。
ソウルの体表にはオーラの光が充満している。それが彼を鉄皮と化した。
気付いていたのか、この奇襲を。さもなくばオーラは拳に集中していたはずだ。
勘か。それともハイマリアか。
しかしながら、それは隙だ。
『雷震』が凄まじい勢いで霊気を発している。
刀身には太い蛇のような放電が常駐し、うねり、紫の光を放っている。
『加速』を解いての集中。発現せんとするのは大なる雷電の斬撃。
高天流『紫電斬』を強化して……『紫苑雷斬』。
霊験兵器たる大太刀を砲身として。放電の轟音を砲撃音として。
その恐るべき一撃が放たれた。紫色を帯びる閃光。目を焼く軌跡は大蛇か大鎌か。
結果は……1つの勝負の結末を意味する。
ドサドサ、ドサリと音が立った。
何かが落下した音だ。最初の2つは軽く、最後の1つは比較的重い。
足だ。
脚甲を装備した、膝から下の足だ。それが2本。
宙を舞ったる後に、芝生の上へ落着したのだ。
離れて、渚子が突っ伏している。
砕かれもがれた両膝。出血が酷い。鉢金が落ちて黒髪が乱れ広がっている。
身体の下敷きとなった『雷震』には今や何の霊威もない。消失か沈黙か。
片やソウルは。
渚子が立っていたその位置で、すっくと立ち上がった。
左腕が肩まで大きく裂けていて、中から骨が覗けている。そればかりではない。
断面を中心にしてあちらこちらが焼け焦げている。肉の爆ぜた場所すらある。
相討ち、と言うべきなのだろうか。
あの乱射と『紫苑雷斬』に対して、ソウルはただ1つの技をもって応じたのだ。
スライディングキック。
地表数センチメートルを滞空直進する跳躍と、身をひねっての蹴りの一撃。
銃弾を弾くその体表を『紫苑雷斬』は焼き裂いた。それは見事であったろう。
だがそれはソウルに致命傷を与えることも、接近を止めることも叶わなかった。
間合いを詰めるなりの蹴撃。『加速』状態にない渚子には見えたかどうか。
鉄骨をも容易に陥没させるオーラの蹴り。
命中した両膝を砕き、圧し折り、切断すらしたに終わらず、吹き飛ばす。
先の攻防で一切当たらなかった蹴りの1つが当たっただけで、こうだ。
もはや渚子は近接の戦いなどできぬ身と成り果てた。
集中は乱れ、いや増しに増した苦痛の嵐も襲っていよう。出血は死を招こう。
そも意識は有るや否や。この場合はどちらが幸運かもわからないが。
それを見やるソウルは、この間にも、傷を回復させていく。
再び沈黙の園となった中を1人佇み、静かに傷と服とを直していく。
誰も何もできない。動けない。圧倒されるよりないその光景。
相討ちではなかろう、これは。
歩きだす。
何の衒いもないその歩み。必殺の決意もない。ただ作業として殺しにいく。
無言だ。
渚子の無言が戦闘術として相手に意図を察知されない為であるのに対して。
ソウルの無言は無感動からのものに違いない。興奮や緊張が無いのだ。
だからだろうか?
ごく自然体で登場したその大男を、ソウルもまた自然体で受け入れていた。
殺気無く、通りすがる気安さで、命を摘まんとするその歩みを遮った者。
墨染めの衣を羽織る巨体。壁のように立つは魁尊である。
「無邪気な男だ。それほどの力を持ちながら、無垢の眼差しとは」
悲しげですらある声音。低く耳朶を打つその日本語を解したものか。
ソウルはニコリとした。蕩けるような笑顔だ。
親しい者と再会したかのように、気軽に歩み寄っていく。
ポンポンと、今や自由に動かせるようになった左手も使って、両手で。
魁尊の身体を手の平で軽く叩いていく。何かを確かめている。笑顔のままに。
「何も持っておりはせん。支払うのはこの命だ。退いてくれぬか?」
その言葉には何の反応も見せず、まさぐることを続ける。
遂には着物の前部をガバと開いた。隆々たる胸筋と腹筋とが現れる。
ソウルはパチパチと拍手した。賛辞の際に行うと教わったそれをした。
「……筋肉が好きか。ならばこうするか?」
魁尊は腕を広げ、正面からソウルを抱き締めた。
まるで熊が獅子に対してそうしているような、どこか滑稽なその抱擁。
万力のような圧力がかけられているも、双方の表情に苦味はない。
血管が大きく浮き出る。ギリギリと軋む大筋力。
魁尊の法力もまた唸りを上げている。次第にその巨体は発光を強めていく。
「逃げるどころか抵抗もせんか。どういうつもりだ?」
答えず、堪えず、ただ笑うソウル。
正気の疑われる状況だ。魁尊の法力は暴走状態にある。無制限に練られる力。
意図は明らかである。自爆だ。魁尊は己を法力爆弾にするつもりだ。
それはどれほどの破壊を振りまくものなのか。
自衛隊員たちの動きは速い。即座に撤収を開始している。渚子も回収された。
周囲を照らすまでになった魁尊の法力。ソウルは笑みを崩さない。
効かぬ自信か。気付かぬ馬鹿か。
ただ法力の暴走だけがもはや止めようもない有り様である。
「貴重な時間を購った。悔いは無い。今支払うぞ」
光が溢れた。