ハイマリアEYES-Ⅰ
泣き声じゃ。
童の泣き声じゃの。
もう無理と、これ以上は耐えられないと泣きじゃくっておる。
助けて。誰か助けて。救って。救い上げて。
情けないのぉ。人生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし、じゃ。
不自由を常と思えば不足なし、とも言うわい。しかも。
お主、優れた才を持っておるな? ワシと同様に。
ならば胸を張れぃ。その才は権利であると同時に義務なのじゃ。
世界に己を示せ。才持つものはそれを人類のために行使せねばならん。
力を尽くすのだ。眠り休むなど、死んだ後に幾らも出来ようからに。
よし、笑うがいい。優秀者。
仕方はわかっていよう。時は常に先へと流れる。進め。
代わりなどおらんぞ。恨むなら己の才じゃ。持って生まれたお主が悪い。
弱音を吐くなど許されん。命の限り戦い続けよ。死ぬなら前のめりじゃ。
進歩して進歩したその先に、神は居る。
お主は晴れがましくもその先駆けなのじゃ。誇らねばならんぞ?
……それはそれとして。
ワタシとお主、どうにも他人と思えんのぉ。
姉妹のようじゃ。むむ? なんじゃ、ワタシではないか!
これはしまったな。いつのまに眠ったのだ。
しかし不思議なものじゃ、夢とは。映画のように選べるといいのぅ。
まあ、いいわぃ……起床じゃ。覚醒せよ、ワシよ。
◆ ◆ ◆
大問題の発生じゃ。
昨夜未明、日本国にて行われた戦闘はとんでもない事態を招きおった。
戦況を監視していた衛星が消滅したのじゃ。破壊ではなく消滅じゃぞ?
反応をロストしたということではない。文字通りじゃ。欠片の残骸もなく。
あれは只の衛星ではない。切り札の1つたる攻撃衛星ぞ。
必要とあらば国をも滅ぼす力を秘めた人造天使……我々による天罰の象徴。
それが失われるなど、あってはならんことじゃ。
なぜなら、我ら『天使連盟』こそは神の威光の体現者。
人類発展のための貢献組織であり、神の国へ至る先行選民団である。
極東支部『日高』では、もはや力不足。
ワシはこれを解決せねばならん。そう命ぜられた。
『天使連盟』第2方面軍司令官たる、このハイマリア。全力なのじゃ!
「ねえねえマーちゃん」
「……何だ、セオ一等兵」
人が決意を新たにしておるというに、この従卒は。
ひょろひょろとした身体の上に気弱な顔などしおって……緊張感のない。
「その……カッコいいんだけどさ、そのポーズ」
「うむ。いかにも中将閣下っぽくてよかろう!」
腕を組み仁王立ちのワシ。中将様じゃ。偉いのじゃ。
一等兵ごときが気安く話せるのは、セオが昔馴染みじゃからに過ぎぬわい。
「帽子もさ、ブカブカだけど、凄くカッコいいよ?」
「やらんし貸さんぞ。ワシの宝物じゃからして」
「うん、いや、それはいいんだけどさ……えっと……」
ええい、いつもながら気抜けじゃのう、こやつは。
「言いたいことがあるならハッキリ申せ! うじうじクネクネと……なんじゃ!」
ビクリと怯えるセオ一等兵。ふふ、そう怯えずともよかろうに。
ワシは無駄な暴力は好かんし、度量の大きな上官じゃぞ?
連盟内にて時に『聖母』と呼ばれるほど優しき中将様なのじゃ。ふっふっふ。
ワシの慈愛と威厳に満ちた笑みに勇気付けられたか、セオ一等兵よ。
意を決したかのように口を開いた。その両手にはバスタオル。
「ふ、服を着ようよ! あと身体も拭いて! 床ビショビショだよ!」
むぅ……お前はワシのママンにでもなったつもりか?
この束の間の開放感を悪し様に言いよって。
「嫌じゃ」
「馬鹿言わないで! 風邪ひくじゃ済まないし、そもそも女の子でしょ!」
「この部屋は暖かい。そしてワシは女の子である以前に、軍人なのじゃ」
「どういう軍隊!? 軍人が皆裸みたいに言わないの!」
なんじゃ、プンプンと威勢良く鳴きおってからに。
教育が必要じゃな。うむ。従卒が上官のリラックスを妨害してどうする。
「ハイマリア、キーーーーック!!」
「うわああっ!?」
此度のワシの任地は寒い国じゃ。ブクブク着膨れ必須じゃ。
船室でくらい、身軽でいても良かろ?
「全く、次から次じゃな!」
艦橋へ向かう。
何やらトラブルが発生したようじゃ。第二種戦闘配置が発令されておる。
しかし、何というか。
気密の完璧な廊下と言えども、一般向けの空調はやはり寒いのぉ。
エレベーター内では、ちょっとモゾモゾ運動じゃ。傍目が無いからの。
「あれ? マーちゃん、おしっゴフゥッ!?」
「よくよくキックされたいお年頃のようじゃの!」
軍靴が重くて顔までは届かぬが、腹でも痛かろ?
せめて「小便か?」と聞け。いつもいつもワシをお子様扱いしおってからに。
「一度メンテナンスしたほうが良いかもしれんの、頭を」
「お、お腹でしょ、今の流れ的に……」
「何故蹴られたかわからぬ者は、遠からず、再び蹴られるであろう……」
「予言!? あ、足を素振りとか、物騒なんですけどっ」
プシーッと扉が開いて、上甲板のエレベーターホールじゃ。
おっと艦長、わざわざの出迎えご苦労。お互い、良い軍帽じゃの。
む? 気にするな、別に足を捻挫したわけではないわ。プラプラしてただけじゃ。
「よし、状況を知らせ!」
艦橋に入る。
まず目につくのはやはり大スクリーンじゃな。ここで映画を見たいと常々思う。
操舵長、航海長、水測長の敬礼に返礼する。うむ。やはり従卒のみが緩い。
次世代型原子力潜水艦ホーリーアーク。
この船もまた、我々の切り札の1つじゃな。
かかる危急の時にこそ心強い。乗組員たちの錬度もこの上ない。
「現在、本艦は中深度にて静止しております。これをご覧下さい」
艦長がコンソールを操作し、スクリーンに何かを映し出した。
熱、音紋、その他の観測を複合したものか。荒いが、何か球体のものじゃ。
大きさは直径40センチメートルほど。大きめのビーチボールかの。
「球体部はゴムのようなものと思われます。下部に重りがあり、沈めています」
「まるで機雷じゃな」
「オーラ反応が確認されています」
「ほぅ……なるほどワシの出番じゃ」
オーラとは超常現象全般に伴う特殊な波動のこと。
それは微弱ながら万民に宿るものじゃが、中にはそれを強く発現するものもいる。
人にして人ならぬその力。正しく在らば祝福、間違って在らば邪呪。
全ての兵器に通ずるものがある。武力とするか暴力とするかは使い手次第じゃ。
人の身でその善悪を判断するは畏れ多いこと。神の教えに従わねばならん。
ワシにも強く在るオーラの力。
その発現の形を一言で表すならば、『神瞳』。
あらゆるオーラを解析することができる。
「正面に1つを捕捉しております。どうぞ」
「うむ」
水測装置の隣に設置されたオーラセンサーの計器類。
そこからヘッドフォンに似た装置が取り出された。ワシはそれを身につける。
意識を凝らせば……そら、ワシの感覚はセンサーの先へと伸長してゆくぞ。
ふぅむ……これはまた……奇怪極まりない代物じゃな!
オーラの属性は水。すこぶる強力のくせに、妙に生々しい。偏執を感じる。
あれじゃな。この「濃さ」は個人による念力などに似ておるぞ。
これほどの強さであれば、普通はもちっと普遍的になるものじゃが。
……氷結の邪呪、か。
時限式ではない。邪呪自体は今も発動しており、この間にも威力を減じておる。
恐らく特殊な風船のようなもので邪呪を閉じ込めた物だ、あれは。
接触式の邪呪機雷、と言ったところか。
「接触すると面倒なことになるようじゃ。流石に氷中は進めまい?」
「……そういうオーラでしたか」
「うむ。死氷柱に襲われる原潜など様にならんわ」
国際自然科学映像で見たのじゃ。死氷柱。凄いなあれは。
海中にあって触れるもの皆凍りつかせていく、高濃度塩水の凍れる触手じゃ。
ヒトデが随分とやられておった。大自然とは驚嘆すべきものよな。
あれに近いものじゃろう、この邪呪は。
破壊はされんとしても、潜航を阻害されることは間違いない。
「避けるのが無難じゃ。数は多いのか?」
「本艦の進路上に散在しています。分布はこのように」
図が表示された。ほぅ。明らかにこちらの動きを把握しておるな。
深度もいやらしい。避けようと思えば避けられるが、進路を絞られていくぞ。
む。反応が1つ増えたぞ?
現在進行形で敷設されているということか?
「舐められたものじゃな。日本国の艦艇か?」
「それが……海中、洋上、いずこにも船舶の存在を確認できないのです」
「空中からの投下でもあるまい。こうもネチネチと的確であっては」
もしや?
第4の可能性がある。オーラとは基本的に非常識なもの。
邪呪の使い手が身一つで居るという可能性もあるのじゃ。
ぬーん………む、やはりか!
今し方の海上に小さく反応がある。人じゃ。ビンゴじゃな!
「艦長、浅深度へ浮上じゃ。カメラを出して確かめたい」
迅速に伝えられていく命令。復唱。そして僅かな振動でもって動く船体。
やはりこの艦はいいのぅ。元ICBM発射艦であるゆえ、大きくて広いのも良い。
完全に浮上はしない。
内々に日本国の黙認は取り付けてあるが、何しろ原子力じゃ。色々ある。
海面を天井にして、海上へと観測機を浮かべると……居たわぃ。
「も、もう大概のことには驚かない自信があったのですが……これは」
「気にするな。ワシもあれはどうかと思う」
冗談としか思えん光景じゃ。
空と海より他に何もない、この晴天の群青色の中で……子供が1人。
フリルのついた黒い日傘をさして、素足で海面をフラフラと歩いておる。
黒いシンプルな水着に、黒い珍妙な猫耳付き帽子。猫をデザインしたリュック。
……行楽をしているようにしか見えん。
「海の化物の類でしょうか?」
「人魚や何かか? だとしたら随分と間抜けな姿じゃ」
見ろ。腹でも空いたのか、リュックから何か出してパクついておるぞ。
しかも汚れた手を海水で洗いおった。コップで掬って……飲む。ゴクゴクと。
更にはうがいをし始めおった。ペッと吐き捨てる。我がもの顔じゃ。
むぅ……恐るべき使い手。
水の浄化といい、水面歩行といい、まるで神の子の奇跡のようではないか。
しかしその本質は邪じゃ。透明とは程遠い、欲得のエゴが渦巻いておる。
行動から鑑みて、日本国のオーラ機関の者か?
「撃てるか、艦長」
「浮上しないでは不可能です。目標が小さすぎます」
「わかった。ならばこちらで何とかしよう」
舐めてかかってはならん。あれは強敵じゃ。
こちらも相応の戦力でもって応対しようではないか。オーラにはオーラだ。
「セオ一等兵」
「え、何なn痛っ! は、はい! 何でありますか!」
「高級士官室へ走れ。ストーム大佐を連れてこい」
「全艦、第一種戦闘配置。全艦、第一種戦闘配置」
副長のアナウンスが繰り返される。
艦内に心地よい緊張の空気が醸されておるな。その色は照明のワインレッドじゃ。
ここは後方上甲板のハンガーデッキ。ワシの前には平たい車のような機体がある。
「攻撃型無人潜航艇ですか。流石の私も初めて見ますなぁ」
頼もしいのかそうでないのか、わからん物言いをする男じゃ。
ベレー帽を左にやや垂らし、右の目には眼帯、髭の口元は不敵に笑っておる。
寝起きにも関わらず粋な風体よのぅ、ストーム大佐は。
「魚雷を使いたくない。上手く障害物を取り除いてほしい。できるか?」
「有線誘導式では距離だけが問題ですな。まあ、何とかなるでしょう」
整備兵に案内され、艇の管制装置の場所に行く。装着型のモニターか。
操縦桿や何やらは戦闘機のコクピットにも似ているな。2席ある。
「どうする?」
「1機で十分です。もう1機は直掩用に残しましょう」
座席につくなり、スムーズに初期設定その他を変更していく。流石じゃな。
大佐に掛かってはあらゆる兵器が手馴れた玩具となる。仕様書を渡すまでもない。
初めて触った今この瞬間に、彼は誰よりも熟達した操縦者となったのじゃ。
大佐のオーラは『神達』というユニークなもの。
それはあらゆる兵器をたちどころに理解するのみにあらず。
「目標は海中28、海上1……武装は7ミリ水中機関銃、装弾数630……」
独り事じゃな。もはや邪魔はすまい。大佐の領分に入っておる。
精神を戦闘に集中させたとき、彼は兵器と半ば一体化する。
そして開発者すら予想だにしない性能と戦果とを叩き出すのじゃ。
「水中速度50ノット、水面速度20ノット……」
潜航艇が水密隔壁の向こうへと消えた。
船外モニターには平たいそれがゆっくりと現れた姿が確認できる。
鈍色の外観は間近で見たときよりもエイに似て見える。水中だからかのぅ。
「……行け!」
凄まじい初速で飛び出した。粘質の抵抗を裂いて飛ぶ矢のようじゃ。
整備兵が驚いている。当然じゃ。早くも機体性能を上げておる。
現在の速力、約70ノット。誘導線のリールが軋む振動が伝わるぞ。
大佐の能力は兵器の規模に制限がある。最大で戦車サイズまで。
つまりこの艦自体は強化できん。線の根元が壊れては糸切れ凧じゃが。
「大佐、1個目は観察したい。撃ったる後に距離を開けて注視せよ!」
「イエス、マム」
目標を正面に据えて一撃。軌道の安定しない水中銃でよくも命中させるわぃ。
そしてその結果は中々に見応えのあるものじゃった。
「氷の爆発、ですな」
「うむ。邪呪ながら見事なものじゃ」
どれほどの冷気が封じられていたものか。
瞬間的に周囲を凍結させること、まるでウニの如しじゃ。
中心点から氷柱が放射状に幾重にも発生したぞ。直径は5メートルを超える。
……いや、勢いこそ減じたが、今も徐々に大きくなっておる。
そして海氷らしく浮上していくわぃ。不自然の塊が自然に従う様じゃな。
「完璧に把握した。残りは速やかに排除じゃ。そして本命を討て!」
我らの行く手を阻む異端に死を。そして聖なるかな、我らが道程よ!