便利屋にて―Ⅱ
入ってみると意外にも中は綺麗だった。
昭和の探偵ドラマに出て来そうな事務所で、木目調の内装で落ち着いた雰囲気だ。
事務所内を見回すと、奥に設置されたデスクに目が向いた。無精髭を生やした渋い中年男性と、赤い髪が目を引く年齢不詳の男性が書類を見て向かい合っている。ただそれだけなのに、キャラの濃そうな二人のおかげで相当なインパクトのある光景に見える。二人はこちらに気がつくと、いらっしゃいませと軽く会釈をした。
「こちらへ」
瀬尾が案内した先には、衝立で仕切られソファが向かい合って設置してあった。簡易的ではあるが、応接室と言う事なのだろう。促されて席につくと、少々お待ちくださいと言い置いてその場を後にした。衝立が邪魔をして、何をしに行ったのかは伺い知れない。もしかしたら先程の二人に、対応を変わってもらいに行ったのだろうか。
ため息混じりに待っていると、書類とお茶を持って帰ってきた彼に少しだけ安堵した。
(一体何を不安に思うって言うんだ)
「お待たせして申し訳ありません。では、ご依頼内容をお伺い致します」
目も合わさず、機械的に発された言葉。それに対して存外冷静に応対している自分に少し驚く。それでも胸の内に、僅かながら表現しがたい物が燻るのも感じていた。苛立ちにも寂しさにも似ている様な、形容し難い小さな燻りだ。踏み消しても踏み消しても消えそうに無いそれを、見えないふりをしてひたすら冷静を装う。
そうして淡々とビジネスライクなやり取りを続けて、商談は三十分程で纏まった。
「では、週五日訪問。家事全般の代行で、時間は朝九時から夜六時まで。鍵は管理人室での受け渡し。帰宅時間は遅いとの事ですが、夕飯はどうなさいますか」
「あ―、お願いします」
淀みなくすらすらと。流れ出る言葉に呆気に取られる。正直敬語を話す姿など初めて見た。彼が書き込む書類に目を落とすと、整った文字の羅列が整然と並んでいる。昔は豪快で大雑把な性格を、良く表した字をしていた
はずだ。外見からは読み取れなくとも、瀬尾は昔と大分変わっているのかもしれない。
―そう思うと、胸の燻りはちりちりと広がってより大きな火種になって行く。
目の前の男は、もう完全に知らない男なのかもしれない。
「藤田さん?」
不意に呼ばれた名前に、意識が現実へ引き戻される。いやによそよそしい呼び方に、薄ら寒さすら感じながら。
すいませんと短く返すと、契約書へのサインを促される。おぼつかない手元でガサガサと書いた字は、ひどく汚ならしく見えた。まるで今の自分の様に思えて、自嘲の笑みが浮かぶ。
「お伺いするスタッフはこちらで決めさせて頂きますますので、」
「瀬尾さんで」
瀬尾が思わずは、と漏らした頓狂な声には構わず高らかに宣言する様に続ける。
「瀬尾さんで、お願いします」
淡々と応対していた瀬尾が、わずかに表情を崩した。が、すぐに先程と変わらず機械的に、検討しますとだけ返す。
担当が瀬尾だからと言って、別に会える訳では無い。出勤時間も退勤時間も、契約した時間の外だ。
それでもいっそ、このまま未練がましくしがみついてみようと思った。
温度差を感じれば感じる程、心の内に熾った火種は大きく熱く育っていく様な気がした。
便利屋を後にすると、そこには人影は全く無かった。
小さな町の小さな商店街だし、来た頃にはすでに人はまばらだったから当然かもしれない。
頭ではそう思っても、今の藤田にはひどく寂しい光景だった。