伯爵令嬢、無愛想な客が常連になる
開店から数日が経ち、少しずつ店のリズムができてきた。
パン屋のオスカーさんとミリアムさんの紹介もあり、朝や昼時には常連になりそうなお客さんもちらほら見えるようになった。
「エリー、紅茶もう一杯もらえるかい?」
「はい、ありがとうございます」
馴染みの顔が増えることは嬉しい。
けれど、まだまだ課題は多い。
紅茶の種類や味の好みは客によって違い、出すタイミングも大切だった。
そんな中、開店から数日後に現れたのが、あの男性だった。
昼下がり、店の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、長身で黒髪の青年だった。
鋭い目つきに無愛想な表情、黒いロングコートを羽織り、まるで場違いな場所に来たような佇まいをしている。
最初に見た瞬間、店の雰囲気には合わない人だと思った。
けれど、彼はゆっくりと店内を見回し、カウンターの奥の席へと進んでいった。
「いらっしゃいませ」
こちらの声にも、彼はただ無言で頷いただけだった。
「ご注文は?」
「……紅茶」
短くそう言うと、彼は手元のメニューを見ようともせずに視線を落とした。
「かしこまりました。何かお好みは?」
「何でもいい」
素っ気ない返答に、少し困った。
けれど、それでも客である以上、適当に出すわけにはいかない。
私は彼の雰囲気を見て、落ち着いた香りのアッサムティーを淹れることにした。
香ばしく、深みのある香りが広がる。
静かにカップを置くと、彼はゆっくりと手に取り、一口含んだ。
そして、何も言わずにまたカップを置いた。
美味しいとも、不満げとも取れない無表情。
しばらくすると、彼は静かに紅茶を飲み干し、代金を置いて席を立った。
「ありがとうございました。またのお越しを」
しかし彼は何も言わず、そのまま店を後にした。
それから、彼は毎日のように店を訪れるようになった。
昼過ぎ、店が少し落ち着いた頃に必ずやってきて、同じ席に座り、同じように「紅茶」とだけ注文する。
こちらがどんな紅茶を出そうとも、特に感想を述べることはなく、ただ静かに飲み、金を置いて帰るのだった。
「エリー、あの人、また来てるわね」
マリアが片付けをしながら小声で言う。
「そうね。無愛想だけど、毎日通ってくれてる」
「気にならないの?」
「うーん……まあ、悪い人には見えないし。でも、少し変わった人ではあるわよね」
彼はいつも店の中で誰とも話さない。
他の客がいても関わることなく、一人静かに紅茶を飲んでいる。
店の居心地が悪ければ来ないだろうが、何を考えているのかが読めない。
ただ、気づいたことがあった。
彼は出された紅茶を残したことがない。
それどころか、いつも最後まで丁寧に飲み干していく。
もしかして、本当に紅茶が好きなのかしら?
そう思ったものの、本人に尋ねる勇気はなかった。
話しかけても、無表情で短く答えるだけの彼に、何を聞けばいいのかわからなかったからだ。
そんなある日のこと。
その日も彼は店にやって来た。
私はいつものように彼のために紅茶を淹れた。
けれど、今日は少し趣向を変えてみることにした。
いつも彼にはアッサムやセイロンといった渋みのある紅茶を出していた。
でも今日は、フルーティーな香りのダージリンを選んだ。
彼の反応が見てみたかったから。
カップを置くと、彼はいつものように黙ってそれを手に取り、一口飲んだ。
次の瞬間──
彼の表情が、ほんの少しだけ変わった。
驚いたような、何かを思い出すような、そんな微かな表情の揺らぎ。
けれど、すぐに元の無表情に戻る。
「……これは?」
「ダージリンです。今日は少し気分を変えてみようかと」
彼はしばらくカップを見つめていたが、やがてゆっくりとまた一口飲んだ。
「……悪くない」
初めて彼の口から出た、紅茶の感想。
私は少し驚きながらも、なんだか嬉しくなった。
「それはよかったです」
彼はそれ以上何も言わず、いつものように最後まで飲み干し、席を立った。
けれど、店を出る間際──
「……ごちそうさま」
小さく、けれどはっきりとした声でそう言って、彼は店を後にした。
私は驚いて、マリアと顔を見合わせる。
「今の、聞いた?」
「ええ、確かに言ったわね」
たった一言だったけれど、確かに彼の声には、わずかながら温かさがあった。
それから、彼の印象が少しずつ変わっていくのだった──。




