表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

第5話 汽笛の向こうに

 昼前のヒタカミ中央駅は、霧と蒸気と人いきれで、いつもより少しだけざわついていた。

 駅舎の天窓から落ちてくる光は乳白色で、その向こう側にあるはずの“空”は、今日も見えない。

『――お昼どきのヒタカミに、汽笛のニュースをお届けします。

 本日一二時発カントー行き定期列車は、昨夜の騒ぎを受けて臨時の見回りを行いますが、運行に支障はありません。

 安心してご乗車ください。――ミチル・ウィステリアでした』

 駅構内のラジオから流れる声が、人波のざわめきに溶けていく。

 その雑踏の中で、タヌキ獣人の新人記者・シノは、取材用のカバンをぎゅっと握りしめていた。

「……“安心してご乗車ください”って、何かあったの、昨日」

 つぶやいた耳のすぐ横で、肩に乗ったカエル型ロボット・カジカが、ちいさく電子音を鳴らす。

「昨夜の“騒ぎ”って、ブラス・バジャー怪盗団のことだよ。中央区で姿を見せたっていう」

「駅で何か盗られたの?」

「正確には“盗まれかけた”だね。蒸気レンズ塔の地下倉庫。記録板の予備がいくつか」

 カジカは光学レンズを細める。

「だから今日のカントー行きは、乗客の見回り強化。

 ――で、そんな中に、のこのこ乗り込んでいく新人記者が一人」

「のこのこって言わないでよ。ちゃんと社命なんだから。

 “定期列車の安全性と、外界連絡の現状をルポせよ”って、アグサ先輩の直筆メモ付きだったんだからね」

 胸ポケットから、そのメモを取り出す。

『汽笛の向こうで何が“見えている”か、ちゃんと確かめてきなさい。

 ――ついでに車内販売のサツマイモ事情も調べていいわよ。A』

「最後の一行、完全に私情だよね……」

「でもその一行がないと、シノの足はここまで動かなかったでしょ」

「ぐっ。否定できない……」

 そんなやりとりをしていると、背後から低い声が飛んできた。

「おいおい。出発前から漫才してる余裕があるとはな」

 振り向けば、トレンチコートに帽子を目深にかぶった男。

 胸のバッジには“刑事課・タキシタ”の文字。

「タキシタさん!」

「よう、ヒタカミタイムス。今日は取材か?」

「はいっ! カントー行きの車窓から見える“外界”をですね――」

「はいはい、その文句は紙面で読ませてもらう。……で、そいつも一緒か」

 タキシタは肩のカジカを指で軽くつつく。

「タキシタさんも乗るんですか?」

「ああ。ブラス・バジャーの連中が列車を使うって噂があってな。

 “列車で移動する穴掘りども”なんてシャレにもならねぇだろ」

 タキシタはポケットから紙束を出し、一枚をシノにちらと見せた。

 そこには、何枚かの目撃証言を元にしたラフな似顔絵が重ねて描かれている。

「団長らしき奴の証言はどれもバラバラだ。

 “獣みたいな目だった”“金属の爪が光ってた”“マントを羽みたいに広げてた”――描かせりゃこの通りだ」

 紙の上には、妙に肩幅だけ広い人影や、やたら牙の長い横顔、まるで仮面劇の登場人物のようなシルエットが重なり合っていた。

「……これは、その……」

「わかんねぇだろ? こっちだってわからねぇよ。

 人間なのか獣人なのか、それすらはっきりしねぇ。狼だって言う奴もいりゃ、“ただの目付きの悪い兄ちゃんだ”って奴もいる」

 タキシタは似顔絵をくしゃっと半分に折りたたみ、ポケットに戻した。

「とにかく、“目立つ奴”がいたら声をかけるしかないってわけだ。

 ……ま、そう簡単に尻尾はつかませちゃくれねぇだろうがな」

「……怖い?」

「こ、怖くなんか……ない、と思う。たぶん。できれば取材してみたいなって」

「おいおい、怪盗を取材なんて言葉、刑事の前で使うな。

 ――ま、記者が外を向いてるのは悪いことじゃねぇさ」

 タキシタは口元をわずかにゆるめ、駅の時計を見上げた。

「そろそろ出発だ。乗り遅れるなよ。列車は足で書く記事みたいなもんだ、乗ってからが勝負だ」

「はいっ!」

 構内アナウンスが響く。

『一二時発、カントー行き蒸気列車。発車いたします――』

 汽笛が鳴る。

 シノはカジカを肩に乗せ直し、カバンのベルトを握りしめて、列車へと駆け出した。


* * *


 車内は、思ったよりも“日常”の匂いでいっぱいだった。

 作業着姿の職人、買い物帰りらしい主婦、書類カバンを抱えた役人風の男、

 「カントーの親戚んとこに行くんだ」とうれしそうに話す少年と、その家族――。

 あちこちから「カントーに着いたら」「カントーの市場はさ」といった会話が聞こえてくる。

 この列車がヒタカミを出て、カントーへ向かうのだと、誰も疑いもしない顔をしていた。

 その“当たり前”の空気に包まれながらも、シノの胸の中には、出発前から小さなざわめきが残っていた。

 行ったこともない場所の名前だけが、みんなの口から自然に出てくるのが、どこか不思議だったのだ。

「窓側、空いてるよ。ほら」

 カジカが顎で示した座席に、シノは腰を下ろした。

 窓ガラス越しに、ホームをゆっくり歩くタキシタの姿が見える。

 彼は列車の横を並行して歩きながら、一つひとつの車両の窓をざっと見回し、先頭寄りの車両のステップに片足を掛けると、帽子のつばを指先で押さえてから、列車の中へと消えていった。

『発車いたします――』

 ゆっくりと、車輪が動き出す。

 汽笛がもう一度短く鳴り、駅舎のアーチをくぐり抜けると、視界から天窓が消えた。

「……出ちゃった」

 シノの胸が、少しだけ高鳴る。

 生まれてからずっと、ヒタカミの“外”は、ラジオと本と、わずかな噂話の中にしかなかった。

「ねぇカジカ。ドームの外ってさ、どんな匂いがするんだろうね」

「外気はもっと薄くて、乾いてるっていうけど。

 ……残念ながら、この列車はまだ“ドームの内側”だよ」

 カジカの光学レンズが、天井の方向を向く。

 窓の外を見れば、遠くに白く霞んだ何かが見える――ドームの天井だ。

「でも、このまま進めば、いつか抜けるんでしょ?」

「――どうかな」

 曖昧な返事に、シノが首をかしげた、そのとき――。

「おーい、そこのタヌキちゃん」

 軽い声が、通路の方から飛んできた。

 名前を呼ばれたわけじゃないのに、“タヌキ”の一語に、耳がぴくんと反応する。

 シノが振り向いた瞬間、胸の中で何かがきゅっと掴まれたような感覚が走った。

 少し背の高い青年が立っていた。

 黒に近い灰色の髪を無造作に後ろで結び、尻尾は狼そのもののしなやかな形。

 耳は人間より高い位置で、タヌキのそれより少し尖っていて、

 瞳は灯りを受けて金色がかった琥珀色に光っている。

 ――耳がある。尾もある。

 自分のものとは形の違う“それ”が、あまりにも自然にそこにあった。

「……わ、狼……?」

 思わず、言葉がこぼれた。

 それは取材用の言葉でも、記事のための観察でもない。

 自分以外の“こういう姿”を、初めて見たタヌキ獣人の、まっさらな驚きだった。

 鏡越しに見慣れたはずの、自分の耳や尻尾。

 けれど、同じように“人と獣のあいだ”みたいなシルエットが目の前に立つと、

急に自分の輪郭まで確かめ直したくなる。

 知らないはずの匂いなのに、どこかで嗅いだことがあるような、獣の気配。

 孤立した一点だったはずの自分の存在が、線で結ばれたみたいに胸がざわめいた。

 獣人の青年は、その様子を面白そうに見つめてから、口角を上げて笑う。

「そう、オオカミ。で、君はタヌキ。――だから“タヌキちゃん”」

「た、タヌキちゃん!?」

「だってそう見えるし。違った?」

「い、いや、違わないけど……!」

 否定しきれずに答えた途端、シノの尻尾がぶわっと膨らんだ。

 耳も勝手に立ったり倒れたり忙しい。

 肩の上で、カジカが小声でつぶやく。

「シノ、心拍数上昇。

 “初めて会う自分以外の獣人が、こんなヤツ”っていう運命、どう?」

「ど、どうって何!?」

「いやぁ、データ的にはなかなかレアな瞬間だなって」

「データで言わないでよ!」

「いいね、その反応。――で、その肩のカエルが相棒さん?」

「カジカです。シノの義手のメンテナンス担当兼、ツッコミ係です」

「ツッコミ係って職業なの……?」

 シノが思わずつぶやくと、青年は「あ」と小さく声を漏らし、額に手を当てた。

「そうだ、名乗ってなかったな」

 自分の胸を親指で指しながら、にかっと笑う。

「オレはアオ。オオカミのアオ。よろしくな、タヌキちゃん」

「アオ……さん」

 名前を口にした瞬間、さっき感じた胸のざわめきが、輪郭を持った気がした。

 アオは楽しそうに片眉を上げる。

「タヌキとカエル、いいコンビじゃん。――タヌキちゃん、カントーは初めて?」

「えっ、あ、はい! 初めての“外界取材”です。ヒタカミタイムス事件部の――」

「シノ。まだ名刺出してないでしょ」

「そ、そうだった! えっと、私、シノっていいます。新人記者です!」

 慌てて差し出した名刺を、アオはひょいと取って眺める。

「“事件部”。いいねぇ。風通しよさそうな匂いがする」

「えっと、アオさんはカントーの方ですか?」

「さてね。……タヌキちゃんは、カントーってどんな場所だと思ってる?」

 突然の逆質問。

 シノは少し考えてから、手帳を取り出した。

「えっと、カントーは“外界連絡のハブコロニー”で――他のコロニーへ行く列車がたくさん集まってて、ヒタカミよりも高い建物が多くて、たぶんラジオ局も大きくて――」

「おお、けっこう夢見てるね」

「ゆ、夢っていうか、情報収集の結果です! たぶん!」

 アオは窓の外に目を向けた。

 灰色の街並みが、少しずつ遠ざかっていく。

 だが、頭上にはまだ白い天井の気配があった。

「……タヌキちゃん。

 もしさ、“列車がどこにも行ってなかった”としたら、どうする?」

「え?」

 くすりと笑うその口調は軽いのに、言葉だけは妙に重かった。

「いや、例えばの話。

 全部“行ってきたことになってるだけ”だとしたら、記者として、どう書く?」

「そ、それは……」

 シノは思わず言葉を詰まらせた。

 列車がどこにも行っていない――そんなこと、考えたこともなかった。

「仮定の話だよ、仮定。

 ――ほら、そろそろトンネルだ」

 車内が少し暗くなる。

 窓の外を覆う黒い壁。

 かと思えばすぐに抜ける。

 だが、抜けた先の光景は――どこかで見たような街並みだった。

「……あれ?」

 シノは眉をひそめる。

 さっき通り過ぎたはずの工場の煙突。

 似た形の屋根。

 同じ位置にぶら下がる洗濯物。

「気のせい、かな……?」

 カジカが肩の上で小さく揺れる。

「ログ取っておくよ。映像と振動パターン、両方」

 アオはそれを聞きながら、わざとらしく伸びをした。

「ま、しばらく暇だしさ。

 タヌキちゃん、外ばかり見てると酔うよ? 話でもしようか」


* * *


 しばらくして、通路をバサバサと歩いてくる足音がした。

 見れば、帽子を目深にかぶったタキシタが、客車をひとつずつ覗いて回っている。

「身分証の確認でーす。お手数ですが、順番に――おう、タヌキの嬢ちゃん」

「タキシタさん! あの、今、取材のメモを――」

「仕事熱心なのはいいが、遊覧旅行じゃねぇからな」

 タキシタは周囲の乗客に向き直る。

「昨夜の騒ぎの関係でな、この列車に怪盗団が紛れ込んでるって噂があってよ。

 安心のための形だけのチェックだ、ご協力頼む」

 手際よく身分証を見てまわるうち、アオの番が来た。

「はい、そこの狼さん。――獣人が2人も揃うなんて、珍しいな」

「どうも。アオです。身分証は……はい、これ」

 差し出されたカードを、タキシタがじろりと眺める。

 しばしの沈黙。

 シノは息を飲んだ。

(……そういえばタキシタさん、さっきの似顔絵、“狼みたいな目の獣人”って言ってた。

 ううん、初めて会った同じ獣人を、いきなり疑うなんて――いやいや、そもそもそんな都合よく“本物”が隣の席にいるわけ……)

「……ふむ。問題なし。

 ――狼の兄ちゃん、タヌキの新人記者を変なところに連れてかないようにな」

「へいへい。ちゃんと座席までしか連れていきませんよ」

 アオが肩をすくめる。

 タキシタは、ふいにシノにも目を向けた。

「お前も、変な取材根性出して列車から飛び降りたりするなよ。

 前に床下に落ちかけた前科があるって聞いてるんだからな」

「だっ、誰ですかそんなことチクったの!?」

「アグサ」

「先輩……!!」

 車内に小さな笑いが起こる。

 タキシタは「まったく」と肩をすくめながら、次の車両へと去って行った。

「……いい刑事さんだね」

「はい。ちょっと怖いですけど」

「君ら、なかなかいい街に住んでるじゃないか」

 アオはそう言って笑い、通路の手すりにもたれかかった。


* * *


 列車は、しばらく単調なリズムを刻み続けた。

 ガタン、ゴトン。

 車輪とレールが擦れ合う音に、蒸気の唸りが重なる。

「……ふぅ」

 シノは窓の外を眺めながら、背伸びをひとつした。

「やっぱり、外って言っても、しばらくは街の景色が続くんですね……」

「そうだねぇ」

 アオの返事は、窓の外よりもっと遠くを見ているような響きだった。

 少しして、シノはそわそわと腰を浮かせる。

「ねぇ、ちょっと席、外してもいい?」

「どこ行くの、タヌキちゃん」

「お手洗い。……列車の中のトイレって、ちょっと憧れてたんですよね」

「そこに憧れるの、なかなか渋いよ」

 カジカが肩の上でぷしゅっと小さく息を吐いた。

「じゃあ、ボクは荷物番してるよ。カバンと記事メモ、ここに置いていきなよ」

「うん。カジカ、お願いね。アオさんも、すみません、すぐ戻ります!」

「了解。タヌキちゃんの席、ちゃんと守っとくよ」

 シノは通路側に出て、揺れる車体に合わせて足を運びながら、後方のデッキへと歩いていく。

 ガタン、ゴトン。

 連結部のところで一度だけ大きく揺れ、シノの尻尾がびくんと跳ねた。

 シノの背中が車両の奥へ消えていくのを見届けてから、カジカはそっとシノの席から降り、通路側の座席の背もたれに移動した。

「……で、アオ」

「なんだい、カエルくん」

「さっき、タキシタ刑事が言ってた。

 “獣人の乗客は珍しい”って」

「そうだろうね。オレも、こうして堂々と乗るのは久しぶりだ」

 アオは窓ガラスに映る自分の横顔をちらりと見てから、尻尾の先を片手でつまむ。

「君、ヒタカミ生まれ?」

「どうだろうな。気がついたら、このドームの空しか知らなかった」

「なら、なおさら気になることがあるんだ」

 カジカの声が、少しだけ硬くなる。

「ヒタカミの獣人には、みんな……ボクみたいなのが付いてるはずなんだ。

 記録担当であり、サポートであり――まあ、シノ的には“相棒”だね」

「ふぅん」

「だから、気になってた。

 君みたいな目をしているのに、ずっと“ひとり”で動いてるのが」

 アオはそこで、初めてカジカのレンズを正面から見た。

 さっきまでの軽さとは違う、少し静かな眼差し。

「――タヌキちゃんの相棒は、勘がいいな」

「ボクはただの精密機械だよ」

「そういうことにしておくと、楽なんだろうな」

 短く息を吐いてから、アオは言った。

「昔は、いたよ。オレにも。

 アナグマ型のロボット。“ミズキ”って名前だった」

「今は?」

「もう、いない」

 それだけを告げる声は、淡々としていて――けれど、どこか遠くの痛みを隠していた。

「オレがこうして、ブラス・バジャーなんてやってるのもさ。

 全部、ミズキがいなくなった“あと”の話だ」

「……そう」

 カジカはそれ以上、何も訊かなかった。

 列車の揺れが、会話の隙間を埋めていく。

 その頃、デッキ側。

 シノは手を洗い終え、細い廊下を戻りながら、車輪のリズムに合わせて小さく息を整えていた。

 自分の乗っている列車が、どこへ向かっているのか――さっきまでの会話が頭の隅でぐるぐる回っている。

(……ちゃんとメモしないと。アオさんの質問も、カジカのログも……)

 そう思いながら自分の車両の扉を開けたとき、ちょうど座席側から声が流れてきた。

「……“ミズキ”って名前だった」

 その一言だけ、はっきりと耳に届いた。

(ミズキ……?)

 誰の名前だろう、と首をかしげる間もなく、車体が揺れ、シノは手すりをつかむ。

 揺れのリズムに紛れて、続きの言葉はよく聞こえなかった。

 自分の席に戻るころには、アオとカジカのあいだの空気は、いつもの軽口が戻りつつあった。

 けれどシノの耳の奥には、“ミズキ”という名前だけが、小さな木の実みたいに引っかかって残っていた。


* * *


『まもなく、カントー中央――』

 車内アナウンスがそう告げたとき、シノは手帳から顔を上げた。

「えっ、もう着いちゃうの!?」

「うん。ログもメモも、ひと通りは取れたかな」

「な、なんか……あっという間だったな……」

 自分のノートをぱらぱらとめくる。

 車内の様子、乗客の会話、レールの揺れ方、天井の構造――。

 どの行にもびっしり文字は詰まっているのに、「カントー」のページは、まだ余白の方が多かった。

 窓の外を見れば、確かに街並みが変わっていた。

 駅舎の形、掲示板の文字、“カントー”と書かれた案内板――。

 だが、ふと顔を上げると、そこにあるのはやはり白く曇った天井だった。

 ヒタカミで見慣れた、あのドームの内側の光。

「ねぇ、カジカ」

「うん」

「カントーって……ヒタカミと同じドームの中、なの?」

「“そういう設定”なんだろうね」

 カジカは平然と、しかしどこか寂しそうに言った。

 ホームに降り立つと、他の乗客たちはごく自然に「着いた着いた」と笑い合い、

 「やっぱりカントーの空気は違うねぇ」と言い合っている。

 売店の位置も、掲示板のフォントも、構内アナウンスの声も――

 よく見れば、ヒタカミ中央駅とほとんど変わらない。

 看板の地名だけが違う。同じ骨組みに、別の名前が貼られている。

(……ここって、本当に“カントー”なんだろうか)

 胸にざらりとした何かが残ったまま、シノはメモを取った。

 ――出発駅と、構造がほとんど同じ。

 ――天井の高さも、光の色も、ヒタカミのそれに似ている。

 ――“違う場所に来た”という手応えが、薄い。

「タヌキちゃん。降りないの?」

 アオが振り返る。

「あ、はい! 取材しないと!」

 慌ててホームに降り立つと、スチーム音と人々の足音に包まれた。

 改札の向こうには、“カントーの街”と書かれた案内図が見える。

 けれど、そこへ続く通路の前には「関係者以外立入禁止」の看板と、警備用のロープ。

 時刻表には、折り返し列車の発車時刻が太字で強調されていた。

「持ち時間、三十分だね。ホーム取材と売店チェックで埋まっちゃうよ」

「……うん。今日はまず、“ここまで”をちゃんと書かないと」

 そう自分に言い聞かせるように頷き、シノはホームのあちこちを歩き回った。

 スピーカーから流れる案内と、人々の会話と、遠くで鳴る汽笛の音。

 ノートの余白は埋まっていくのに、「カントーの街」のページだけは、やはり白いままだった。

 しばらくのホーム取材のあと、折り返しの列車に乗り込む。

 そう、“折り返し”だ。

「……ねぇカジカ」

「何?」

「タキシタさん、どうして“日帰り”で乗ってるんだろ。

 カントーでの聞き込みとか、しないのかな」

 発車準備のベルが鳴る頃、ホームの少し前方では、タキシタが駅員と何やら言葉を交わしたあと、

 先頭寄りの車両のステップを上がっていく姿が見えた。

 同じ列車。けれど、いくつもの扉と乗客のあいだに隔てられた遠い車両。

「“向こうに着いて、すぐ戻ってくる”のが当たり前になってるんだよ。

 仕事の都合でもあるけど……それ以上に、“そういうもの”としてね」

 カジカの言葉に、“安心という名の麻酔”がシノの頭をかすめる。

 街を満たす、やさしすぎる音。

(列車も……その一部、なのかな)

 発車の汽笛が鳴る。

 ヒタカミとよく似た天井の下で、列車は今日もヒタカミへ戻るための線路の上を、ゆっくりと動き出した。


* * *


 帰りの車内は、行きよりも静かだった。

 疲れた表情の大人たち。眠そうな子ども。

 「やっぱりカントーは人が多いなぁ」とぼやきながら、

 しかしどこを歩いてきたのか、はっきり説明できない乗客たち。

 窓の外には、さっきと同じような工場、同じような森。

 そして――その先に、やっぱり同じようなトンネルが近づいてくる。

「……ねぇカジカ。行きのときも、この錆びた給水塔のあとに、小さい森があって、その先でトンネルに入らなかったっけ」

「うん。ログ照合すると、ランドマークの“並び”がほとんど同じだね」

「“戻る道”っていうより、“さっきと同じ映像の二回目”みたい……」

 シノはメモ帳に書き足した。

・往路で見た給水塔→小さい森→トンネルの順番が、復路でも同じ

・トンネル前後の標識や建物の位置も一致

・進行方向が変わっているはずなのに、“景色の並び”が逆にならない

「タヌキちゃん」

 横から、アオの声がした。

「さっき言った“もしも”の話、覚えてる?」

「……“列車がどこにも行ってなかったら”ってやつですか?」

「そう。それ。

 ――今、どんな記事タイトルが浮かんでる?」

 シノは少しだけ考え、ペン先で紙をなぞった。

「『汽笛の向こうは、同じ街でした』……とか」

「へぇ。ちょっと詩人入ってるね」

「む。バカにしてます?」

「褒めてる褒めてる。

 でもそのタイトル、今書いても、たぶん紙面には通らないよ」

「……ですよね」

 ため息と一緒に、胸の中のモヤモヤも少し吐き出される。

「だったら、今は“書けるぶんだけ”書けばいい。

 タヌキちゃんが見た景色、そのまま全部メモしておきな。

 いつか“書けるタイミング”が来るかもしれないからさ」

「……アオさんは、そういうタイミング、来ると思います?」

「オレは待つ性格じゃないからね。

 来なきゃ、無理やりこじ開けるだけだ」

 その言葉に、シノの頭の片隅で、

 “ブラス・バジャー怪盗団”という名前が、ぼんやりとかすめた。

 ――こういう人が、ああいう噂の真ん中に立っていても、不思議じゃない気がした。

 ガタン、ゴトン。

 レールの音が近づき、やがて見慣れた駅舎が見えてくる。

『まもなく、ヒタカミ中央――』

 アナウンスの声に、乗客たちはほっとしたように立ち上がる。

 ホームが近づくにつれて、義手の“耳”が、かすかにざわついた。

【――この往復は、正常です。安心してご利用ください】

 頭の奥で、誰かの声がした気がした。

 同時に、どこかでラジオの声が被さる。

『――今日も、霧の向こうで、レールは静かにつながっています。

 たとえ行き先が見えなくても、安心して乗っていてください。

 ミチル・ウィステリアでした』

 似ているのに、微妙に違う声。

 どちらも、“安心”を約束するトーン。

(でも、私の胸の中は、全然安心してないんだけどな)

 シノは自分のノートをぎゅっと抱きしめた。


* * *


 編集部に戻ると、アグサはいつものようにコーヒーを片手に待っていた。

「おかえり。どうだった? 初の“外界取材”」

「……外界、でした。たぶん。

 でも、“ヒタカミと地続きの外界”って感じで……」

 シノは列車内での出来事をかいつまんで話した。

 カントー駅の構造、天井の色、トンネルの順番、タキシタの往復、そして――アオという狼獣人のこと。

「狼の獣人、ねぇ……。

 噂の“狼の怪盗”ってやつと、ちょっとだけ輪郭がかぶるわね」

「わ、私も、ちょっとそう思いました……」

「でも“タヌキちゃん”呼びは、限りなくセクハラ寄りだから。

 次会ったら、一回くらいは抗議していいわよ」

「わ、私もそう思います……!」

 シノが耳を赤くしていると、カジカがテーブルに跳び乗った。

「でも、アオの言葉も、一理あったよ。

 “今は書けるぶんだけ書いておけ”って」

「ふぅん。

 じゃあ、その“書けるぶん”を全部出してごらんなさい。

 ――汽笛の向こうで、タヌキの記者が何を見たのか」

 アグサは空の原稿用紙を差し出した。

「タイトル案は?」

「えっと……『汽笛の向こうは、同じ街でした』」

「没」

「早い!」

「今それを紙面に出したら、編集長の胃が破裂するわ。

 ――そうね、“外界連絡の現状レポート”くらいにしときましょう。

 中身の行間に、“同じ街”って言葉を忍ばせなさい」

 アグサはにやりと笑い、コーヒーをひと口啜った。

「いつか、あんたが“本当に書きたいタイトル”を、

 堂々と一面にぶち抜きで載せられる日が来るかどうか。

 それは、あんたと――“その狼少年”しだい、ってとこかしらね」

「……狼少年、って言い方、ちょっとかわいいですね」

「ただの旅人か、“事件の側”の人間か。

 どっちなのかは、そのうち記事が教えてくれるでしょ」

 シノは義手の指先を見つめた。

 列車の振動をまだ覚えている金属が、かすかに震える。

(――汽笛の向こうで見たもの。

 “どこにも行ってない”かもしれない列車。

 そして、“ミズキ”という名前を口にした狼の獣人)

 見えたものと、聞こえたもの。

 それから、“聞こえたはずなのに、誰にも届いていない声”。

「……書きます。

 今、“書けるぶん”だけでも」

 シノはそう言って、タイプライターのキーに指を置いた。

 その瞬間、窓の外で、どこかの汽笛が短く鳴った。

 まるで、次の話の幕が、静かに上がる合図のように――。

第5話 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ