暗渠
藤田の会社では、事故防止の為屋上は施錠され立ち入れない。それ故にそこへ続く階段は人気がなく、数少ない落ち着いて休める場所だった。
今日もコンビニの袋を片手に、遅い昼食にとる為に緩慢な動作で階段を上る。おにぎり三つとパックのお茶をたいらげたら、またあの喧騒の中に戻らなくてはならない。そう考えると億劫で堪らなかった。
金払いも良く勤めていると言うだけで、人から羨まれる職場に安息はない。入社して約三年、転職と言う言葉が頭を過る。年数に関わらず、周囲からは勿体無いと言われるだろう。どんな仕事でも大変なのは分かるし、その内出世すれば楽になるかもしれない。
そう思う一方で、このまま仕事だけして人生が終わるのではと言う危惧もあった。趣味と言えば読書位で、その時間をとる暇さえ無い。そんな状態では、恋人などもっての他だ。定年まで独り身かもしれないと言う想像に、薄ら寒くなった。
(恋人、かぁ…)
もそもそとおにぎりを頬張りながら、不意に経理の女性の事を思い出した。小柄で大人しそうな彼女は、昨年のバレンタインデーに手作りだと言うお菓子をくれた。良かったら食事でも、との誘いを無下にして周囲から手痛いバッシングを受けた。今から思えば、またとないチャンスだったかもしれない。
だが仮に彼女が自分に恋愛感情を抱いていたとして、告白された訳でも、言わずともそれを感じる程親しい訳でも無い。それにああ言う線の細いか弱い子には、多少乱暴でも瀬尾のような男の方が頼り甲斐があるだろう。
そこまで考えて、藤田ははっとする。
こんな所にまで昔の想い人を持ち出す自分に驚いた。正直あの可愛らしい女性の手作り菓子より、一見不良で無骨な男の手料理の方が嬉しいし美味しいとも思う。改めて自分が彼との過去を引きずっているのを知って、思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
瀬尾は今、誰か側にいるのだろうか―そんな疑問をかき消すように携帯が鳴った。不意に現実に引き戻され、面食らいながら着信を確認して更に愕然とする。液晶画面に『瀬尾』と表示された文字に、見間違いでは無いかと目を見はった。呆然としている間に留守番電話に切り替わり、何事か伝言を残して切れてしまった。突然の事に驚き、脈が速まっているのが分かる。恐らくは仕事の関係だと分かっていても、瀬尾から接触があったと言うだけで舞い上がっている自分がいた。
留守電を聞かなければと言う思いと裏腹に、あの屋上での拒絶された一件が脳裏に浮かんだ。もしかしたら、今度は仕事の依頼を断れるのかもしれない。本当は自分とはもう、二度と会いたくない位に思っていたのではないか。胸中に湧いた疑念は、止めどなく次から次へと生まれてくる。押し潰されそうな程溢れた感情は、ぐるぐると渦を巻きながら心の底へ淀んでいく。
そうして段々と自分だけが瀬尾を特別視していたような、そんな気さえしてきた。そうだとすればなんと滑稽なのだろうか。察しのいい瀬尾はあの日の藤田の様子から事態を把握した、そう考えればつじつまは合う。男からの告白など、出来れば避けたいものに違いないのだ。
そう思うと残された留守電を聞く気には慣れず、思い足取りで仕事へ戻って行った。




