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ここまでお読みくださいありがとうございます。
メタナ国の巡礼でも王太子であるレグルスが時々同行してくれるので、徐々に反響が変っていき、穀物の出来高が上がればまた、変わっていった。
巡礼も長くなると自分で出来る事も増えてくるし、する事も増えてくる。
それはトゥス国の巡礼でも、同じ事だった。
いつの間にかする事となっていってしまった。
何でもしてもらえたあの頃とは違う。
段々と記憶が薄らいでいく。
それでも忘れられない想いはある。
そして、トゥス国とメタナ国を行ったり来たりの巡礼は、いつのまにか10年という月日が流れた。
もう、近年ではあからさまに暴言を浴びたり、襲われる事もなく、両国も終戦という状況が当たり前の様に浸透していた。
ただ、この世界に来た頃の溌溂とした明るく若い葵はいなかった。
手は擦り傷やあかぎれなどで荒れ、トゥス国の侍女達が手を入れてくれても、巡礼にでればすぐに荒れてしまう。
始めの頃に付けられた顔の傷も薄っすらと残っている。
手足には痣になっている様な跡もある。
食は細いままなので、体も痩せたままだった。
何より、巡礼で説いて周っているので、精神的に削られていたため、やつれて見えた。
実際の年よりも老けて見える様になった。
「このまま、ここで朽ち果てて行くのだろうか・・・」
未だに元の世界に戻る方法は見つかっていなかった。
葵も、薄々気が付いていた。
早い時期に、巫女の葵を元の世界に戻しては、また戦争状態に戻る可能性があるという事。
それ故、急いで元の世界に戻る方法が探されていないという事。
今となっても、なお、終戦の象徴として『巫女様』がいる事。
そろそろ良いのかもしれないが、やはり見つかっていない事実は変らなかった。
「帰りたい」
トゥス国の王宮に与えられた自分の部屋で、メタナ国の巡礼から戻って来たばかりの葵は、自分の手を見て、呟いていた。
窓の外には満月が煌々と輝いていた。
「あの日も満月だった」
この世界に来た日、あの人と一緒に歩いていた日も満月が煌めいていた。
「雅様・・・」
その名を口にすると、涙が零れた。
静かに、葵の頬を伝わる。
その雫は止めどなかった。
「雅様」
何度名を呼んでも、返事がある訳では無い。
涙が落ちる指先は手をとってもらった頃の面影もなく、今の自らの姿を考えると、あの人の前に立つ事すら憚られる。
あまりにも惨めだった。
「雅様」
本当なら、後少しで祝言だったのだ。
葵は母方の家が巫女の家系なので、15歳から18歳まで巫女として母方の神社で務めていた。
そして、巫女の務めが終わったら雅と祝言を上げる予定だったのだ。
親の決めた許嫁と言いながら、幼馴染の二人は仲が良かった。
周囲からも羨ましがられる様な睦まじさだった。
「もう直ぐ、お務めも終わるね」
「はい、もう直ぐです」
「そうしたら、漸く葵は私の妻だ」
「はい」
頬を朱に染めて恥じらいながら答える葵は初々しかった。
雅がそっと肩を抱き寄せて自らの体に寄せた。
「待ち遠しい」
「・・・」
奥のお社から、葵が住む所までの短い逢瀬だ。
「あ、お社に祈木を忘れてきてしまいました、取りに行ってきます」
葵が不図思い出した様に顔を上げた。
「では付いて行こう」
「いえ、直ぐですから、ここでお待ちください」
本当にお社まで、目と鼻の先だ。
「否、葵一人では心許ない」
それでも雅は心配な様で眉を寄せる。
「では、雅様のそのお扇子をお借りして身代わりと致します」
悪戯っ子の様な瞳で葵は雅を下から見上げた。
「仕方のない子だ、ちゃんと握っている様に」
目尻を下げた雅は自らが持っていた扇子を葵の掌に握らせて、己の両の掌で包み込んだ。
「はい」
元気に返事をしてくるりと身を翻すと目の前の社へと駆ける。
葵が社の中に入って、扉が閉まった直後だった。
社が目の眩む様な白い光に包まれた。
雅も眩しくて目を瞑り、辺りに光の気配が無くなってから、目を開けると、今までと変わらない社がそこにあった。
「あ、葵」
叫びながら雅が社に駆け寄ると、その扉は何をしても開かなかった。
「葵、葵」
何度叫んでも返事は無かった。
供の者とも協力して扉を開けようと試したが開かなかった。
神主達や他の巫女達にも知らせ、皆で開けようと試みたが開かなかった。
夜が明け、兵士も借りて開けようと試みたが開かず、中から葵の返事も無かった。
「神隠しではないか」
誰ともなくその様な話が出たが、それではこの扉が開かないのは何故か?
その問いに誰も応えられなかった。
中から返事が無いとは言え、中に葵が居る可能性がある以上、力尽くで壊す訳にはいかず、扉だけでも壊してみるかと刀や斧を当てるが、不思議な事に傷一つ付けられなかった。
「諦めない」
雅はその社の前に仮小屋を作らせ、扉が開く事を、葵が帰って来る事を待つ事にした。
雅も地位の高い貴人であるが故、神社もそれを許したし、神主達も葵が戻って来る事を願っていた。
「絶対に諦めない、私は葵を取り戻す」
そう、固い決意の元、職務を休み、社の前で雅は葵を待っていた。
「こんな姿になっても、雅様に一目会いたい」
そっと懐からあの日、雅に借りた扇子を出し、握りしめた手にまた雫が零れる。
満月の光は相変わらず葵の手元を照らす。
扇子の親骨の上に葵の涙が零れた。
雫が小さな円となり、そこに満月の光が落ちた。
淡い白い光が徐々に強く大きくなっていった。
その中に葵は居た。
「あ、ああ・・・」
あの時と同じ、あの日、社に入ったら、小さな白い光が見えて、徐々に大きくなって自身が包まれて、気が付いたらこの世界に居た。
「・・・」
真っ白な世界が眩しくて目を閉じた。
辺りの眩しさが無くなった感じがしたので、そっと目を開けていく。
辺りは昔見た記憶のある、木の板が視界に広がっていた。
遠くで誰かが呼ぶ声がした。
「あ・・・」
呼ばれている?
葵はまだ横たわっていた。
そっと体を起こし始めると、聞こえてきた。
「葵、葵」
懐かしい声、一時も忘れた事等無い。
唯、唯、愛しいあの方の声が聞こえた。
「葵、葵、返事をしてくれ」
間違えない、雅様の声が聞こえる。
でも、自分はあの頃の様に美しい少女ではない。
今の自分はやつれて貧相でみすぼらしい。
こんな自分を見たら、雅様はがっかりなさるのではないか。
それに10年のもの年月が人を変えるには十分な時間だと自覚していた。
寧ろ、自分が領民を変えるために費やしてきた時間だ。
「それでも、一目、一目で良いからお会いしたい」
葵は思い切って立ち上がった。
「葵、葵」
雅の自分を呼ぶ声が聞こえる。
「雅様」
掠れた声しかでないのだが、それでも、何度も口にしていた名を呼んだ。
「雅様」
蹌踉めきながらも扉の前と懸命に歩いた。
「葵、葵いるのか?そこにいるのか?」
雅にも微かに葵の声が届いたようだ。
葵が扉に手を掛けると、向こう側からも開かれた。
「葵」
すぐさま葵は雅の腕に抱きしめられた。
「葵、葵」
頭の上に雅の頬が摺り寄せられているのがわかる。
「雅様」
声にならない掠れた葵の声はそれでも雅に届いた。
「ああ、葵良く帰って来てくれた、私の葵だ」
雅の腕に抱えられたままではあるが、少し緩められた腕の中から葵は雅の顔を見る事が出来た。
「雅様・・・」
葵は驚いた。
見上げた雅の顔は思い出の中の雅とほとんど変わっていない。
美しい顔はそのままだ。
まるで年を重ねていない。
自分の掌から伝わるしっかりとした雅の体躯。
衣服の上からでも鍛えられたその体は伺い知れる。
それに引き換え自分は、そう思うと急に怖くなって身が竦んだ。
「ああ、葵、顔を良く見せて、愛らしい顔は変っていない、本当にこの10日間気が気では無かったんだよ」
雅は葵の腰を抱いたまま、片方の手でその頬を撫で、視線を葵の目線まで屈んで合わせた。
「えっ」
驚いた声をあげた葵は黙ってしまった。
「怪我は?どこか痛い所は無いか?具合の悪い所は?」
雅が重ねて葵に聞いて来るのだが、葵は衝撃が大きくて答えられなかった。
「あの」
「ん?どうした?どこか痛むのか?」
微かな声を出した葵に対して雅は優しい声を返す。
その時、葵の懐からぽとりと何かが落ちた。
「ん?随分傷んだ扇子を持っていたのだね、私が貸した物によく似ているけど」
「えっ?」
雅が拾い上げた扇子は、葵があちらの世界で涙を流した時に持っていた、雅との想い出であり、葵の心の縁であった物だ。
そう、10年苦を共にした扇子はあの時酷く傷んでいた。
「あの、雅様、10日間と言うのは?」
古びた扇子を雅から渡され両手で大事に抱え込みながら尋ねた。
「ああ、葵が忘れ物を取りに社に行って、いきなり光に包まれたかと思ったら、この扉が開かなくなって、今日で10日目なのだよ、だから、この10日間どうしたら葵を取り戻せるかと気が気では無かったんだよ」
雅は葵の髪を撫でながら説明した。
「あの、10年ではなく?」
葵は理解し難かったので、再度問い掛けた。
「ええ?10年も経っていたら、私も年を取るし、葵も変わっているだろう?それに10年もこの仮小屋では持たないよ、そんなにかかるならこの社の隣に私の寝所を作らねばならない」
喉の奥をならしながら笑って雅は話す。
「そう、そうですよね、えっ、私変っていないですか?」
そう言いながら、雅の胸元に置いてある自分の手が視界に入った。
そこには繊手と言われていた頃の手があり美しかった。
驚いた。
「少しやつれたかな?10日も食事も何もしていないだろう?それくらいで、私の葵はいつも通り愛らしいよ」
撫でられていた頬に頬を摺り寄せられた。
「ひゃっ」
高い声が出てしまった葵だが、摺り寄せられた頬は弾力があった。
そう言えば自分の声も昔の様に高い声だ。
「さ、葵、ここではなく私の家に帰ろう、もう、葵の母君の許可は取っている、務めも終わりで良いそうだ、ここに居てまた葵を攫われたら元も子もない」
そう言うと雅はさっと葵を抱き上げて御車のところまで運んでいった。
そこには供の者もいて、いつ葵が帰って来ても良い様に準備されていた事が伺えた。
御車の中でも雅は葵から手を離さなかった。
「あの、雅様、この中ならお手を・・・」
赤い頬のまま葵が雅を見上げて口を開いた。
「駄目駄目、まだ、この手に戻った実感が薄いからこのまま」
そう言うなり、雅の頬が葵の頭を撫でる。
葵の首元まで赤くなってきた。
葵は身を竦めている。
それでも、雅の体から香る、懐かしい匂いを己に纏わせる様にそっと身を寄せていた。
雅の邸に着けば、夜遅いと言うのに、総出で歓迎されていた。
懐かしい面々の女房達に寄って湯あみや香を焚いてもらい、懐かしい衣服に身を包み、髪を垂髪にしてもらって整えてもらった。
髪の毛もこちらに居た頃と変らない事に驚いた。
あちらに居る頃に流石に自分では持て余して切ったのだ。
息が出来る。
それが葵の率直な感想だった。
そうして身支度をしてもらったら、お膳と共に雅が部屋に入ってきた。
「少しでも食してから眠った方が良いかと思って、消化の良い物を用意させた」
「ありがとうございます。嬉しいです」
そこには自身の感覚では随分久しく口にしていない野菜の炊き合わせがあり、お茶があった。
頂きますと言って口に含めば懐かしい味が口の中に広がる。
口福を嚙みしめていた。
「美味しい」
一言漏らすと、涙が溢れた。
その涙は落ちる前に隣の雅が拭ってくれる。
「大丈夫だ、もう、大丈夫だ、私の腕の中におるのだから、もう大丈夫だ」
そっと拭ってくれる手と腰を引き寄せてその身に付けてくれる手は確かな温もりを伝えてくれた。
「はい」
椀を抱えたまま、葵は泣き笑いの顔を雅に向けた。
その夜はそのまま、雅の腕の中でゆっくりと眠った。
雅の温もりを感じたままその腕の中に納まっていた。
雅としては些か辛いものもあったろうが、それでもこの手に葵が居るという実感は喜ばしく思っていたのも事実だ。
葵もすっかり元の世界の感覚を戻していた。
雅との祝言の前の晩、務めを終えたとばかりに扇子は跡形も無く塵と消えた。
その様を見ながら、葵は一人呟いた。
「ありがとう、私を支えてくれて、私を戻してくれて」
そう、祈りを捧げた。
葵と雅の祝言は華燭の宴と都の噂にもなった。
いつまでも仲睦まじく過ごす二人は2男3女の子宝にも恵まれた。
ただ、かの一件があったので、いつまで経っても雅の葵に対する過保護ぶりは増える事はあっても減る事は無かった。
「私の葵はこの腕の中にしまっておかねば安心できぬ」
「既に赤い糸で結ばれておりますのに」
雅の含みのある笑みに、ふわりとした穏やかな笑みを返す葵だった。
如何でしたでしょうか?
元の世界に、愛する人の元に帰れました。
しかも、若返っております。
あちらの世界もきっと平和のままだと思います。
葵に辛い思いをさせてしまいましたが、
その分、溺愛されております。
何にも無いのが良いと言われそうですが・・・
よかったらお☆もよろしくお願いします。




