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臆病者の恋  作者: 苑生
9/17

人参

帰宅した家の中が幾分片付いているのを見て、本当に瀬尾が来たのだと思った。

見慣れたわが家がどこか新鮮味を帯びている様に感じ、落ち着きなくあちこちを見て回る。少し散らかし気味だったゴミの群れが綺麗に片付けられていた。まだ物が溢れてはいるが解放感がある。

リビングのテーブルの上にあった薄い紫のファイルを開くと、今日一日の報告書が挟み込んであった。綴られている文字列は整然としていて、先日依頼をしに行った時に瀬尾が記していたものだ。瀬尾の存在がより現実味を帯び、その事ばかりに気が行って中々内容が入ってこない。なんとか報告書を読み込むと、自分が認識していた以上に部屋が酷い状態であると分かった。藤田の中ではまだ大丈夫な方だったので、かなり衝撃的な事だった。

気を取り直し、報告書を置いてキッチンへ向かう。使用頻度の極端に低いはずのその場所に、にわかに生活感を感じた。誰かが確かにそこにいた、温もりの様なものが残っている、そんな気がしたのだ。

夕飯は冷蔵庫の中とあったので見やると、扉にマグネットでメモが張り付けてあった。箇条書きで幾つか伝言が記されていて、どれも母親が小さな子に言う様な内容だ。食べる前に手を洗う、暖めた後は火傷に気を付ける、食器は水に付けて置いておく事―など。当たり前過ぎてうるさく聞こえる様な事ばかりだが、生活に対して極度に無頓着な藤田への気遣いだ。特に最後の一文の、『人参を残さない事』には赤いペンで下線が引いてある。それを見た藤田は、思わず笑みをこぼした。


「覚えてたんだ……」


呟いた声音には安堵に似た響きが混じって、そこにはいない相手に向かって放たれる。返事が無いと分かっていて無意識に出た言葉は、ひとり暮らしの静寂をさ迷う。その揺らぎにいたたまれずため息一つついて、遅くなった夕食の用意を始めた。

見る事すら嫌だった人参を口にしたのは、幼少の頃以来だ。甘辛く煮付けられていて、別段不味いとも思わず完食できた。そう思って食せたのは、他にも理由があるのだが。その事については、出来るだけ見ないふりをしていた。今さら未練など持っていた所で、瀬尾は藤田を残してどんどん前へと歩いていってしまうだけだ。過去の感情にすがればすがる程、彼への距離は遠くなって行く様に思えた。それならばいっそ、何事も無かった事にして友人に戻れたなら―。捨てきれない想いを友情にすり替えられたら、救われる気もする。


どちらにしろ卑怯な事に変わりは無いと自嘲すると、全てうやむやにする様に眠りに落ちて行った。



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