戦夜の魔闘
夜とは海の底だ。
全てをしっとりと包み込み、黒の曖昧に沈ませている。
人は深海魚。住居は岩礁。樹木は海草。風は潮流。押し並べて静かに。
その夜闇に高く立つ、白い塔がある。
清掃工場の排煙塔だ。都市の有象無象を炎に沈めて白々しく直立するもの。
エントロピーの集合部とも言えよう。人の世の業は集約するのだ。
塔の頂上に立つ者がいる。
明滅する航空障害灯の赤に浮かび上がり、沈み消える、その姿。
黒を基調とした中に金色が点々と光る。古風な学ラン、五芒星の飾りの学帽。
彼だ。
目深に被った学帽の、その庇の奥に冷然として在る双眸。
見下ろす先には海草の濃い海盆……いや、樹木多い公園が広がっている。
そこは最も闇深き一画にして、夜のしじまを乱す一大拠点と成り果てていた。
オレンジ色の銃火は殺意の煌き。
息せき切った破裂音が連続して、無数の熱弾が乱れ飛ぶ狂騒の巷。
暗くたゆたうべきへの反乱だ。散る命の1つ1つが煩く、この夜を乱している。
「いずこも同じ、か」
それは独白。彼が。
星空を背負い、まるで夜の化身ででもあるかのように高く佇み、ぽつりと。
いや、違う。独りではない。彼の足元には1匹の黒猫が座る。
「仕方ないニャ。闘争は人の本質の1つニャからして」
人語を話す、この猫は。
「練馬とはいえ、東京だろう。ここは」
「区民を傷つける発言ニャ」
「やりづらいことこの上ないということだよ」
爆発すら起こる有様に、彼は小さく鼻を鳴らした。呆れているのだ。
そして視線を転ずる。花火会場と化したそこではなく、黒く茂る木々のもとへ。
「ここの連中は随分とやる」
「おっと、お褒めに預かり光栄ニャ。頑張ってるんニャよ?」
彼と猫とには見えている。
一欠けらの火花も無く、全くの静穏の中に争われている死闘が。
霊力か科学かの違いこそあれ、人を超えた者たちによる無音暗殺術の応酬が。
ありとあらゆる物陰に、あるいは木々の内側に、土の下に、死体の内部に。
潜む。一瞬でも存在を察知されたならば、その首は落とされる。ポトリと。
高速移動など一歩を踏み出す暇があればこそだ。文字通りの瞬殺の戦場。
一方的に破壊されていく。オイルを体液とするモノたちが。
そら……そこでも。
茂みの中に、体の半ばを土中に埋めて隠れていたモノが、察知された。
地中ソナーか高精度熱探知か、はたまた霊的な感覚によるものか。何にせよ。
敵の所在を知った黒装束の男は、ただ敵を指差した。その指先に法印。
ビクリと微かに震える、そのモノ。
身動きができなくなったようだ。眼球だけが慌てたように駆動する。
男の術だろうか。違う。モノの身体に微かに見え隠れする何かが居る。
糸のようで、針金のようで、淡く紫色に発光する何か……電気の1本。
紫電の極細蛇だ、それは。目にも留まらぬ速度で地を這い、敵を襲う。
人であれば神経系を、機械であれば電気回路を、乱し狂わすその毒牙。
もはや為す術なきそのモノは、捕縛あるいは破壊されるよりはと思い至ったのか。
静かにコンバットナイフを取り出し、それを自らの首に当てた。一思いの切断。
ああ……その最後の瞬間まで、ひっきりなしに動くその眼球。
違うのだ。これは他者からの攻撃なのだ、自らの手によってにしろ。
首が落ちたる後、その体内からは、オイルと共に紫電の1本が這い出でる。
動きを縛るのみならず、自害をも強要するのか、その1本よ。
こちらで、あちらで、同様の現象が繰り返されていく。
黒装束の男たちは何もしない。敵を確認次第、その位置へ指を差すだけだ。
それは電気の毒蛇を導く一指。その身を機械化した敵に致命的なる。
「高天流『操電糸』。あのクラスの機械人形には無敵ニャ」
黒猫が言う。細めた目は笑ってでもいるものか。
「術者の娘がえげつないアレンジしてるけど……どうかしたニャ?」
彼は中空を振り仰いでいた。その眼差しは魔力を帯びて妖しく灯っている。
睨むでもなく、見つめるでもなく、未知の焦点を結んで何かを視界に入れている。
それは……しかし……何と恐るべき目であることか。
少なくとも人ではない、それは。化物の類ですらない。
例えば天体。
或いは月に瞳を生じさせたとしたならば、それはこうなるのではないか?
殺意なく悪意なく、ただ壮絶なまでのスケールの違いが感じさせる隔絶と絶望。
目線を交わしたならばタダでは済むまい。魂は圧搾される。狂えるなら幸運か。
「見ているものがいた」
「ニャんと」
彼の言に即座の返答をなせる、この猫もまた尋常を遥かに超えていよう。
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ……かニャ?」
「術で見ていた者は、術を解いて逃げたが……もう1つの方は問題だ」
「貴方様が問題と言う……それは大問題だニャ」
「衛星だ。しかも何かを発射する」
猫が総身の毛を逆立てて空を見た。星空だ。他に何も見えようはずもない。
しかし彼には見えている。やや細めたその妖瞳が映すものを追おう。
上がれ視点よ。昇れ視界よ。
地表の全てが球体表面にあることを視認できる高さへ。いや、更に先へ。
昼も夜もなく、宇宙とは即ち闇であると知れる、その高みへ。天へ。
在った。
無音の高所に落ちない落下を続ける、銀色の高速飛翔体。
ソーラーパネルを2対、大きく翼のように広げている。その中央にもう1対の翼。
物々しい兵器の詰まった箱を幾つも連結したもの。翼を模した破壊の棺桶群。
6枚の翼を持つ人工の熾天使。
衛星軌道を回る機械天使は何を使命とするものか。
兵器庫たる棺桶は1つ開かれている。
中からゾロリと姿を現した円筒状のものの、その側面には黄色と黒の放射能標識。
核だ。これは戦術核ミサイルなのだ。天使よ、それが地上への答えなのか。
「度し難いことだ」
地上にあってそれを見る彼。
虐殺の炎が彼1人を目標としている状況にあって、微動だにせず立っている。
「どうするニャ? 恐らくは暴走……貴方様が直視なんてするからニャ」
「加減の難しいことだ。是非もなし」
両目がゆっくりと閉じていく。魔扉の閉門。しかしそれは終了ではなく再起動。
身にまとう魔の気配がいや増しに増していく。姿が霞むほどの魔力が漏れて。
待て。徹底した管理と制御の中から僅かに漏れてそれか? では内部には?
「そ、それ以上の魔力の行使は、あの子の命を超えてしまうニャ!」
「自前だ。契約外のことだからな」
開眼。
一切の魔力を、気配を、存在感を消し去って立つ、その在り様。
何という……何という恐るべき透明感だろう! この「無さ」はむしろ恐怖だ!
世界を滅ぼす刀剣の一振りがあったとして、それが鞘に収まった姿はこれか?
「2000単位ほど私を集めた。充分だろうよ」
人智を超えて在るだろうその猫すらが、返答に窮し、押し黙る。
それをチラと見やり、微かに口元を歪める彼。ニヤリと。悪戯っ子のようなそれ。
次の瞬間には姿も無い。消失。高速すぎるが故にそうとしか言えない。
空気を透過する不可思議なる超速飛翔。
ソニックブームはもとより、光学的な軌跡すら残さない空間移動だ。
誰が知ろう。それが光速すら超えていると。
瞬間移動ではない。あくまでも、ある種の等速直線運動なのだ。
彼を包む不可視の魔力のリング。それは空間を湾曲させる。傾くことで自在に。
そして空間は歪みを嫌う。正そうとする。その干渉波は光よりも速いのだ。
彼は波を操り、波に乗ったのだ。そういう移動だ。
一刹那の後に彼は居る。
もはや宇宙といってもいいだろう、地上35000キロメートルを超える天空に。
目前には、今まさに加速を始めようとする核ミサイルだ。
「場所が場所だ。加減も要らんな」
どこか楽しげなその声音。感情の色がある。人間味だ。今までにないことだ。
ゆっくりとその右手を突き出す。まさか受け止めようというのか。
青い青い地球を背に、核ミサイルを前に、彼はただ1人。
唱える。
地球上の誰一人として聞くことのない呪文を。
おお……黒い炎が彼を包んでいる。彼は何者だ。何をするのだ。この戦夜に。
加速を始めたミサイル。
その背後には機械仕掛けの六翼天使。
彼は告げるのだ。突き出したその手に魔法を発現させるべく。
「火竜咆哮」