16話 とある少年の心
シェール視点です。飛ばしても大丈夫です。
ちょっと長め…デス
変な娘がいると最初に出会ったときはそう思った。
父の命令で婚約者となる娘に会いに行った日のことだ。
顔を合わせた婚約者はどこにでもいそうな平凡な貴族娘で、まぁ…母親に似て確かに美人になりそうではあるが、活発さのない大人しい娘だった。
いや…大人しいというよりはどちらかといえば怯えた様子を見せる娘だ。
こんな娘が将来僕の隣に立って公爵家婦人を名乗るのかと思うと少し不安になる。
まぁ、見た目はいいのだから静かに控えさせておけば問題はないか。
そんなことを考えながら彼女から視線を逸らすと、父と挨拶しているリンスター伯の腕の中で、赤ん坊が父に挨拶をしていた。
まぁ、赤ん坊のすることだから、挨拶しているとそう見えれば、周りはそうだと決めつけ、微笑ましいともてはやすのはよくあることだ。
だが、この娘は最初から「変」だった。
「シェール・ヘイム・パルティアだ」
婚約者であるレオノーラ・リンスターに手を差し出すと、赤ん坊はその手をぺちんっと叩き落としたのだ。
慌ててエルネスト・リンスターが赤ん坊を抱き上げれば、赤ん坊は一瞬でれっとニヤついて
「だぶぶきゃっ」
随分ご機嫌な声で兄に擦り寄っていた。
にやついて見えたのは気のせいだろうか? 赤ん坊だし、そう見えたような気がしただけだよな?
数度目を瞬かせてじっと見つめていると
「うるるるる~っ」
今度は威嚇。たぶんというより、間違いなく威嚇だと思う。
思わず「変な子」と口をついて出た言葉に、とある方向から恐ろしい気配を感じたため、その後は赤ん坊の母の前では危険な言葉は言わないことに決めたのは、幼いながらに生存本能が働いたためといえよう。
その後数年、暇があると僕と父、そして時折母はリンスター家を訪れるようになった。
都会の喧騒、政治的取引を持ちかける者や我が家の地位に擦り寄る人々から離れ、素朴な田舎でのんびりする時間は、父や母の磨り減った心を癒すようで、内輪のみの婚約を機会に訪問回数を増やしたようだ。
僕はリンスター家長男エルネストと共に王都の学園に入学、休みの日はエルと共にリンスター家でのんびり過ごすのも増えたのだが…
「でましゅたねーっ! 悪の帝王っ! ねーちゃまは渡しましぇぬよ~!」
なぜか末っ子のシャナに攻撃される日々…
「どこで覚えた、そんな言葉」
シャナはまだ外の子供との交流はほとんどないはずなのだが、時折おかしな言葉を使う。
「か弱く、はきゃなく、うちゅくしいお姫しゃまを盗んでいくのは悪の帝王でしゅっ」
俺は呆れながらシャナを見やった。
シャナの中で姉はどんな存在だというのか。
聞きたいような気もするが、聞いてはいけないような気もする今日この頃だ。
なんだか知らんが、とりあえず敵認識されているというのならば迎え撃つのみ!
「朝でしゅよ!」
「ぐほっ」
リンスター家での朝はシャナのベッドダイブで始まる。
子供の朝は早いというが、リンスター家の朝は朝日が昇るより前だ。普通の貴族ならば昼頃まで惰眠を貪るものだが、この家ではそうはいかない。何しろ、使用人がいないからだ。
「シャナ!その起こし方はやめろって何度」
「ね~ぼ~す~け~でしゅねぇ。わたちよりも早く起きれないにゃんて…はじゅかしぃ~い」
基準がさっぱりだが、比べられるといらっとするのは確かで、リンスター家ではここでしばらく朝のまくら投げ大会が始まる。
3歳でも少し小柄なシャナはちょろちょろとすばしっこく、なかなか当たらないのだ。
コンコン
「入れ!」
いつもの感覚で返事をし、渾身の一投を投げると、シャナはひらりと避け、その枕は部屋に入ってきたエルネストの顔面に直撃した。
「の~こんでしゅ」
「二人とも…」
枕を顔に貼りつけたエルネストから地を這う様な声が響き、シャナは一人逃げ出そうとして…当然エルネストに首根っこをつかまれた。
「そこに正座!」
エルネストの怒鳴り声が響くのもいつもの風景。
迎え撃つのはなかなか難しい。
__________
ある日、父が行方不明だと知らせを聞いた俺は、不安に駆られて屋敷の管理を家令に任せて飛び出した。
父が聞けば失望するかもしれない。だが、不安だったのだ。
友人と、特に騒がしいシャナとともいれば気がまぎれるかと訪れてみれば、気がまぎれるどころか、逆に不安が増した。
シャナがどこの誰とも知らぬ者達を拾ってきたらしい。そして、リンスター家はそれを受け入れたというのだ。
なんとなくいらいらしながら見守ってみれば、案の定、シャナがシャナ好みの少年に色目(!?)を使っていた。
「むっふ~でしゅ」
少年の生肌にすり寄りながら恍惚とする奇妙なシャナ…いや、もうチビと呼ぶ。
これは間違いなく変態だ。
「破廉恥だ!」
イライラに任せてシャナを引きはがせば、シャナの体からはぐたりと力が抜け、さらに、その首元には血痕が。
一体何が?
少年を睨めば、彼の説明を聞く限りでは魔力の暴走だというが、鼻血など変態が暴走しただけに決まっている。
ほうっと息を吐き、安心したせいか「…変態が暴走しただけか…」と口に出してシャナに逃げられたのだった。
翌朝。
いつものダイブがなかった。
ダイブがないのはまぁいいが、なんとなく悲鳴が聞こえた気が…。
また何かやらかしているのだろうと着替え、着替えた後でふと悪戯心が芽生えた。
もしまだ寝てるなんてことならば、今度は僕が驚かせてやろう。
上機嫌でシャナの部屋へと訪れ、扉をそっと開けて中を覗きこんで…
「なんだこれ!」
驚いた。
巨大な水の球がベッドシーツを絡ませたシャナを飲み込み、部屋の中央に坐していたのだ。
シャナはぐったりと動かず、明らかに危険な状態で、僕は必死で水の中に腕を伸ばしシャナを掴んで引き寄せた。
「こんの馬鹿チビが!」
シャナがうっすらと目を開ける。生きてはいるが、呼吸をしていない。
ぞっとした。
だというのに、シャナは一瞬不満そうな表情を浮かべ、碌でもないことを考えたように感じて、僕は叫んだ。
「息をしろ!」
その後息を吹き返し、ノルディークとかいう気に入らんガキの意見に必死に首を振る姿に、嘘を感じ取る。
どうせシャナのことだ。何かばつの悪いことが起きて魔力が暴走したとかそんなところだろう。
そうだな…たとえば。
「おもらし?」
ぐわっとシャナの顔が真っ赤になった。あてずっぽうが当たったようだな。
思わずにやりとしてしまうのは、初めて反撃できたからか。
エルネストに訴えるあたり、ちゃっかり人のせいにしてうやむやに逃げようとしたけどな・・・。
「シェール…ありあと」
シャナが目を潤ませ、めずらしく素直に礼を言った。
・・・・・
・・・・
・・・
ぼふっと顔の熱が一気に上がった。
なんだこれ!?
妙にドキドキする自分に驚きつつ、必死に落ち着けと自分をなだめていると、聞こえてきたのはシャナを学ばせねばならないという話。つまり…
「俺達と同じ学園に入れってことか…?」
ぽそりと尋ねれば、シャナはきらーんっと音がしそうなほど目が輝き、僕は小さくため息をついた。
こんなのが入ったら目が離せないな…。
兄のような気分で見守ることを覚悟した瞬間だった。
この時のシェールの口の端に笑みが浮かんでいたのを知るものは、誰もいない。




