29話 予行練習
「ごーどーぴくにっきゅ」
…カミカミだ。
がくぅんと項垂れ、私は兄様の膝の上で打ちひしがれた。
4才になったことだし、そろそろ自主的に言葉を直していこうとこれでも努力している最中なのだ。すでにかなり失敗をしているけれど。
努力が肝心!めげるな私―!
兄様は鼻息荒く気合を入れる私の頭を撫でながら笑みを浮かべ、パパン達に渡した紙と同じ内容の紙を手に、文字を目で追っている。
クリセニア学園合同ピクニック開催の案内状だ。
何のイベントかというと、幼等科、初等科、中等科がそれぞれ組み分けされ、共に目的地までピクニックを行うというイベントだ。
その目的は、それぞれの科との交流を深めると共に、年長の者達が下の者達を助け導くという経験を積むためのものだ。
まぁ、そう言ってしまえばエラそうだけれど、もっと砕いて言えば、下の子の面倒を見て大人になれよという年長組の為の修行の場だろう。
「レオノーラはまだまだ目の治療中だし、シャナは目を離すと危険すぎるからこれには参加しない方が」
実はこのイベント、強制参加ではなく、希望参加なのだ。だから、兄様の言い分としては姉様には危険だから止めておいた方がいいのではということらしい。
私もやめておけと心配してくれるのは嬉しいのだけど、姉様と違って、目を離すと危険って…理由が微妙じゃないかな…兄様。
「そうですね。レオノーラもシャナもあまり外に出たことがないのだから危険かもしれません」
ここ何百年と外に出たことのないノルディークの言葉に私とパパンの目が遠いものを見るような目になる。
ノルディークは私達の視線に気が付いたのか、ゴホンッと咳払いして目を逸らした。
「だが、籠の鳥のままでは成長しない。少しは外を見た方がいいのではないか?」
提案したのは短い黒髪に青い瞳、黒っぽい服を身に纏い、なぜか我が家の居間でくつろぐ姿が普通になってきた黒の塔の主ディアスだ。
彼は、教員の話を受けてからというもの、塔からこの館に転移し、共に学園へ通っているのだ。
いつの間にか塔とこの館を魔法の道で繋いで固定していたと知り、驚いたのはつい最近の話である。
「そうね…。確かにこの子達はあまり外を知らないわ。どうかしらあなた、これを機に外に出る機会をこの子達に与えるのは」
ツルの一声。
ママンの言葉に、神妙な顔で悩んでいたパパンの顔が一瞬ふにゃっと崩れたのを私は見逃さなかった。 あれは絶対にパパン、デレたと思う。何に反応したのかは謎だけど。
「じゃあシャナは予行練しゅーがしたいでしゅー!」
はいっと手を上げて提案すれば、全員に首を傾げられた。
この世界の人間は予行練習ってしないのかな?
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ということで、拝み倒し、泣き落とし、上目遣いのおねだりと必死に頼み込んで私達は予行練習という名の買い物に出ることになった。
王都で初めての買い物ー!
やはり買い物好きの元36歳のうら若き(?)乙女としては、ウキウキするのが止められない。
この世界にデパートのようなものはないけれど、外国の風景のように立ち並ぶ店が新鮮で楽しくて仕方がない。
あちこち見るついでに、そろそろぉ~っと建物の角から路地を覗き込んで、グイッと兄様に襟首を掴まれた。
「ぐえっ」
「あぁ、ごめん。でも、ちょろちょろしたら危ないだろうシャナ?」
ちょろちょろしない、というのも予行演習する上でのお約束事なので、私は素直に頷き、兄様と手を繋ぐ。
これはこれで可愛いデートみたいでいいかも。
ちなみに同行者は兄様、姉様、ノルディークだ。
パパンとママンは本日二人で王城の方に招かれている。
塔の関係者というか、塔の主本人をひっぱり出してきたのだから王様もいろいろと扱い方を聞きたいのだろう。
ママンは王妃様のお話相手だそうだ。地方にいた頃は知らなかったけれど、実は仲が良いのだそうだ。
さすがに今回は行かねばならないということで、塔のリーダーであるディアスを連れて打ち合わせを兼ねた話し合いに出かけて行った。
ということで、引率役はノルディークになる。
でも…ノルディークって結構ぼうっとしてるから…引率はきっと私の使命だ!
「よしっ、では皆しゃまっ。おやちゅは300円まででしゅ。バナナはおやちゅに含まれましぇんよ~」
このネタは一体どこから生まれたのか知らないけれど、昔からよく言われてるよね。
しかぁし!
異世界では全く通じなかった・・・
皆が首を傾げる中、私はず~んと項垂れた。
「えぇと、意味はよくわからないけれど、買い過ぎはいけないとか、そういうことかな?」
ノルディークがフォローを入れてくれるけれど、まったく意味が違うでしょ…。
「いいんでしゅ! さあ、予行練習をはじめまちょう!」
気を取り直し、私は兄様から姉様に繋ぐ手を移して町を練り歩き始めた。
兄様は何度か町に降りてきているそうなので今回は案内役だ。
私は兄様の案内した店や、目の前にある商品がどんなものかを姉様に必死に伝える。
「それはでしゅねー、ちちが足を上げてウサギしゃんに飛び掛かろうとしているペンダントでしゅ」
「…父様が兎に飛び掛かるの?足を上げて?」
くすくすと姉様が笑い、私は言い直す。
「ちちでしゅ!」
ぶふっと後ろで兄様とノルディークまで噴出した。
失敬な。君達も数年前まで(ノルディークは数百年前?)私と同じ、いや、私以下だったのにっっ。
「獅子だよレオノーラ」
「まぁ、そうなの。強い生き物のモチーフね。父様に似合うかしら?」
姉様はパパンのお土産を捜し中らしい。それならば、つい先ほど見た店にパパンの趣味にぴったりのペーパーナイフがあったと思い出す。
「ねーちゃま、ペーパーナイフはどうでしゅか? パパンのは少し錆びてきましゅた」
「まぁ、ではそうしましょうか。良いものはあるかしら?」
「さっきの店に戻りましゅがいいのがありまちたよ」
私はそういうと姉様の手を引き、店の外に出た。
「うわっ!」
店を出た瞬間、真横から響いた声に顔を向けると、すでに目の前に少女が迫っていた。
「「きゃあっっ」」
どんっと鈍い衝撃の後、悲鳴が上がった。
姉様とぶつかってきたらしい少女の声が同時にして、私の景色がぐるんぐるん回る。
何事!?
地面に転がったらしい私は、ごろんっと仰向けに倒れて回転が止まったところでムクリと起き上がった。
「わぁ! ごめんなさい! 急いでいるの!」
そう言うと、ぶつかってきた赤毛の女の子は私達を少し乱暴に引っ張って立たせ、ぱしぱしと埃を払った後、もう一度ごめんなさいと謝って駆けていく。
少女はよっぽど急いでいたらしい。
風のごとく去って行った少女の背を見送り、文句も言えずに呆然と立ち尽くしてしまった。
と、そこで私ははっとしてパタパタと懐を探る。
こういう展開ではお財布をすられるものだ。
しかし、お財布はちゃんとひもを通して首からかけられている。中身も問題ないようだ。
姉様の財布は兄様が持っているので問題はない。
では、やはりただ急いでいただけの人かとほっとしたところで、足元に見知らぬ財布が落ちていた。
「・・・兄ちゃま、これ、さっきの子のじゃ…?」
財布はすられなかったが、まさか財布を落としていくとは思わなかった。
兄様はちらりと彼女が駆けて言った方向を見て、財布を手に取ると、私達に店の前に置かれているベンチを示した。
「そこで待ってて! 渡してすぐ戻ってくる!」
そういうことならと私達は頷き、私は姉様に状況を説明してベンチに座る。
ノルディークは傍に立ち、何かあっても動ける位置にいる。そうそう何か起きたりはしないだろうけれど。
私は姉様とお話しながら待っていると、通りの中央によたよたと幼い子供が躍り出てきた。
「…ノルしゃん、あの子ひかれちゃいましゅ」
「あぁ、本当だ。危ないね」
この世界の移動手段は馬車なのでそれほどスピードは出てないが、万が一ということもある。
見れば誰も子供には気が付いていないようなので、私よりは子供を抱っこできるノルディークにお願いすると、ノルディークは頷いて駆けだした。
「どうしたの?」
ちょうど馬車が目の前に留まり、誰か降りてきたようだ。
「子供が通りに飛び出してきたのでノルしゃんに注意してもらうようお願いしたのでしゅ。危ないでしゅから…」
目の前に泊まった馬車から出てきたのは二人の背の高い男。
彼等は、なぜか話し込む私達の前に立つと、何事?と見上げる私と、姉様をひょいと担ぎ上げた。
「え? 何? シャナ?」
驚く姉様が声をかけるが、すぅっと息を吸い込んだ私は、次の瞬間がぼっと口の中にリンゴを突っ込まれた。
「うぶぅっ」
「シャナっ!?」
姉様が驚いて声を上げ、男達は舌打ちすると私達を馬車に投げ込み、私と姉様はしたたかに背中を打って一瞬声に詰まった。
防犯の基本は悲鳴を上げること! 何とかノルディークに知らせないと!
「のっ」
今度はベチンっと音がするほど勢いよく平手で口を塞がれ、馬車の扉が閉まると、そのまま馬車は私達を乗せて走り出したのだった。
ゆ…誘拐事件勃発~!?




