伯爵令嬢、次の戦いに備える
フェイの説明が一段落し、店内にひとときの静けさが戻った。
昼間のお礼にと出した紅茶と軽い食事を終えると、彼は静かに礼を述べて席を立つ。
「そろそろ帰るとしよう。……だが、その前に一つだけ」
軽い調子に戻ったかと思えば、次の言葉には妙な緊張がこもっていた。
「迷惑客の件、今日はうまく収まった。だが――これで終わりではない。バイン商会は必ず次を仕掛けてくる」
その口調は穏やかでありながら、聞く者を否応なく引き締めさせる。
カウンターに突っ伏していたマリアが、肩を落としたまま息を吐き出した。
「……まあ、そうでしょうね。けれど今日みたいな連中なら、なんとかなりそうだわ。サヴォワ商会も動いてくれてるし、ウィリアムさんも来てくれるでしょうしね」
安堵の色を滲ませながらも、最後には皮肉を混ぜる。
「でも……もっと厄介なことが起きるんでしょうけど」
彼女の声音には、安堵と疲労、そして皮肉が半分ずつ混じっている。
それに答えるように、フェイは真剣な目を向けた。
「その通りだ。侯爵家との政治は今、膠着している。私が正面から攻めるのは難しい。だからこそ、矛先はおそらく君たちに専念されるだろう。……だが安心しろ。ここは、もう私の戦場でもある」
その言葉は不思議と胸に響いた。
静かな声なのに、剣を抜く音が聞こえてきそうなほどの決意が宿っている。
――心強い。
けれど同時に、背筋を冷たいものが撫でた。
「公爵さまがそう言ってくれるなら、心強いわね」
マリアが笑みを浮かべる。
皮肉でも茶化しでもなく、素直な賛同だった。
マリアが頷いた瞬間、フェイの眉がわずかに動く。
「……君にそう言われるとは思わなかったな」
冗談めかすでもなく、本当に意外そうに。
普段の堂々たる態度からすれば、少し頼りなげに見えるほどの一瞬だった。
照れ隠しのように咳払いし、再び落ち着いた声へ戻す。
そのささやかな揺らぎに、私は不覚にも胸が熱くなる。
――いつも揺るがない彼にも、こんな顔を見せる時があるのだ。
だがすぐに、レオノーラが少し眉を寄せる。
「ただ……気になるのよ。貴族同士の争いに、私たちの店が巻き込まれるのではないかって。守ってもらえるのはありがたいけれど、その代償を払うことになるんじゃないかと」
声は静かで落ち着いていたが、その響きには確かな危惧があった。
フェイは彼女へ真っ直ぐに向き合い、即座に答える。
「その危惧は理解している。だが、もし火が燃え盛るようであれば、私の影響力で封じ込める。必要なら政敵をねじ伏せてでも」
その言葉は力強い。
けれど、どこか遠い。
――庶民の不安を「戦略」でねじ伏せるという答えは、私たちが抱く切実さとは少し違って聞こえる。
レオノーラもそれを悟ったのか、わずかに肩をすくめた。
「……なるほど。公爵様らしいご返答ですわね」
否定ではなく、諦観でもなく。
ただ視点の違いを受け止めるような声音。
私はそんなやり取りを黙って見つめながら、胸の奥に複雑な感情を抱えていた。
マリアの現実的な強さ。
レオノーラの冷静な懸念。
そして、フェイの揺るがぬ覚悟。
どれも正しく思える。
けれどその全部を抱えて舵を取らねばならないのは、ティーツリーを預かる店主である私だ。
信頼と同じだけの心配をフェイに覚え、仲間たちの言葉に揺さぶられ、そして――私自身がどうあるべきかに戸惑っている。
だが迷ってばかりはいられない。
明日も店は開く。
客は来る。
その笑顔を守るために、私がどう立つのか。
考えるほどに胸の奥で答えが遠ざかるようで、それでも私は唇を結んだ。
――終わりの見えぬ戦いは、まだ続く。




