在りし日
空気まで震えている様な、そんな錯覚さえ起す位緊張していた。
昼休みの学校の屋上。男が二人きりで向き合うと言う奇妙な状況が、十五分程続いている。
藤田の目の前にいるのは友人・瀬尾だ。見慣れたはずのその顔を、一向に直視出来ず困った様に俯いている。表情が見えずとも瀬尾が困っている事は、手に取る様に伝わっていたたまれない。
昨夜散々練習した言葉は喉奥に引っかかって、いっそ窒息してしまいそうだ。『好きだ』と言うたった三文字を伝える事が、こんなに重く苦しいものだと想像もしなかった。
沈黙がいよいよ張り詰めて、息苦しさで胸が潰れそうになる。本当に窒息するのが早いか、昼休みの終了のチャイムがなるのが早いか―そんな思いが頭を過る。
「あの、さ」
痺れを切らして口を開いたのは、瀬尾だった。
度重なる染髪で傷んだ金髪を、ガシガシと掻き毟りながらあさっての方向を向く。
「前から思ってたけどさ。その、なんだ。お前優等生なんだし、俺みたいな素行不良の問題児なんかとつるむの止めたら?」
放たれた言葉を一瞬理解できなくて、呆けた様な顔で瀬尾を見る。そらされた視線の先は遠く、何処か知らない場所を見ている様だった。
確かにタイプの違う友人どうしと言う事で、他の友人や教師からはいじめを受けているのでは、と心配される事もある。でもそんな事実は一切ないし、一見不良に見える彼が本当は優しい事を知っている。
クラス委員の仕事を手伝ってくれた事。塾の帰り、夜遅くなった時家まで送ってくれた事。他校の不良に絡まれた時に助けてくれた事。
藤田は数えきれない程何度も彼に感謝していて、だからこそ彼を好きになったのだ。
その瀬尾が言った言葉は恐ろしい程残酷で、その真意の奥にある優しさが否応なしに透けて見える。きっと、周囲の目を気にしてくれての事なのだろう。
そうは思ってもそんな事に左右される程、自分達は希薄な関係だったのかと思うとひどく虚しい気持ちがした。自分だけが仲のいい友人だと思って、恋情まで募らせて―なんて滑稽なのだろうか。
思う程にあふれ出る感情が、止めどなく零れおちて頬を伝う。
「お、おい。馬鹿、泣くなって」
藤田に伸ばされた指先は、ゴツゴツとして一見無骨だ。その手が壊れ物を扱う様に優しく頬を拭う仕草は、彼の人柄を如実に表している。
今はそれが辛く感じられて、思わず手を振り払った。
瀬尾は一瞬、驚いた様な顔をして。
「それでいいんだよ。最初から、・・・」
払われた手を握り締めながら俯いて、悲しげに微笑う。
言いかけて途切れた言葉の続きが紡がれる事は無く、瀬尾は屋上から去って行った。
その背中を呆然と見送る中、嘲笑う様に始業の鐘が鳴り響く。
やんわりと拒絶されたのだと、そう思った途端再び涙が溢れた。止めどないそれを拭う人はもう、いない。
藤田はその日、涙が枯れ果てるまで屋上で泣きあかした。
その後二人は言葉を交わす事すらなく、高校を卒業していったのだった。