伯爵令嬢、解決策を考える
閉店後のティーツリーは、昼間の喧噪が嘘みたいに静かだった。
カウンター席に腰かけたフェイに、私は紅茶と軽い夜食をそっと置く。
「これは昼間のお礼です」
「先程は紅茶を嗜む余裕もなかったからな。助かるよ」
ふっと柔らかく微笑んで、フェイは紅茶を口に含む。
その表情は、公爵として店を訪れる時には決して見せないものだった。
少し驚きながらも、私は自然と頬が緩んでしまう。
「それで、旅人に扮して斡旋業に鞍替えですか?」
不意に口を尖らせたマリアの声が飛ぶ。
フェイは目を瞬かせ、私の方へ小さく顔を寄せてきた。
「……彼女は何か機嫌が悪いのか?」
当然、横に立つマリアにも丸聞こえの小声で。
私も合わせて小さく返す。
「昼間のお客さんたちにレオノーラが水をかけたでしょう? あれを自分がやりたかったって拗ねてるの」
「なるほど……。それなら、スッキリしない方法を取った私に八つ当たりするのも仕方ないな」
フェイは苦笑する。
「ちょっと! 全部聞こえてるんですけど!?」
マリアがますます口を尖らせる。
「まぁまぁ、落ち着いてよ、マリア」
レオノーラが肩に手を置いてなだめるけど、マリアは小声で文句をぶつぶつ。
……昼間からずっと我慢してた分、鬱憤が溜まっていたのだろう。
そんな空気を断ち切るように、フェイが口を開いた。
「質問に答えるなら、斡旋業とまではしていないが……仕事の斡旋は元々考えていたことなんだ」
「元々? それって、バイン商会が何かやり始める前からってこと?」
「ああ。正確に言えば、王都の貧民街に対して何かしらの政策はないかと、常日頃から《私たち》は考えている」
「考えている、と仰いますが……実際、革命の後から貧民街の扱いは変わってないと聞きます」
口を挟んだのはレオノーラだった。
フェイがヴィクトル公爵の変装した姿だと説明したせいか、口調に妙な硬さがある。
没落貴族となった彼女の両親は今も貧民街に住んでいるから、その事情には詳しいのだろう。
フェイは深くうなずいた。
「そうだ。昼間に彼らに話した通り、貧民街はセーフティネットという側面を持っている。それを建前の正義として利用し、格差社会の象徴にしておきたい派閥がいる。私たち、公爵派の法案は彼らにことごとく却下されてきた」
「公爵って軍務を任される立場ですよね。内政に口出すのは嫌がられるのも当然、ということですか」
レオノーラが言うと、フェイは苦い顔を浮かべた。
「その通りだ。身内からも反対は出た。しかし……それでも、何かできないかと考える者たちは少なくない」
そう語りながら、フェイは紅茶を口にする。憂いを含んだ瞳は、紅茶を飲んでいるはずなのに、まるで強い酒をあおっているように見えた。
過去に仲間が強行策で失敗したことを、そのまま飲み下しているように。
「じゃあ……仕事の斡旋は、前から準備していたものってこと?」
マリアが、尖らせていた唇をようやく緩めて尋ねる。
「旅人に扮しているのは、王都以外の街の状況を探るためだ。公爵として集められる市井の情報は侯爵派の検閲を受けるからな。実際に見聞きする方がはるかに多くを学べる。例えば──グリーンフォードの人材事情のようにな」
そう言って紅茶を置くフェイの横顔を、私はしばし見つめていた。
公爵としての仮面も、旅人の皮も脱ぎ捨てた、その素に近い横顔を。
「それじゃあ、迷惑客を差し向けるって嫌がらせに対して、毎回仕事を紹介して対応していくってこと?」
マリアがさらに食い下がる。
彼女の言葉は正直で、鋭い。
金で雇われて迷惑行為をしようとしたら、仕事を紹介されて再出発。
……被害を受ける側としては、確かにすんなり納得はいかない。
私もマリアほど強くは思わないけど、どこか胸に引っかかる感覚はあった。
「バイン商会も利益の少ない策に固執はしないだろうが、これからも何度かは仕掛けてくるかもしれない。その時には、また仕事を紹介することになるだろう。バイン商会が一時の生活費を与え、グリンフォードが職を与える。法に縛られずに人材の再生が行われる形だ」
フェイの声は穏やかで、理路整然としている。
けれど──そこにあるのは「政策としての正しさ」であって、私やマリアが抱えているもやもやとは別の話だ。
「……わかったわ、旅人さん」
マリアがすっと顎を上げた。
口調は皮肉めいている。
「私たちに、その紹介先の情報を教えて。仕事の斡旋、こっちで請け負うわ」
マリアの攻撃的な圧に、フェイが少し困った表情を浮かべる。
「……彼女はやはり苛立ったままなのか?」
再びフェイが小声で私に問いかけてきた。
私は思わず眉をひそめる。
マリアや、私自身だって抱えているもやもやについて素直に説明すべきか。
それともマリアに続いて、一言皮肉を添えてやれば気づいてくれるのだろうか。
でも──この人は、いつだって私たちを助けてくれた。
そう思うと、問題を突きつけて責めるのは違う気がして。
私は短く息を吐いて、口元だけで笑った。
「……いつもあなたがここにいるわけじゃないんだから。教えておいてあげて」
問題を正面から指摘する必要は無い。
彼のやり方が間違っていると、そうは思わないし。
この場をすんなり済ませれば、それでいい。
フェイは一瞬目を瞬かせ、それから困ったように微笑んだ。




