垣間見たもの
思いがけず舞い込んだ残業を、瀬尾が黙々とこなすのを巽は眺めていた。働き始めた当初も同じ様にしていたが、精神面は大分変わったと思う。慣れない作業に悪戦苦闘し、何時も余裕なく仕事をしていた。それが今では新入りに指南する立場になっている。
その彼が今また浮かない様子で仕事をしているのを、巽は見逃さなかった。それでも敢えて自分から声をかける事はせず、瀬尾の報告を待っていた。
暫くして提出された書類は、何時もながら綺麗に仕上がっている。これだけ見ればほんの一昔前まで荒れていたとは、誰も思わないだろう。
巽は瀬尾と客―藤田と書類にある男―の関係を、美和とは違う形で心配していた。以前荒れていた頃つるんでいた、危ない連中の仲間ではないか、と。ある仕事を受けたのがきっかけで瀬尾と知り合い、質の悪い連中から抜けたがっているのを知った。なにかの縁だと思い雇う事にして、瀬尾と彼らの手を切ったのだ。まさか連中があの時の事を根にもって復讐にでもしに来たのではと、少し不安だった。
書類に目を通したまま、目の前で複雑な表情をする青年に声をかける。
「…昔の、良くない仲間だった奴か?」
かけられた言葉は瀬尾にとって予期せぬものだった様で、面食らった様な顔をして首を振った。そのまま少し俯くと、自嘲気味に笑みを浮かべ呟く。
「昔、逃げた相手です」
過ぎ去った日に思いを馳せる様に、目を閉じて静かに微笑む瀬尾は何処か寂しげに見えた。
巽は自分の心配が杞憂だった事には安堵したものの、美和の妄想がそれ程間違いでは無かったらしい事に困惑した。報告書を見る限り、仕事中に二人が会う事はまずないだろう。それでもこの分だと、瀬尾には辛い仕事の様に思えた。何があったかはわからないが、一度は遠ざけた相手の側では落ち着いて仕事が出来ないのではと感じたのだ。
「他の人間を行かせる、か?」
静かに問うた声に青年は、きっぱりと首を振る。
「俺が受けた、仕事ですから」
そう言って見せた笑顔は、影など微塵も感じさせないものだった。それを見てなお、少し不安な気がしたが巽は瀬尾に任せる事にした。ただし何かトラブルがあればすぐに人員を変えるか、依頼自体を断る事を条件として。
瀬尾の様子も気になるが、客である藤田の事も気になった。帰り際に見た彼の表情は、ひどく余裕の無いものに見えたのだ。藤田の方が瀬尾よりも格段に不安材料に思える。だが依頼を受けた以上は、今の段階で何が出来る訳ではない。トラブルなく、契約を履行出来る様祈るばかりだった。