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臆病者の恋  作者: 苑生
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塞がる扉

深夜の住宅街を一人とぼとぼと歩きながら、藤田は携帯を眺めていた。結局瀬尾の留守電は聞けず終いで、折り返しの連絡もしていない。仕事が捗らない位気になっていたのだが、今一歩勇気が湧かなかった。

途方に暮れたように道端で立ち止まり天を仰ぐと、そこには煌々と夜空を照らす満月が鎮座していた。己の弱さや、卑怯な心の内を全て見透かすような輝きが疎ましくて眼をすがめる。こんな夜中に他に誰に見られる訳でもないのに、何故だか急に恥ずかしくなって逃げるように歩き出した。

道すがらに点在する街灯は、やけに白く発光して見える。舞台上でスポットライトに照らされながら、卑しい逃亡者を演じているような気分になった。暗い想像を打ち消すべく、ただただ無心で家路を急いだ。


普段の倍は長く感じる帰路を終え、ようやく自宅にたどり着いた。玄関前まで来るとどっと疲れが押し寄せてきて、その異変にすぐ気がつく事が出来なかった。

靴を脱いで室内へ上がる頃になって、不意に感じた違和感にあたりを見回してみる。今朝出てきた時と、何か違うのだ。もしかしたら瀬尾がまた掃除をして、何かの配置を変えたのかもしれない―そう納得しかけて唐突に答えに思い至った。

玄関に見知らぬ靴が一足、綺麗に揃えておいてある。ビビッドな配色の派手なスニーカーは、大分履き古しているようだった。何故こんなものがあるのか、疲れた頭で緩慢に思考を巡らせる。そこで一つの可能性を思いつくと、心臓が跳ねあがった。

瀬尾が、居るのかもしれない。

ふらふらとリビングへ続く扉に近づいて、ドアノブに手を伸ばす。握りこんだとたんに伝わる冷たい感触に、とたんに思考がはっきりとして次々に色々な考えがわきだした。家路を急ぐ最中に考えていたようなことなど、負の感情がないまぜになって脳内をぐるぐると回って気持ちが悪い。立っているのもままならない気分の悪さに、ずるずると崩れ落ち膝をついて扉にもたれかかる。心臓が痛いくらいに脈打っているのに、体はひどく冷えていた。


(この間便利屋の事務所で会った時には、まともに話せていたのに)


きつく胸をおさえながら、自嘲気味に浮かんだ思いが存外重く藤田にのしかかる。

再会し、接点を持ったこと。それこそが自分をここまで臆病にしていると、彼自身よくわかっている。古傷だと思っていたそれは、今なお生々しく血膿を吹いて心に刻まれていたのだ。忘れたはずの瀬尾への思いは深く彼の中に息づいて、今にも叫びださんばかりに激しく主張していた。しかし同じくらい強く、拒絶されることへの恐怖が藤田の傷を覆っている。あの屋上での出来事は、大きな苦しみを伴って藤田の中でトラウマとなっていた。

では、会わなければ良かったのだろうか。

瀬尾に再会せずに生きていたら、適当な所で結婚でもしていたろうか。忘れたフリをして、心の中で違う人間を愛し生きるのか。平凡な日常を送る中でいつかそのことに気付いた時には、どう思っただろうか。側で支えてくれている人を騙している、そんな気持ちに駆られたかもしれない。その時、自分はどうしたのだろうか。

はたと考えついたことに思考を巡らせ、臆病者にすらなれないことの方が恐ろしいと、そう思った。それにもう、会わなかった頃には戻れない。今ここで逃げおおせても、いつか向き合わなければならない問題なのだ。

しっかりとした足取りで立ち上がると、前を見すえ意を決してドアノブを回す。

その時だった。

不意に扉の向こうに人の気配がして、開けようとした扉をおさえられてしまった。


「悪い。このままで、聞いてほしいことがあるんだ」


少し困ったような声は、紛れもなく瀬尾のものだった。

くもりガラス越しに見える人影は、少しうつむいた様子で扉に額を付けているように見える。藤田が同じように扉に額を付けると、冷たいガラスに触れているはずなのにどこか暖かく感じた。

瀬尾の呼びかけに身近くうんとだけ返すと、二人の間には少しの間静寂が訪れた。


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