二人分のMerci
冬に入る直前の晩秋。目に凍みる乾いた風に、髪や衣服の裾を弄ばせながら立つ、二人の青年の姿があった。秋風は強く、時々、落ち葉を舞い上げて細かい破片を二人の目の中に残そうとしていく。
一方は二十代半ばと思われる。肩口ほどで切り揃えられた髪は、水銀の清流のように美しい銀髪である。豊かなその銀髪は滑らかで痛んでいる様子がなく、執拗に手入れされた高貴な貴婦人のそれのような美麗さを持っている。瞳は明るい緑で、まるで焔が燃え盛っているかのように光を宿し、その周りを髪と同じ銀色の睫毛が縁取る。
細い顎に、長い指が添えられる。
「本当に、考え直す気はないのかい?」
「ねぇよ。これっぽっちもな」
対するもう一人が鼻を鳴らしてそっぽを向く。
こちらは、先の男よりも二、三歳ほど年下に見える容姿を持っている。息を飲む見事さを誇る黄金色の髪は腰まで届き、銀細工の円筒の形をした髪留めを用いて、襟足の辺りで一つに括られている。髪自らが輝きを放っているようにも見える。深い赤色の瞳は、身体中を駆け巡る血の色をそのままに写し出していて、見る者を吸い込んでしまいそうだった。
白く尖った犬歯を銀髪の男に見せつける。
「俺はもう二度と束縛されたくない。お前の選択は、俺が嫌う道を進む事だ。悪いが、死んでも拒否させてもらうぜ」
それを聞いた銀髪の男は、困ったような笑みを浮かべる。
「別に私は、君を止めに来た訳じゃないよ。そんなにカリカリしないでくれ」
金髪の男が鼻を鳴らす。露にしていた犬歯を赤い唇の中にしまったものの、未だに眉を顰めていた。腕を組んで、取り敢えず話を聞く姿勢をとる。
銀髪の男は、一層強く吹いてきた空風に目を瞬く。翠色の焔が現れては消え、現れては消え繰り返した。
「私は君の意見を尊重する。君の意志は、私には到底止められないさ」
「止められるだろうが」
金髪の男が怒気を孕んだ声で遮る。赤い瞳の瞳孔が、針のように縦長に細くなる。この変化は、銀髪の男からでも視認出来るものだった。
演技ではなく、本心から怒りを覚えている証拠である。
「何故、実力行使しようとしねぇ? お前は、お前だけは、俺を従わせられる。からかってんのか?」
ギリリと噛み合わされた歯が、肉食獣の如き鋭さを帯びていく。血の色を写した紅玉の瞳が、更に赤みを増していく。金髪の男の全身から、怒りが発せられていた。それは一言一言と言葉を紡ぐ度に強くなっていくようである。
しかし、その怒りの矛先である銀髪の男は、軽く肩を竦めて首を横に振る。
「まさか。そんな事をすれば、束縛が緩んだ隙に、舌を噛み切ってでも死ぬつもりだろう?」
銀髪の男は次に何を言わんとしているのか、金髪の男が赤い目を眇めて待つ。
「今までのお礼を言おうと思ってね。それと、解約を」
「は?」
金髪の男が、その言葉に間抜けに口を開く。完全に毒気を抜かれてしまった様子だった。鋭く尖っていた歯は丸さを帯びて人間のようなそれになり、針のように細くなっていた瞳もほんの少し横長気味の円に戻る。
その反応を見て、銀髪の男はおかしそうにクスクスと笑う。この場では初めて流れた、苦笑でも嘘でもない、純粋な笑声だった。
「額面通りさ。君を解放する。人の上に縛られる私と、自由を求め羽ばたく君とでは、もう会えないかもしれないだろう?」
「何を言って……」
金髪の男があからさまに狼狽する様を見て、銀髪の男は緑の焔が宿ったような目を優しげに細める。
「地位は残しておくさ。困った時に使えるように」
それを聞いて、金髪の男が唇を噛み締めて俯く。瞳の色が変化を始めていた。赤色が薄まり、紫色になっていく。
その変化を、銀髪の男は微笑ましそうに見ていた。
「これだから人間は……」
金髪の男が銀髪の男をキッと睨み付ける。
その瞳からは更に赤みが抜けて、怒りに隠されていた本来の色を取り戻しつつあった。睨む視線は建前だけのもので、本心ではないのだろう。
しかし銀髪の男はその視線に少したじろぐ。
「礼を言うのはこっちの方だ。世話になったな、この馬鹿!」
直後、今までとは比にならない強風が吹き付ける。
銀髪の男は反射的に目を強く瞑り、顔を守る為に両腕を掲げた。
「…………おや」
銀髪の男が目を開くと、もうそこには金髪の男の姿は無かった。忽然とその姿を消していた。あの、目を見張る見事な金髪はどこにも見当たらない。しかし、踏み締められた地面は、彼が先程まで確かに存在していた事を証明している。
銀髪の男は、それを名残惜しそうに見つめていた。
「『礼を言うのはこっち』か……」
銀髪の男は困ったように眉尻を下げる。
「私はまだ、お礼を言ってないのだけれど」
風に運ばれどこからか飛んできた落ち葉が、先刻まで金髪の男が立っていた場所を隠していく。
銀髪の男は空を見上げた。
晩秋の空はどんよりと曇っていて、薄暗い。
「ありがとう。不甲斐ない私を支え続けてくれて、ありがとう」
しかし、彼は知っている。
その上に広がる、蒼穹を。
「これからも、ずっと私の事を見守っていて欲しい……ずっと……」
その願いは、落ち葉と共に風に舞い上げられ、そしてどこかへと吸い込まれていった。
こういうベタベタな話は嫌いなんですが……
序章をこうしないと物語として始まらないので……
でもなんかもうちょっと考えて書けば良かったですね